(8)
事務の女性の山岡さんが、少し焦った表情で電話をかけている。
「出て、出て……」
『おかけになった電話番号は現在電波の届かない場所か、電源がはいっていません……』
電話からそう音が漏れている。
「あっ、監督」
作業着に着替えている一人が呼びかける。
「安藤がいないんです」
「安藤が?」
「いま携帯にもかけたんですけど、圏外みたいで」
山岡さんがそう言った。
「安藤は寮だよな。あいつ何号室だ?」
監督が言うと、山岡さんが答える。
「えっと……」
「六号室です」
作業着の男がそういう。
「俺の隣の部屋?」
「……とにかく行ってみよう。山岡さん、俺たちは先に行ってるから、マスターキーを持ってきて」
作業着の男と、現場監督が出て行く。山岡さんは保管用のボックスから、寮のマスターキーを探している。
まさか、昨夜の物音は安藤さんという人が何かされている音だったんじゃ…… そして、窓に顔を押し付けたり、扉を叩いたのはその安藤さんだったんじゃないのか。俺はそう思って怖くなった。俺が扉を開けていれば救えていたのかも。
山岡さんがマスターキーを取り出すと、事務所を出て行く。俺は無意識に後を追っていた。
「安藤! 安藤いたら返事しろ」
現場監督がドアをノックしている。中からは返事がない。
「マスターキーを持ってきました」
山岡さんから受け取ると、現場監督は周りに同意を得るように視線を配る。一人一人、首を縦に振っていく。
「開けるぞ」
カチャリ、と軽い鍵が開く音がして、現場監督が扉を開ける。
全員が何かが出来るのではないか、といったように、扉から離れる。
現場監督がそろりと前に出て、扉から部屋の中をのぞく。
「いるか? 安藤いるか?」
答えは返ってこない。むなしく部屋の中に響くだけだった。
「何か、壊れてないですか?」
俺は昨日隣の部屋から聞こえてきた大きな物音のことを話した。現場監督は靴を脱いで、部屋の中に入るが、低いちゃぶ台とでも言うべきテーブルが置いてあって、それ自体はこわれたような様子はなかった。
「このテーブルだと、椅子はなかったろうな。お前は安藤の部屋を見たことあるのか?」
「いいえ」
作業服の男がそう答えた。
俺の服の背中を、山岡さんが引っ張る。
「ユニットバス…… そっちも確認して」
山岡さんは俺の背中に、隠れるようにしていた。
「そ、そうですね」
俺は監督に言って、ユニットバスへの扉に向かった。
「こっちにいるかもしれないです」
「……」
皆が唾をのんだように思えた。
おそらく皆が思ったのはこうだ。
ロープなどで首をつっている。もう一つは、水が張って合って溺れ死んでいる。
手がドアノブに触れた瞬間、体がぶるっと震えた。
「あ、開けますよ」
「は、はやくしろよ」
「はい!」
がちゃり、と音がすると、何も見ないうちから全員が後ろに下がった。
山岡さんは、入口から外に出てしまった。
そろそろと近づいて、ユニットバスの中を覗く。ロープはつられていない。カーテンの奥がお風呂と思われた。
「そっちのカーテンを開いて」
「は、はい」
ゆっくりとカーテンを横にずらす。
「いません」
お風呂は水気すら感じない。カーテンも、しばらく濡れたことがないように思えた。
「……」
現場監督が言う。
「よし、じゃ、いったん全員外に出て」
俺と作業服の人、最後に現場監督が部屋からでて、現場監督が鍵をしめ、確認するようにノアノブを持って、がちゃがちゃ動かした。
「死んだとか、そういうわけではなさそうだな。よくあるあれだ、仕事がいやになって逃げちゃった、ってやつ」
「……」
妙に納得したように山岡さんが首を縦に振る。
「最近は少なかったが、一時は一週間で何人やめたっけ。しかも無断で」
話を振られた山岡さんが指を折って数える。
