挿話10.ハンカチの刺繍
「25.学園爆破事件①」→「31.交渉失敗」の時間軸。ルフィーナとアルロの話。
学園の中央庭園。
一面に広がる色鮮やかな花々に囲まれながら、ガーデンベンチへと腰を下ろしているアイヴィーの隣には、浮かない表情のルフィーナが居た。
テオドールが学園に入学する本日。在校生であるアイヴィーがわざわざ学園に訪れた理由は彼女にあった。
以前、学園の階段でルフィーナと遭遇した際、挙動不審なその言動から、彼女が何か困っていて、助けを求めているのではないかと感じたアイヴィーは、アルロの出現で姿を消してしまった彼女に、その後密かにコンタクトを取っていた。
「そう、それで……」
「はい」
アイヴィーの相槌を受け、ルフィーナはぽそり、と口を開いた。
マーティン男爵家は数代前から、国内から国外まで手広く事業を展開し始めた有数の商人一家である。男爵の地位は彼女の祖父の代に叙爵し、以降は細々と、しかし、庶民と一部の貴族の間で信頼を得て、商いを続けながらも貴族としての生活を送っていた。
問題は、ひと月ほど前に行われたお茶会で起こった。
彼女を含めた数人の令嬢達の中で、マーティン商会が取り扱っている商品が話題に上がった時の事だ。貴族としてはまだ新参の、数代前は庶民であったマーティン男爵家を気に入らなかった一人の令嬢が、皆がいる前でその商品と共に彼女を貶した。それがまた、彼女たちのいる小さな派閥の中では一際声が大きく傲慢な令嬢であり、そのお茶会に参加していた他の令嬢達も、控えめに彼女に同調する流れになってしまったのだ。
「そんな状態で、もう……席を立って帰りたくて仕方なかったのですが」
──うわ……やだやだ
これだから、中途半端に金と権力を持って驕った人間は。
アイヴィーはルフィーナの説明を頷きながら聞きつつ、内心白目をむきたくなる状況に悪態をついていた。
「その時、どこからかひょこっと現れたアルロ……さん、が、その商品の良さを説明してくれたんです。その説明の仕方がまた上手くて、その……私を貶したご令嬢以外の皆さんは聞き入ってしまい……」
「あ──……」
なるほど。
突然のアルロの登場で、マーティン男爵家の商品を批判し、不買運動をしようと目論んでいたその傲慢令嬢は、逆に目の前で盛り上がって注文を取付けようとする他の令嬢たちの前で赤っ恥をかかされた、と。
「男に取り入った、とか。また今度はそんな風に言われてるんじゃないかと思うと……」
「……それは」
「でも、それはいいんです」
いいんかい。
「周りの皆さんも、彼女の傲慢さには辟易していてあの態度だったんでしょうし」
この娘……結構ため込んでるわね。
お茶会の様子を説明してくれながらも、おそらく無意識にはぁ、と何度もため息を吐いていたルフィーナを見て、アイヴィーも小さく息を漏らした。
「それで……アルロさんにお礼のハンカチを送ったのですが」
「また急ね」
「えっ、と……」
アイヴィーの言葉に、一瞬ためらいを見せたルフィーナは遡って経緯を説明する。
勝手に盛り上がって勝手に消沈した傲慢令嬢。しかし、もしもあそこでアルロの助けがなければ、マーティン男爵家で取り扱っている商品の良くない噂が広がっていたかもしれない。真実ではなくとも、周りの雰囲気に同調しがちで噂好きな女性達は多い。しかもそれは、貴族の方がより顕著とも言える。
そのため、ルフィーナは今回の事で何かお礼がしたい、とアルロに告げた。しかし、アルロは「気にしなくていい」と笑って答えるだけだったという。
「私の家で取り寄せられるものなんて、伯爵家であるアルロさんが手に入らない訳がないのが現状で……結局、彼に釣り合うものも思いつかず、何も贈れないままでいたんですが」
プチ騒動のあったお茶会から、数日後。
学園の隅で二人が他愛のない会話をしていた時、ふとアルロの視線が遠くにあることに気付いたルフィーナ。目で追ってみると、そこには、一組の恋人たちがハンカチを手に談笑している姿があった。どうやら、女性が刺繍をしたらしいハンカチを、男性が嬉しそうに受け取っているようである。
「…………」
(もしかして、アルロも……あぁいった贈り物は嬉しいのかな)
これまで自分には、大した取り柄は無いと思っていたルフィーナ。
でも、刺繍だけは担当の先生から褒められていたし、過去に刺繍したハンカチを渡した家族や友人たちはとても喜んでくれていた。
もしも私が刺繍したハンカチを贈ったら、アルロも喜んでくれるだろうか。
気に入られなかったら、捨ててもらえばいい。
そう考えながら、彼の事を思い浮かべ、いつもより少し緊張して縫ったハンカチ。ルフィーナはそれを、次にアルロと会った日に渡した。
ハンカチを受け取ったアルロは、ピクリとも動かない。
大丈夫かと問い掛ければ、しばらくしてハッとしたアルロは、今にも零れ落ちそうなほどほころんだ笑顔を浮かべ、「嬉しい」と言った。
世界中の様々なものを集め持っているアルロからすれば、たかが刺繍が一つ施されたハンカチ、全然大した物ではないだろう。しかし、嬉しそうに微笑んだアルロを見て、喜んでもらえたのならよかったとルフィーナも心から笑った。貴族社会に溶け込めず、どこか鬱々としていた心が温まったような気がした。
翌朝、ルフィーナの家に大量の花束が届くまでは。
どうやらアルロは、本気で、とてつもなく、かなり、喜んでいたらしい。
