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18.ベル



「ーーー!ーーーーー!」


 誰かの、叫び声が聞こえる。


 ポタ、ポタと手の甲を伝い流れ落ちる、あの感覚と温度。

 薄れゆく視界の中で、ソレを認識した私は、意識を手放す直前、


 確かに、後悔していた。







「わ」


 おれの前に突然現れたのは、同じ歳くらいの女の子。綺麗に整えられたプラチナブロンドの髪と、透き通るような瞳。今まで見たこともない綺麗なその女の子から目が離すことが出来ず、おれは思わず目を見開いたまま、じっと固まってしまっていた。


「な、なに……これ」


 女の子はこちらを見て、驚愕の顔をしている。

 大きな檻の中に閉じ込められている上、手足の自由を奪う拘束具と大量の魔力封じの魔導具を付けられたおれを見て。

 女の子はそっと手を伸ばした。


バチッ


 柵に触れた女の子の手が、激しく弾かれる。

 この檻は特殊な魔導具で作られており、檻と対になる魔導具のキーを持つ者しか、この檻に触れることも開けることもできない。今の音で、アイツらが来るかもしれない。危ないからあっちへ行け、と首を動かし女の子を睨む。


「……ッ」


 女の子は、弾かれた手をもう片方の手で支えながら、揺れる瞳でこちらを見ている。その目から感じるのは、恐怖や嫌悪ではなく……悲哀。


「あなた、つかまってるの?」

「…………」


 頭を一周するように口元を布で塞がれているおれは、不安に揺れる瞳でそう尋ねる女の子に何も返さず、ただ見つめていた。


 この檻に囚われている少年──ベルは現在、家族に売られて戦闘奴隷として扱われている。ここから山を3つ4つ超えた先にある、ごく普通の小さな村に生まれたベル。産声が響き渡る部屋の中、普段であれば生まれた赤ん坊を祝福するはずなのに、ベルを取り囲む大人たちの雰囲気は妙で、何かおかしい。彼が激しく泣けば、周りの空気は途端に冷えて鋭くなり、傍にあるものを傷つけ、壊していた。

 ベルは生まれた瞬間から、誰が見ても分かるほどの膨大な魔力をその身に宿していた。

 本来、魔力持ちが生まれること自体、希少で喜ばれるべきことであったが、ベルを生んだ両親の一族の中には、過去に誰もこのような強大な魔力を持つ者はいなかったため、大人たちは気味が悪いと顔をしかめていた。村人のほとんどは、ベルを遠ざけた。食事や服、寝床など必要最低限のものは与えれていたが、実の両親ですら、ベルとの会話はほとんどなかった。

 家の外から聞こえる楽しそうな子ども達の声。自分と同じ年くらいの子ども達が、元気に駆けまわっている。働いていた大人に見つかり、手を引いて連れていかれるその子どもの姿を、ベルはよく窓から眺めていた。毎日畑仕事をしている両親の手助けになればと思い、ベルはそっと手をかざした。瞬間、爆風が起こり、木は倒れ畑の半分をぐしゃぐしゃにしてしまった。 


 ある日の夜、ベルは父親に手を引かれ、家から連れ出された。ベルが物心ついてから、初めて手を握られた瞬間だった。毎日、農具を握っている父親の手はゴツゴツして硬かったが、その感触は嫌じゃなかった。連れて行かれた先で、首と両手両足に大量の魔力封じのリングをつけられた。知らない男たちにベルを引き渡した後、去っていく父親の顔は暗くてよく見えなかった。

 それからは、戦闘奴隷としていくつかの戦場へ駆り出された。他国の兵士、敵対する組織の人間、何も知らない顔をした子ども。ベルは目をつぶって手をかざすだけ。制御できない魔法は、暴走しているかのようにあたり一面を飲み込み、破壊する。目を開ければ飛び込んでくる悲惨な現状に、ベルは体の中心から冷えていく感覚を覚えた。

 従わなければ、魔力封じの魔導具と一緒に付けられたリングから、体中を駆け巡る痛みがベルを襲う。それでも抵抗を続けるベルを、男たちは両手足の拘束具をつけて椅子に座らせて固定し、この檻の中に閉じ込めた。


