11.慣れと黒歴史
あれからも何度か、グレイソンは公爵家を訪ねてきては、アイヴィーからお金で情報を引き出していった。……というには少し語弊がある。
本来、こういった場では、あらかじめ欲しい情報と金額を互いに提示し、交渉する事から始まる。しかし、アイヴィーは、まぁ伝えても問題はないかなと判断したものを、グレイソンから説明を聞く段階でさらっと答えてしまっていた。初めの方は、そんなアイヴィーに不審な目を向けるグレイソンだったが、慣れてきたのか、最近では情報を得た後、無表情でお金だけおいて部屋を出ていっていた。
推しが何度も我が家を訪問していて、しかも密室で向かい合って座っているという現状。あの日の夜会で、思わず動揺を隠しきれず、素を晒してしまっていたアイヴィーだが、今この場では、これまで培ってきた完璧令嬢の仮面をしっかりと被っているつもりだ。それも大概、グレイソンと応接室へ入る時には、何故かルイスも後ろをついてきて、アイヴィーの傍に控えていることが多いからだが……
──そういえば、今日はルイスがいないわね
グレイソンから見えない所で、入ってこなくていい! と散々言っても、頑として「同席します」と言うルイスは、あれ以降の訪問時もほとんどアイヴィーの傍に控え、二人のやりとりを見ていた。
二人のやりとり、というか……明らかに目的はグレイソンなんだろうけど。
現に彼は、毎回グレイソンが訪れるという知らせを受け取るたび、見るからに期待感をつのらせて目を輝かせていた。一度、ルイスが非番の時にグレイソンが訪れた事がある。その際、邸宅を後にするグレイソンと丁度門のところですれ違ったらしいルイスは、「どうして教えてくれなかったんですか!」と嘆き、アイヴィーの目の前で膝から崩れ落ちた。
厄介だ。非常に面倒くさい。
「……──で、彼は関係ないかと」
「わかった」
今回もアイヴィーから情報を得た後、いつものように報酬の布袋を机の上に置き、部屋を後にするグレイソン。アイヴィーは、扉の閉まる音を聞いて、ふぅ……と息を漏らし、肩の力を抜いた。
そして、両手でガッと顔を掴み、前かがみになって唸る。
──ンンン~~~~ッ!
あの日、急に始まったグレイソンからのハニトラによる近距離での会話と接触。完全に優男を演じ、大事な人を見つめるかのようなあの視線は、それはそれで興奮し動揺を隠せないものであったが、今のこの状況は……!
アイヴィーが大好きだった、原作そのまんまの推しが目の前で息をして瞬きをして話して、そんな推しと私が会話して……ッ
「なんていう夢……ッ」
手に覆われたアイヴィーの声はくぐもっていた。
特に最近のグレイソンの破壊力は凄まじいのだ。初めの頃は、警戒するようにじっとアイヴィーを見て、姿勢を崩さず黙って話を聞き、無表情に必要最低限の言葉だけを答えていた。しかし、今日は……!
──お茶を……飲んだ!!
今までも出してはいたが、全く手を付けていなかったのに……!
それも、今回聞かれた内容は、さすがに全て覚えていられるようなものではなかった。そのため、アイヴィーは一度退席し、公爵家の保管室へ行き資料を確認していた。必要な情報を頭に入れたアイヴィーが応接室へ戻ると、そこには部屋を出る前と何ら変わらない推しが居た。
だが、アイヴィーの目はしっかりとそれを捉えていた。
──減ってる。
グレイソンの前にあるティーカップに入れられているお茶の量が。
飲んだのだ。グレイソンは、アイヴィーが席を外している間に、お茶を飲んだのだ。
なんで!? 居るところで飲んでよ!
一体どんな顔で何を考えて飲んだのだろう……。
ここでアイヴィーは普通に喉が渇いたから、とは考えない。なぜならば、グレイソンという人間を前世で引くほど考えて生きていたからだ。
グレイソンはこういった場で、他人の入れたものを口にするはずない。基本的に他人を疑ってかかる彼だ。だけど、今日はお茶を飲んでいた。飲んだところは見れてないけど! でも、それって……
──ちょっとは信用されている、って事では……?
