13.剣と魔法
コツ、コツと床を叩く音だけが木霊する。
祝賀会が行われている会場から少し離れた通路には、グレイソンとその数歩後ろを歩くアイヴィーの姿あった。レオナルドからアイヴィーと共に会場の警備を命令されたグレイソンは、いつも通りの無表情に口数も少なく……終始無言である。
──き、気まずい……!
先ほどまでは外を回っていたおかげで、景色に目をやり気を紛らわすことができたが、現在は会場付近の室内を巡回している。ずっと同じような光景が続く無駄に長い通路は、この沈黙を酷く重いものにさせていた。
「……あの、先ほどは」
気を抜くと、推しの後ろ姿を舐めるようにガン見してしまうアイヴィーが、沈黙に耐えかねて口を開いたその時、バタバタと足音を立てて一人の騎士が駆けてきた。
「先ほど、二階の通路に! 不審な人影が……っ」
報告を受けたアイヴィーとグレイソンは共に騎士に続き、二階へと続く階段に向かい走る。
──あれ、でも、この騎士……なんか
会場からはかなり離れ、先ほどいた場所よりも狭くなった通路へと差し掛かった時、アイヴィーは違和感を感じた。瞬間、ドンッという爆発音と共に熱風が二人を襲う。
──……!
これは……。
片腕を顔の前にかざしながら、目を薄く開く。途端、キラッと光る銀と空を切る音。
ガキンッ
剣を抜いたグレイソンがアイヴィーを庇うように片手で抱き込みながら、降ってきたそれを受け止める。剣が交わるその先には、アイヴィーたちを呼びに来た騎士が不敵な笑みを浮かべていた。
「…………」
グレイソンは体勢を変え、素早く相手の剣を弾き飛ばし、騎士を切り倒す。
見上げると、まるで不本意だと言っているかのように、眉を顰めて前方を睨むグレイソンの顔。おそらく、レオナルドから何かあれば私を守れとでも言われていたんだろう。こんな風に私を抱きかかえて庇うなんて……ふぅ……ッじゃなくて、今はそれどころじゃない。
煙が晴れて視界がひろがる。
通路の前方には十数人の騎士。後方にも、前方ほどではないが複数人の騎士と……魔術師。騎士達は、警備隊の制服を着ているが、帝国軍の騎士ではない。公爵邸へと何度か足を運んでいたグレイソンから聞いていたが、おそらく数週間前に隊内から盗まれていたものだろう。魔術師の方はローブで全身を覆い隠し、フードを深くかぶっている。
チッ、と舌打ちをしたくなるのをこらえ、アイヴィーはすっとグレイソンの胸元を押す。
「ありがとう。私は大丈夫です」
「……」
グレイソンは腕の立つ騎士だ。この歳でこの国の皇太子殿下の側近、護衛騎士として選ばれるほどに。だが、
──この狭い通路で、前も後ろも塞がれた状態で、私を守りながらだと……
きっと苦戦することになるだろう。グレイソンもそれに気づいているはずだ。だから珍しく先ほど顔をしかめていた。戦闘ではいつも無表情なのに……しかめた顔もかっこいいなぁ。
アイヴィーはズレていく思考を慌てて戻す。
彼を押しのけた事で不審な目を向けてくるグレイソンの前で、アイヴィーは首元のリボンを解く。
「……お前、何を」
「サーチェス卿は前方をお願いできますか」
解いたリボンでさっと髪を一つに束ね、落ち着いた声でグレイソンに言う。そして、床に落ちていた先ほどの刺客の剣を拾い、後方の敵へと向かう。
「おい」
何をふざけたことを、と言いたげなグレイソンだったが、アイヴィーの構えを見て、伸ばした手をピタリと止める。
「貴方ほどではないですが、私もちょっとは強いんですよ」
そう言ったアイヴィーは、少しだけ振り返り、グレイソンを見て微笑む。それは、とても綺麗で、この状況には似つかわしくないほど柔らかい表情なのに、どこか悲哀を感じるものだった。
アイヴィーが後ろに顔を向けているその隙に、一人の刺客が襲い掛かる。キンッと響く音をたて、その剣を受け流すように弾き飛ばすアイヴィー。
「…………」
さらに後ろから飛び出してきた敵を一人、また一人と倒していく。アイヴィーの後ろでは、同じようにグレイソンも剣を振るっていた。
半数ほどを倒したところで、完全に想定外であったのであろうアイヴィーの反撃を前に、敵は攻撃の手を止め、膠着状態になる。
「もうよろしいんですか?」
アイヴィーは静かな怒りを覚えていた。
「全員まとめてかかってきても構いません」
よりによって、今日のこのタイミングで奇襲をかけてきた、目の前の敵に。
──後悔させてやる。
我がスペンサー家が仕えるこの場所で、剣を取らせたことを。
*
一瞬、地響きのような音を感じ、レオナルドは装身具に紛らせ携帯していた魔導具が、魔力を感知したのを確認する。
──きたか。
だが、遠いな。やはり狙いは……。
つい今しがた始まった、オーケストラが奏でる美しい音が響くこの会場で、この微かな振動と音に気づいているものは少ない。
レオナルドは、共にいた貴族に挨拶をして会場を出る。扉が開かれてすぐ、待機していた部下に指示を出し、魔力を観測した地点へ向かわせる。
「私も向かう」
「殿下、いけません」
