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「お前が寝てる間に、こんな動画が上がってるのを見つけたぞ」
佐藤がそう言って、レジカウンター内に置いてあったパソコンを操作した。
山岡さんはイートインスペースで寝ていて、犀川さんは佐藤さんに近づきたくないようで、レジカウンターの少し離れた場所で腰かけていた。
「動画ですか」
動画が始まる前の能天気なCMが苛立った。動画はタイトルから嫌な予感がする。『街中にゾンビがうろついている件について』
ようやく動画が始まる。
ガラス越しに、街の様子が映っている。俺にも少し記憶があった。新幹線がある、ここの主要駅の様子だった。
「どこから撮ってるんだろう」
「駅前ロータリーの近くにある大きなデパートのエレベーターの中からだな」
エレベーターから下の通りを撮影しているようだった。
何度か見たゾンビと同じように、右右、左左と同じ方の肩が出て、足がでるという、奇妙な歩き方をする人物が映っている。
と、動画の音声が出る。近くにいた人が撮影している先の様子に気が付いたようだった。
『何、何、あれなに』
『うわっ、何、結構凝ってるんですけど』
画面が揺れる。
『俺も今動画撮ってるんだから邪魔すんな』
どうやらエレベータ―内の他の人もその通りを歩いている、奇怪な人物に気が付いたようだった。
『やばくね、クオリティやばくね』
『あっ、かじった』
『キャー』
『作りもんだよ。怖がんなよ』
エレベーターが地上に着く。
動画はそのまま通りに出る。
『めちゃリアル』
『痛い…… 何しやがんだよ』
噛まれた男が、ゾンビ男を突き飛ばす。ゾンビ男は、ゆらゆらと後ずさる。
『なんか言えよ』
『もめてるもめてる』
『なんだか気味が悪いよ、もう行こうよ』
『おっ』
撮影者が何かに気付いたようだった。
よろけたゾンビ男の方に映像が近づいていく。
ゾンビ男に近づいたと思ったら、その背後にカメラが向けられる。
『いっぱいいたゾンビ。ほらほら、いっぱいくる』
映像が遠いが、確かにバランスの悪い歩き方をする人影がカメラの方に向かっている。
『やだ、本当に気持ち悪い、行こうよ。あっちでお茶しよ』
『おもしれーじゃん。動画投稿すればバズるかもよ』
『ゾンビでフラッシュモブとか趣味悪いよ』
奇怪な歩き方、青黒い肌の人々が、ゆらゆらと画面に近づいてくる。
『いてっ、何にしやがんだっ!』
大きくカメラが揺れると、最初に近づいてきたゾンビが撮影者の足に噛みついていた。
『ちょっとこれ持ってて』
おそらく撮影者の彼女にスマフォを渡すと、ゾンビを蹴っているシーンが映る。
『ねぇ、ヤバいよ、逃げようよ』
『人の足に噛みついといて…… ほら、なんか言えよ』
『よ、よし行こう』
彼女から再び元の撮影者の手にスマフォが戻ると、動画が止まった。どうやら、街中を通りすぎ、喫茶店に入ったらしかった。テーブルに飲み物が映っていて、ガラス越しに外を撮影の続きを始めたらしい。
『すげー人数だなぁ。かなり大がかりだぜ。俺たちもテレビ映っちゃうかな』
『違うよ、これなんか違うよ。あっ、恭介、ねぇ、顔色悪いよ、ねぇ、やっぱりおかしいよ、ねぇ』
『うるせぇ……』
撮影者は急に動画を閉じた。
「おそらくこの時点で動画を閉じてアップロードしたんだろう。バズるとか思ってたのかな。どうせ、自らもゾンビ化してしまっただろうから、動画が何回再生されたかなんて、認識出来なくなっているだろうが」
俺は寒気がした。
新幹線の駅があるような市街地でこの状態だ。下手すると、ゾンビが新幹線にのってこの国の中心部にまで広がっていったら……
「あれ、今の動画が削除された」