「なんでこんな……」


 その時、カツカツと歩く男の足音が聞こえた。ベルはハッとして、あの箱の影に隠れろ、と女の子に視線を送る。女の子が隠れてからすぐ、一人の男が現れた。


「オイ、また暴れてるのか?懲りねぇなお前も」

「…………」


 ベルが男を睨む。すると男は舌打ちをして、ゆっくりと檻のすぐそばまで来た。そしてキーを見せながら言った。


「諦めろ、これがなきゃお前は出れないって分かってんだろ」

「……ッ」

「出たところで行くとこもねぇだろうが」


 男の言葉に、一瞬息が止まったような気がした。

 その通りだ。ここを出たところでおれは……


「だから大人しく──……」


 俯いたベルにかまわず、高圧的に話し続ける男の言葉は急に途切れた。不審に思い、ゆっくりと顔を上げるベル。


「ン……ングッ……ゴッ、ガハッ……」


 ふよふよと漂う小さな水滴と共に、手のひらサイズの水の塊が男の口を塞いでいた。驚いたベルが身を前に出す。その勢いで、拘束具によってバランスが取れなかったベルは、椅子ごと正面に倒れこむ。首を動かし前を見れば、男の後ろに、椅子に座っていた位置からは見えなかった小さな手が見えた。先ほど隠れろと視線を送った場所から、女の子が手を伸ばしている。


「……!」


 女の子がもう片方の手を動かした時、ビュンッと鋭い風の音が聞こえ、男が持っていたキーを落とす。カラン、と音が鳴った瞬間、女の子が飛び出してきてそれを奪い、檻に押し付ける。


「解除!」


 ギィィ、と金属が擦れる音がして、檻が開かれる。


「!……ンッ……んんっ」


 女の子がおれの拘束具の鎖を外そうとしてくれている。しかしその背後に、口元を濡らした男が腕でそれを拭いながら、檻の中に入ってきていたのが見えた。


「クソが!」


 男が怒鳴りながら女の子を蹴り飛ばす。女の子は咄嗟に腕を交差させていたが、ゆるく弧を描くように浮いた小さな体は、ベルの視界から一瞬消え、やがて鈍い音を立てて柵へ叩きつけられていた。


「……う」


 うめきながら、よろよろと体を起こす女の子に、イラついた様子の男はゆっくりとにじり寄る。


「なんだぁお前、コイツのお友達か?」


 男が女の子の前でしゃがみ込み、片手で髪を掴み上げ、女の子の顔を無理やり上げさせる。


「は──……、グアァアッ」


 何を言いかけたのか、口を開いた瞬間、男は突然その場に倒れこみ、膝を抱えて唸っている。


「はしって!」

「……っ!?」


 女の子が、おれの手をギュッと握って、走り出す。

 いつの間にか、おれの拘束具から伸びた鎖は、まるでナイフで切られたかのような綺麗な断面をして千切れていた。女の子に手を引かれる瞬間、チラっと見えたあの男は、膝から血を流して苦しんでいるようだった。


 はぁはぁ、と息を切らしながら二人で走った。ジャラジャラと千切れた鎖が伸びる拘束具が重たいのと、おぼつかない足取りで息があがっているのとで、苦しい。だけど、何よりも一番苦しかったのは、女の子に握られている手の感触だった。


 女の子に導かれるまま、息を切らして走り続けたベルは、やがて大通りまで出た。後ろからは、あの男の仲間が追ってくる声が聞こえる。その状況に、女の子も顔を歪ませていたが、キョロキョロとあたりを見渡して俺の後方を見た後、ふっと顔を綻ばせ、そして次の瞬間、その顔は真っ青に変わった。


「こんな所にいたのか」


 低く響く声。

 おれの背後には、立派な騎士の服を着た大きな男が居た。その男はおれを一瞬見た後、おれを連れ出した女の子に視線を移した。


「どういう事だ」

「……っ」


 女の子は怯えているようだった。

 もしかして、この男はいい奴ではないのか?だったら……

 ベルは手のひらにポゥ……と小さな光を宿す。


「おら!見つけたぞコイツ!!」


 その時、路地裏から追ってきた男達が飛び出してきた。


「あ……?なんだ、あんたら」

「…………なるほど」


 騎士の服を着ている男は、低い声で語尾を上げそう言うと、片手をあげた。瞬間、後ろから飛び出してきた何人かの騎士が、ベル達を追ってきた男達を捕らえていた。


「連れていけ」


 騎士の服を着ている男はそう命令すると、チラっとこちらを見て続けて言った。


「私はこちらの尋問を先にする」

「……ッ」


 その言葉に、女の子はビクッと体を揺らした。

 それから、ベルは女の子と一緒にとても立派な馬車に乗せられ、見たこともないほど大きな家に連れて行かれた。騎士の服を着ている男に続いて、広くて綺麗な廊下を歩いていく。

