38.仮面の裏側
中央庭園でのイベントも終わり、日も暮れ始めた頃。
あの後も、学園祭の実行委員が止めに入るまでの結構な時間、学園の生徒たちに囲まれていたアイヴィーは現在、西棟へと向かっていた。
普段あまり立ち入ることのない西棟は、この学園祭の期間中、一階全てを使って大規模なカフェスペースとなっている。
疲れた……。
そこの一席に腰を下ろしたアイヴィーは、はぁ……と小さくため息をついた。
「大変でしたね!お嬢様」
「えぇ、本当にね……」
……ン?
顔を上げれば、胸に何冊かの本を抱いているレーラの姿があった。どうやら図書館でお目当ての本を見つけることができたらしい彼女は、心なしか声が弾んでいる。
「……もしかしてレーラ、午後ずっと図書室に引きこもってたの?」
「はい」
学園祭について行くと決まった時から、異様にテンションが高かったレーラ。読みかけで、続きや続巻が気になっていた書物がいくつもあったと話していた彼女。もはや学園祭というよりは、図書室へと足を運ぶ事がメインだったとみえる。
「図書館の窓からも、お嬢様の素敵な映像が見えましたよ!」
「……」
同じテーブルに座るよう勧めれば、ニコッと良い笑顔でそう言ったレーラに、アイヴィーはなんとも言えない顔を向ける。
別にそれは見なくてもよかったのに。
「でも、旦那様の目に映らなかったのは本当に良かったですねぇ」
「…………」
怖いこと言わないでよ。
スペンサー公爵は現在、少し離れた遠くの領地へ行っているため、しばらくは帰ってこない。
……よかった。本当に良かった。助かった。
スペンサー公爵はどちらかといえば、伝統や歴史を重んじるお堅い人間だ。
これまでも、アイヴィーは好き勝手自由に行動しては、スペンサー公爵に叱られて生きてきた。しかし、散々、何度も言ってもきかないアイヴィーに、スペンサー公爵は最終的に「公爵邸ではもういい。しかし、一歩でも外に出たら貴族令嬢たる姿勢と態度を決して忘れるな。」という事で折れていた。
だというのに、今回のアレがもし知られると思ったら……怖い。いや、でもあれは私の知らない所で勝手に作られて、勝手に公開されたものだから!私のせいではない!
「そういえば、レーラはライアンのあの魔導具には興味ないのね」
「はい。私は誰かが作った魔導具よりも、自分が放つ魔術の方が100倍好きですから!」
アイヴィーの問いに、開いていた本から顔を上げたレーラは明るい口調でそう言った。
よく見ると手に持っている本も、古代魔術や最新の術式に関する論文っぽいな……。
「あ、」
アイヴィーがレーラの持つ本を難しい顔をして見つめていると、後方から声が聞こえた。振り向けばそこには、今年の学園祭一緒に回ろうよ、と持ち掛けたアイヴィーに「冗談でしょ」と冷たく返した、最近ちょっとかわいくないテオドールが立っていた。
それでも、こうして会えたのが少し嬉しくなってしまったアイヴィーは、そそくさと同じテーブルに着くように勧めた。直後、もしかしたら、またサッと立ち去ってしまうんじゃないだろうかと思ったアイヴィーだったが、テオドールは意外とすんなりと席に着いた。
運ばれてきた紅茶とケーキを頂きながら、他愛のない話を交わす。
「サンダーズ先生の所に執拗に通ってたのは、あの発表のためだったんだね」
「え」
話の中で、テオドールの口から突然出たライアンの名前に、アイヴィーはきょとんとした表情で顔を上げた。
あまり大きくなってはいなかったとの事だが、以前からアイヴィーが頻繁に専門棟へと足を運ぶ姿を何人かの生徒が目撃していたらしい。本来、授業以外でそこを訪れる人はほとんどいないため、一体何のために、誰かに会いに行っているのだろうか、と話題になったことがあるらしい。
話題に出していた生徒たちは皆、専門棟の内部を知らない者たちばかりであった。しかし、アイヴィーから直接、ライアンに会いに行っていると聞いていたテオドールは、時間があれば専門棟の彼の元ばかり訪れている姉とライアンの事を、恋人なのではないかと考えていたらしい。
「えぇ。なにそれ酷い勘違い」
「……そうは言っても、状況が状況だったし」
露骨に、大袈裟に顔を歪めたアイヴィーに、テオドールは手元のコーヒーを一口飲んでから続ける。
「なんか異様に仲良いみたいだし」
それは前世の記憶を持った転生者だったから……。ついつい、まるで昔からの親友みたいなテンションで話しちゃったりしてたけど……。
──え……、でもまって、それって。
確か、学園爆破未遂事件があったあたりからよね。テオが急にライアンの話題に、前みたいに食いつかなくなったのは。
もしかして、そのあたりからテオは……
──お姉ちゃんのことを思ってくれてたって事!?
「ふふ」
「なに笑ってるの」
「テオが先生の話ばっかり楽しそうにするたび、なんだよ~って思ってた私みたいに、テオも私と先生が仲良い事にヤキモチ焼いてくれてたんだね」
「はぁ?どうしてそうなるの?スペンサー公爵家の人間として、家の名に恥ずかしくない行動をしてるかどうか心配してた、っていう話なんだけど」
はぁ、も~~、やっぱりテオはかわいいなぁ。
特に赤面をしているわけでも、本気で嫌がった顔をしているわけでもなく、どちらかと言えばやや呆れた顔をして淡々と言ったテオドールを、アイヴィーはニヤニヤとだらしのない顔で見ている。
「あっ」
「…………」
その視線にイラッとしたテオドールが、アイヴィーの目の前に置かれたケーキから先端のイチゴを奪い食った。
「こら、マナーが悪いわよ」
「と、言いつつ顔は嬉しそうですね」
同じ席に着きながらも、一人黙々と本に目を落としていたレーラが口を挟んだ。
だって仕方ないじゃない、かわいいんだもん。
「美味しかったならもう一個頼もうか?」
「……いいよ、別に」
少し前から思春期に突入したらしいテオドールは、昔から好きだった甘い飲み物をコーヒーへ変え、お菓子類もあまりとらなくなっていた。しかし、今食べたイチゴが美味しかったのだろう。一瞬テオドールの表情が柔らかくなったのを見逃さなかったアイヴィーは、彼の分もケーキを注文しようとしていた。
アイヴィーのテオドール溺愛ぶりに慣れているレーラは、目の前のそんな二人のやりとりを完全スルーして、読み終わったページを一枚めくっていた。
「相変わらず仲が良いな、君たち姉弟は」
その時、はっきりとよく通る声が聞こえ、机を挟んで向かい合っていたアイヴィーとテオドールは顔を上げた。
「殿下……!」
突然現れたレオナルドを前に、慌てて立ち上がる。
──あ、推しもいる……!
レオナルドの後方に控えているグレイソンは、いつもと変わらず無表情のままこちらを見て立っている。
「昼の発表は驚いたぞ。まさか彼の新作魔導具制作にスペンサー嬢も協力していたとは」
協力……、なのかな。
勝手に素材として使われた感覚でしかないんだけど。
「君が彼の元へ頻繁に足を運んでいた本当の理由はアレだったんだな」
「…………」
デジャブ。
なんだろう、そんなにか。
テオドールの顔を見れば、ほら言ったでしょ、殿下もそう思ってたんだよ。と視線が言っている。
──……じゃあ、そういう事にしておこう。
そして、ライアンには今後、空間を移動できる扉的な魔導具を作ってもらうとしよう。
「ところで、今夜のパーティーには君は今年も参加しないのか?」
毎年、学園祭二日目の夜に行われている仮面パーティー。
この仮面パーティーは少し特殊で、その夜だけは生徒や教員問わずフランクな会話をするルール、いわゆる無礼講的なところがある。
それが、羽目を外したい者たちが集まって騒ぐ仮面舞踏会らしいメリットでもあるのだが、一方で、ここであまりにも羽目を外しすぎてしまうと、今後の社交界で噂の的となる。と、色々と面倒なので、毎年、保守的な高位貴族は不参加の者が多い。故に、去年もアイヴィーは参加していなかった。
「生憎、仮面を用意しておりませんので」
「ならばこれを使うといい」
「…………」
そう言ったレオナルドは、懐から取り出した仮面をスッとアイヴィーへと手渡す。
「今年はパーティの最後に、俺の仲間が作った面白いものが披露される予定だ。よかったら見て行ってくれ」
レオナルドは穏やかに微笑みながら、そう言うと踵を返して去っていった。そして、その後ろを黙ってついて行く凛々しい推し。
はぁ……ッ
「今日も推しがかっこいい事だけが私の救い。」
「……ただ黙って立ってただけなのに」
尊い……と、去っていくグレイソンの方を見ながら拝むようなポーズをしているアイヴィーに、テオドールは小さくため息をついた。
「あっ!じゃあ私も今日はもっと遅くまで図書館に居てもいいですか?」
そして、ハッと嬉々として声を上げたレーラがいた。
*
日も完全に暮れ、瞬く星々の光と共に大きく照らされている三日月の下で、様々な仮面をつけた人々が集まり始めた。
昼過ぎまで、来客を含め大勢の人で賑わっていた中央庭園。淡い光でライトアップされている今は、流れている音楽の穏やかな曲調とそこにいる人々の風貌もあり、昼とはまた違う賑わいを見せていた。
そんな中で、レオナルドに渡された仮面を律儀につけて参加をしたアイヴィーは、チラリと辺りを見渡す。
前世で仮面舞踏会のシーンがある作品を読んだり観たりしていた時は、目元以外の髪型とかの特徴で「普通に気づくだろ!」と思うことが多かったけれど……。実際には、
──仮面一枚で、結構誰だか分からなくものなのね。
元々、これまでの期間も社交界自体、必要最低限しか参加してこなかったアイヴィーは、こういった形でのパーティーは初めてであった。
曲が変わり、何人かの仮面をかぶった男女のペアが手を取り合った頃、ふっと目の前に白い手袋をした手が差し出された。
「一曲踊っていただけませんか?」
仮面をつけた金髪の男が、アイヴィーの目の前へ来てダンスに誘った。
……なるほどね。
わざわざ仮面を準備して渡してきたのは、こうして見つけやすくするためだったのね。
「…………」
今まで、社交界でのレオナルドの誘いはすべて躱してきていたアイヴィー。だが、アイドルのライブ会場で見せた彼の本当の顔と、そんな彼との今の関係性。お茶会で会話を交わすごとに、原作による知識と自身が凝り固めていたイメージで彼を見ていたことに気づいた今、アイヴィーは少し揺れていた。
──一曲くらいならいいかな。
仮面付けてるし。
アイヴィーはレオナルドの手を取りダンスに応じた。
流れてくる曲に合わせ、二人が舞う。
──ふむ、さすが……。
これまでも様々な令嬢たちと踊っている彼の姿を見たことがあったが、いつも相手のレベルに合わせていて、あまり無理なリードをしているところは見たことがなかった。今回も、相手役である私の動きを探り探り見ながらステップを踏んでいる。
ふと顔を見上げれば、仮面によりハッキリと表情を読み取ることはできないが、きっと以前の様な嫌味なほど作られた笑顔をしているわけではないのだろう。
互いに瞳を見つめあい、数秒。ぱちりと瞬きをしたアイヴィーは問いかける。
「どうして最近、そんなに優しいんですか」
「私はいつも誰にでも優しいが?」
「それは外面の話ですよね。あなたは私の事が好きではなかったでしょう」
「……まぁ、確かに」
「でしたら」
放っておいてくれればいいのに、そう言いたいアイヴィーだったが、レオナルドはフッと口元を緩めて口を開いた。
「今は違う」
──ん?
