26.学園爆破事件②
あの後。
アイヴィーは専門棟でグレイソンと別れてから、ベルに連絡を取り、学園まで来てもらった。
「よし、これで最後!」
設置された爆弾は確か全部で七個だったはず。これで七つ目。
校舎裏。あまり人が立ち入らないこの場所で、木の上に上っているアイヴィー。見つかりにくい場所を選んだのであろう、最後の一つの爆弾を木の陰から無事回収したアイヴィーが、ふぅ、と一息をついた、その時。
──……!
少し離れた、おそらく校舎をはさんだ向こう側から、ボンッと何かが破裂するような音が聞こえた。それも複数。その中には、かすかに剣の交わる音もある。
「ベル……」
「わかった」
ベルはアイヴィーから回収した爆弾をひょいっと持ち上げると、そのままそれらを持って音がした方へ確認に向かう。
爆弾は全部回収したから大丈夫だと思うけど……なんだろう。
「お、お前……ッ、そこで何して」
「あ」
いつの間にか下にいた男が、アイヴィーを指さしわなわなと震えている。おそらく爆弾を設置した犯人だろう。
とりあえず捕まえないと……。
アイヴィーが男の元へ行くため、スタッと木から飛び降りて着地したその瞬間、ゾクッと背筋に寒気が走った。男は何やらブツブツと呟いた後、自身の親指を噛み、持っていた紙に血をたらしている。
──あれは……!
男の血が落ちた紙からは、複数の文字と円陣が光り浮かび上がった。途端、地を這うような低い鳴き声と共に、幾多もの足を生やした魔物が現れた。
──あの男、魔物召喚術が使えたのか。
持っていた紙に、あらかじめ術式の魔法陣が書かれていたのだろう。それにしても……。
アイヴィーは目の前にいる、自分の何倍もの大きさの魔物を見上げる。
「嘘、でしょ……」
この魔物は……。
アイヴィーはゴクリ、と唾を飲み込む。
この魔物は確かに、作中に登場していた魔物だ。単行本を何度も読んでいたアイヴィーは、この魔物の弱点も知ってる。だけど。
シュッ
幾多にも伸びているタコのような脚が、アイヴィーの正面めがけて飛び込んできた。アイヴィーは避けながらも剣を振り、それを切る。切られた断面から飛び散る液体。
──ベルに一応、剣持ってきてもらっててよかった。
男の姿はもう見えない。おそらく逃げたのであろう。
チッ、と舌打ちをするアイヴィー。
──思ったよりも脚が多くて中心が見えない。
この魔物の弱点は、体の下側中央にある魔石だ。そこを狙えば、簡単に倒せる。
続けて何本も打ってくる魔物の脚を、アイヴィーは華麗に避ける。しかし、先ほど魔物を切った時に飛び散っていた液体に足を取られ、バランスを崩す。
「わっ」
アイヴィーの体が傾く。瞬間。
──見えた!
バランスを崩したアイヴィーを頭上から攻撃するために、魔物が大きく振り上げた数本の脚、その下から見えるキラッと光った赤。その中心に剣を突き刺す。
≪ギィイイイィ……ッ≫
錆びたような酷く汚い叫び声をあげた魔物は、その声が枯れると共にその場に崩れ落ちて動かなくなった。
「はぁ……っ、はぁ」
アイヴィーは倒れた魔物を前にして、荒い呼吸を整える。
「……ぎもぢわるい」
魔物の中心を貫いた時にはじけ飛んだ魔物の液体が、アイヴィーの体全体を襲っている。アイヴィーはその場で片足を上げるが、ネトォ、とした粘着質のこの液体は、体に害はないが時間がたつと粘度が増すらしい。それを全身に浴びてしまっているアイヴィー。一刻も早くお風呂に入って着替えたい。
「……」
この魔物は確かに原作で見ていた。
──本編ではない。別冊に載っていた、ちょっとえっちなギャグ番外編で…………!
作中で、主人公と共にヒロインたちがこの液を浴びて、ちょっとしたお色気展開になっていたのだ。
──……この場に、推しが居なくて本当に良かった。
こんな粘液姿を、推しにさせるわけにはいかない。汚れるのは自分だけでいい。……いや、本音を言えば、推しのそんな姿なら正直見てみたかった。だが、そうじゃない。もしも、そんな姿を見てしまえば、その時は……。
アイヴィーは自分の手にまとわりつく液体を無言で見つめる。
もしも、こんな惨状の推しの姿を目の前にしてしまっていたならば、その時は。
──きっと私は、どうにかなってしまっていただろう。
フッと笑みをこぼしながら、アイヴィーはベルの元へ向かうため、体の向きを変える。そして、歩き出そうとして……
「ウッ……⁉」
その瞬間、地面に大量にまかれていた魔物の粘液に足を取られ、アイヴィーは盛大に転んだ。ほんの少しの段差ではあった。しかし確かにその段差に足が当たり、ゴキッという信じたくない音が聞こえた。
──そう、この骨折は魔物による直接攻撃のせいではない。
魔物討伐後、魔物の液体に足を取られたせいとはいえ、アイヴィーが勝手に転んだ、自己責任の怪我以外の何物でもないのだ。
ちなみに、その後は……。
「何をやっている」
痛みに膝をかかえて唸っているアイヴィーの頭上で、低く響く、聞き覚えのある声がした。
「……あ、」
「…………」
スペンサー公爵が数人の騎士と共にアイヴィーを見下ろしていた。
「なんで」
「なぜ、お前がここに一人でいる」
なんでお父様が此処にいるの、と聞こうとしたアイヴィーの言葉は、被せられたスペンサー公爵の声にかき消された。
