10.訪問と公爵家騎士
「ご、ご用件は?」
「情報が欲しい」
その日、公爵邸の応接室には、向かい合って座るアイヴィーとグレイソンの姿があった。
*
「それじゃあ10日くらいで帰ってくるから」
「せっかくテイラーさんに会えるのだから、もっとゆっくりしてくればいいのに」
公爵邸の前につけられた馬車の傍には、上着を整えているテオドールと、そんな彼を見送るために出てきた部屋着姿のアイヴィーがいた。
テオドールは、公爵家へ来る前に領地でお世話になっていた、隣の家に住む婦人──テイラーが体調を崩したという知らせをきいた。丁度、近辺の視察を予定していたスペンサー公爵が、では私の代わりにと里帰りもかねた視察をテオドールへ命じたのだった。目的地までは余裕をみて見積もって、片道2日程かかる道のりだ。気軽に顔を見せに行ける距離ではないため、せっかく向かうのであれば、もっとゆっくりしてくればいいと、テオドールに伝えたアイヴィーだったが。
「でもやっぱり、姉さんが心配だから」
「テオ……」
「姉さん」
テオドールはアイヴィーをじっと見つめ、両肩に手をのせ、ぐっと力を入れる。
「くれぐれも、くれぐれも! 慎みのある行動を心がけてね」
僕がいない間、公爵家に迷惑をかけないように。そう言ったテオドールは、真剣な顔をしていた。
「……分かったわテオ、気を付けてね」
かわいい顔をして可愛げのない事を言う義弟に、アイヴィーはそっとハグをし、頬に挨拶のキスをする。
「本気でやめて」
「……」
そんなアイヴィーの顔を片手でガッと掴み、引きはがすテオドール。顔をしかめてアイヴィーを見ている。……かわいくない。
昔はアイヴィーの後をちょこちょことついてきては、「ねえさま! ねえさま!」と花が咲いたような可愛らしい笑顔を向けてくれて、まるで天使のようだったテオドール。それがいつからか距離を感じるようになり、思春期かな? と思っていたらいつの間にか、こんな顔をするようになっていた。
じゃ、行くから、と言って馬車に乗り込んでいったテオドールを送り出したアイヴィーはアンニュイな気分になった。
こんな日は体でも動かすか、と非番だった公爵家の護衛騎士であるルイスを呼び、剣術の相手をしてもらっていたのだが……
「お嬢様! 大変です!」
パタパタと駆け寄ってくるロージーから、手紙を受け取ったアイヴィーは、その内容に目を通して、驚愕した。
「え」
「応接室の準備はすぐに出来ますが、お嬢様のご支度は……」
「とりあえず簡単なものでいいわ」
アイヴィーは手にしていた剣を鞘に納める。
「ルイス、後片付けを任せていいかしら」
「はい」
アイヴィーはルイスにそう言うと、持っていた剣を預け、自室へと向かう。
「なんでっあいつは、こう……ッ!」
手紙の内容は、皇太子殿下から、突然だが今から公爵邸へ向かうというものであった。先ほど、皇室が飼っている黄色の鳥が手紙を届けに来たのを、ロージーが受け取ったそうだ。一瞬不審に思ったロージーだったが、封筒にある皇族の紋章を見てあわててアイヴィーを探していたとのこと。
──ふざけているのか?
これは事前連絡ではなく直前通達!
相変わらず自分本位な部分がある、それどころか、グレイソンのハニトラ終了以降、アイヴィーの前では全く優男の皮すら被らなくなったレオナルドは、以前にもまして……
──むかつく!
ふつふつと湧き上がる怒りを抑えながら身支度を整え、馬車が到着し使用人たちが動き始めたのを確認したアイヴィーは、最高に作られた満面の笑みで出迎えるはずだった。しかし、
──な、なんで
応接室に入ってきたのはレオナルドではなく、きっともう深く関わる事はないだろうと思っていた前世のアイヴィーの最愛の推し──グレイソン一人であった。
用意されていた笑顔は崩れ、思わずポカン、と口を開けてしまった間抜けな顔を、アイヴィーはその推しの前に晒してしまった。
そんなアイヴィーを、冷めた目で見ながらグレイソンは言ったのだ。
「情報が欲しい」
情報……。
話を聞くと、先日、皇宮内で一通の手紙が発見されたらしい。それは隣国、バングドル王国からのものであると推測されたが、肝心の内容が暗号化されているため、機密情報をやりとりする内通者がいるのではないかと騒動になったらしい。
近々開かれる皇太子殿下の式典も近いため、より一層警備は厳しくなるが、発見されたタイミングも有り、今は皇族宮内全体がピリピリしている現状だそうだ。
「皇宮の敷地内で、毛色の違う鳥を見たと証言も受けている」
「あぁ、キャンベル夫人ですか?」
「……?」
青い手紙、ですよね?
