39.飲んでも飲まれるな
【!】 飲酒表現があります。
現実世界でも、飲酒は各国・地域等の法律で定められた中で楽しんでください。
「……もうやめとけって」
「なんれ」
「…………」
呂律が怪しいアイヴィーの返答に目を細め、めんどくさそうな表情を隠さないライアン。マグカップを取り上げようと手を伸ばせば、アイヴィーはカップを奪われまいとグッと手に力を入れ、火照らせた頬を膨らませながらライアンを睨むように見上げている。
はぁ、とため息をついたライアンは、「じゃあいーわ」と自分のカップを口元に持っていった。
事は30分ほど前に遡る。
夜空を大きく輝かせた最後の打ち上げ花火も終わり、いよいよ本日の宴も幕を閉じるとアイヴィーが帰り支度を始めようとした時、校舎の一階の端に光りが灯っているのを見つけた。
「あ」
そして、その光の中に一人、見知った顔を見つけた。
ライアンだ。
「せんせー」
「おぉ、お疲れ」
導かれるように窓際まで歩み寄ったアイヴィーは、ライアンに声をかけた。
「何してんるんですか?」
「ん~~……?あーーこれは」
「?」
ライアンが妙に言いよどんで視線を逸らしている。不思議に思ってライアンの後方を覗き見ると、室内には何人もの専門棟の教員たちが集まっており、カップを片手に盛り上がっている光景が見えた。
「……いいご身分ですね」
──人を勝手に新作魔導具の素材に使っておいて
自分は楽しそうに打ち上げをしよって!
見るからに不貞腐れたような顔をしたアイヴィーに、ライアンは苦笑する。すると、室内の教員達がライアンを呼びながら近づいてきた。
「あ、スペンサーさん」
「おお!見たぞ~昼間の魔導具発表のアレ!よかったな~!」
「貴方いつも静かにしてて大人しそうなイメージだったのに、あんな表現ができるなんて思わなかったわ、すごいわね!」
「…………」
──それは、ほとんどライアンが勝手にやったことだ。
声のデカさと、ほんのりと漂ってくるアルコールの匂いに、この教員達が結構飲んでるのが窺える。
「せっかくだ、こっち回っておいで」
「え」
「ちょっと、コイツは」
「なんだ~?今回の新作の協力者なんだろぉ。いいじゃねぇか」
アイヴィーを呼んだ初老の教員を止めようとしたライアン。しかし、逆に言い負かされてしまっている。そんな調子で、窓際でわいやわいやと酔っ払った教員同士で言い合いが始まった。
「はい」
「!」
その様子を半笑いで眺めていたアイヴィーの前に、一人の若い女教員がマグカップを差し出してきた。中には紫色の液体。
「一口飲んでみて。美味しいわよ~~今日のために用意したんだから~~」
「…………」
この国では16歳から飲酒が許可されているため、学びの場でもこういった祭り事の際には、高学年の学生に向けてアルコールが準備されることがある。
アイヴィーはマグカップを受け取り、コクッとそれを一口飲み込んだ。
「…………!」
──美味しい!