 部屋の中に入ると、女の子はそこであの男に叱られて泣いていた。


「…………」


 男は厳しい言葉を女の子になげつけ、女の子はそれで泣いているのに、その光景は、どこかあたたかいものに感じられた。俺が今まで受けてきた男たちからの罵声でも、家族からの淡々とした冷たい言葉とも違う。

 おれにはあんな風に叱ってくれる人はいない。

 目の前の光景は、おれのすぐそばで起こっている事なのに、どこか遠くを見ている気分だった。


 それから、おれを使っていた戦闘奴隷を扱う組織は、女の子の父親と分かったあの男によって壊滅されらしい。そして、女の子の訴えでおれはこのまま公爵家に住まわせてもらえることになった。どうせここ以外、外へ出たところで行く場所なんてない。おれの手をギュッと握って「いっしょに暮らそう?」という女の子におれは言葉を発さず、ただ頭を下げて頷いた。


 女の子の名前はアイヴィーと言うらしい。公爵家に住まわせてもらうようになって、一般教養や文字の読み書きの他に、従者として必要なことを学んでいたおれは、ここに勤める他の使用人から言われた通り、女の子の事をお嬢様と呼んだのだが……。


「アイヴィー!アイヴィーって呼んで!」

「……でも」


 彼女の提案をなかなか受け入れられない様子のベルに、それでもめげずにアイヴィーは言った。


「せっかく歳が近いんだから、普通に友達として接してもいいじゃない」

「ともだち……」

「あ、ほら!他の人がいないところとか、テオの前だけでも!……だめ?」

「……わか、りました」

「ふふ、敬語もなくていいよ」


 痛々しいほど包帯をぐるぐるに巻かれている、男に蹴られ怪我をした左腕をブンブン揺らしながら、ふわりと笑ったアイヴィーの表情を、ベルはじっと黙って見つめていた。



 ・



 公爵家へ来てから数か月がたった。

 包帯も取れ、まるで何事もなかったかのように両腕をフルに使って、公爵邸の端っこの壁に穴をあけようとしているアイヴィーに、おれは気になっていたことを聞いてみた。


「……あの時、何をしたの?」

「ん?」

「……アイヴィーを蹴った奴」

「ん、あー……えっとね」


 アイヴィーは左手を上に向け、魔法を使ってぷかぷかと浮く水を作った。


「こうやって、魔法で水を浮かせてから」


 こうして、と今度は右手をスッと動かしたアイヴィー。すると、先ほどまでぷかぷかと浮いていた水の塊が、勢いよく回転しだし、やがて鋭いドリルのようになった。


「これで足を刺した」

「…………」


 本当は危ないから人に向けてはいけないんだけど、と付け足しながら一瞬視線を反らしたアイヴィーは、ニコッと笑って言った。


「アイツは子どもを思いっきり蹴ったんだから、仕方ないよね」


 その笑顔は、ほんのちょっぴり黒かった。

 ちなみにこんな風にして、と続けたアイヴィーは、今度は薄い円形状に高速回転する水と風の魔法をみせて「これで拘束具の鎖を切ったんだよ」と説明してくれた。

 水だけだと、そんなに攻撃能力はないんだけど、風魔法も合わせれば結構使えるよ!あと証拠も残らない!と言った少女は、楽しそうに笑っていた。証拠って?



 ・



 公爵家へ来てから半年ほどが経った。


「それ、はずさないの?」


 アイヴィーが、ジャラッと鳴った俺の手にはめられている魔力封じの魔導具を見て言った。ふるふると頭を振って答えたおれに、アイヴィーは眉間にしわを寄せて、不満そうにしている。「重そう」とか「痛そう」とか言ってきたが、村から出された時に無理やりつけられたそれは、今はもはや慣れてしまっていて特に不満はない。むしろ、制御できないくらいの魔力を抑えてくれているのだから、安心しているくらいだ。

