挿話6.社交界の控室Ⅱ -その後-
「挿話3.社交界の控室」の続き。トム視点。
「わっ、ちょっと待って、ミア!落ち着いて」
あの社交界から、数日後の邸内の一室。ミアに迫られているトムワズは、顔を赤くしながらも冷や汗をかき、懸命に彼女を落ち着かせようと向き合っていた。なんとか話を聞いてくれそうになったミアを前に、トムワズはホッと一息をつく。しかし、その瞬間、ミアは再び立ち上がり「もういい!」と部屋を出ていこうとした。
「ミア!」
追いかけるトムワズの手を振り払い、ミアは涙を浮かべながら叫んだ。
「だってあの時も!トムはアイヴィーを誘ってた!」
それはおそらく子どもの頃、公爵家で集まった時に庭の小さな湖で遊んでいた時の事を言っているのだろう。
その湖の船には、今までも僕とミアは何度か一緒に乗って遊んだことがあった。しかし、その日は「初めて船に乗るであろうアイヴィーを、しっかりとエスコートするように」と、トムワズは父のグレース公爵から言いつかっていたのだ。アイヴィーの前で手を出し、船に誘う僕を見たミアがどんな表情をしていたのか、その時は分からなかった。
でも、初めは確かにアイヴィーと会うたびに無礼な態度をとっていたミアだけど、あの湖で遊んだ日以降は、徐々に打ち解けてむしろかなり仲良くなっていたと思う。
それから数年の時が立ち、お互いの気持ちを確かめ合った僕らを、アイヴィーは祝福してくれた。嬉しそうに恥ずかしそうに微笑むミアといくらか言葉を交わしたアイヴィーは、僕に向かって「やっと男を見せたわね」とやや呆れた顔を見せてきたが……。
出会ったばかりの頃は、酷く美しい姿で、その年齢に見合わないほどの落ち着きを持っていたアイヴィーだったが、歳を重ねてミアとも親しくなっていくうちに、口調が乱暴になったり表情は面白いくらい豊かになったりと、むしろ逆行している気がする。だが、おそらくこれが本来の彼女の姿なのだろう。まさに完璧と言えるほど整えられていた最初の彼女の印象から、これだけ打ち解けられた僕らの今の関係を、僕もミアも、そしてきっとアイヴィーも悪くは思っていないだろう。
いや、でも。
「君は!僕が本当にアイヴィーの事を好きだと思うのか?」
「……ッ」
ミアの手を取り、珍しく声を張り上げるトムワズ。
「僕は、これまでもずっとミアだけを見てるし、想ってるよ」
「……トム」
「僕の気持ちは、まだミアに届いてないの?」
君を安心させてあげられない?悲哀を感じる表情でそう訴えるトムワズに、ミアは胸元にある手をぎゅっと握りしめた。
どうして。
──どうして僕がアイヴィーを好きだと思うんだこの娘は……ッ
ミアは知らない。アイヴィーがあの透き通るような美しい外見の裏で、いかに狡猾な性格をして悪魔のような所業をしているかという事を。
幼い頃から、立派な貴族令嬢になるようにと様々な教育を受けてきたミアを、最高の自慢の娘だと鼻高に言うフレイヤ公爵。確かに、容姿に礼法、社交界での令嬢同士のあの独特な駆け引き、何においても少し強気な姿勢で、懸命にこなしてきたミアは、これからの社交界で、きっと誰よりも強い影響力を持っていくことだろう。
でも、僕は知っている。作り上げられたちょっときつめな印象の裏で、ミアが本当はどれだけ純粋でかわいい生き物なのか。
アイヴィーとなんて比べ物にならない……!