今までも、酒は何度か社交界で口にしてはいたが……これは本当に美味しい。
「甘い、ですね」
「でしょぉ~?まだまだあるから、玄関から回っていらっしゃい」
こうして、初めて口にした甘いブドウ酒に釣られ、はい、と返事をしたアイヴィーは、教員たちの秘密の宴に参加することになったのだった。
「らって最近、せんせーと全然はなせなかったじゃないれすか」
「何をンな話す事あんだよ」
「らって推しが~~~」
「あーはいはい」
推しが推しが推しが、といつものようにグレイソンの話をしようとしたアイヴィーに、雑な返しをするライアン。
「アイツ甘いのばっか渡してきたな」
「ん~~?ブドウ酒おいしいよ~~?」
はぁ、と頬杖をつきながら、「甘いのは大体、度数クソ高ぇんだよ……」と小声で言ったライアンは、片手を軽く上げ給仕からグラスを受け取った。
「ほら、水も飲め」
「ヤダ、味しないからヤダ」
「うぜ」
首を振りながら、差し出された水を拒否したアイヴィー。そんな様子に目を細め、いよいよメンドクサイと思っている感情を表に出してきたライアンは、ふっと扉に目をやった。
「あ、丁度良かった」
ライアンの視線の先には、通路から室内の様子を伺うように立っているグレイソンの姿があった。おー、と声を上げてグレイソンを呼んだライアンは、不愛想に無反応のまま近づいてきたグレイソンに笑いかけて言った。
「ソイツ、部屋まで運んでやっといてくんね」
視線の先には、机の上に頭を乗せ完全に寝こけているアイヴィーの姿。あっちにこういう奴向けに休憩室作ってあるから、と言うライアンにグレイソンは眉間にしわを寄せ、見るからにいやそうな顔を向ける。
「魔法薬科の先生に呼ばれて、勧められるまま飲んでこのざまなんだよ」
「……」
何故コイツがここに居るんだ、といった表情で顔をしかめていたグレイソンに、状況を軽く説明をしたライアンは席を立つ。
「部屋ン中に、水と薬入ってる簡易箱あるから、寝る前に飲ましてやって」
この学園祭の夜の専門棟教員たちの秘密の宴は、毎年ひっそりと行われていた。しかし、去年は仕入れてきた酒が強すぎたせいか、飲んだ教員たちが酔っ払って騒ぎすぎた末、そのままこの場所で寝こける者たちが続出し、上に報告されてしまっていた。その対応策として、今年は飲み過ぎた人が休めるよう休憩室を用意した専門棟の教員達。
以前、専門棟のライアンの教員部屋を訪れていたレオナルドとグレイソン。その時に、この宴についても注意を受けていた。
現に今グレイソンもここを訪れたのも、昨年の報告を見て様子見によこされたからである。
「じゃあ頼むわ」
「……なんで俺が」
「まぁ別に、このまま放っといてもいいけど」
風邪引こうが、知らん奴に持っていかれよーが、ンなとこで寝てるこいつの自業自得だしな、と言い放ったライアンは、「お~~!そっちに俺も混ぜてくれ」と離れた年配組が集まる別のテーブルへと行ってしまった。
「………」
カツカツと通路に響く足音の奥で、わはははっと教員達の笑い声がうっすらと聞こえてくる。ふらふらと、不規則な足音を立てながら歩くアイヴィーの腕を掴み、半ば引きずるように通路を進むグレイソン。
「おい」
「ん……、んん〜……?」
腕を支えられて、というよりは完全にほとんど体重を預ける形でなんとか歩いているアイヴィーは、ゆっくりと声がした方へ顔を上げる。
そこには、推しの顔。
「あ、グレイソンだ……」
「…………」
なんだろうこれ、……へへ。
ふわふわとした思考で見つけた推しの顔を前に、アイヴィーの顔はだらしなく緩んでいた。
「やっぱりかっこいい……」
へらへらと笑ってそう言った後、カクンッと頭を下げ、再び呼吸音を漏らし始めたアイヴィーをグレイソンは無言で見下ろす。
「……おい、歩け」
掴んでいる二の腕に手に力を入れ、頭を落としたままのアイヴィー軽く引っ張るグレイソン。ひきつる皮膚の感覚に、アイヴィーは吐息をこぼしながら瞼を上げた。
「ンン……?」
……? ?? なんでこんな所に、手が……?