上着を脱いで、別の部下に預けながらそう言ったレオナルドに、部下の一人の少女が止めに入る。
「グレイソンがそばに居れば問題ないかと」
「だが」
グレイソンの実力はここにいる誰もが知っている。それはそうだが、と抗議の目を向けるレオナルドに、少女は「……それに」と言葉を続ける。
「彼女もスペンサー家の人間です」
*
ピシャリ、と飛び散る返り血がアイヴィーの服を汚す。頬にもついたその赤い跡を、アイヴィーは手の甲で拭いゆっくりと前へ進む。
アイヴィーは全員の急所を刺し、ほぼ一撃で倒していた。半端な位置でも深さでもない。アイヴィーの剣は慈悲深い剣に見えた。
騎士は全員倒した。あとは目の前にいるあの魔術師だけ。
「……ッ」
アイヴィーの鋭い視線を受け、焦りを感じた魔術師がこちらへ向け手をかざし、直接攻撃を飛ばす。キィンという高音と手のひらから放たれる白い光と共に、アイヴィー目掛けて次々と飛ばされる爆炎球。アイヴィーは剣を振り、それを弾き飛ばす。
バリンッ
最後の一球を防いだ時、アイヴィーの持っていた剣が音を立てて砕けた。その音に、グレイソンが剣を振りながらもこちらを確認する。
アイヴィーの強さは、グレイソンのそれには及ばない。あたりまえだ。男女の体のつくりには差がある。どれだけ鍛錬を重ねても、アイヴィーは越えられない壁があることを知っていた。
だから、アイヴィーはグレイソンより弱い……剣術では。
最後の敵を倒したグレイソンが、急いでアイヴィーの元へ駆け寄ってくる……が、その瞬間、複数の高音がざわめきあい、まばゆい光が当たりを包みこんだ。思わず目を閉じてしまっていたグレイソンが目を開けた時、視界に飛び込んできたのは、敵の魔術師の襟元をつかみ上げているアイヴィーの姿だった。
「…………?」
なんじゃお前、どこの国のもんじゃい!
まるでそう言っているかのようなポーズをとるアイヴィー。魔術師は苦しそうに声を漏らしている。
「……貴様ッ、何を」
「質問してるのはこっちだけど?」
思わず前世の自分の口調に引っ張られてしまう。
「誰に頼まれたの?」
「……っ」
「直接脳に魔力を流し込んで探ってもいいけど、あんまり練習してないからうまくできないかも」
「!?」
掴んでいた手をグイッと引き、人差し指を自分の頭にコツ、コツと当てながら凄むアイヴィーに、魔術師は息をのむ。
「上手くできなかったら、制御できない魔力があなたの頭の中で暴走して暴発するかもしれないわ」
「……ッ」
予想外のアイヴィーの言動に、苦しそうに息を吐きながらも何も答えない魔術師。こんな脅しでは口を開くつもりは無いか……もしくは、主にかなりの忠誠を誓っているか。
ふぅ、と息を吐くアイヴィー。
「アイヴィー」
さてどうしたものか、と思案するアイヴィーの後方から、彼女を呼ぶ声がした。
「ベル」
アイヴィーは先ほど、リボンを解いた時に胸元の魔法石のペンダントでベルに連絡を取っていた。
ベルからリング状の魔導具を手渡されたアイヴィーは、魔術師に向き直り、それを首に付ける。
「……なに、をして……っは」
アイヴィーに襟元を掴まれたままだった魔術師は、苦しそうに抵抗していたが、リングを付けられた後、ぱっと掴んでいた手を放され、その場に崩れ落ちた。
「なに、なんだこれは」
「魔導具よ。これで貴方は魔法を使えないわ」
「は!?」
何故そんなものを、と驚く魔術師にアイヴィーは告げる。
「魔術師は厄介だからね。いざとなったら自分の身と引き換えに、魔力暴走されても困るし……ひとまずこれで話はできるわね」
魔術師は首元に手をやり、力を込めて外そうとするがビクともしない。しばらくリングと格闘していたが、やがて諦めてその場にへたりこんだ。
気づいたら辺りに倒れていたアイヴィーが倒した刺客たちの姿が消え、それがあった場所には、中心を裂かれた小さな木の人形と、変色し濁った泥が散らばっていた。
──やっぱり、姿は幻術……魔導人形だったか。
どうりで剣が軽いし、どれも同じ動きをすると思った。
魔導人形は、主に木の人形を媒体にして、術者が術式をかけることで、思うままに操る事ができるようになる。おまけに、目くらましの幻術魔法までかけられていたアレは、パッと見るだけでは普通の人間と変わらないものだった。
でも、この数を一度に操るなんて……
「……ッ」
「あっ」
アイヴィーが視線を後方へ向けていた隙をついて、魔術師は近くの窓へ身を投げた。慌てて窓際まで駆け寄り、下を確認するアイヴィー。
──あの状態で逃げるなんて
「ベル」
「……捕まえる?」
「いえ、気づかれないように後をつけて、指示した者を特定して」
コクリと頷いたベルは、魔術師と同様に窓から飛び降りて姿を消した。ひとまずベルに任せておけば大丈夫だろう。ふぅ、と一息ついたところで、背後からカチャと剣を鞘に納める音が聞こえた。アイヴィーは、ハッとして後ろを振り返る。
──わ、忘れてた……
「…………」
そこには、いつかの夜会の時と同様、顔を青くして視線を泳がせるアイヴィーと、そんな姿を冷めた目でじっと見つめているグレイソンの姿があった。