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40.切り替えは早いほう




「う、う……ズッ、もうダメかも知れない……」

「姉さん……」


 公爵邸へと戻ってきたアイヴィーは、例のごとくテオドールの部屋へと駆け込んだ。そして、簡単に事情を説明した後、彼のベッドへとダイブし、めそめそと落ち込んでいた。

 そんな様子を眉を下げながら見ていたテオドールは、ゆっくりとアイヴィーの元へと近づいていく。


「今、義父とうさんがいなくてよかったね……」

「…………」

「学園に無断外泊した上、泥酔して記憶が無いなんて、あまりにも酷すぎる……」


 本当に、一体今まで何を学んできたらそんな事になるの、と眉間にしわを寄せながら真剣な様子でそう言ったテオドールに、うつぶせで落ち込んでいたアイヴィーはゆっくりと身を起こす。


「そうじゃないよ! そこじゃないよ!! せっかく地道に?少しずつグレイソンと良い感じの距離感ができてきて、仲間みたいなポジションになれるかもと思ってたのに、思いっきり迷惑かけて呆れられちゃったっぽいから落ち込んでるの!!」


 いや父様そこも怖いけど!!


 昨夜、アイヴィーが休憩室へ運ばれた後……アイヴィーを探しに来てくれたレーラは、ライアンから事情を説明され、アイヴィーの寝ていたすぐ隣の部屋で一晩過ごしていたらしい。これ幸いと図書室で読み切れなかった魔導書を持ち込んで。一応、警護という名目で朝まで起きていたらしい彼女は、その間にきっちりと全ての本を読み切っていた。


「レーラが連絡入れてくれるまで、ベルも心配してたよ」

「…………」

「まぁ、何も事件とかなくてよかったけど、もっと外では気を付けてよね」

「……うん」


 事件……。そういえば、専門棟の休憩室から出た時、何やら騎士団と教員たちが揉めていたような気がするけど。

 ふと今朝の事を思い返して考え始めたアイヴィーを見て、ふぅっと息を吐いたテオドールはデスクに戻り、課題に取り組み見始めた。









「う、わぁ!?」

「あ、お嬢様」


 テオドールの部屋を出たアイヴィーが、自室へ向かうため廊下を歩いていると、突然すぐそばをシュンッと黒い影が通り過ぎた。思わず声を上げたアイヴィーに、近くの扉から顔を出したレーラが軽く謝る。


「あなた何をして……ていうか寝てないの?顔色が悪いわよ」


 確か警護という名目の元、朝まで魔導書を読みふけっていたって聞いたけど……。

 アイヴィーが部屋の中をのぞけば、そこにはおぞましい程の魔導人形が存在していた。


「……なに、してんの」

「侵入者撃退用の魔導人形を」

「……?」


 話を聞けば、どうやらレーラはスペンサー公爵に言われ、過去にアイヴィー達を襲ったあの魔導人形を強化して、外部からの侵入者に向けた公爵邸全体の撃退セキュリティとして導入するための実験をしているらしい。

 いつもの様な活気がなく、瞼が重いのか眠そうにしているレーラの後ろで、うじゃうじゃと黒い人型の人形がそれぞれ好きに動き回っている。


──ち……力は確かなんだろうけど、見た目がどう見ても敵陣営ダークサイド!!


 というかお父様はまだしばらく帰ってこないんだし、そんなに根詰めてやらなくてもいいんじゃ……。

 アイヴィーがそう口に出そうとした瞬間……あ、違う。この娘は魔術を学んで扱うのが好きすぎるあまり、自主的に勝手に徹夜してやってるだけだ。と気づき、はぁっと短い溜息を吐く。