じわじわとこみ上げてくる、この感情は何だろう。
アイヴィーは顔を綻ばせて、言葉にならない声を口を閉じたまま叫び、そのままソファーに勢いよく倒れこむ。直後、すく……っと静かに身を起こす。
今、アイヴィーの目の前には、その推しが飲んだティーカップが置かれている。
ゴクリ。
喉を鳴らしながら、今日のグレイソンのハイライトを思い返すアイヴィーだったが……
──ハッ!
そういえば、毎度情報を得た後はスッと席を立ち、さっさと帰ってしまうグレイソンの姿を、いつも応接室で見ているだけだけど……玄関先まで見送るべきなのでは!?
思えば初めてグレイソンが公爵邸を訪れた時は、動揺もあり机の上のお金を見ながらポカンとしているうちに、彼は帰ってしまっていた。それ以降の訪問時も、完璧令嬢の仮面を崩すわけにはいかないと踏ん張っていたため、応接室からグレイソンが出ていくのを確認したと同時に、自然と張っていた気が抜けたアイヴィーは力なくその場に座り込んでいた。
この事実に気づき、グレイソンの後を追いかけるように部屋を出るアイヴィー。使用人たちが数人、玄関先へ集まっている。
遅かったか、今から行っても……と思ったアイヴィーは、使用人たちの間から見えた彼の姿を見て、思わず「え」という声を漏らした。
玄関先で、壁際に立ったルイスが、グレイソンを睨むように何かを話している。
「ルイス!」
アイヴィーは慌てて強い口調で彼を呼ぶ。こちらを振り向いたルイスは、態度を改め、騎士らしい姿勢で駆けてきてた。
「何してんのよ」
「お見送りを」
明日も来るみたいですよ、と言ってきたルイスを、アイヴィーがギッと睨む。すると、彼は目を輝かせて「お仕置きですか?」と可愛い顔でひょこひょこと後をついてきた。
「……なんで嬉しそうなのよ」
そして、なんで私がそんなご褒美をあげないといけないのよ。
明日も来るって何のために……今日聞けばよかったんじゃないの? と疑問に思うアイヴィーだったが、推しとのやりとりに気を張っていた事よりも、いなきゃいないで何をしでかすか分からないルイスに疲れ、はぁ、と大きなため息をついた。
*
翌日、公爵邸の応接室のドアを開けたアイヴィーは、いつの日かのようにポカンと口を開けて固まっていた。
そこには、もはや彼がここにいる光景にも慣れ始めた、グレイソンの姿がある。しかし、彼はいつものようにソファーには腰かけておらず、その後ろに立っている。その理由は、ここ最近、彼がいつも座っていた場所に、レオナルドが座っていたから。
「言ったじゃないですか、明日も来るみたいですよって」
──レオナルドが来るとは聞いてないけど!?
どういうことだと、視線を送るアイヴィーに、そっと耳打ちするルイス。
「それで、今日は何の……」
「今日は情報をもらいに来たわけではない」
ひとまず落ち着こう。
今更遅いと思いつつも、冷静を装って向かいのソファーへ座るアイヴィー。そして、その後に続き、傍に控えるルイス。
「週末の式典で、君をパートナーにしたいと思っている」
「……その件はお断りしたはずですが」
そんなことを言いにわざわざ来たのか?
