27.学園爆破事件③
数日後の昼下がり。
他の患者さんたちは昼食をとっているだろうこの時間。アイヴィーは松葉杖をついて、ケロッとした様子で院内を自由に歩き回っていた。
松葉杖。前世ではこんな怪我をしたことがなかったから、使った事なかったけど……。
「ン、っと……」
ほっほっほ、と少しぎこちない様子で杖と足を交互後に動かして前に進んでいくアイヴィー。これは、なかなか脇に負担かかるな……。でも、ちょっと楽しい、かも。と、せっせと前に進んでいき、やがて廊下の端までたどり着く。ふと近くの窓の傍にイスが置かれているのを見つけたアイヴィーは、そこへ向かう。
「ふぅ」
松葉杖を立てかけ、右足は伸ばした状態でそこに腰掛けたアイヴィは、そっと視線を窓へ向ける。青空に白い雲、いい天気だ。
この階、あまり人の出入りがないのだが、トレーニング器具やら休憩スペースが充実している。おそらくリハビリ向けに作られた階なのであろう。この階の一室をアイヴィーの個人部屋として、また日中の、他の患者さんたちが使用する時間以外は、この階を丸ごとスペンサー公爵が貸し切っていた。
「お前の事だから部屋から出るな言ったところで、言うことはきかないだろう。」
だからこの階であれば自由に動いてかまわない。と言われたアイヴィー。確かに、駄目だと言われればやってしまいたくなるのが人間の性。しかし、今回はあんまり叱られなかったことだし、しばらくはここで大人しくしているか、と思ったアイヴィーは、早速この階の探検を行っていたのだ。
──でも、もう全部屋見ちゃったしなぁ……
暇だ……と息漏らしたアイヴィー。ふと、誰かが近づいてくる気配を感じ、顔を向ける。
「先生……」
「……部屋までおぶってやるよ」
申し訳ない。ここまでくると、本当に申し訳ない。でも、初めての松葉杖は少し楽しかったが、さすがにちょっと脇が疲れていたので、アイヴィーはライアンの言葉に甘えて、病室までおぶってもらう事にした。
入院初日よりかは、いくらか表情が和らいでいるライアンであったが、やはりまだどこかいつも通りではない。……調子が狂うな。早く元の飄々とした姿に戻ってほしい。
「……お前、結構胸あるんだな」
前言は撤回しよう。
アイヴィーは回していた腕で、ライアンの首をグッと締め上げる。
「いででででっ」
「あんたが生きてた時はどうだか知らないけど、私の時代だったらあんた今頃、セクハラで人生終わってるわよ」
10年間に変わったことは結構ある。それはオタク社会だけではない。
アイヴィーの言葉に、ライアンはサーセンサーセン!と謝った後、「まぁ、あっちの世界の人生は確かに終わってんだけどな」とブラックジョークをかましてきた。しばらく無言で歩いていたが、ふと小さな声で「次からは」と口を開いたライアン。
「危険なら俺にも声かけろよ」
「……先生に言っても、何も変わらないでしょ!」
笑いながら言えば、はーっと大げさなため息が聞こえた。
「悪いな、あいつじゃなくて」
「…………」
ゆっくりと歩く足を止めることなく、そう言われた。あいつ、とは推しの事を言っているんだろう。
「先生は本当に分かってないね」
アイヴィーはフッ、と笑いを零す。
「グレイソンは私のことなんて、一ミクロンも好きじゃないんですよ」
私から殿下にとって必要な情報が欲しい時だけ、パッと現れて情報を抜いたらポイなんですよ。自分に好意を抱いていようがいまいが、その人が善人だろうが悪人だろうが関係なく、利用できるものは利用して、そうじゃないものは捨てる。そういうサッパリとした人なんです──と、話している内容とは裏腹に、とても楽しそうな口調でそう語るアイヴィー。
「相変わらず酷い言い草だな」
呆れたような声をしたライアンは、歩きながら零すように続けて言った。
「それでも……情はわくだろ」
ライアンの背に乗っかっているアイヴィーは、彼の表情を確認することは出来ない。「そうかなぁ」と返すアイヴィーに、ライアンは何も答えなかった。シン、と静まり返った廊下に二人分の、ライアンの足音だけが響く。
「……でもグレイソンは、絶対に私のことを好きにならないんです。」
二人以外誰も見当たらない廊下で、そんなん分かんねーだろ、ならない!絶対、と言い合う。
グレイソンが、推しが
私を好きになるなんて、あるはずがない。
「だから、いいんです。」
ありえないけど、
もしも、そんなことになったら
