21.それぞれの心境
「確かに記録再生魔法の魔導具であれば、遮音魔法を頻繁に使用していても不思議ではないな」
皇宮の一室。
執務用に置かれた広い机の上には、未処理の書類の束がいくつも積み重なっている。その中の一枚を手に取りながら、レオナルドはグレイソンから報告を受けていた。用意されている紅茶を一口飲んだ後、読み終わった手元の資料を束ねて机の端に置いていく。
「だが、その部屋にスペンサー嬢が頻繁に通っているというのは」
今まで彼女には、学園内でこれといった特定の親しい人物がいるという情報はなかった。それが最近は、空き時間や放課後に、専門棟のライアン・リオ・サンダーズが借りている一室へと足繁く通っているという報告があった。
「音が遮断された部屋に頻繁に通っているなんて、それはまるで……」
「…………」
ピリッとした空気を察知したレオナルドは、机に肘をつき、しかし、と話を変える。
「近頃の彼女には、驚かされてばかりだな」
レオナルドは襲撃が起こった日、グレイソンからアイヴィーが剣と魔法を巧みに操り、魔術師であるレーラを撃退した様子を聞いていた。
今まで、公爵家の令嬢として誰よりも気高く優雅な振る舞いをしていた彼女のイメ―ジからは想像もつかない……いや、以前、自身が皇宮を抜け出して下町へ出向いていた時に、偶然見かけた彼女の姿を思えば、幾分か納得できる点はある。
だが、彼女も俺のように、公爵令嬢としての今の自分の立場に息苦しさを感じ、息抜きに下町に出始めたのだと思っていたが……それだけではなかったとは。まさか、これまで誰にも気付かれぬように剣術も魔術も扱えるように鍛錬をしていたとは思わなかった。
「ヴァネッサ、君も見たのだったな」
「……はい」
どうだった?と、レオナルドが椅子の背に体重を預けながら顔を向けた先には、ソファーに腰を下ろして書類整理をしている、綺麗に整えられた桜色の柔らかな髪をした少女──ヴァネッサ・ディアスがいた。
「彼女の剣の腕前、ですか。」
「あぁ」
ヴァネッサは襲撃時、会場を出たところで自らも向かうと言ったレオナルドを止めていた部下である。煮え切らない様子のレオナルドに変わり、ヴァネッサ自身があの後すぐ会場を離れグレイソンと合流すると言った事で、レオナルドが襲撃場所へ向かうことを止めることは出来たのだが……。
「私がついた時には、ほぼ敵は倒されていましたが」
ヴァネッサの耳に剣の交わる音が聞こえ、グレイソンの姿が遠目に見えた時には、皇宮警備隊の姿をした刺客達はもうあと数人を残すだけだった。また、剣を振り敵に向かうアイヴィーの姿を見た時はグレイソン同様、ヴァネッサも困惑が勝ってしまい、手助けするタイミングを完全に失ってしまっていたのだ。
「正直に申し上げると」
ヴァネッサは、少し考えるようなしぐさをしながらも、感情を見せない能面のような表情のまま、落ち着いた口調で言った。
「グレイソンには及びませんが、相手がレオナルドであれば簡単にねじ伏せられるかと」
「…………」
ヴァネッサの発言に、レオナルドは何も言わず目を細めている。
「あの場にレオナルドが行ったところで、やはりできる事は何もなかったかと思います」
一度開いてしまった彼女の口は止まることを知らず、今までの不満をこの際だと言わんばかりに次々と口にして、レオナルドを言葉の弾丸で貫いていく。
「大体色仕掛けの件もそうですが、かなり最低です」
「……おい」
「まぁ……グレイソンがいつも何でも、二つ返事でハイハイと言うことを聞いてしまうから、レオナルドがこんな風になったのもあると思いますが」
黙って聞いていたグレイソンだったが、さすがにそろそろ止めるべきかと一言声をかければ、さらに言葉が鋭くなったヴァネッサの流れ弾に撃たれる。
「そんなんだから、婚約者になるのを断られるんですよ」
「…………」
「なんですか」
いつの間にかヴァネッサの前まで移動し、無言で見下ろしているグレイソン。しかし、そんなことには動じず、ヴァネッサは変わらない態度で問いかける。
「言い過ぎだ」
「……」
ヴァネッサがレオナルドに視線を移せば、確かにちょっと……落ち込んでいるようにも見える。肘をついて頭ごと視線を横にずらして、ふてくされている。
「……君は、スペンサー嬢が気に入ってるようだな」
「はぁ、まぁ」
同じ女性として、また剣士としても、彼女の強さには惹かれるところがあるのは当然でしょう、と言った彼女は、ふっと顔を正面の男に戻しながら言った。
「グレイソンに好意を向けているところだけは、一切理解できませんが」
「…………」
「それ以外は尊敬すべき点が多いと感じています」
下手に間に入った事により、流れ弾を食らうどころか、思い切り照準を定められてしまったグレイソン。シン、とした息苦しい重い空気が流れ始めた中、コンコン、とまるで救いの手のようなノックの音が響いた。
「失礼します。アンバー・ロス、ただいま戻りました。」
扉を開けたのは帝国騎士団の制服を身にまとう、美しい容姿の女性。淡く輝くベージュの髪をふわりと揺らしながら、部屋の中を見渡した彼女は、一言。
「なんです?この空気」
