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防潮堤  作者: ゆずさくら


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9/21

(9)

「モッズコートの奴がうろついています。とりあえず中に入りましょう。中でも電話できますよね」

 現場監督は迷惑そうな顔をして、もう一度手で追い返すようなしぐさをする。

「いいから、戻れ。中じゃ話出来んのだ」

 何か会社からの特殊な命令があるのだろう。とにかく中に入れの一点張りだった。

 俺は中から『モッズコートの男』を監視することにした。

 無言で事務所に戻って、中から外を見つめる。

「どうしたなぁ」

 佐藤さんが俺の様子をみて声をかけてきた。

「何か嫌な予感がするんです」

「どんな」

「さっきモッズコートの男がいたんです。あいつがこの騒ぎの元凶だと思うんです」

「海に流れ着いた男が動き出したって、やつなぁ」

 佐藤さんは窓際まですすんで、あちこちに視線を走らせる。

「いねなぁ」

「あれっ?」

「どうしたぁ」

「監督が、現場監督がいなくなってる」

 さっきまでたっていた位置にいないだけかも。俺は事務所内の窓に沿って歩き、どこかに現場監督がいないか探す。

「監督がいないってぇ。誰かぁ、見てねかぁ」

 と、佐藤さんが大声を出す。

「んぁ、ああ?」

 事務所に入った作業者が互いに顔を見合わせて、首を横に振り、窓の外を見る。

「やけに人がすくないな」

「そうだな。そんな気すっな」

「人が少ない……」

 俺にはこの町の日常が分からなかった。どれくらいの時間に、どんなひとが、どこを歩いているのか。自然な状態なのか、不自然なのか。

「現場監督を見ませんでしたか?」

「そこで携帯で電話してたなぁ」

 いや、だからその後だ。ちょっと目を離したすきに、消えてしまったのだ。いったいどこに消えた……

「キャー」

 山岡さんの叫び声。そして、ドアがガタンと閉まる音がした。

「どした!」

 佐藤さんが山岡さんに駆け寄る。

 山岡さんはしりもちをついて床に座っている。膝が少し震えている。

「か、監督っ」

 山岡さんは事務所入り口の扉を指差す。そこに監督の姿はない。

「いねけど……」

 佐藤さんが山岡さんの指さすところを理解して、扉に近づいて、上から見下ろす。

「いたっ!」

 ガラッと扉を開けると、俺が呼ばれる。

「橋口さんっ、監督いた。手伝って」

 事務所のドアに背中をつけて、足を延ばしている監督がいた。

 窓から遠くを見ていたために、真下にいた監督に気付かなかったのだ。

 近くには血だまりが出来ていた。

「手首から先がない」

 佐藤さんがそう言うと、俺は目の前が白くなって、見えなくなっていき、気が遠くなっていった。

「誰か包帯! おい! どうした、どうした橋口!」




「……さん。……ぐちさん。……橋口さん? あっ、気が付いたのね?」

 まじかに山岡さんのビビッドな赤の口紅が見えた。俺は今どこにいるのかが分からずに、慌てて体を動かした。

 ゆらっと()が動く。その揺れを山岡さんが両手で抑えてくれる。

「えっ?」

「ごめん、あんまりいい机(・・・)じゃないから、揺れるよね…… あれ? もしかしてどうなったのか覚えてないの?」

 俺はこめかみに指を当てて出来事を思い出す。

「現場監督…… 監督が外で血を流して倒れていて」

「そうよ。同じタイミングで橋口さんが倒れたの」

「で、ここは?」

「事務所よ。事務所の長机の上。ほら、同じように監督もあそこにいるでしょう?」

 山岡さんが指さした方を見ると、同じように長机の上に毛布が敷かれ、その上に現場監督が横たわっていた。

「救急車を呼んでるんだけど…… ちっとも来ないの」

「もう一度電話かけろ、どうなってるんだ」

「かけてるって、つながらなくなったんだ」

「警察も消防も出ないぞ」

「ネットもつながらない」

 現場監督の腕に巻かれた包帯は真っ赤になっている。 

「あの、何分ぐらいたったんでしょう?」

「うーーんと」