頭を傾けているアイヴィーの目の前には、自分の二の腕を掴んでいるグレイソンの指がある。掴まれている手のひらは、少し硬い。剣を握っているから、皮が厚くなっているのだろう。
推しの手……の、感触すごい……。手の甲の骨、と……血管が浮いてるところも見える……。あの時見た絵師さんのグレイソンのイラストに似てる……推しの……手……。
「…………」
アイヴィーは掴まれていない方の手をそこに持っていき、さりげなく浮き上がっている血管や骨を確かめていた。
そしてそれを、無表情のまま見下ろしてるグレイソン。
すごい、再現度高い……1/1スケールの推しの手……ふむ、とアイヴィーがふわふわした頭で考えた直後、ふいに先ほどよりも強い力でグッと腕を引っ張られた。ツカツカと足を進めるグレイソンの速度に足を縺れさせながらも、なんとか転ばずについて行く。そして、乱暴に開けた扉を通ったグレイソンに、そのままベッドへと放り投げられた。
「うっ、……いたたた」
頭痛い……。
室内に用意されていた簡易ベッドの中心へ、ボフッ、と丸めた身を綺麗に沈めたアイヴィーは、どこにも頭をぶつけてはいない。しかし、先ほどから少しずつ、脈打つような痛みがアイヴィーの頭を襲い始めていた。おそらく、勧められるまま大量に飲んだブドウ酒の所為だろう。
頼まれていた荷物は届けた、と言わんばかりにアイヴィーをベッドに放り投げたグレイソンは、サッと部屋を出ていこうと扉の前まで来ていた。だが、背後から聞こえてくるアイヴィーの呻き声に、足を止めた。
「……」
立ち止まって、数秒。
顔をしかめたグレイソンは体の向きを変え、アイヴィーのいるベッドの方へと戻っていく。
「おい」
「ん~~……」
ライアンの説明通り、部屋に用意されていた簡易箱から水と薬を取り出したグレイソンが、これを飲んでから寝ろとアイヴィーの目の前に差し出す。しかし、うっすらと目を開けたアイヴィーは、視界に入ってきた水を見て再び瞳を閉じた。
「味しないからヤダ……」
「…………」
ぐるりと背を向け、また小さく唸り始めるアイヴィー。
サァ……と、室内の気温が下がった。
グレイソンは、手に持っていた錠剤を口に入れ、ガリッと噛み砕く。ボトルに入っていた水も少量口に含むと、今も唸り続けているアイヴィーの肩を掴み、向きを変えた。
「……う」
脈打つような頭痛で顔をしかめているアイヴィーの首の下へ手を差し込み、唇を押しつける。口の中に少しずつ流し込んだ薬と水が、ごく、と喉を通った音を確認したグレイソンは、アイヴィーの後頭部を掴んでいた手の力を緩め、そっと離れる。
「…………?」
先ほどまで飲んでいたブドウ酒とは全く違う、口の中いっぱいに広がった苦みに、アイヴィーはうっすらと目を開けて口元に手を持っていく。しかし、ぼんやりとした表情は変わらず、寝ぼけているのか、何が起こったのか分かっていない様子を見せる。
「……あ」
視線を上げた先、扉の傍に誰かの後姿が見えた。反射的に声を出してしまったが、先ほどから頭痛だけではなく酷い瞼の重さを感じていたアイヴィーは、そのまま瞳を閉じ眠りについた。
翌朝。
「ンン~~~~ッ」
小鳥の囀りでぱちりと目が覚めたアイヴィーは、体を起こしゆっくりと腕を上げ、気持ちのいい伸びをした。そして、妙に頭の中がはっきりとした感覚に、パチッと目を開けた。
いやぁ、久しぶりにぐっすり寝た気がする!!スッキリスッキリ!
「…………ん?」
ベッドから下り立ち上がった直後、自分の部屋ではない見慣れない場所で寝ていた事と、昨日の寝る前の記憶が曖昧にぼやけている事に気づいたアイヴィーは、タラリ、と冷や汗を流した。
パタパタと何人かが部屋の外を歩く気配を感じ、ゆっくりと少しだけ扉を空ける。
学園の……専門棟……?
