20.インフィニティ・ヴァーミリオン
「よろしくお願いいたします!ベル先輩!」
「…………」
瞳をキラキラと煌めかせ、ベルを見上げているレーラ。ベルは嫌そう……というより、反応に困っているような顔をしている。
あの日、アイヴィーの計らいでスペンサー公爵家の預かりとなったレーラ。彼女はアイヴィーの父であるスペンサー公爵の下で魔術の勉学に励み、てっきりそのまま父の部下になるものだと思っていたのだが、どうやらこの公爵邸の侍女として働くことになったらしい。それも、この公爵邸で一番魔法を扱う技術があるのはベルであるため、すでに基礎魔術だけでなく応用魔術まで扱えるレーラは、彼の傍に置いた方が手っ取り早い、とスペンサー公爵に言われたそうだ。
「でも、どうしてここに?」
自分の部屋の中に、過去に自分を狙って攻撃してきた人間が居たら、誰だって驚くだろう。
「はい!旦那様にアイヴィーお嬢様が見当たらないと報告したところ、おそらく脱走したのだろうとの事だったので、こちらで待ち伏せさせて頂いておりました!」
「…………そう」
父にバレてた事に、背筋が少し寒くなったのを感じたアイヴィー。
「"はしたないから、せめて玄関から出て裏門を使え"との託を預かっております!」
レーラの弾けるような口調とは対照的に、「……そう」と、どんよりとした返事をするアイヴィー。
テンション高いな……。
アイヴィーはソファーに腰を下ろして肘をつき、元気ハツラツに父からの伝言を伝えてくれたレーラをじっと見て考える。
なんかこのテンション、ちょっとうるさい時のルイスに似てる気がする……。せっかく最近、顔を合わせずに穏やかに過ごしていたのに。
アイヴィーは、顔を横に背けてはぁ、と小さなため息をついた。
*
「そいえばお前、前にこの世界は好きだった漫画の中なんだ、とか言ってたけど」
「うん」
「お前の言ってた推しってヤツ、見かけたぞ」
アイヴィーは今日もまたライアンの元を訪れていた。彼は相変わらず手を動かすことをやめず、この前とは違う新しい魔導具をいじりながら、会話を続けている。
「廊下ですれ違った時、まるでゴミを見るかのようなスゲェ冷やかな目で睨まれたんだけど」
「えっ、うらやましい」
「えぇ……」
アイヴィーの発言に、頭を上げちょっと引いた顔を向けるライアン。
「まぁでも、それが推しのスタンダードですよ。」
「マジであいつのどこが好きかわかんねーな」
「そういうとこですよ」
ふーん、と言った様子で作業に戻るライアン。もくもくとモノづくりに励んでいる彼の手元をじっと見ていたアイヴィーは、あっと思い出したことを聞いてみた。
「そういえば先生って、この学園を歴代最高点で卒業したって聞いたんですけど」
ライアンと知り合ったと言った日から、やたらライアンの話をしたがるテオドール。昨夜の夕食時も、聞いてもいない彼の過去の栄光を聞かせてくれた。テオドールにしてみれば、この目の前の男は生きる伝説と言われているほど、すごい人間なのかもしれないが、ライアンは「おお、そういえばそうだったかも」と、まるでそんな事どうでもいいといった様子でなんてことないように答えていた。
「よし、できた!」
ライアンは、どうやら完成したらしい手元の魔導具をぐっと持ち上げる。それは綺麗な円柱の形をしており、端にいくつかのボタンらしきものが取り付けられていた。
「なんですかそれ?」
アイヴィーが頭を傾けて訊ねると、ライアンはニンッと笑いながらボタンを一つ押し、その魔導具を起動させた。瞬間、室内の明かりが消え、真っ暗になる。そして、その魔導具から出る一筋の白い光が、壁に当たる手前でまるで大きなスクリーンのようになって、一つの映像を映し出した。
「これ……」