 そう伝えたらアイヴィーはさらに難しい顔をしていたけど、そのあと、あ!っと何かをひらめいたらしい彼女は、タタッと部屋を出て行った。数分後、ふらつきながら戻ってきた彼女の手には、たくさんの魔導書があった。


「特訓しよ!」

「……特訓?」

「うん!魔法を制御具なしで自由に使えるように!」


 私も一緒にやるから!と目を煌めかせたアイヴィーは寄ってきて隣に座った。


「………」


 ぺら、と適当にとった一冊をめくってみる。ぐう……


「べ……ね、寝てる!?」


 沢山並ぶ文字と図形を見て、睡魔に襲われていたおれに、「うそでしょ!おきてよ~!!一緒に特訓しよ~~!」と騒ぐアイヴィー。肩を掴んでカクカクとおれを揺らす彼女から視線を逸らせば、アイヴィーが持ち込んだ本の中から、一つ、異様な雰囲気を感じるものがあった。

 赤い表紙の古ぼけた一冊の魔導書を手に取る。


「なに……これ」 

「どうしたの?」


 開いた本の中を、アイヴィーも不思議そうにのぞき込む。そこには他の魔導書と変わらないような文字と図式の羅列があった。だが、それだけじゃない。

 見える。

 紙にインクで描かれている図式や文字とは違う、触れても透けて通り過ぎてしまう、魔力で描かれた文字。


「アイヴィー、これ、借りてもいい?」

「……!」


 魔法の制御に興味を持ってくれたのかと喜んだアイヴィーは、嬉しそうに「もちろん!」とうなずいていた。


 その本は不思議な本だった。そこに魔法で描かれている魔術は、文字や図式を読んで理解する感覚ではない。見れば自然と頭に入ってくるものだった。試しに一つ、描かれていた魔法を使ってみる。


バリンッ


 瞬間、部屋を駆け巡る爆風とけたたましい音と共に、部屋中の窓が割れて粉々になった。


「……!」


 なんで、どうして、魔力封じのリングは外してないのに……!

 その威力に驚きつつも、窓ガラスを割った現状を理解したベルはサァァ……と頭が冷えていく。


──お、怒られる……


「ベル!?」


 バンッと勢いよく扉が開いた。

 そして、駆けてきたアイヴィーがベルのすぐ前までくる。


「……」

「どうしたの?ベル、大丈夫?」


 なにも発さない俺に、心配そうに声をかけながら、こっちからすごい音がしたけど……と窓際に視線を移すアイヴィー。


「え」


 アイヴィーは、口を開けて固まってた。


「これ、ベルがやったの?」

「…………」


 コクリ、と頷く。



 しばらくして、公爵様と複数の使用人たちが部屋を訪れた。

 

「かってに本を持ち出してごめんなさい」

「……申し訳ありませんでした」


 どうやらあの本は、公爵様の持ち物で、立ち入りを許されていない場所に保管されていたものだったらしい。

 二人で並んで頭を下げる。

 その様子をしばらく黙ってみていたスペンサー公爵は、ベルの頭にぽすっと手を置いた。


「…………ッ」


 ベルはビクッと体を揺らしてしまった。


「部屋の中では危険だな。今後、魔法を使う時は予め相談しなさい」


 そう言うとスペンサー公爵はベルの頭から手を離して、使用人たちに割れた窓ガラスと散らばった部屋の掃除を命じた。

 そそそ、と隣から距離を詰めてくるアイヴィー。


「次は修復の魔法も一緒に勉強しとこ!」


 証拠隠滅できるように!と、小さな声でにこやかに言うアイヴィー。

 後ろで公爵様がこっちを見て立ってるけど、いいのかなぁ……と思っていたら案の定、また叱られ始めたアイヴィー。ベルはその二人のその姿をじっと見つめていた。しばらくして、振り返ったアイヴィーはふてくされた様子で言った。


「あ、なんで笑うの!ベル!」


 …………?笑った……?

