(20)
コンビニの中から犀川さんがこっちを見た。
「佐藤。お前は山岡さんに『薬液』をつかったな」
「……」
「俺が寝てしまっていた時にあったことを、山岡さんはこのスマフォで動画に撮っていたんだ」
佐藤は俺に向かってバーナーを向けた。
「ほら、死にたくなかったら黙りな」
「俺をコンビニに入れろ」
「ゾンビは入れない。俺たちの知らないところで、長時間外に出ていたんだ。山岡ゾンビに噛まれなくとも、そこらにいた野良ゾンビに噛まれているかもしれんしな」
「佐藤。最初からそういうつもりだったな」
佐藤はニヤリ、と笑った。そしてバーナーの炎を浴びせてきた。
「ゾンビの疑いがある者には、焼け死んでもらう」
オートドアを手でグイッと開け、佐藤が近づいてくる。俺は後ろに手を着きながら、後ろに下がる。
俺はさっきの山岡さんのスマフォで見た映像を思い出した。
確か、ポケットに『薬液』を入れているはずだ。
俺は佐藤のポケットのふくらみを見て、どちらに『薬液』を入れているのかを判断した。
ぐるっと一回転して素早く立ち上がった。
俺を追ってくる佐藤さんの力で、アセチレンと酸素のボンベが引っ張られて、コンビニ内で倒れた。
「!」
佐藤がボンベが倒れたことに気を取られている隙に近づき、ポケットの『薬液』に手を触れた。
「くそがっ!」
佐藤は振り向きざまにバーナーの炎を浴びせてきた。
俺は慌てて『薬液』の缶を落としてしまう。
「……」
「ほら、それはなんだ」
俺は体を低くして、その『薬液』の缶に手を伸ばす。
加藤はボンベが気になるのか、バーナーを俺に向けつつ、後ろをチラチラと振り返る。
「知らん。たまたまポケットに入っていたものだ。『防潮堤』の作業場に置いてあったものだろう」
「うそつけ、俺はそれが『薬液』だと知っているぞ。北の船に捕まった時に死体が漬けられたものだ。お前は、それで山岡さんを脅した」
「……脅かしたのは認める。だが、これが何なのかは知らん」
佐藤は後ろを見て、犀川さんに声をかけた。
「そこのボンベのバルブを確認してくれ」
犀川さんがボンベに繋がっているホースと接続部を首をかしげながら触っている。
「じゃあ」
俺は手を伸ばして『薬液』の缶を手にした。
佐藤はとっさにバーナーを捨て、俺の腕に飛び乗ってきた。
「ぐぁっ……」
腕に体重をかけられ、あっさりと『薬液』の缶を手放してしまった。
「これがどういうものか知らんが、そんなに気になるなら、お前に飲ませて実験してやる」
佐藤は腕をガッチリ極めたまま、馬乗りになってきた。
そして目の前で缶の蓋をひねって開ける。
バーナーは地面に向かって青白い炎を上げている。
「お前が言う通りなら、これを飲めばゾンビになる、というわけだ……」
俺は視界の隅で動くものをみたが、必死に無視した。
佐藤は缶を覗き込んでから、言った。
「モッズコートの男に襲われていればお前がまず最初にゾンビ化するはずだった。モッズコートの男はお前を見逃した。お前から『ゾンビ臭』がするから気付かなかったという訳さ」
「モッズコートの男? やっぱり知っていたんじゃないか!」
俺は怒った。
「今更モッズコートの男のことなどどうでもいいだろう。そもそもなぜお前はゾンビ化しない?」
「どういうことだ」
「新幹線を下りて、食べた寿司屋だよ。あそこの魚は例の『薬液』づけの腐肉だ。それを食って、正常ってどういうことだ」
何度か頭に浮かんでいた寿司屋のバックヤードで見た『薬液』の缶。
寿司屋で『薬液』が使われていたのだ。
だから新鮮な魚介が、安く食べることが出来たのだ。