解釈違いもさることながら
この胸にある有り余る熱情が
スッと冷え切ってしまって
何もかも無くなってしまいそうで
怖い
「……ンだそれ」
ぽそりと呟いたアイヴィーの言葉に、ライアンは意味がわかないといった様子でそう言っていた。
病室に戻ったアイヴィーは、ベッドサイドに置いてある包み紙を見つける。
「……?」
なんだろ、と思いながら、袋を開く。中には、一口サイズの茶菓子がいくつか入っていた。ぱくり、とそれを口に運ぶアイヴィー。
「ん」
あ、これ街で有名になったお店のお菓子だ。おいしい。きっと誰かの差し入れなんだろうけど……入れ違いになっちゃったな。
「……ふぅ」
ベッドに腰を下ろし、足をプラプラとさせながらアイヴィーはそっと息を吐いた。暇だ。
*
静まり返った院内。
雲一つなく、月と星が輝く夜空が綺麗に見える窓が開けられ、そこから流れてくる風に、カーテンがはたはたと揺れている。
足音を殺して歩き、そっと室内のベッドで眠っているアイヴィーの傍らで立ち止まる。微かに灯る、オレンジ色の優しいランプの光がその輪郭を映し出す。
「…………」
グレイソンは、包帯が何重にもまかれ固定されているアイヴィーの右足を見る。
数ヶ月安静にしていれば、後遺症もなく問題ないとはいわれているが。
──なんでこいつは……。
眠っているアイヴィーの顔にかかっている髪を、グレイソンは指先でそっとすくう。一番大きな負傷箇所である右足以外にも、顔や腕の見えるところにいくつか擦り傷があるのをじっと見て確認する。
以前忍び込んだ時は、目の前に立てば気配で起きたが、今回は疲れているのか状態が悪いからか、目覚める気配はない。すぅ、すぅと静かな寝息を立てているアイヴィーの顔を見下ろしながら、グレイソンは考えを思いめぐらす。
こいつの言う通り、レオの傍にいなければ危なかった時が、確かにあった。だが、それよりも危険なこんな怪我を負うような所へ、1人で向かっていった、この女がわからない。
皇宮で、何体もの魔導人形を相手に、それまでは思いもしなかった強さで立ち向かっていったアイヴィー。魔術師であるレーラの攻撃すら、ダメージを受けることなく完勝していた。それなのに、
──この女は……
グレイソンは、これまでのアイヴィーを思い浮かべる。
学園の校庭で、教室の窓際で、自分を前にした時のアイヴィーの姿。それは今まで見てきた、完璧令嬢と言われる凛とした姿とも違う。刺客を前に剣を振るっていたあの姿とも違う。動揺を隠せず、顔を赤らめ、視線を逸らすあの姿は、確かに自分を意識している。だが。
──この女は、明らかに俺に好意を抱いている反応をするくせ、それでも一切、俺には何も求めていないような目をしている。
『グレイソンは私のことなんて、一ミクロンも好きじゃないんですよ』
昼間に見た、あの教師との会話が脳裏によみがえる。
『だから、いいんです。』
なぜあんなにも俺の性質を理解していて、その上で、好意を抱けるのか。しかも、こちらからの好意はない事がいいという……。
──意味がわからない。
アイヴィーの髪を持っていた手に、ほんの少し力が入った。
「ん、……」
揺れた毛先が顔に触れ、くすぐったかったのか、アイヴィーは眉間にしわを寄せて身じろいだ。
「……」
──あの教師の言う通り、情でもわいてしまったのか……。
グレイソンがすくっていたアイヴィーの髪が、指の間をすり抜け、サラリと落ちていく。未だ目覚める気配はないアイヴィーの顔を見て、グレイソンは顔をしかめる。
胸の奥が、黒くて重いモヤがかかっているような、息苦しい感覚。
お前は一体
「…………何なんだ」
*
一ヶ月後。
アイヴィーはテオドールに手を引かれ、学園の門前の停められた馬車から下りていた。
「退院してすぐ来ることないのに」
「何言ってるの。もともと1週間後には完治してたのよ」
骨折自体、この世界では神官様や魔術師に頼めば即治してもらえるものである。ただ、そこまでの力を持った人は少ないので、それなりのお金はかかるのだが……公爵家の令嬢であるアイヴィーがそれを受けられないはずはない。しかし、病院側からの魔法治療の申し出をスペンサー公爵は拒否していた。
全治三か月というのは、お前はそこで大人しくしていろ。という、スペンサー公爵の謹慎しておけというメッセージだったのだ。
──おのれ、当日にそんなに叱られなかったと思ったら……
まさかこんな形をとるなんて!