「あ」
「お、起きたか」
丁度、部屋の前を通り過ぎようとしたライアンを見つけ、声を上げたアイヴィー。しかし、目の前のライアンの顔を見たアイヴィーは首を軽く傾けた。
「どうしたのその顔」
「……別に、面倒なヤツに朝まで捕まってただけだよ」
ライアンの目の下には隈ができており、心做しかやつれている気がする。どこか聞くな、と言っているような表情でそう告げられ、アイヴィーは不思議そうな顔を向ける。
「それより、昨日どうだったよ」
「昨日?」
「グレイソンがお前を部屋まで運んでくれたろ」
「……………へ?」
突然のライアンの言葉に脳の処理が追い付かず、間の抜けた声を出したアイヴィー。
「なんだよ全然覚えてないのか、つまんね」
「………???」
なにを、なにを言ってるんだ、この男は。
……あれ。でもなんか薄ぼんやりと、運ばれてる……というか、誰かに引きずられるように、通路を歩いた……ような気がしてきた。
「え、うそ……」
アイヴィーはさっと顔を青ざめさせ、ライアンに詰め寄る。
「わ、私なんか変なこと言ってなかった?!」
「すっげー酔ってたぞ」
「は?!」
「あのブドウ酒な、お前勧められるまま阿呆みたいに飲みまくってたろ。度数高いんだよアレ。ンで、お前ベロンベロンよ」
「嘘でしょ?!」
前世のアイヴィーは、社会人として会社の付き合いで何度かお酒を飲んだ事がある。しかし、子供舌だったアイヴィーには、ビールは苦い炭酸水にしか感じられず、また他にも特に好きなお酒とは巡り合っておらず、それよりも食べたい人間であったため、付き合い以外で好んで酒を飲むことはほとんどなかった。
故に、お酒を飲んで酔っ払うという感覚を知らないアイヴィーは、当然、お酒で失敗したことなんてない。
「は……私、私は、なにを……」
「別にンな変なことはしてねーよ」
普通に酔っ払って、ベラベラ喋ってそのまま寝そうになってたから、めんどくせーから部屋に運んでもらっただけだよ。と言うライアンに、アイヴィーは食って掛かる。
「あんた!あんたが運べばよかったじゃん!」
「なんだよ。せっかくお前の推しをつけてやったのに」
「意識がはっきりしてないオタクに推しなんて渡すんじゃないわよ!」
ヒェエ……なんか、なんか変な事してないかな、大丈夫かな!?
猛烈に不安になるアイヴィーだったが、丁度そこに、その推しと数人の帝国騎士が現れた。
──ヒッ
「責任者は後で報告に来てください」
「だから、俺らじゃないんだって」
専門棟の教員たちと騎士団の間で何やら揉めているが、今のアイヴィーにはそれを気にしている余裕はない。
「おー。昨日はサンキューな、コイツ大丈夫だったみたいだわ」
アイヴィーを親指で指しながら、グレイソンに気さくに話しかけているライアン。アイヴィーはそろり、と顔を上げる。いつもの無表情のグレイソンと目が合った。彼は冷たい目でこちらを見ている。
──あ、よかった、いつも通りだ。
………いやまてよ。よっぽどイラついたりしない限り、推しは大体いつも無表情じゃない?呆れた場合とかは……。ううう、どうなんだろう。
表面は鉄壁の貴族令嬢らしい表情をキメながら、心の中で唸り悩む。
「正気に戻ったのか?」
ビクッ。
グレイソンの言葉に、アイヴィーは反射的に体を揺らした。
──正気に戻ったのか?今そう言ったか?
つまり昨日の私は、明らかに正気ではなかった、と?
嘘でしょ!!!何をしたの私は!!?
「あ、あの……昨日何か、私は失礼なことを……」
──ハッ
もしかして涎とか……?運んでもらう途中に……
そういえば起きた時、口の端がなんか妙にカピカピしてたような……。
そう考えながら、口元に手を持っていったアイヴィー。
「…………」
睨まれた。
確定だ。
アイヴィーの顔からは、サーッと血の気が引いていく。
「クッころ……」
グレイソンがその場から去って行った後、アイヴィーは顔を伏せ、ライアンにだけ聞こえる小さな声を漏らした。ハハッと笑ったライアンの太腿付近に、アイヴィーは横から無言で拳をぶつけた。