 そっと口の端に手を当てる。


「も、もとはと言えば、ベルの魔法のせいなんだよ!」


 頬を膨らませてぷすぷすと八つ当たりするアイヴィーだったが、こちらを振り向いた瞬間、その態度は急に一変して、慌てだす。


「ご、ごめん、うそ!うそだよ!もとは、私が本を渡したからだった」


 口元にあてた手が濡れている。


「だからごめんね、泣かないで」


 そう言って、ベルの手を取るアイヴィー。

 ベルは、ぎゅっと握られた自身の手と、目の前で心配そうにしているアイヴィーの顔を交互に見る。

 あたたかい。


 それはあの日、檻から連れ出してくれたアイヴィーに握られた時の手の温度で。


「……くるしい」

「え!?」


 涙を流しながらそう零した言葉に、アイヴィーは慌てふためいている。

 しばらくあたふたと悩んでいたアイヴィーは、ぎゅっと目をつぶると正面からベルを抱きしめる。背中をポンポンと、優しくたたきながら「大丈夫」と繰り返す。

 あたたかい。


 あたたかくて、くるしい。




 ・




 あの本のおかげもあり、魔力制御が上手くできるようになってしばらく、アイヴィーが魔力封じのリングを外すよう催促してきた。今のおれならきっと大丈夫……だと、思う。だけど、


──もし、この目の前の少女を傷つけてしまったら……


 そう考えたら怖くなって、ベルは魔力封じのリングを外せないでいた。



「アイヴィー、これをつけて欲しい」


 持ち出したのは、奴隷契約の契約印。

 この世界の奴隷契約印は、魔法でできている。主人となる者は印を通して奴隷に命令することができ、またこの印がある間は、奴隷となったものは主人を害することが絶対にできない。これさえあれば、万が一、魔法がうまく扱えないことがあっても、アイヴィーを傷つけなくて済む。ベルはそう安易に考えていたのだが……。

 奴隷印を見たアイヴィーの表情は、ひどく険しいものだった。


「それはできない、嫌。したくない。」


 そう言ったアイヴィーが、後日持ってきたのは紫色の宝石が光るピアスだった。もともと生まれてすぐピアスを開ける特殊な風習のある村の生まれだったベルは、両親や村人から疎まれながらも、しっかりとピアスの穴は開けてもらっていた。つけていたピアスは、戦闘奴隷として捕まった日に男達にとられてしまっていたが……。


「もしも、魔法を使うときとか、不安になったらこれを触ってみて」


 魔法が施されたそれを初めて使った時は驚いた。

 夜、寝る前に、ふと耳の感覚を思い出したベルは、鏡の前でピアスに触れた。すると、あたりが一瞬優しく光り、『ベル』とアイヴィーの呼ぶ声がどこからか聞こえた気がした。フワフワと暖かな空気に包まれたそれは、時間が経つと徐々に消えてしまう。

 ベルは寝る前にピアスの魔法を使い続けた。何度も、何日も。

 やがてピアスが光を失い、魔法が発動されなくなってしまったのだが、その時はアイヴィーがもう一度魔法をかけてくれた。あまりにも何度もアイヴィーの元を訪れるものだから、何度目かの夜に「もう一緒に寝ればいい」とベルはベッドに引きずり込まれた。

 布団をかぶって向かい合う二人。

 二人はそこで色々な話をした。大体、話してる途中で寝てしまうのだが、誰かと一緒の布団で寝るのが初めてだったベルは、その布団の暖かさとは別に、久しぶりにまた胸の奥がじわじわと痛み始める感覚を覚えた。

 くるしい。


 ずっと、普通の家庭に生まれた、普通の子どもになりたかった。他の子ども達みたいに、頭を撫でてもらえて、抱きしめてもらえて、手を繋いでもらえる、毎日笑って楽しそうな、そんなあたたかい普通の人間になって、死にたかった。