そう言ったアイヴィーに、グレイソンは口を噤んで、じっと視線を送る。
「あれは反逆や、何かを企てているわけではありません」
隣国の王子、グレイスは幼い頃に旅の途中で賊に襲われた。そこへ偶然通りかかったキャンベル夫人に命を救われたのだ。
女性でありながらも、勇敢に立ち向かっていく彼女の姿に心を奪われた王子は求婚するが、歳の差も有る上、すでに結婚していたキャンベル夫人からは子供のようにしか扱われず、相手にされなかった。それでもめげず、せめてもと手紙を送ることを許された王子は、いまだに夫人を諦めていないのか、それとも吹っ切れて良い友好関係を保っているのか、そこまでの事はアイヴィーにはわからないが……
──確か鳥と暗号を使ってやり取りしてるって言ってたなぁ
特に重要な事でもないし、殿下の式典が近づいて気が張っている今、余計なことに割く時間は無いほうがいいよね。
そう考えたアイヴィーは、すんなりとグレイソンに話してしまった。
アイヴィーからそれを聞いたグレイソンは、視線を逸らすことなく、黙ったまま彼女を見つめる。
「……」
──な、なんだろう。
他に何かあるのかな。
おそらく彼が知りたかったであろう事を伝え終えたはずなのに、なんのアクションもなく、ただじっとこちらを睨むように見続けているグレイソンに、アイヴィーはたじろぐ。
「……お前は」
アイヴィーに向けて、訝しげな視線を送りながらも口を開くグレイソンだったが、扉を叩くノックの音に、次に続く言葉は遮られた。
「! ルイス」
失礼します、と扉を開けて入ってきた少年の名をアイヴィーは呼んだ。先ほどまで剣術の相手をさせていた彼は、ここへ来るまでに道具を片付け、身だしなみを整えてきたのだろう。非番であったため、先ほどはラフな服装をしていたはずなのに、今はきっちりと公爵家騎士の制服を着用していた。
「旦那様とテオドール様がご不在の間に、お嬢様に何かあってはいけませんので」
そう言ったルイスは目を細め、ソファーに掛けているグレイソンの方を見下すように一瞥する。
ふわっとしたオレンジベージュの髪をもつルイスは、中性的な顔だちをしており、背もアイヴィーとさほど変わらない。そんな彼の、まるでグレイソンを侮蔑するかのような態度に、アイヴィーは思考する。
──……?
「公爵家の騎士は主人の許可もなく勝手に部屋に入るのか」
「私の主人は旦那様ですので」
誹議するグレイソンの言葉に、素知らぬ様子でスッと自分の斜め後ろに立ち、そう言い放つルイスを不思議に思いながら、アイヴィーは黙って様子を見ていた。
なんなんだ。
ピリッとしたような、少し重い空気を感じつつも、しばらくして、グレイソンは懐から布袋を取り出し、それをドスッと音を立て机の上に置いた。
「……これは?」
「謝礼だ」
グレイソンはそういうと立ち上がり、扉へと向かう。部屋を後にする直前、こちらを見下ろす形で視線よこしたグレイソン。
──……ンンッ
推しの蔑むような視線……。ハニトラをしている時のような、感情のこもった可愛い推しでもなく、それ以前の、視線すらよこすことがなかった無表情に無関心な推しでもない。まるで、原作で好きすぎるあまり繰り返し何度も見ていた、あのワンシーンのような推しの表情!
アイヴィーは震えていた。
ハッとした時には、もうグレイソンの姿は見えなかった。アイヴィーは目の前に置かれた布袋を見る。「謝礼だ」そう言ってグレイソンが置いていったお金。見た感じ相当な金額ではあるが……
──謝礼……
推しは私を情報屋か何かだと思っているのか? まぁハニトラするよりは、お金渡した方が簡単で楽だよね。この前レオナルドが言っていた「協力してほしい」ってこういう事?
グレイソンが置いていった布袋を見つめながら考えるアイヴィー。
──お金……
推しからお金をもらってしまった。どうしよう。逆課金だ……。
アイヴィーはしばらく悩んだ末、それは自室の机の上にそっと飾っておくことにした。
「……で、」
アイヴィーは振り返り、先ほどから黙って後ろで控えているルイスを見る。グレイソンが部屋を去ってからどれくらいたったのか。その間、一言も発さず、ただ静かに傍で控えていたルイス。
「なんで入ってきたの?」
「お邪魔でしたか?」
アイヴィーの質問に、ルイスは可愛い顔を傾けて聞き返す。あざとい。
少しの沈黙の後、まぁ……そうね、と答えれば、少年は一度目を見開いた後、にこりと笑った。
「だって! アイヴィーお嬢様だけずるいじゃないですか! あんな、いかにもドS鬼畜っぽい騎士に攻め立てられるなんて!」
少年はドMであった。
「………」
黙って生ぬるい視線をおくるアイヴィーに、ルイスは構わず話し続ける。
「あぁ、さっきの部屋を出ていく瞬間の眼差しを見ました?! あんな目でみられるなんて……はぁっ、興奮します」
顔を高揚させ、胸元に手をやり熱弁するルイス。
その気持ちはわからんでもない、わからんでもないが、人間誰しも自分よりヤバい人を見ると、ちょっと落ち着ける。冷静になれるのだ。
それに私は、相手が推しだからこそ蔑むようなあんな目にもテンションが上がるわけで、虐げられたいと思っている目の前の少年とは、抱いている感情が根本的に違うから一緒にしないでほしい。
貴方の性癖で推しを汚さないで!
アイヴィーの嘆きは、すぐそばでまだ一人でしゃべっているドM騎士に届くことはなく、ただ静かに胸の内に飲み込まれていった。