飲食店に『薬液』が使われていたとすれば、都心部がさっきのようにゾンビだらけになっているのは想像に難くない。
「さあ、直接飲ましてやるっ…… 何っ!」
その時、佐藤の背中が燃えだした。
佐藤が背中を地面に押し付けて消そうとする隙に俺は立ち上がった。
「犀川さん!」
犀川さんが佐藤の背後から近づき、バーナーの炎をその背中に向けたのだった。
「とにかく、逃げないと!」
「熱いっ、何しやがる!」
佐藤が炎を消そうと地面をのたうち回っているところに、俺は『薬液』の缶を持って進んだ。
「これで消してやるよ」
「やっ、やめろぉ!」
佐藤は叫んだ。
炎にかかるように『薬液』の缶を振り回すと、炎に触れた先から『薬液』に燃え移った。
「うわっ!」
俺は怖くなって缶をコンビニへ放り込んだ。
「うわぁぁぁああああ!」
佐藤を包む炎は激しさを増し、地面に押し付ける程度では消せそうにない。
「ボンベが爆発する!」
その声に俺はやっと状況を再認識した。
海沿いに走る道の向こうにある防砂林に飛び込む。
ドン、と地響きとともに明るく光ると、コンビニが燃え上がった。
次にメラメラと燃え始めて、周囲は真っ赤に照らされた。
「……」
「人殺し」
俺は声のする方を振り返った。
「あいつは人でなしだったけど、殺したら、あんたが人殺しだよ」
犀川さんの横顔を燃え上がるコンビニの炎が真っ赤に照らしていた。
「何言っているの? コンビニが爆発するように、ガスバーナーのバルブを緩めたの、犀川さんでしょ? 最初に佐藤に火を放ったのも。大丈夫。みんなゾンビになりかけてるんだその時人だったか、ゾンビだったかなんて、誰も分からない」
「……」
俺は、コンビニが焼けこげる臭いを吸ってか、むせた。
「とにかく、ここを離れよう」
俺は咳を何度かして、コンビニに背を向けた。
が、犀川さんはついてこない。
「私を殺さないって約束できるの」
振り返らずに答えた。
「出来ない」
「……ならなんで付いて来いみたいな言い方なの」
「お互いゾンビではないうちは協力できるだろう?」
振り返ると、犀川さんは深呼吸している。
「ねぇ、そこら辺、なんか臭わない?」
俺が問うが、犀川さんにはピンと来ていなかった。
「?」
俺たちは事務所のあった仮設住宅がならぶエリアに戻って来た。
事務所は燃えてしまって、枠組みだけが残っていた。辺りに人影はなかった。同時に、明かりも何もなかった。
「停電しているのかな」
「都市部がゾンビ化したのなら、停電してもおかしくないんじゃない」
佐藤さんが山の方を見て『高圧線の鉄塔』に赤い布が下がっている、と言っていた。あれは結局落雷か何かで電気がストップしたことを示しているはずだ。おそらくゾンビ化していれば電力の復旧など望めないだろう。
「なんか声が聞こえる」
「声って」
「しっ」
俺は口の前に人差し指を立てる。
犀川さんもきょろきょろと回りをみて、音を確かめる。
「人の声?」
人の声、にしては何かが違った。
「ゾンビ…… は声をださないよね」
「いままで見たのは…… そうね」
声らしき音がするのは、高速道路や国道が走っている方向だ。
「行ってみるか」
「……」
「どうしたの?」
犀川さんが頭に手を当てている。
「頭痛よ…… どうしてこんな時に……」
犀川さんの方から国道方向へ歩き始めた。
「ねぇ、さっき佐藤と話していたこと、もう一度教えてよ」
「山岡さんの話?」
犀川さんはうなずいた。
国道へはまだ遠い。俺は話し始めた。
「コンビニで俺が寝ていた時…… そうだ、その時犀川はどうしてたの?」
「多分、同じ。寝てた」




