挿話8.ルイスのいたずら
スペンサー公爵家の日常。
「私は、祖国を嫌な奴らに騙されて追い出されたんですよ。」
公爵邸の二階。
ここで勤める使用人たちの休息の場として設けられている、少し広い部屋の扉の前で、中から聞こえてきた声にアイヴィーはふと足を止めた。
気づかれないように、そっと中を覗くアイヴィー。すると、室内にはルイスと複数人の使用人が円を描くように座り休息をとっていた。
「そしてその先で、奴隷商人に捕まってしまい……あの競売所へ連れて行かれたんです」
あまり大声で話す内容ではないと思うのだが、ルイスは他の使用人たちに向け、時に瞳を瞑り、時に声に抑揚をつけたりして、少し感情的に自身の生い立ちを説明していた。
──…………。
幼き日に、奴隷売買のオークション会場で巡り合ってしまったルイス。
当時の彼は、その日の目玉商品として、会場中から大きな注目を集めていた。
アイヴィーは、ルイスとの出会いを思い返しながら、彼が使用人たちに説明している話に耳を傾けていた。
「下卑た大人たちの歓声と共に、次々と落札額が上げられていく中、一人の女の子が飛び出してきました」
そして、あろうことかその少女は、それまで上げられていた金額よりも遥かに高い金額を提示し、その金を全て舞台上へと投げ入れたんです。続けてそう言ったルイスに、他の使用人たちは小さく声を漏らしている。
──恥ずかしいな、やめてくれ……ッ
アイヴィーが当時のテンションを思い出し、両手を顔に当て悶絶している間にも、ルイスは話を進めてゆく。
「その少女はオレの前に立ち、懸命に悪い顔を作って少年を手に入れた、いかにも悪い女を演じていました。……でも、オレの方へ向かって伸ばされた手は小さく震えていたんです」
「それが……まだ幼かったアイヴィーお嬢様とルイスさんとの出会いなんですね」
「はい」
──っく…………ッ
瞳を閉じてコクリと返事をしたルイスと共に、扉越しに通路で下唇を噛みしめているアイヴィー。
「あんなにも汚い大人たちの中で、こんなにも懸命に悪を演じてオレを救い出そうとしてくれたお嬢様を前に……荒んでいた心が潤いを取り戻したようでした」
ズッ、と鼻を啜る音が聞こえてきた。
アイヴィーがそろり、と再び中を覗く。すると、ルイスの語りが上手かったせいで、話を聞いていた使用人の何人かの目が潤んでいるのが確認できた。
嘘でしょ。ねぇ、ちょっと。
──あ
「そして、その後に運命的な出会いがあったのです。それが旦那さ」
「わーーーーーーーーーーーーーッ!!」
アイヴィーが扉から中を覗いた直後、ルイスと目があった。そして、流れるようにスペンサー公爵の話題を切り出そうとしていたルイスの気配を感じ取ったアイヴィーは、慌てて声をあげながら部屋へと入って行った。
「何の話をしているのよ、ルイス!」
「何って、お嬢様とオレの運命的な出会いの話ですよ」
「違うよね⁉ 運命的な出会いしたって言うつもりだったの、私相手じゃなかったよね⁉」
スタスタとルイスの元まで距離を詰めていったアイヴィー。ぐっと顔を近づけて小声で詰め寄るも、ルイスは相変わらずあっけからんとした表情で答える。
「でもそこで、オレは旦那様の犬になったんです」
「犬ってなに⁉」
「それは……」
ポッと頬に手を当てながら嬉しそうに話し始めるルイスに、アイヴィーの顔からは色が消えていった。
*
「……お父様」
「なんだ」
「あの、……その」
スペンサー公爵の執務室。
持っていた書類を下げ、顔を上げたスペンサー公爵は、口を開けては閉じ、視線をあちこちへとやり落ち着かない様子のアイヴィーに、怪訝な表情を作った。
呼んでおいて話す気はないのか、とスペンサー公爵が口籠っている様子のアイヴィーをしばらく眺めていた時、コンコンと扉を叩く音がした。
「失礼します、旦那様」
頼まれていた資料を片手に持ち入室してきたルイスの姿に、肩をピクと揺らしたアイヴィー。
あ、お嬢様いらしてたんですね、とにこやかに微笑むルイスと、挙動不審度が増したアイヴィーを見て、何かを察したスペンサー公爵。
「何でもないです、失礼しました!」
パッとルイスの横をすり抜け、部屋を飛び出して去っていたアイヴィーを、二人はジッと見送る。
「なんだったんですか?」
「なんでもないそうだ」
「はぁ……」
気の抜けた返事をしながら、ルイスは持ってきた書類を手渡した。
「あまりおちょくり過ぎるなよ」
スペンサー公爵が資料に目を通しながらそう言えば、ルイスは一度、目をパチリと開いた後、スッと閉じて楽しそうな様子で答えた。
「はぁい」
*
数日後。
スペンサー公爵の執務室にあるもう一つの扉。その奥の部屋で、彼の不在を確認したアイヴィーは、閲覧が許可されていない資料を物色していた。
「…………」
アイヴィーが忍び込んでからどれくらいか時間がたった頃、執務室へ足を踏み入れたルイス。いつもとは違う気配を感じ、アイヴィーがいる奥の部屋へ続く扉へとスッと視線を向けた。足音を立てずにそっと近づき、扉を少しだけ開ける。中を確認し、アイヴィーがいると分かったルイスの口は、にんまりと弧を描いていた。次の瞬間、ルイスはガチャンッとわざと音を立てて扉を閉めた。
「い、いけません旦那様。こんなところで」
「!?」
突然、背後の扉から聞こえてきたルイスの声に、ビクッと体を揺らしたアイヴィーは慌てて振り返る。
「あ……わっ、……」
「……!?!?」
いけない、今すぐに、この場所から離れなければ。
アイヴィーはそう思いながらも、足が石のように固まって動かない。
いや待って、そもそもこの部屋、扉があそこしかない……ッ逃げ場がない!
「う……ア痛ッ!」
「何をしている」
アイヴィーがあたふたと上下左右を見渡しながら半泣きになりそうになった瞬間、扉が開いた。そして、その向こうからは後頭部をさするルイスと、書類の束を軽く掲げたスペンサー公爵が現れた。
「へ……」
「くだらん事をするな」
「えへへ」
呆けてるアイヴィーを見て、はぁと溜息をついたスペンサー公爵はそのまま部屋の資料棚の前まで向かっていく。
「駄目ですよ~、お嬢様」
「……な、に」
ルイスはその場に力なく立ち尽くしているアイヴィーにそっと近づき、耳元でささやく。
「忍び込んだ先ではちゃんと、脱出経路か身を隠す場所を先に確認しておかないと」
ニコッといつもの調子でそう言ったルイスを前に、アイヴィーは呆然としたまま、コクッと頷いていた。