「祝賀会では君と踊りたいのだが」
「ご冗談を」
丁寧な誘いの言葉さえ、スパンッとはたき落とす勢いで拒否を示すアイヴィー。その姿勢に、はぁ、と息を吐いたレオナルドは、先ほどまでの王子の顔は脱ぎ捨て、荒い言い方をする。
「なぜそんなに、俺の婚約者になるのが嫌なんだ?」
「どうしてそんなに、私にばかりこだわるのですか?」
他にもたくさんご令嬢はいるでしょう、とアイヴィーも少しうんざりした態度を隠さずに言えば、レオナルドは嘲弄した様子で答える。
「知ってるだろう。表ではどんなに飾った綺麗な言葉を紡ぎ、涼しい顔をしていても、いざ裏を知れば目も当てられない連中ばかりだ」
「……私も殿下が仰るような、目も当てられない腐りきった人間の一人に過ぎません」
声のトーンを落とし、どこか自嘲気味に答えるアイヴィーにレオナルドは、「はっ、なにを」と鼻で笑う。
「私は知っているぞ」
「?」
「スペンサー嬢。君が社交界に顔を出さない期間、何をやっているか」
「……」
レオナルドが公爵邸に駒を送り込んでいるのは知っていたが、まさか外でも……? 外出時も一応周りを警戒していたが、何か見られていたのか。
身構えるアイヴィー。
しかし、ソファーに深く腰掛け、視線を横へ逸らしながら続けたレオナルドの言葉に、アイヴィーは困惑することになる。
「孤児院へ行って子供たちの世話をしたり、困っている商人を助けたり」
──……ん?
「一番驚いたのは、奴隷売買をしていた組織を競売会場ごと潰したことだな」
「……!」
「一人で会場へ潜入し、たった一夜で組織を壊滅。会場にいた顧客である貴族たちをもすべて把握し処罰を求めた上、奴隷たちも存分に満足のいく形で開放していた。何人かの行方はこちらで追えなかったが……おそらく公爵家にいるんだろう」
アイヴィーの驚いた顔に気を良くしたのか、レオナルドは得意げに語っている。
なんか全部イイ感じに結論付けてくれているな。
──そういうことに、しておこう。
実際は計画して潜入したわけではなく、直前に大きな親子喧嘩をしていたアイヴィーが家出をした末、ふらついて紛れ込んでしまっていたわけだが……。
何がなんだか分からないまま流されて入った会場は、奴隷を売り買いする競売所だった。自分一人ではどうにもできないと判断したアイヴィーは、ベルに応援を求めようと連絡したのだが、その通信現場を父のスペンサー公爵に見られており、いつのまにか、公爵家の騎士と部下を大勢引き連れた父が、現場を訪れる流れになっていた。
そして、悪は絶対許さんマンのスペンサー公爵は、人身売買に関係した人間全てを捕らえたのだ。金を出すから見逃してくれと懇願する貴族を、感情のない目で見降ろし、無言で部下に連れて行かせるスペンサー公爵の姿は酷く冷酷で、一体どちらが悪者なのか、一瞬分からないほどだった。
最後の一人を連行した後、アイヴィーへと目を向けたスペンサー公爵の顔は、お前なんていつでもこうやってひっ捕らえて連れ帰れるぞ、とでも言っているかのようで……。アイヴィーは家出を諦め、そのまま父と部下たちと一緒に公爵邸へ帰ったのだった。が、結果だけ見れば、アイヴィーが率先して奴隷売買を行っていた組織を壊滅させたように見えなくもない。
「しかし、アレにはたまげたな」
「?」
「会場で、君が舞台袖まで出て行ったことだよ」
──……!!
「確か、色白の少年が競売にかけられた時だったな」
あ、ぅ、ゎ、え…っ
レオナルドを前にして、アイヴィーは言葉にならない声を漏らしそうになる口を、片手でふさぐ。しかし、そんなアイヴィーの様子には気づいていないレオナルドは、淡々と話し続ける。
「まさか、次々と提示されていく金額よりも、2桁ほど多い金を舞台上へと投げ捨て、その少年を強引に手にするとは」
──ァアアアァッ
顔を両手で覆い隠し、体を丸めるアイヴィー。
あの時、奴隷売買の組織を殲滅させる上で、顧客一人逃さないと意気込んでいたスペンサー公爵が、あたり一帯を公爵家の騎士と部下で固めるまで、会場内で大きく注目を集めておく必要があった。
実際、あの行動によって、会場内ほぼ全ての人がアイヴィーに注目していたし、結果、突入が成功したのだが……
──でもまさかアレを見られていたなんて!