「削除されました…… って、もしかして、これなんか著作権者の映像だったんじゃないですか。スマフォの使い方は素人っぽかったけど、こんなに綺麗にゾンビが侵攻してきてる状態を映せるんでしょうか」
「どうかな。そうかもしれないし…… そうではないかもしれないな」
こんなことが本当だったら、街のゾンビを一掃する為、軍が爆弾を落としかねない。
「普通のテレビ、テレビはないんですか」
「テレビでこんな映像が流れるとは思えんが」
「けど、街中がこんな調子なら……」
佐藤さんは立ち上がって、テレビのリモコンを取り上げ、スイッチを入れた。
「何もやっていないよ」
画面には『現在、保守工事の為、放送を止めています』と表示されている。
「保守工事?」
「なんでこうなっているかはわからんがな」
そう言うとテレビのスイッチを切った。
「少なくとも、さっきの動画どおり、都市部がゾンビ化していたら国が状況を把握しているだろう。状況さえ伝われば、間もなく軍を動かして都市部を奪還するだろう。そこまで耐えれば俺たちも助かるさ」
佐藤さんはここに居続けた方がいい、という意見だった。
「佐藤さん、けど、都市部の奪還に何時間、いや何日かかるんですか」
「知らないが、ここを離れて助けを呼んだり、食料を探し回るとすれば、何日も持たないぞ」
「……」
「とにかく、ここにいるんだ。助かるにはそれしかない」
佐藤さんはしつこく主張した。
「なんだ、これだけ飲み物と食べ物があって、なんか不満なのか?」
「いえ…… 俺、ちょっと具合が悪くなって」
「腹でも壊したか?」
佐藤さんの口元が少し緩んだというか、微笑んだような気がする。
「お腹も痛いですが、めまいが……」
「そうか。今トイレは誰もいないから使い放題だ」
佐藤さんの声に、犀川さんがビクッとして立ち上がった。
「何を怯えてる」
山岡さんと佐藤さんの行為をみてから、犀川さんは佐藤さんに『何かされる』と思っているのかもしれない。俺が長時間トイレに入っている時間帯は、犀川さんを助けてくれる人はいなくなるわけだ。
かわいそうな気持ちもあったが、腹の痛みがひどくなってきた。
「とにかく、ちょっとトイレ入ります」
駆け込むと、すぐに座った。
激しい痛みとともに、液状の排泄物が垂れ流された。
そして、今までに経験したことがないほど、酷い臭いだった。例えるなら腐った肉のような……
自分の視野に、奇妙なものが映った。しかし、信じられない気持ちが、その確認を遅らせていた。
足の間から見える自分の排泄物が、緑色をしていたのだ。
「これって、まさか、あの『薬液』の色なんじゃ」
しかし、俺はゾンビに噛まれたわけはない。佐藤さんが言っていた北の国のように、薬液に使ったものを食べたわけでもない……
再び激しい腹痛とともに、体中に寒気が走った。
「違う…… まさか『寿司屋』でみたのは……」
この田舎に『防潮堤』をつくる仕事にやってきた時、新幹線を下りてお寿司を食べた。たしか、その時に『薬液』と書かれた缶を見たのだ。
「まさか、寿司のネタに使っていたのか」
海岸線から通り都市部で、ゾンビ化する現象が発生しているのは『薬液』のせいじゃないのだろうか。
俺は足の間から排泄物を確認する。
「うっ!」
何か奇妙な虫のようなものが動いている。
一匹や二匹ではない…… 一つ一つは小さいが、何百、何千という数の芋虫のようなものが……
「おぇっ……」
見ているうちに、上からも吐き気がした。
慌てて流して、今度は顔を便器に向ける。
流れていく排泄物の中で、うごめく芋虫を見て、自分の顔が歪むのが分かる。
「おぇっ……」
上から戻って出て行く吐しゃ物も、同じように緑色をしていた。なんどか吐き戻していると、同じように細かい線状の虫がうごめきだす。
「……」