(21)
「二人が寝ている間に、佐藤は山岡さんと結ばれたくなった。力ずくで行為に及ぼうとしたのだが、山岡さんも抵抗する。すると、佐藤はポケットにあった『缶』を開けて山岡さんにかけた」
「ゾンビ化する『薬液』のこと?」
「その通り。『薬液』をかけられた山岡さんはパニックになった。そこで佐藤はこう言ったんだ『ゾンビ化を止める方法を知っている。人間でいたかったら俺の言うことを聞け』って」
犀川さんは頭を手で押さえながら、怒りの表情を浮かべる。
「……最低」
「そして、あの場で行為に及んでいたのさ。山岡さんは途中でヤバいと感じたのか、スマフォでずっと動画を撮影していたようだ。結局解毒薬があったのかなかったのか、山岡さんはそのままゾンビ化してしまった。ゾンビ化しても俺にその事実を伝えようと、スマフォを握ったまま俺に向かってきた」
「佐藤が手を叩き落した時?」
「そう。なぜ山岡がスマフォを握ったまま俺に向かってきていたのか、なにかあるに違いないと思った」
「佐藤も山岡さんの手首を叩ききったって事は、何か勘付いていたのかも」
「そうかもな」
俺は言葉を切った。
しかし、犀川さんがずっとこっちを見て何か言いたげだった。
「もう一つの話は?」
「?」
「あなたがゾンビ化してなきゃならない、って話」
言いながら、犀川は俺との距離を取った。いや俺が勝手に距離を取ったように見えただけかもしれない。
心理的な距離が絶望的に離れていくのを感じていた。
「……それ、は……」
自分のなかでも整理がついていなかった。
もしあの寿司屋で使っている『薬液』が、北の国で使っている腐肉を復活させる『薬』ではなく、『ゾンビ化する為の薬液』なのだとしたら、俺がゾンビ化していないのは不自然だった。監督や噛まれた作業員、佐藤が持っていた『薬液』をかけられた山岡さん、それらはもっと短時間で『ゾンビ化』していた。
「寿司屋で、都市部の寿司屋で食った寿司にあの『薬液』を使っていた、と佐藤が言った。だから、俺が『ゾンビ化』していないとおかしい、と言った」
「その寿司屋のことは本当なの」
「『薬液』に浸したネタを使った寿司なのか、そんなところまではわからない。握っているところ見ているわけでもないし、ネタを浸しているところなど、絶対にみせないだろう」
「……北の国で腐肉を食べれるようにした、という薬と同じ使い方だから問題ないってこと?」
「そうだ、と信じたい」
「!」
突然、犀川さんが目を見開いた。
俺を、いや、俺の後ろを見ている。
「ぞ、ゾンビ…… ゾンビが出た」
慌てて振り返ると、腕を真っすぐ伸ばしたまま、ゆっくりと歩いてくるゾンビが……
「な、何体いるんだ!」
「国道…… 方向…… い、いたぃ……」
俺はしゃがみ込む犀川さんに肩をかして、引き上げて、急いだ。
「えっ?」
仮設住宅の影から、次々にゾンビが現れてくる。
ジグザクに避けながら進むと、後ろを追ってくるゾンビがすごい数に膨れ上がってきた。
俺は息が上がって、ゼイゼイと口で呼吸していた。
「ど、どうしよう」
俺は俯いてしまった犀川さんの返事を待った。
しかし、何も返事がない。
疲れたのか、犀川さんの歩くスピードがどんどん落ちてくる。
「ねぇ! このスピードじゃ、いくら何でも追い付かれちゃう」
「……」
俺たちの前に一人のゾンビが飛び出してきた。
「?」
目の前のゾンビは、エプロンをした主婦のような恰好だった。しかし、頬の肉はそげ、しわがが入った皮膚は腐肉のような黒や紫の色に変色していた。
「犀川さん?」
俺の肩をはずれ、両腕を伸ばしてそのゾンビへ向かっていく。
「まさか……」
犀川さんの動きも、ゾンビのそれだった。
おそらく、俺に噛みつかず、正面のゾンビへ向かって歩き出したのは…… 母親。そのゾンビが犀川さんの母親だからに違いない。
お互いを認識したように、一歩一歩近づいていく。そして抱き合う二人。
俺はそんな親子の再会に浸っていられなかった。うしろから後ろから出てくるゾンビを避けながら国道を目指した。
「なんで犀川さんがゾンビ化した?」
すくなくともコンビニの火災の後は、ずっと見ていた。絶対に噛まれていない、と言える。
けれどゾンビ化した。
「まさか、火災の煙?」
そうだ。というより、佐藤に浴びせた『薬液』が燃えた時に揮発した成分を吸い込んだのだ。
「……」
じゃあ、俺は……
「しまった!」
道の段差に気付かずに躓いてしまう。
転んだところに、ゾンビたちが追い付いてくる……
もう、だめだ……
俺は目をつぶった。
どうせ、もうゾンビ化するのは目に見えていたんだ。だから、もう、どうでも。
「〇△、××、△〇#!!$$○○」
「?」
俺が立ち上がれないでいると、突然人の声が聞こえた。
頭が働かないのか、何を言っているかが分からない。けれど、これが目指してきた人の声だった。
と、爆音とともに、銃弾がゾンビを貫いていく。
「えっ?」