「……なんかもうちょっと、こう人間っぽくならないの……?」


 あの時は、ほぼ完璧に人間の形してたじゃない。

 皇宮襲撃時のレーラの魔導人形を思い浮かべたアイヴィーは、眠そうに目を半分閉じながらもまた一体、魔導人形を操作し始めたレーラに問いかける。


「あの時は……絶対に気づかれないように、と幻術にも力を入れる必要があったので……。今回のは必要なくないですか……?」

「そ、そうだけど、でも真っ黒人間だとびっくりするじゃない」

「……?」


 対侵入者用なので、それで構わないのでは?と首を傾けたレーラ。


「同じ人間じゃなくて、複数人の動きをトレースして反映させるのなら、幻術も複数の別の人間の姿で操れるようになった方が楽しくない?」

「……そう、かも……しれません」


 目をほとんど閉じながらう~~ん、と悩み始めたレーラに、ゴクリと生唾を飲み込んだアイヴィーがそっと提案する。


「た、試しに……例えば殿下の護衛騎士とか……」

「サーチェス卿ですか?」


 どこか期待のこもった目でコクリ、と頷くアイヴィー。


「んーでも私そんなにあの人をしっかり見てないし……」


 レーラは眉間にしわを寄せながら、すぐ傍にいる魔導人形に向かって手をかざした。


「こんな感じですか?」

「ん~~違う。なんか違う」


 レーラが幻術を使い姿を変えた魔導人形は、確かにぱっと見グレイソンなんだけど、どことなく違う。雰囲気が違う。

 なんだろう……。


 二人そろって頭を頭を悩ませ始めたその時、後ろから声が聞こえた。


「……なに、これ」

「魔導人形よ、レーラが幻術で見た目を変えてるの」


 レーラの作ったグレイソンモドキを見ながら部屋に入ってきたベルは、「……ここはもっと、こうじゃない?」とスッと手を伸ばした。魔導人形の目元に触れたベルは簡単にレーラの幻術を上書きしてグレイソンモドキの目元を変えた。それにより目元が少し細くなり、いつもの冷めた視線をしている彼の表情が出来上がった。


「あぁ!そう!これ!こんな顔してた!」


 ベルの幻術でほぼ100%グレイソンになった魔導人形に、テンションが上がったアイヴィーは思わず声を張り上げた。

 ふと視線を感じて振り向けば、ここ最近、ずっと変な空気になりがちだったベルがじっとこちらを見ていた。


「やっと目が合った」

「……」


 あ、逸らされた。


「……」

「ベルが言いたくなった時に話してくれたらいいから、そんなに避けないでよ」

「……避けて、ない」

「目逸らしてるじゃない」


 じりじりとにじり寄りながらそう言ったアイヴィーに、ベルはゆっくりと視線を合わせる。


「それ、は……アイヴィーの目力がすごいから、つい」

「…………」

「すー……すー……」


 二人が向かい合ったすぐ下で、穏やかな呼吸音が聞こえた。


「…………」


 いつの間にか床に崩れ落ち、眠り始めていたレーラ。

 人が現実で実際に寝落ちする瞬間を、初めて見てしまった。

 レーラを彼女のベッドに寝かせ、シーツをかけたアイヴィーが、あ、そうだ!と振り向きながら言った。


「せっかくお父様もいないんだし、街行こうよ」


 少し考えるように視線を落としたベルに、アイヴィーは穏やかにダメ押しをする。


「行かない?」

「…………行く」










 翌日、公爵邸を抜け出したアイヴィーはベルと共に街に来ていた。またいつもの平民を装った服装で、朝からアイヴィーが指定した様々な店を回った二人。


「疲れた?」

「……ちょっと」


 気のせいか、今日はずっとハイペースで店を移動していた気がする……と感じていたベルは、ニッと笑ったアイヴィーの少し意地悪な顔を見て、素直な気持ちを口にした。


「じゃ!そろそろ休憩しよっか」


 この辺りには、あ!あのお店があった!と目と鼻の先の店を指さしながら、ベルに振り返って言ったアイヴィー。丁度その時、前方から歩いてきていた、綺麗に整えられた桜色の髪を揺らした少女と肩がぶつかってしまった。