玄関の扉を埋め尽くすほどの花束に添えられた手紙には、びっしりとハンカチについての感想が書かれていた。それはそれでちょっと引く程でもあったのだが、使用人含め、マーティン男爵家の者たちは、ルフィーナが伯爵家のご子息に好意を寄せられているのだと知り、大騒ぎになった。
正直、愛だの恋だの以前に、貴族の人間というもの自体、ルフィーナはあまり好きではなかった。
騒がしくなった屋敷の中で、ルフィーナはもう一度、アルロからの手紙へ視線を落とす。
黙っていれば、見てくれだけなら悪くないのに、口を開けば突然突拍子もない、誰も思いつかないようなことを言い出したりするアルロ。そんな彼が、自身が贈ったハンカチを「大切にする」と書いてくれている。その文字を指でそっとなぞったルフィーナは口元を緩めた。
下手な建て前や、取り繕った言葉ではない。
彼の素直なその言葉が、何よりもルフィーナの心には響いていた。
ルフィーナは、もらった花束の中から、特に綺麗に咲いていた一輪の薄紅色の花を手に取る。そして、新しいハンカチにその花の柄の刺繍をした。
翌日、学園でアルロに会った時にお礼と共にそれを話せば、アルロはびっくりとした後、嬉しそうに「そのハンカチはないのか?」と言う。今は持っていません、と答えたら、「では、出来たら見せてほしい」と言っていた。
後日。完成したハンカチを見せれば、アルロはまた目をキラキラさせて嬉しそうにしていた。
「よろしければ、差し上げましょうか?」
「いいのか⁉」
ルフィーナの言葉に、嬉しそうにそう言ったアルロ。
そんなものでよければ、いくらでも。
内心、そう思っていたルフィーナであったが、自宅に帰るとまた玄関を埋め尽くすほどの花が贈られていた。
「…………」
これは。
先にもらっていた花とは別の種類の、様々な綺麗な花。添えられていた手紙には、またもやびっしりと彼の熱意が込められていた。
喜んでくれるのなら……。
アルロから贈られてきた花束の中から、今度は一輪青色の花をとったルフィーナは、新しいハンカチと共に部屋へ入っていった。
うすうす察してはいたが、ルフィーナがお礼の青い刺繍入りハンカチをアルロに渡せば、その翌日、またもやアルロから大量の花が届いた。そして、またルフィーナがお礼の刺繍をする。このやりとりが数回続いた末、今回は自宅に小鳥が届いた。以前、アルロとの話の中で、幼い頃から小鳥が好きだった、できる事ならばまた飼いたい、と話していたのを思い出したルフィーナ。
あんな些細な言葉も覚えていてくれたんだ。
しかし、こうも贈り物を頂いてばかりでは申し訳ない、とアルロに控えめに断りを入れたのだが、彼は「気にいったのなら、また刺繍をしてくれるか?」と微笑んだ。
こうして、ルフィーナはハンカチに刺繍をし、それをアルロに渡しては、またアルロから何かしらの贈り物が届き、その刺繍をまたハンカチに……と、ちょっとしたお返しのつもりで送った刺繍のハンカチが、いつの間にか終わらない贈り物のエンドレスループの引き金になってしまっていた。
刺繍自体は、ルフィーナの唯一得意とするものであったし、苦ではなかった。だが、こうも毎回、盛大な贈り物をされていてはたまらない。しかも、そのお返しが高々一枚の刺繍のハンカチだなんて。そう考えたルフィーナは、意を決してアイヴィーに相談を持ち掛けてたのだった。
「スペンサー様は、他の貴族の方たちとは違うとアルロさんから聞いていて……それで、こうしてご相談させていただくのも、おかしいのは重々承知しておりますが」
「分かりました」
お礼のハンカチを贈るごとに、どんどん豪華になっていく贈り物に、彼女は申し訳なさを感じている。もともとは、アルロに対するお礼として送ったものであるため、アルロからの贈り物は今回のこれで最後にしてほしい、と一枚の刺繍されたハンカチを取り出したルフィーナ。それが彼女の願いだった。
──……アルロ、ルフィーナさんから贈り物がもらえるのが嬉しいあまり、歯止めが利かなくなっていたのね。
アイヴィーは申し訳なさそうに頭を下げたルフィーナに、久しく見る事の無かった完璧な貴族令嬢のような表情を作り、微笑み返した。
*
そして、公爵邸の通路でアルロに膝を入れられたあの日。アイヴィーはルフィーナから預かったお返しの刺繍入りハンカチと共に、彼女の想いをアルロに伝えた。しかし、それを聞いたアルロの反応は……。
「なんと奥ゆかしい」
目をギュッと瞑り、こぶしを握り締めて浸っているアルロの前で、アイヴィーは目を細め、まるでかわいそうな者を見るかのような視線を向けていた。
いや、でもなんだかんだ言って、ルフィーナさんアルロにほだされてきてない……?
──う~~ん……
まぁいいか。
「と、言うか、なんで永遠にプレゼント交換なんてしてんのよ」
「え?」
「食事とか劇とか見に行ったりとか、遊びに誘うでしょう普通!」
「…………」
アイヴィーをパチリと開けた目で凝視していたアルロは、しばらくしてからハッと我に返った。
「ど、ど……どこ」
「花が好きなら花園とか、何か気になる劇はないのか聞いてみたりとか、……あぁ、あと、彼女刺繍が趣味なら色んな糸とか刺繍道具が売ってるお店を回って、最後にプレゼントしてあげればいいじゃない」
縋るような目で見つめてくるアルロに、ありきたりな提案をしたアイヴィーは、ふぅっと息を吐いた。
「……スペンサー、お前」
「何よ」
「天才か?」
決してバカにしてるわけではなく、素で呆けたようにそう零したアルロに、アイヴィーは再び目を細めるのだった。