「公爵様!」
タラリ、と首筋を冷や汗が伝ったのを感じるアイヴィーだったが、直後、スペンサー公爵の後ろから、紫色の髪をひとくくりに揺らした女性騎士が駆け寄ってきた。
「門の所で捕らえました!他数人の所在を吐かせたので、このまま移動させます」
「あぁ」
どうやら、アイヴィーにこの魔物を押し付けて逃げた犯人は、スペンサー公爵の部下が捕まえたらしい。
「魔物……その男は魔物召喚術を使えます。両手を見えるところで拘束して常に監視を付けるべき、かと……」
「…………!」
紫髪の女性騎士は、ハッとした様子でアイヴィーを見た後、スペンサー公爵へ向き直る。
「フェシリア」
「はっ」
「お前たちも監視に回ってくれ」
スペンサー公爵にそう名を呼ばれた女性騎士は、スペンサー公爵と共にいた騎士を引き連れ、門の方へと走って行った。
「…………」
「……」
そこには、立派な騎士服を身にまとっている男に、鋭い視線で見下ろされ射抜かれている、全身がべとべとな姿でうずくまる無様な貴族令嬢がいた。
この現状は、まさに混沌……。
「あの……どうして、ここに」
沈黙に耐え切れず、アイヴィーが口を開いた。
視線を反らしながら、気まずそうに発したアイヴィーに向けられているスペンサー公爵の視線は、弱まることはなく突き刺さる。
うっ…………。
頭を上げることが出来ず、気まずさにそわそわとしていたアイヴィーだったが、やがて、はぁ、と息を漏らす声が聞こえ、顔を上げた。
「数週間前から、街で魔法の術式が埋め込まれた爆弾を使用した事件が起こっていた。」
それを追っていたらしいスペンサー公爵は、この学園もその一派が狙っているという情報を掴んでいた。狙うのであれば、見知らぬ者が居ても疑われる確率が低いこの日だろうと踏んでいた、と。そして、スペンサー公爵が部下を引き連れて学園を張っていた所、案の定事件が起こった。
──なるほど、だからさっき向こうでドンパチやってたのか。
「まさか、お前が居るとは思わなかったがな」
スペンサー公爵はアイヴィーの足に、鋭い視線を移す。
「一人で……できる、相手……でした」
それでその怪我か?お前は成長していないのか?と、視線が言っている。そんなスペンサー公爵と対峙しているアイヴィーは、段々と縮こまっていく。
「これは、ちょっと……最後に、油断しただけです」
「…………」
変わらず無言で突き刺さるような眼圧に耐え切れず、「……ごめんなさい」と零したアイヴィーに、スペンサー公爵はスッと近づく。目をつぶり、グッと覚悟きめたアイヴィー。しかし、突然感じたふわっとした浮遊感に、アイヴィーは思わず声を上げた。
「え、わっ」
「じっとしていなさい」
スペンサー公爵の手によって、アイヴィーの体は抱えられていた。
ふわっとした浮遊感、というのは感覚的なものであり、実際にはアイヴィーを持ち上げた瞬間、地面から魔物の粘液がネトォ……と糸を引いていた。顔をしかめたスペンサー公爵は、立派な上着を脱ぎ、それをアイヴィーの体に巻きつけていた。
──ミノムシになった気分……。
てっきり足を握られる覚悟をしていたのに。
幼い頃のように叱られるかと思っていたため、少し驚いて呆けたような表情をしているアイヴィー。そんなアイヴィーにチラッと視線を送ったスペンサー公爵は、すぐに前を向きなおし、呆れたように言った。
「あの侍女を付けても無駄だったな」
「え……?」
あの侍女、とは、レーラのことだろう。
どういうことだ?と、さらに困惑の色を示すアイヴィー。
「ルイスが居れば、随分と大人しくなるようだったからな」
ここ最近は、任務でルイスを自分につかせていたため、アイヴィーをしばらく自由にさせておく事に不安を感じたスペンサー公爵は、どこかルイスと同じ匂いがするレーラをアイヴィーの傍に置くことで、好き勝手動きまわるアイヴィーの行動を多少は抑えられるのではないか、と考えていたらしい。
な、なんてことを……。ていうか、ルイスとレーラの扱い。
わなわなと様々な感情が胸の中をうごめきながら、アイヴィーはスペンサー公爵の腕で馬車まで運ばれ、そして、病院まで輸送されたのだった。
*
アイヴィーは上半身だけ起こした状態で、背に置いた枕に体重を預け、ふぅ、と一息つく。
殿下たちが部屋を出て行った後も、先ほどからずっとベッドの隣に置かれている椅子に腰かけ、落ち込んでいる様子のライアン。「別に先生に言われなくても、思い出したら自分で勝手にやってたよ」とアイヴィーはフォローを入れているのだが、一向に変わらない。
「ほ、ほんとは、ただ転んだだけの怪我だったりするのよ」
「……ンな嘘つくなよ。こんな怪我して……」
「…………」
包帯の巻かれたアイヴィーの足へ視線を向け、「普通の転び方じゃこんな骨折しねェよ」とまた落ち込んだ様子のライアンを前に、アイヴィーの笑顔は引きつる。
──ほ、本当なんだよ!
一番ひどい右足の骨折は、本当にただ転んだだけ!
しかも、推しの粘液姿を妄想したことによって、足元の注意がおろそかになったのが原因でもある。アイヴィーは内心、冷や汗をタラタラ流しながら、眉を下げて、あいまいに微笑んでやり過ごすしかなかった。