結局、右足はベルの魔法で治してもらい、魔法治療を使った場合、本来であれば最長でも一ヶ月で退院できるはずだと担当医を説得し、アイヴィーは自力で一ヶ月での退院をもぎ取っていた。
公爵邸に帰ればまた何か言われるだろう。ならば先に、学園に通っている姿を第三者に見せ、退院して自由に動けるという既成事実を作ってしまおう。そう考えたアイヴィーは、病室まで持ってきてもらっていた学園の制服を着て、退院と同時に学園復帰をキメたのだ。
「せっかくテオと一緒に通えるのに、三ヶ月も暇を持て余してるなんてもったいないじゃない」
「……病院から謝罪の手紙が届いたときは驚いたよ」
アイヴィーはしっかりと、公爵邸に知らせるのは退院と同時にするように担当医と話していた。そのため、今朝方届いた手紙を開いた時のスペンサー公爵の顔は、さぞかし愉快であっただろう。くくく。
「……あとでまた叱られるのにどうして毎回そういう事するかな」
テオドールが呆れ気味にそう呟いた。
「……スペンサー嬢?」
「殿下」
校舎へ向かっている途中、レオナルドと出くわした。その背後にはもちろんグレイソン。久しぶりの推しの姿に、アイヴィーは思わず目を奪われる。
「退院できるのはもう少し先だと思っていたが」
大丈夫なのか?と、驚いた様子のレオナルドに、アイヴィーはにこやかに魔法治療を受けたので本来の期間通りの一ヶ月で退院できた旨を伝える。「お騒がせしました」と頭を下げたテオドールが、続けてレオナルドに掻い摘んだ状況を説明してくれている。アイヴィーはふと視線を前に向けると、グレイソンと目が合った。
「もういいのか」
──えっ
グレイソンの問いに、ピタリと固まったアイヴィー。しかし、すぐにハッとした様子で答える。
「……っ、はい」
「そうか」
──……!
「では、これで。私は先に行く」
「はい」
「……病み上がりだろう。今日はあまり無理はしないように」
レオナルドはアイヴィーへ向けそう言うと、グレイソンを連れ先を歩き出した。去ってくグレイソンの背中を見ながら、アイヴィーはふるふると体を揺らし始めた。
「テオ!聞いた!?」
「え、なにを」
二人の姿が遠くなってから、振り返って勢いよく問いかけるアイヴィーに、テオドールは一瞬怯んだ。
「今、もういいのか?って!」
「あ、うん……それなら聞こえたけど」
ていうかこの距離だし普通に聞こえてるでしょ。と答えるテオドールに、アイヴィーは興奮を隠しきれず悶える。
もういいのか、ってなに!もういいのかって!それって、心配してくれたって事だよね!?推しにハニトラとか用がある時以外で話しかけられたのは初めてだよ!
いつも、用がない時は目が合ったところで無言だったグレイソン。アイヴィーの言う通り、用がない限り……例え用があったとしても、必要最低限の言葉しか交わさないグレイソンが、自ら話しかけてきたのだ。
まさか、こんな風に推しと普通の日常会話ができる日が来るなんて……
「夢みたい……」
「……喜びの沸点低すぎない?」
もしかしたらグレイソンにとって、少しは私も仲間みたいなポジションになったのかもしれない!と、恍惚の表情で瞳を煌めかせて喜んでいるアイヴィーに、テオドールはため息交じりにそう呟いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
感想をくださった方、ブックマークや評価をしてくださった方、そして、毎回誤字報告をしてくださる方、本当にありがとうございます!
自分の「読みたい」と「好き」をぎゅっと詰め込んだものを、読んでもらえた上、同じようなモノや感覚が好きだと言う方と巡り合えたのがとても嬉しいです。反対に、それはどうなの?という考えも、感覚のズレや違いに気づかされ、とてもいい刺激と勉強になり、考えが深まりました。
アイヴィーが前世「こういう夢小説が読みたい」と夢にまでみた展開が今まさに起こっている!という喜びを感じたところで、いったん区切らせて頂きましたが、また少し挿話をはさんでから続く、先のお話も楽しんでいただければ幸いです。 (t)