あの後、公爵家の部下にも言われていたのだ。奴隷売買の組織を顧客もろとも締め上げた後、舞台に散らばった金貨を気だるい様子で一枚一枚拾い集める公爵家の部下に、ここまでする必要はあったのか、と。
……魔が、魔が差したのだ。
禁止された人身売買。舞台へと上げられた見目麗しい美少年。次々と上げられる札と、跳ね上がる金額。湧き上がる会場。この会場内にいる多くの人間がわが手にと望んでいるあの美少年を、圧倒的な金額を叩きつけて奪い取るあのシチュエーション……。
せっかくだから一回やってみたかったのだ。丁度手元には家出した際に持ち出した、アイヴィーの資金が詰め込まれたケースがあった。正直、こんなチャンス滅多にないと思ったのだ。
アイヴィーは、ふっと意味深なため息をついた後、ゆっくりと目を開け、「分からないなら知らなくていい事です」と誤魔化していた。その通りなのだが、なんとも神妙な顔をしていたため、無駄に深読みをさせられた部下だったが……。部下だったから、あのような誤魔化しも特に追及されなかったが……。
「しかし、あそこまでの演出をしたのはどんな意味があったんだ?」
──ほら! やっぱりきかれた!!!!
「……分からないのなら、知らなくていい事です」
アイヴィーは、恥ずかしさに震えながら、目を背けてそう答えるしかなかった。そんなアイヴィーの様子を不思議に思いながらも、レオナルドは視線を彼女のすぐ後ろへ向け、「しかし」とあげつらうように言う。
「随分と立派になったものだな」
先ほどまでの、得意げに話していた声色とは打って変わったレオナルドの声に、アイヴィーは顔を戻した。
「あの時の奴隷が、今や護衛騎士とは」
随分と物好きな令嬢もいるらしい。そう言ってアイヴィーに向き直ったレオナルドは、おどけたように笑う。
あまりにも見下すように馬鹿にした態度だ。自分の傍に控えるルイスは、キュッと唇を噛み締め、小さく震えている。その姿を横目に見たアイヴィーは息をのむ。
自身の生い立ちと助けてくれた主人まで馬鹿にされ、怒りに震えているか?──と思うレオナルドだったが、そうではない。
「おやめください」
アイヴィーは立ち上がり、レオナルドをまっすぐと見据えて言った。見下ろす形になってしまっているが、仕方ない。
「いくら殿下といえ……いいえ、殿下だからこそ。いずれ皇帝陛下として人々の上に立つ者が、みだりに他者を貶めるようなことを口にすべきではないかと」
アイヴィーは、鋭い目つきでレオナルドを一瞥すると、「失礼します」と言ってルイスの手を掴み、部屋を出ていく。
部屋を出て、そそくさと早足で歩くアイヴィーに、余裕の歩幅でついてくるルイスは、まだ顔を伏せたままだ。
「……ルイス」
「はい」
アイヴィーは立ち止まり、振り返る。「先に部屋に戻り」まで言いかけたアイヴィーの言葉は、かぶせられたルイスの声にかき消される。
「はーーーーっ! たっっまんなかった……あの卑しいものを見るような、蔑んだ視線!! 声もいい! 殿下の声ははっきり通るから、まるで体全身を突き刺されたようだった!!!」
興奮気味に目を輝かせてそう言うルイスを、アイヴィーはひどく冷めた目で見ていた。
レオナルドの前でこうならなくてよかった。
もしも、レオナルドにルイスの本性が知られてしまえば、公爵家の護衛騎士はみな変態なのか?と、バカにされる事だろう。奴に弱みを握られたくはない。
自分の事は棚に上げているアイヴィーが恨めしそうに、「あんたグレイソンがいいんじゃなかったの?」と言えば、「いやぁ、殿下も以前拝見した時は、まだまだ子供だなぁって思ってたんですけど、結構成長してましたね! 威厳というものが感じられて、言ってることはガキっぽいのに、上に立つ者という風格とオーラがあって、気圧されて興奮してしまいました」と、興奮気味にやや早口で答えたルイス。
アイヴィーは、どこから目線だ。と心の中でツッコミながら、「あ、そう……」と、返した。