ライアンはさらに別のボタンを押すと、今度は昔、アイヴィーが前世で何度も聞いたことのある懐かしいメロディが流れ始めた。映し出されたディスプレイには、その曲の歌詞が浮き上がる……。
──これはまるで、前世の
「カラ、オケ……」
映し出されている映像は、この世界の様々な豊かな景色。その映像を見ているだけでも、なんだか懐かしい気持ちになるのだが、加えてこの音楽。すごい……でも、
「なんという魔術の無駄使い」
思わずポッと出たアイヴィーの言葉に、ライアンの口は弧を描いて、楽しそうに言った。
「無駄なんてことはない。娯楽は大事だぜ」
アイヴィーはこのどこか懐かしい光景に、心を奪われていた。この世界で目覚めてから、決して見ることはないと思っていた前世のような光景に、じんわりと胸の奥が温かくなった。その横では、また何やら10年前くらいに流行っていた用語を多用してライアンが何かを言っていたが。
──懐かしいな本当に。
「歌ってみるか?」
「え?」
ライアンはサッと遮振魔法を展開した。
これで振動も外へは伝わらない。と言ったライアンは、床に置いた映像を映し出している魔導具よりも、もう二回りほど小さい円柱の魔導具をスッと渡してきた。多分、これはマイク。
でも、そんな……いいの?という視線を送るアイヴィーに、ライアンはコクリと頷いた。アイヴィーは、震えながらマイクを持つ手を口元へもっていき…………
シャウトした。
「うるせぇわ、スゲェうるせーわお前、本当」
遮音と遮振が施された室内で、アイヴィーはこの世界に来てから一度も出した事がない大声で、叫び、歌った。一曲丸ごと歌い切ったアイヴィーは、清々しくスッキリとした表情をしている。その後ろで「音量設定間違えたなー、くそ」とライアンはぼやいてた。
「あの曲はシャウトが楽しい。」
「まぁ、確かに」
アイヴィーは、この世界で初めて思いっきり声を出して歌った余韻と、ドクドクと高鳴っている心臓を感じながら、思い切り笑った。それを見たライアンも、まぁ楽しかったならよかったよ、とつられて片眉を下げて笑っていた。
その日の夜、公爵邸の自室に戻ったアイヴィーは、シン……と静まり返っている部屋の中で、まるで夢でも見ていたかのような感覚を残した、今日のライアンとの出来事を思い出していた。この世界に来て、あんなにも前世の……素の自分を晒したのは、初めてだったかもしれない。
ケホッ
でも、本当に思い切り叫びすぎたかも。
アイヴィーは、あれからジワジワと痛みを感じ始めた喉に手を触れる。公爵家の使用人たちからは風邪を心配されたが、喉が嗄れただけという事を、まさか喉が嗄れるほど大声で叫びまくる貴族令嬢などいるはずもないため、うまく説明することもできず、適当に誤魔化していた。しかし、適当に濁して自然と口数が少なくなったアイヴィーの姿は、使用人たちを余計に心配させてしまう事となったのだが……。
*
「う゛ん゛」
翌日の学園。
専門棟へと続く通路で、アイヴィーの掠れた濁声を聞いたライアンは、ハハッなんだその声!と笑っていた。
「まーあんだけ叫べば、そうなるわな」
「せ゛ん゛せ゛いの゛せ゛い…」
「ンだよ、自分のせいだろ」
恨めしい目で睨むアイヴィーに、ライアンはハッと笑って言った。
「でもまー俺も楽しかったし、喉治ったらまた来いよ」
「……」
コクリと頷くアイヴィーを見て、ライアンは「じゃあな」と専門棟の方へ向かって歩き出した。
アイヴィーも教室へ向かうため、南棟へ向きを変えたその時。
「……ッ」
誰かに突然、ぐっと腕を引かれた。
バランスを崩したアイヴィーだったが、サッと目の前に現れた何かに、勢いよくみぞおちをぶつけた事で無様に転ばずにはすんだ。
ぐえっ。
なんなんだ一体……。
アイヴィーは、苛立ちを隠すように表情を整えつつ、スッと顔を上げる。
──……ッ!