「あ」

「えっ、……あ!」


 彼女とは確か、レオナルドとのお茶会の後に通路で何度か顔を合わせたことがあった。

 確か……


「ディアス卿」

「スペンサー様……」








 モダンで落ち着いた店内。

 その端の席に運ばれてきた様々な種類のケーキを前に、二人の少女は向かい合って座っている。


「よろしければ、こちらも食べてみてください」

「え……はい」

「ここはパイ生地のお菓子がとても美味しいんです」

「……!」


 アイヴィーに薦められたお菓子を、そっと口へ運んだヴァネッサ。彼女の口にあったのか、その後は二口、三口、ともりもりと食べすすめている。


──ふぅ……。


 気が抜けていたとはいえ、街で偶然出会ってしまった皇室所属の帝国騎士を相手に、普通に言葉を交わしてしまったアイヴィー。目が合った数秒後、慌てて貴族令嬢の皮を被ったアイヴィーは、自然な動作で彼女をカフェに誘った。


──何としても、私が平民を装ったこんな姿で街をブラついていたという事実は、その心の内に止めておいてもらわなければならない。


 この姿で街を歩いていることは、すでにグレイソンには知られてしまっているのだが、推しは誰に対しても無駄に口を開くタイプではないから、問題はなかった。だが、この少女のことはほとんど知らない。もしも、皇宮や仲間の騎士たちにうっかり口を滑らせてしまっては……。


──彼女の口を封じなくては。


 そのために、アイヴィーはお気に入りであるこの店自慢のケーキやお菓子を机いっぱいに並べ、接待を始めたのだ。

 本当はカフェに誘ったとき、断られたらどうしようと思ってたけど、意外とすんなりついてきたのよね……。


「ディアス卿」

「……ヴァネッサとお呼びください」


 食べ終わりそうな頃を見計らい、どうか今日であったことは秘密にしていてほしい、と話を持ち掛けようとしたアイヴィー。しかし、表情を変えず、淡々とそう言ったヴァネッサを前に、ふと考える。


 今まで顔を合わせてきた時間が短かったのもあるけど……彼女、本当に表情が変わらない……。グレイソンもそうだけど。


──レオナルドは無表情部隊でも作ってるのか?


 ヴァネッサが食す姿を見ながら、一人考えに耽っていたアイヴィー。しばらくして、出されたケーキを全て平らげたヴァネッサが口を開いた。


「我々はもともと、ここの……貴族の生まれでありません。」


 彼女の言葉に、アイヴィーはハッと意識を移す。


「私も……他にも何人か、元は平民かそれ以下の生活で苦しんでるところを、レオナルドに救ってもらったんです。」

「……そう、なんですね」


 急に話始めたちょっと重そうな内容に、彼女の意図を考える。貴族令嬢らしい姿を取り繕いながらも、相槌を打ったアイヴィーに視線を向けたヴァネッサは、ゆるく笑った。

 不器用な笑顔。

 だけどこれは、きっと、この子の素の表情なのだろう。


「あなたも、似たようなことをされているのではありませんか」

「…………」


 それはルイスのことを言っているのだろうか、と思ったが、彼女の視線はアイヴィーのすぐ後ろのベルへ向けられていた。


「お久しぶりですね」


 アイヴィーはパッと後ろを振り返り、知ってる人だったの!?とベルに視線を送る。


「………?」


 あ、知らないみたいだ。


「……もう10年も前の事です。それに見たのは、私が一方的に、なので」


 ベルの反応を予想していたかのように、ふっと笑ったヴァネッサは手元のカップへと視線を移した。


「あの荒野での戦場で。」


 ざわり、と心地の悪い空気がアイヴィー達を取り囲んだ。

 しかし、彼女は様子を変えることなく、淡々と続けた。


「私は以前、貴方に助けられたんです。」



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