 夜更けにふと目が覚めたベル。

 目の前で無防備に寝ているアイヴィーの手は、ベルの頭に置かれている。

 くるしい。


 ベルはそっと、アイヴィーの手の上に自分の手を重ねて、ぎゅっと握った。

 くるしい。


 くるしいのに、心地いい。



 ・



 公爵家へ来てから、何年かが過ぎた。

 髪を後ろで一つにまとめたアイヴィーが、突然振り返りながら言った。


「もしかしたら、ベルの前世は大魔法使いだったのかもしれない!」

「え……?」


 アイヴィーの言葉に、ベルは目を開いて固まる。


「この世界の魔力量は魂と関連してるって、前に本で読んだのを思い出したの。感情が魔力のコントロールに関係してるのは知ってたけど……」


 そう言った彼女に、ベルはポカンとした顔を向ける。


「だからベルの魂は、前世、大魔法使いだった人のものかも知れないなって!」


──前世、なんて……考えたこともなかった。



「いたっ」

「……どうしたの?」

「切っちゃったみたい」


 剣の練習をしていたアイヴィーは、木刀の持ち手の部分がささくれていたせいで、手を切ってしまったようだ。ぷく、と血が浮き上がっている。


「手、かして」


 アイヴィーの手をそっと持ち上げ、ベルは魔法で傷を癒す。

 ポゥ……と小さな丸い光が、アイヴィーの傷をつつむ。痛みが引いていったらしい彼女は、傷口を見て目と口をゆっくりと開いていく。


「すごい!ベルはこんなこともできるの!?」

「……本で、見た」

「見ただけで出来たの!?治癒魔法は神官さんとか専門で研究してる一部の魔術師しか使えないと思ってた。ベルは何でもできるんだね!」

「……うん。」


 控えめに頷くベル。


「あ!じゃあアレは?」


 アイヴィーは両手を大きく動かして、懸命に説明している。よくわからないけど、なんとなくこんな感じかな?と思った魔法をアイヴィーに披露する。ベルの手のひらから空高く上がった炎の柱を見て、アイヴィーはあんぐりと口を開けた。アイヴィーの何十倍というほど魔力量を持つベルが使う魔法は、けた外れの火力を持っていた。ベルは空に上がった自分の炎を見た後、アイヴィーへと視線を移す。彼女は、ぱっと明るい表情で「すごい!すごい!」と褒めてくれた。「じゃあ、こういうのは?」と、期待に満ちた目を向けてくるアイヴィーをベルはじっと見つめる。言われた通り、今度は大量の水柱を空に向けて放つベル。上空から落ちてくる小さな水滴は、霧のようにあたり一面を潤していく。するとアイヴィーが、あっと指をさして言った。


「虹!ベルの後ろに虹出てる!ふたつも!」


 楽しそうにはしゃぐ彼女の指す方へ視線を向ける。


「ほんとだ」


 二つの虹が、ベルの後ろから隠れ見えて、空気中を漂っている小さな水滴は太陽の光を反射してキラキラと輝く。それはまるで、翼を広げた──


「天使みたい」


 アイヴィーが言ったその言葉に、一瞬目を開いたベルはピタリと固まった。

 強すぎる魔力をろくに制御できないせいで、悪魔の子だ、災いだと罵しられる事の方が多かったベルは、こんな風に恐怖も侮蔑もなく、ただ純粋に何気なく発せられたアイヴィーの言葉を、どう受け止めればいいのか分からなかった。

 胸の奥が変な感じだ。


 その後もアイヴィーが提示した魔法をポンポンと放っていくベル。そのたびにすごいすごいと笑うアイヴィーに、ベルも自然と口元が緩んでいた。


「なんだかベルがいたら、世界征服もできちゃいそう」


 無邪気にとんでもなく危険な事を言うアイヴィーに、ベルはきょとんとした顔をする。


 今まで、一族の中で誰も持った事がない程の、膨大な魔力を身に宿して生まれてきたベル。突然変異だと家族にも気味悪がられ、扱いきれない魔力は危険だと、遠ざかる者はいても、近づいてくる人なんていなかった。あの日の夜、今まで一度も自分に触れたことのなかった父が、手を握ってくれた時、きっとこれはよくないことの前兆なんだと理解していた。でも、その手のぬくもりを知ってしまったから、戦闘奴隷として扱われてからも、あの感覚を忘れることは出来ず、それが余計にベルを苦しめていた。

 こんな魔力なんて、無ければよかった。何度も何度もそう思った。


 ……だけど、君が望むなら。


 俺の魔法で、こんなにも喜んでくれる君がいるのなら。

 この力で、世界でもなんでも、君にあげたい。


「アイヴィーが望むなら。」


 魔法でできた水滴に光が反射し、キラキラと煌めくその場所で、アイヴィーに向かってそう言ったベルは、穏やかに微笑んでいた。







 暗くなった室内。

 明かりはつけられておらず、必要最低限なもの以外は置かれていない部屋。唯一飾られているのは、幼い日にアイヴィーと一緒に作った木のオブジェくらいだ。

 両足は床についたまま、ベッドに仰向けに沈み込んでいるベルは、片腕を瞼の上に置き、はぁ、と小さく息を漏らした。


「……アイヴィー」


 消え入りそうな声と共に、手を当てた耳元の紫色のピアスは暗く、輝きを失っていた。



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