推しだ。
そこには、いつもの無表情でアイヴィーを見下ろすグレイソンの顔があった。突然のことに、アイヴィーは吃驚した表情で固まっている。グレイソンの右手によってバランスを崩されたアイヴィーは、通路からはみ出し、中庭の土の上に足をつけている。先ほどみぞおちを襲った痛みは、地面に倒れ込みそうだったアイヴィーをグレイソンが左腕で止めていたからだった。
「聞きたいことがある」
表情を変えずそう言ったグレイソンは、まるで初めて公爵邸を訪れた時のように、淡々と知りたい情報があると説明を始めた。
「おい、聞いているのか?」
「……っ、」
ハッ、しまった。なんだっけ。
アイヴィーは、校庭の端でグレイソンから謎のモーションを受けた日以降、学園や皇宮で顔を合わせても、スッと冷めた視線で一瞥されるだけで、特に会話らしい会話をしていなかった。それがまさか、こんな場所で堂々と、しかも、原作通りの素のグレイソンに話しかけられるなんて思っていなかったため、頭の中で対応が追いつかず、フリーズしてしまっていたのだ。
「…………」
そんなアイヴィーをじっと見たグレイソンは、そういえば、とライアンが去っていった方向へ視線を向けて続ける。
「最近、無限の朱流星と一緒にいるな」
──……?
無限の朱流星?なんだそれは。いや、つい最近、聞いたことあるような……。アイヴィーは困惑しながらも、昨夜の夕食時、熱く語っていたテオドールの言葉を思い出した。
『まるで錬金術師みたいに、今まで誰も思いつかなかったような物をサラッと、それも幾つも次々と作り上げたサンダーズ卿は、朱色の髪を靡かせながら優雅に制限なく新しいものを生み出し続けるその姿から、"無限の朱流星"って呼ばれてるんだよ!』
……ライアンの事だ!
というか、なにその厨二病が限界突破したみたいな二つ名……!
昨夜は軽く聞き流してしまっていたが、本当に当たり前に使われている通り名なんだと実感したアイヴィーは、震える口元を手で押さえ、笑いそうになるのを必死に堪える。そんなアイヴィーの様子を見て、グレイソンは怪訝な面持ちで訊ねる。
「話せないように特秘魔法でもかけられているのか?」
特別秘密保護魔法。特定の言葉やそれに関連する事象を一定期間、口に出せなくしたり、行動を制限する魔法だ。かなり高難易度の魔法になるため、この国で扱える人間は数えるほどしかいない。……その中に、あのライアンも入っているのはなんだか癪だけれど。
自身の問いに何も答えず、口元に手を置いたまま動かないアイヴィーに、覗き込むようにぐっと顔を近づけたグレイソン。急に視界いっぱいに推しの顔が広がったアイヴィーは、驚きのあまり、
「ち゛か゛い゛ま゛す゛……!!」
と、濁声を晒してしまった。
慌てて再び口元を手で覆うアイヴィー。しかし、その声はしっかりと彼の耳に届いていたようで、グレイソンは眉間にしわを寄せ、訝しげな視線を向けてくる。
なんだその声、と言っている。顔が。
グレイソンの視線にタラリと冷や汗をかきながらも、ハッとしたアイヴィーは、その場にしゃがみ込む。その突然の行動に、グレイソンはさらに不審な目でアイヴィーを見下ろす。アイヴィーは近くにあった手ごろな大きさの石を手に取り、地面に文字を書き始めた。
『貧民街手前の赤い屋根の家』
それはグレイソンが欲しかった情報である。
見終わったグレイソンは、アイヴィーが書いた情報を靴底でさっと消した。
「……あの男は、また新しい魔導具を作っているようだが」
何を作っているんだ。危険はないのか?と尋ねたグレイソンに、アイヴィーは少し考えた後、『大丈夫』と書き記した。
『あれは、記録魔法と再生魔法の魔導具です』
ちょっと手が痛くなってきた。思えば石を使って地面に何かを書くなんて小学生以来だ。アイヴィーは石を握っていた自分の手を見た後、ふっと顔を上げた。そこには、先ほどと変わらず眉間にしわを寄せたグレイソンの顔。
……なんか今日は、妙に睨むな。
しかし、アイヴィーの答えに満足したのか、わかった、と言ったグレイソンはその場を去っていった。
「…………ふぅ」
最後まで訝しげな表情で、突き刺すような鋭い視線をアイヴィーに向けていたグレイソン。彼が去っていった方を見ながら、アイヴィーは小さくため息をついた。
*
「う~~ん」
アイヴィーとグレイソンのやり取りを、すぐ隣の校舎の屋上から見下ろしている一人の男の姿がある。後ろで一つにまとめられた髪をさらりと風になびかせながら、首元の銀のタグを光らせて言った。
「……アレがご主人様、ねぇ」