「それはどういう……」
「今は、君と友好的な関係になれればと思っている」
……さんざん、さんざんな事を言っておいて、今……?
「そして、できれば皇太子妃にもしたい」
まだ諦めてなかったのか。
「そのために、俺の騎士を愛人にしてやってもいいと言っているのに、ちっとも靡いてくれないが」
レオナルドの言葉に、ブッと再び吹き出しそうになったアイヴィー。そのせいで、ターンの際に少しリズムがずれた。しかし、レオナルドはそれを周りには悟らせぬように上手く歩調を合わせカバーする。
「まさかあれ、本気で言ってるんじゃないですよね?」
「……? 本気だが?」
──嘘でしょ!
随分と緩やかに感じられるようになったレオナルドの態度と、その思惑に頭を悩ませる。
──そういえば、原作でレオナルドの心情が描かれているところが少しあったよね。
ヒロインと出会って、ヒロインと言葉を交わすうちに、今の自分を見直したり……。
元々は、まさに元気でわんぱくな子供だったレオナルド。政争に巻き込まれたりで現在のようなちょっと歪んだ性格になってしまったところもあるけど、本来は、こういう人間だったのかもしれない。
ほんのりと雰囲気にのまれそうになったアイヴィーは、いけないいけない!と気を持ち直す。
「婚約者には、ルフィーナさんがよろしいかと」
「ルフィーナ……?」
アイヴィー達から少し離れた所で、アルロと共に踊っているルフィーナの姿がある。そちらへ、さりげなく視線誘導をしたアイヴィー。二人の姿を確認したレオナルドは、……あぁ、と小さく声を漏らした。
「それは、アルロに反旗を翻されそうだな」
「ふふ」
ルフィーナの事になると目の色が変わるアルロ。きっと本当にそうなったら、とんでもないほどの戦略を練ってフィーナを奪還することだろう。もしかしたら、レオナルドをその座から引きずり落とす事さえ出来てしまうかもしれない。
そもそも、男爵位の彼女を彼が娶るなどありえないことなのだが、アイヴィーの軽口にレオナルドはのっかって笑っている。
「アルロが貴方の座を奪って、頂点たってしまったら……宰相をはじめとした周りの人が大変そう」
「それは……」
とんでもなく危険な発言をしたアイヴィーに、それはさすがに、と苦笑したレオナルド。
「でもそうなれば、煩わしい重荷から解放されて、今度は貴方がアルロみたいになるかも」
ふふっと笑いながらそう言ったアイヴィーに、レオナルドは思わず息を飲んだ。
「────……君は」
レオナルドが何かを言おうと口を開いた瞬間、ピュ~~と甲高い音が辺りに響いた。
パァンッ
アイヴィーを始め、曲に合わせダンスを楽しんでいた人々は皆、音のする上空を見上る。
「え……」
これは……。
「花火……」
「なんだ、君も知っていたのか」
レオナルドは、暗い夜空を照らしている様々な形の花火を見上げながら、フッと息を漏らした。
「カノンたち仲間の内の一人が、あの技術を新しく学んだようでな。面白そうだと思い、今日のパーティのラストに合わせて作ってもらっていたんだ」
「……そう、なんですね」
この国では、あまり見ることはなかった花火。パレードや記念日の時にだけ、それも昼間に打ち上げられる花火しか知らなかった周りの人々は、暗い夜空を鮮やかに照らすそれに目を奪われていた。
「綺麗……」
この世界にも、こんな綺麗な花火があったんだ。
「あぁ、綺麗だろう」
前世でよく見ていた花火とは少し違うけれど、それでも、なんだか懐かしい気分になったアイヴィーは、大空に咲き誇る色様々な火花をみて、口元を緩ませていた。






