挿話3.社交界の控室
帝国の三大公爵家の子ども達の話。
「ちょっと!アイヴィー!」
社交界の休憩室。アイヴィーが休んでいた部屋の扉をノックも無しに力いっぱい開き、一人の少女が入ってきた。
「ミア」
ミア・フレイヤ。
ウェーブのかかったルビーレットの髪をふわふわとなびかせ、ぱっちりとした少し釣り目な瞳を持つ彼女は、アルバ帝国三大公爵家のうちの一つ、フレイヤ公爵の長女だ。
帝国内では現在、複数人の貴族令嬢がこの帝国の皇太子殿下の婚約者候補としてあげられている。その中でも、一人だけ抜きんでて、誰よりも皇太子妃にふさわしいと言われているアイヴィーに、彼女は強いライバル心を抱いている……と、言うことになっている。一般的には。
「何?トムと喧嘩でもした?」
「しっ、てないわよ!!なんなの!急に話の主導権を握らないで!」
ミアは残るもう一つの公爵家──グレース公爵家の息子、トムワズに思いを寄せていた。幼い頃からよく一緒にいた2人は、いつしか自然とお互いを意識し、恋人となった。しかし、アイヴィーがレオナルドの婚約者を避けたために、仕方なくあげられた数人の婚約者候補として、ミアもそのうちの一人に選ばれてしまっているのである。
二人が愛を確かめ合った後、この調子でゆくゆくは婚約もできそうだと、順調だった二人の間に突然入った亀裂。このままでは、トムワズもいつか別の女と婚約させられてしまうという噂を聞いたミアは、なんとしても婚約者候補から外れたい一心で、レオナルドに気に入られないように、公爵家の令嬢にあるまじき嫌悪される言動を繰り返していた。
本来は、大人しく慎み深い令嬢を演じられるミアであったが、最近ではずっと、こんな風にアイヴィーにかみついてくる。
暴れ馬のように騒ぐミアを、ドウドウと抑えていたアイヴィーだったが、コンコン、と控えめに叩かれたドアの音に、意識をそちらへ向ける。そこにはまさにミアの意中の相手、色素の薄いさらさらとした髪に、どこか幼さを残す困り顔のトムワズが立っていた。
「トム」
「ちょっと!あなたが彼を愛称で呼ばないでよ!!」
「ミア……帰るよ。アイヴィーごめんね。」
「ううん、いつものことだし大丈夫」
アルバ帝国の三大公爵家。それぞれの親世代は、結構ギスギスしている雰囲気があるが、子供世代は案外仲がいい。
それも昔、まだ幼い頃に顔を合わせた3人。その頃からすでにトムワズのことが好きだったミアは、突然現れたキラキラと輝くプラチナブロンドに透き通るような瞳と、年齢にそぐわない美貌を持つアイヴィーを敵視していた。
アイヴィーは、めんどくさいなぁ、と思いながらも、お家同士の付き合いのため、二人と会った時は、できるだけ当たり障りない会話を続けていた。
そんなある日、二人掛けの船に乗る機会があった。
「お手を」
アイヴィーの前で手を出して微笑むトムワズ。自分ではなく、アイヴィーを誘ったトムワズにミアはショックを受ける。「ミアとは何度も乗っているだろう。今日は我慢して?」とトムワズは言い聞かせるが、今も泣き出しそうなミア。
なんだ、この間男感は……。
「私はベルと一緒に乗りたいから、お二人は一緒にそちらの船に乗られてはどうかしら」
にこりともう一つの船を手でさし、痴話喧嘩に巻き込まないでくれと思うアイヴィー。そんなアイヴィーの言動に、ミアは一瞬驚いた後、コクリと頷いてトムワズと二人、仲良く船に乗っていった。
やれやれ、と幸せそうな二人を視界に入れ、小さく息をこぼすアイヴィーだったが、ぱちりとこちらを見たミアと目が合った。スッと表情を作り、自然に微笑むアイヴィー。ミアは気まずそうに一度視線を反らした後、嬉しそうにニコッと笑っていた。
それからは、特に敵意を持った目で見られることもなく、むしろ、結構フレンドリーなお付き合いができていたのだが……。
「あの時は協力してくれるいい子なんだって思ってたのに!」
「別に邪魔してないでしょう。」
悪いのは私じゃないし、とそっけない態度をとるアイヴィー。こっちだって迷惑してるんだ。文句があるならレオナルドに言ってくれ。
騒がしいミアに、あ!と思いついたアイヴィーは、スッと立ち上がり、ミアの元へ近づいていき耳打ちをする。アイヴィーの一連の動作を訝しげな表情で見ていたミアだったが、アイヴィーの手と顔がミアの耳から離れると、じわじわと顔を赤らめ、震え始めた。
「ば、ばっっかじゃないの!!!信じられない!!」
「ミ、ミア!」
叫んで部屋を後にするミアを、トムワズが慌てて追いかける。扉の所でさっと振り向いて挨拶をするトムワズに、アイヴィーはにっこりと微笑んで手を振っていた。
「なんて言ったの?」
ベルがお茶の入ったティーカップを片付けながらアイヴィーに問い掛ける。
「ん〜〜、」
『そんなに不安になるのならいっそ、既成事実でも作ってしまえばいいじゃない。
トムだって、もう立派な大人の男よ。好きな子が不安そうに縋り付けば、振り払うことなんてできないわ。』
「──って」
「……………。」
ミアの耳元でささやいた言葉を聞いたベルは、なんとも言えない顔をしていた。
アイヴィーの言葉に、その場では激昂したミアだったが、後日、どうやら事に及んだらしい彼女。その後に開かれた社交場で、アイヴィーと目が合ったトムワズはカッと赤面し、視線を反らしてふるふると震えていた。そして、数時間後の控室からは「アイヴィー!」と叫ぶ声が聞こえたとか。
*
さらに後日の、社交場での控室。
本来であれば男女で別れているものだが、今回の主催がグレース公爵家であるため、アイヴィーとミア、トムワズとアイヴィーの従者であるベルは特別に同じ部屋にいた。
「で、どうだったの?」
「なにがよ」
「トムに迫ったんでしょ?」
「……っ」
頬を赤らめて、もじもじするミア。
少しためらいを見せた後、こしょこしょと耳打ちをするミアに、ふむふむと相槌を打つアイヴィー。
時々、えっ!と声をあげたり、キャーっと騒ぐ女子二人を見ながら、トムはいたたまれない気持ちになっていた。
テキパキとお茶の準備をしているベルの手先を見て気を紛らわせるトムだったが、ひとしきり騒ぎ終わった彼女たちが、そろそろ会場に戻らないと、と話しているのが聞こえた。
「やるわね、トム」
部屋から出る時、すれ違いざまにトムワズの肩をポンと叩いて立ち去るアイヴィー。その後に続いて、彼女の従者であるベルが憐みのような、心苦しそうな視線を向けて一礼をして去っていく。
トムワズは顔を赤らめて震えていた。
「……もうやだ。」
自分を辱めた最愛の恋人と共に、部屋に残された彼の声は、か細く震えていた。