アンバーは、その透き通るような美しい見目とは裏腹に、低めのハスキーボイスで問いかける。少しして、身を正したレオナルドが「なんでもない」と言えば、サッと何事もなかったかのように報告を始めた。
レオナルドは、アンバーの報告を聞きながらも、ヴァネッサに言われた言葉を思い出して、少し沈んでいた。
『そんなんだから、婚約者になるのを拒否されるんですよ』
アイヴィー・シャーロット・スペンサー。彼女の事は、他の令嬢達とは頭一つ以上抜けて違う、完璧な令嬢だと思っていた。それは、初めて彼女に会った時からずっと変わらず、レオナルドの中のアイヴィーのイメージとして固定されていた。
完璧な令嬢を完璧に演じている、そんな彼女が気にくわなかった。
だがあの日、皇宮で襲撃を受けたグレイソンから彼女の行動を聞いた時、スッと胸の中でつっかえていたものがゆっくりと解けていくような気がした。
俺はどこかで、彼女の事を見下していたのかもしれない。
普通の令嬢以上の、ちょっと高い能力があるだけの彼女が、皇太子である自分を前に融通無碍な態度をとっているのが気にくわない、と。
グレイソンを彼女へ差し向けてから、どんな時も表情を変えず落ち着きを持ち完璧だと思えていた彼女が、徐々に感情を表に出すようになった。わずかだが少しずつ、表情や口調が変わり始めている。それは、俺に対する不快な感情であるものがほとんどであったが、それでも、不思議とそれを嫌だとは感じなかった。
彼女には、これまで彼女の歩んできた道があって、それは到底、俺が簡単に理解することができるものではなかったのだ。
今までは散々な物言いで彼女を傷つけて……いや、どちらかと言うと、怒らせていたと思うが、今後はもう少し友好的な関係になっていければいい、とレオナルドは思い始めていた。
だが、レーラの件もそうだが、今まで感じていた敗北感からプライドが邪魔をして、あのような言い方をしてしまったし、今だってこうして、彼女が思いを寄せるグレイソンを使って、情報を得るような真似をしているのだ。……きっと今も俺は、彼女を不快にさせてしまっている事だろう。
「…………はぁ」
「……?」
アンバーからの報告を聞き終えたレオナルドは、小さくため息を吐いていた。
*
一方。その頃の公爵邸では、
「ヴァーーーーーーッッッグレイゾンががっごいいよ゛ォ~~~~~~~~ッ!」
自室のベッドの上で、久々に感情を隠すことなくゴロゴロと左右へ転がり暴れていたアイヴィーは、そんなレオナルドの心境とは裏腹に、グレイソンとの接触をとても喜んでいた。
今日、私の濁声を聞かれてしまったのは、ちょっと恥ずかしかったけど、地面にしゃがみ込んだ時……!!目の前でズリズリと足を動かされて、靴底で書いたばかりの文字を消された瞬間……ッ!
「だまら゛ん゛」
アイヴィーは両手で顔を覆い、仰向けになって漏らすように呟いた。
いかん、このままではルイスになる。ルイスの気持ちとシンクロしてしまう。いや、私のこの気持ちは推しが相手っていう、グレイソン限定のものだから違う……!
誰に言い訳をしているのか、アイヴィーは一人脳内で見えない敵と戦っていた。
「グレイソンって、皇太子殿下の護衛騎士ですか?」
──ハッ
……レーラが居たんだった。
突然の問いかけに、ピタリと動きを止めたアイヴィーは、ゆっくりと起き上がってレーラを見た。
でも、レーラには皇宮でかなり好き勝手やって、完璧令嬢の仮面なんてとっくに崩れていたし、まぁいいか。
「そう゛よ゛」
いつもなら、テオドールの部屋に駆け込み、ガンガンにこの感情のはけ口となってもらっていたのだが、せっかく最近いい姉弟感になってきているのだから、もう少し我慢しよう、と自室で一人で暴れることを決めていたアイヴィー。
──そもそも、最近テオはライアンの事ばっかだし。
ちょっと拗ねたような顔をしたアイヴィーに、レーナは問い掛ける。
「お嬢様は、殿下の護衛騎士様がお好きなんですね!」
「…………う゛ん゛」
こうなったら、もうレーラに思う存分グレイソンへの熱いパッションを聞いてもらおう!と語り始めたアイヴィー。だが、レーラはアイヴィーの話を一通り聞き終わえた後、そうなんですね!と、テンションは高いのだが淡白な返事をよこしただけだった。
しばらくして、ノックをして入ってきたベルに、魔術の練習の時間が取れたと言われ、これまでとは一変してキラキラと瞳を輝かせたレーラ。今までで一番いい声で返事をしてこの部屋を去っていった彼女の背中を見つめ、アイヴィーは思った。
──あの女、本当に魔術にしか興味がないのか。
レーラに聞いてもらって、若干は満足したものの、なんだろうこの不完全燃焼感は。
「…………」
……もう、いいよね。
むしろ、最近ずっと私が大人しくライアンの話ばっかり聞いてあげてたんだから、いいよね。
アイヴィーはそっと部屋を抜け出し、テオドールの元へ向かって足を進めるのだった。
──そういえばあの時、グレイソンはライアンが作った魔導具を「危険がないのか?」と聞いてきたけど、もしかしてライアンはレオナルド側に危険視されているんだろうか……?