帝国の公爵家の中で、おそらく今一番勢いがあるのはスペンサー公爵家。それに加えて、アイヴィー本人の容姿や立ち居振る舞い、その全てを駆使すれば、社交界で頂をとるのは間違いなく彼女であっただろう。しかし、アイヴィーはそれを意図的に避けている。あれだけの見目をしておきながら、社交界に興味がない彼女は、わざと目立たないように上手くやり過ごしているだけで、本当はミアの何倍も何十倍ものやり手なんだよ。
──アイヴィーとミアの仮面と性格の分厚さ比べたら、その力量は、ゴリラと子猫程の差があるだろう。
「僕は、ミアだけ」
「……トム」
「君だけが傍にいてくれれば、あとは誰もいらないよ」
瞳を震わせ、少し後悔の念が見えるミアをそっと抱きしめるトムワズ。
二人は熱い抱擁を交わし、結局愛を確かめ合った。
*
「なんでアイヴィーに話しちゃうの……」
アイヴィーとベルが去っていった後、トムは恥ずかしさで上げることができない顔を片手で抑えながら、ミアに問い掛ける。
「え、っと……だって、アイヴィーは私たちの事心配してくれてたし」
──そんな風に見えたのか?君には。
トムワズは半目でミアを見つめる。
「それに、う、嬉しかったから」
かぁっと耳まで赤くしたミアが、ポツポツとそう言葉をこぼした。思わずぐっと閉じた口が横一文字になる。
かわいい。惚れた弱みである。
でも、
「あんなことまで、言う必要はなかったんじゃないの」
「……?」
トムワズは顔を赤らめて視線をそらしながら言えば、初めは何のことだと頭に疑問符を浮かべていたミアだったが、徐々に、顔の赤みを増していく。やがて、トムワズの指していた事柄が何か分かったミアは、ボッと音がするほど顔を真っ赤にして叫んだ。
「そ、そんなことまで言うわけないじゃない!」
「え」
「トムは私をなんだと思ってるの!」
そんなはしたない事言わない!と顔を赤くして怒るミア。
あの日の事を思い出したのか、羞恥でますます顔を赤らめたミアの、ふるふると震える姿はかわいい以外の何物でもないのだけれど……。そうじゃない。
「じゃあ、なんの話であんなに盛り上がってたの」
「あれは──」
────……
「うまくいったわ……ありがとう」
ミアはアイヴィーにお礼を言った後、トムに「君だけが傍にいてくれれば、あとは誰もいらないよ」と言われ、包み込むように大切に抱きしめてくれたと話した。
「えっ?それだけ?」
「それだけって……?」
「…………」
アイヴィーはどこか不満そうな顔でミアを無言で見ている。
「そういえば、ユーヒリヴァッハ家のご息女は使用人と駆け落ちしたらしいわ。」
「……あーー、きいたきいた」
「お怒りのユーヒリヴァッハ伯爵は、賊に頼んでまで娘の居場所を探ってたらしいんだけど」
「なんとのその使用人だった男が、その賊の頭だった!」
「そう!……まるで小説の中の話みたいよね」
キャーッと二人してはしゃいだ後、はぁ、と頬杖をついてため息をこぼしてそう言ったミアに、まぁここは本当に本の中の世界なのだけど、と考えているアイヴィーは曖昧にうなずいていた。
────……
「キス、したことは……言ったけど」
ミアは顔を赤らめ、視線をそっとそらしながら「それに」と続けて言った。
「そんなことまで言ってしまったら、顔を合わせるたびにニタニタとあのいやらしい笑みを向けられて、辱められてしまうじゃない。」
あ、アイヴィーがしそうな行動に、気付いてはいたんだね。
──僕はついさっき、すでに彼女に辱められたんだけど……。
唇をキュッと中央に寄せながら、行き場のない羞恥心を耐えていたトムワズだったが、目の前のこの顔を真っ赤にした愛しい女の子が、アイヴィーに全てを語っていたわけではないと知り、ホッとしたのだった。
「僕らも、もう少ししたら戻ろう」
ミアの頭にポンと手を置いたトムワズは、優しく微笑みながらそう言った。