 山岡さんが右手の内側を顔に向け、時計の文字盤を読んでいる。

「三十五分、四十分ぐらい、かな」

「!」

 山岡さんが俺の顔を見て手を顔の前で払う。

「何、この匂い」

「生ごみというか…… 腐臭?」

 ガタガタと長机が振動する音が聞こえる。

「ちょっと、橋口さん」

「俺じゃないです…… か、監督を見てください」

 長机に横たわっている現場監督が、全身が痙攣するように小刻みに振動している。

「監督? 大丈夫ですか?」

 周りにいた作業員が気付き、監督の体を抑える。

「AEDを、監督の様子がおかしい」

 ガタガタという振動が激しくなるばかりだった。

「あ、あれ…… 」

 俺は長机の上で上体を起こした。そして、監督の顔を指差す。

「蛆が、蛆みたいのが目から……」

 涙のように目の周りから白くてうごめく虫が這いだしてくる。

 充血した赤い目の周りから、白い虫が次々と出てくると、顔の上に広がっていく。

「監督! 監督!」

「AEDを持ってきたぞ」

「振動で机から落ちちまうぞ、押さえつけろ」

「早く、AEDを」

「痛っ!」

 監督が一人の作業員の腕にかみついていた。

「痛いっ、痛い!」

「監督、監督っ!」

 何人かの作業員が監督のあごを開いて、なんとか腕を離すが、噛まれた作業員の作業着は破れ、見えている腕は、肉がそげていた。

「きゃぁーーー」

 山岡さんが頭を抱えて、後ずさりする。

「痛いっ、痛いっ……」

 そう言って、腕の肉をかみちぎられた作業員は、腕を抑えている。

「包帯、包帯」

「AEDを動かせ」

 AEDの機械音声が事務所に鳴り響く。

『電気ショックが必要です。充電しています。体から離れてください』

 チャージしていることをわからせるような音が鳴り響き、

『電気ショックを行います。三、ニ、一』

 監督の体が、釣り上げたばかりの魚のようにのたうつ。

「えっ?」

 AEDのパッドの周りから、黒い煙が上がり、焦げ臭い匂いが広がる。

「か、監督?」

 監督は長机の上で上体を起こした。

 こぼれ落ちる蛆虫。

 血まみれの口を開き、食いちぎった作業員の肉を吐き捨てる。

「きゃあーーー」

「に、人間じゃない。もう人間じゃない」

「落ち着け」

「監督っ! 俺が分かるか?」

 作業員が問いかける。

『心電図が変化しました。電気ショックを中止します』

 監督は、AEDの電極を胸から引きはがそうと、胸に爪を立てる。

 メキッと嫌な音がすると、その爪は胸の皮と肉をいっしょに削り取ってしまう。

「監督、監督ぅーーー」

 はだけたシャツから除く胸は、そげた部分以外も、つややかな肌色から青黒く腐ったようにくすんでいく。

「もう、こいつ監督じゃないなぁ。叩き出さねぇと」

 全員が振り返る。

「何言っているんだ、佐藤」

「これは監督じゃないなぁ。ゾンビってやつなぁ。皆も映画とかで見たことあるろう?」

 佐藤さんはどこからか持ってきた『さすまた』を手にし、監督の腹に向けていた。

「佐藤、ゾンビなんて人が考えた想像の産物だ。作り物なんだよ」

「じゃあ、監督(これ)はなんていうかなぁ。生きてる人間の目から(うじ)わくかぁ」

「……」

 周りにいる人間は反論出来なかった。その静寂を破り、山岡さんが叫ぶ。

監督(ゾンビ)は追い出してっ!」

 その声で、作業員の意思が統一された。

 先回りして事務所の出入り口を開け、全員が監督から距離をとる。

 佐藤さんがさすまたを使って、長机から突き落とす。

『んぉお……』

 もう監督の声、人の言葉ではない。何か異形のものの呻きになっていた。

「みんなどけぇ」

 佐藤さんは一切の容赦なく監督だった者の腹を押し込んでいく。開いた扉から、監督(ゾンビ)を追い出すと、言った。

「そらしめろぉ」

 扉の近くにいた作業員が素早く扉を閉めて、鍵をかける。

 しばらくすると、監督が扉の外で立ち上がる。

 さっきより顔の形が崩れている。左目が飛び出し、ぶらぶらと左右に揺れている。蛆は口からもあふれだしていた。

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