「あの時は一日一人ずつやめてますよ。だから五人」
「そうか。なら、今日はまだ一人だし、なんてことはない」
「本当にそんなことあるんですか? 何も言わずに仕事をやめちゃうなんてあり得ない」
山岡さんが胸の前、というか胸の下に腕を組んで、言う。
「そうでもないのよ。逃げるように辞めるから、やめる時は無言で消えちゃうの。後で連絡すると『もう俺仕事辞めますから』なんて言うのよ。その時なんか、五人が五人そうだったわ」
「まあ、まだ朝の段階で、ちょっと連絡なしにどこかに出かけただけかもしれないから。今日一日、連絡がくるのを待ってみよう。な」
全員が首を縦にふるように、現場監督が視線を振っていく。
作業服の人、山岡さん、そして最後、おれも首を縦に振った。
「よし。そしたら事務所に戻ろう。橋口くんは着替えてな」
朝礼の時間になっても、作業員の数がそろわない。
安藤さんがいないだけではなかった。安藤さん以外に、七名ほどの従業員が来ておらず、連絡も取れない状態だった。作業者全員の三分の一に相当する人数だった。
「……緊急事態と館得る。朝礼は事務所の中でやろう。全員いったん事務所に入ってくれ」
現場監督がそう言うと、ぞろぞろと作業員が向かっていく。
「なんかやべぇなぁ。本当に北の工作員きたなぁ」
佐藤さんが俺にそう言った。
「北の工作員なんて冗談言っている場合じゃないですよ。こんなにいなくなるなんておかしいでしょ」
「悪いけど冗談で言ってるつもりないよ」
「えっ?」
「じゃ、警察を呼ばないと……」
「北の工作員じゃなくても、警察呼んでいいような事態だぁ」
ま、そうか、と俺は思った。これだけの人が失踪したとなれば、北の工作員の仕業ではなくても、何かあったとしてもおかしくないだろう。
「監督、警察に連絡を……」
監督が手を出して止めた。現場監督はもう一方の手で携帯を持ってどこかと話している。
「そうです。今回八名が…… はい…… 警察はまだ呼んでません…… えっ、ですが……」
おそらく会社、上席の人と会話しているようだった。
「届け出とか…… えっ、現場作業を続行って…… 無理です。とりあえず、警察に連絡…… えっ? それはどういうことですか? はい…… はい。わかりました」
通話が切れたようだった。現場監督は困惑した表情だった。
「ほら、みんな事務所にはいって」
「会社からなにを言われたんですか」
「そんなことを気にしてもしかたない。ほら、早く事務所にはいって」
俺は食い下がった。
「とにかく警察に連絡を」
「今回の件の警察への連絡は会社側がしてくれる。あと、今聞いたんだが、捜索依頼は会社からは出せないんだ。だから家族へ連絡して、捜索依頼を出すか、それぞれの家族に任せるしかないそうだ」
警察へ連絡を会社がしてくれる? 何か怪しい感じがした。確かに同時に数名が出社しなかった、というだけなので、警察が来てどうなる事案でもないのだが…… 安藤さんの部屋にしろ、その他七名の部屋にしろ、警察が調べればなにか分かるかもしれない。
「ほら、わかったら事務所に入れ」
「は、はい」
と同時に、ドン、と背中を叩かれ、俺はよろめきながら事務所に入る。
「監督、また会社に電話してるのか」
と事務所内の人が言うのを聞いて、事務所の中から、現場監督の方を振り返ると電話をしていた。
「えっ?」
並び立つプレファブとプレファブの間に、一昨日のモッズコートの男が見えた。
「やばい!」
俺は慌てて、事務所の外に出た。
「監督、そこにいちゃだめだ。モッズコートの男が近くにいる」
「何? モッズコート?」
現場監督は、スマフォのマイク側を手で押さえて、俺を追い返すようなしぐさをして言う。
「中に入ってろ。中で話するから」