自分の声が聞こえないほど、激しい音と光が発せられ、いくつもの弾丸を浴びたゾンビは、肉体を維持できなくなって、崩れていった。
飛び散る体液で、後ろからくるゾンビが転倒した。しかし、転倒したゾンビにも容赦せずに銃弾が撃ち込まれた。
カーキ色の軍服を着た兵隊達は、ゾンビに驚くわけでもなく、ただ淡々と処理を進めているかのようにゾンビを掃討した。
銃撃が止まると、仮設住宅の方に動くものはなくなった。俺はようやく軍服を着た連中が何者かが分かった。
テレビで見たことがある、北の軍隊。
つまり、この地域は北に占領されたというのか……
「××%%&、$#&&△〇△」
俺は銃…… 先端にナイフが付いている…… を突きつけられた。
「ゾンビじゃない! 俺はゾンビじゃない!」
「△○○、◇◇××%&、$#&&△〇△」
駄目だ、言葉が通じない。
通じたとしても、占領した地域の敵国人だ。戦闘中の不可抗力で処理できるから、この場で殺してしまっても問題ない。俺は、道端をあるくアリのようなものだ。
「!$$○○」
「へ?」
殺される、と思ったところを引っ張りあげられ、立たされた。
助かった、と思った直後、俺は絶望した。
メガネをかけた兵士が俺に言う。
「お前はゾンビ化しないみたいだ。我が国の研究所に持ち帰る」
「◇%%□□%&、△△△××△□、%$%&、△△△××△××%□□%%□□%、%□#△□%」
「事務所や、コンビニの監視カメラ、モッズコートの男や、工作員佐藤からの情報で、お前のことは知っている」
「○○×□△$$$、〇×〇×」
「お前は薬液を取り込まず、体から排除した」
まさか、さっきの嘔吐や下痢は『薬液』を体が拒否したせい…… なのか。
「××〇$〇%〇&△△」
「ゾンビになるのとどっちが幸せかな」
そう言うと、北の連中は一斉に笑いだした。
俺は連中の奇妙に歪んだ笑みを見て、ゾッとした。自国の連中の食い物に『薬液』をかけた食べ物を出す連中だ。生きていれば救われる、というのは甘い考えかもしれない。
周りを見て、連中の気が緩んでいないか確認した。
「(今だ……)」
俺は、タイミングを計って、手を頭の後ろに組んだまま海へ走った。
兵士同士が、俺との直線上に、重なりあって、銃撃の開始が遅れる。
さっき掃討されたゾンビの体液に足元を取られながらも、俺は仮設住宅の影を利用し、隠れ射線をかわしながら進む。
兵隊は俺を追ってくる。
俺は同じように住宅をジグザグに縫うように進んだ。
異国の言葉があっちから、こっちから聞こえてくる。このままではやがて回り込まれ、挟み撃ちにされてしまう。
作りかけの『防潮堤』に、海に抜ける通路がある。
俺はその通路に向かった。
回転するプロペラが空気を切り裂く音が響いた。ヘリだ。
「北のヘリコプターも来ているのか…… まったく、自衛隊は何をやってるんだ」
通路にいても捕まってしまう。海にでて、海岸線を逃げるしかないか……
俺は海岸に出て、防潮堤が出来ている南へ向かった。
「なんだ…… 何かいるのか」
波打ち際に何か大きな物体が流れてくる。
「まだ…… まだゾンビが流れ着くのか」
俺はゾッとしたが、戻ることもできなかった。
ヘリがライトを点けて海岸線を照らす。
「ひっ……」
ライトに照らされたのは俺ではなく、壁のようにびっしり並んだゾンビ達の姿だった。
海から流れ着いた死者の群れ……
ライトを広げ、俺の周囲にも光が及んだ。前も後ろも、ゾンビに囲まれている。
もう逃げ場はなかった。
ヘリは銃を撃つわけでもなく、そのままホバリングを続ける。
そう、こうなってしまっては、ゾンビから俺を救うメリットなどない。俺を殺すにしても、手を出す必要はない。弾薬の無駄だ。奴らはただ待っていればいいのだ。
右肩、右足、左肩、左足。
立ち尽くす俺を囲むように、ゆっくりとゾンビが近づいてくる。
真っ先にたどり着いたゾンビが俺の腕を取る。
俺は、そいつを突き飛ばして押し返すが、後ろから来た別のゾンビが俺の首筋に噛みついた。
「うわっ……」
し、死ぬ、いや、ゾンビ化してしま……
違う…… 俺は、ゾンビにならない。ただ単に死ぬだけ。ゾンビ化しないから、ここで死ぬまで噛みつかれて、おしまい。
手を、足を、指を、腹を食いちぎられていく。
目もえぐられた。
俺にゾンビの毒は効かない。だからゾンビは俺に噛みつくことをやめない。
死ぬまでの数分、苦しみ続けるしかない。
もう見ることも許されなくなったようだ。
ゾンビで埋め尽くされた海岸で、俺の遺体を発見してくれるのだろうか。
それすら望みの薄いことに思えてきた。バリバリと骨を砕く振動が伝わてくる。
もう、思考も出来ない。酷すぎる痛みも次々い遮断されていく。
誰に対してというものはなかったが、言葉が浮かんでくる。
ありがとう…… さようなら。
おわり
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました




