(17)
入口から入ってくる客は、非常にゆっくり動いている。この映像のフレームレートでも分かる。右肩が出る、右足が出る、左肩が出る。左足が出る。まるで……
「ゾンビ?」
「ああ…… 間違いないな」
レジにいた奥さんが異変に気付く。大きくゼスチャーをして、店の奥に入った旦那を呼んでいるようだった。
「あっ、手を引っ張られた」
奥さんが、客に手を取られた。奥さんは何を思ったか、防犯用のカラーボールを投げつけたようだった。
「来た来た、助けてあげて……」
山岡さんは手を合わせる。
「噛まれてはないよ」
ほどなく旦那がきて、レジから客を引きはがす。奥さんは勢い余ったのか背中を打って、しゃがみ込んでしまう。
旦那は客にしがみついて、入口の方へ引きずり出していく。半ばまできた時に、旦那は急に乱暴になる。
「あっ、蹴った」
さっきまで穏便に外に出そうとしていたのに、急に、客を足で蹴り始めた。
「腕を庇ってるな…… 噛まれたんだ」
佐藤さんが冷静にそう言うと、山岡さんは口を手で押さえた。
旦那と客の姿が映らなくなると、ようやく奥さんが立ち上がった。
そして何かごそごそと探していると思うと、小箱をと取り出して、店を出て行った。
「この店って、おじさんとおばさんだけでやってるのかしら?」
「多分」
「この二人が店を出たってことは……」
今の映像の時間が、約八時間前だ。コンビニが開いた時間。こっちが朝礼を始めるかというタイミングだ。
「同じぐらいだ」
「何がだ」
俺は映像の時間を指さして、言った。
「監督がゾンビ化したのと同じぐらいの時刻じゃないか」
「……」
「さっきみたいに、岸にゾンビが流れ着いたんじゃないのか。夜うちに。そして、朝、一斉に内陸に向かって侵攻している」
「……」
俺は佐藤さんの無言の意味が分からなかった。
「佐藤さん、そんな気がしませんか」
「さあな……」
佐藤さんは映像を止めたまま、立ち上がると、今度は入口のオートドアのことを話し始めた。オートドアの電源を切って、開かないようにしておかないと、ゾンビに入ってこられるというのだ。オートドアの上部にあるスイッチを切って、手で閉める。
「ここの下の鍵を閉めて置けば、簡単には入ってこれないだろう」
「この映像はどうするんです?」
「そこまで見れば十分だろう。二人はゾンビ化して、戻ることはなかった、それだけだ」
「……」
変だ。犀川さんのせいか、佐藤さんの言動に違和感を覚えた。
俺は一人で店内の映像をさらに進めて確認した。
客の来ないコンビニの防犯カメラ映像は、退屈だった。
何度目かのあくびをした後、記憶がなくなっていた。
「ああ……んっ」
遠くで女の人の声が聞こえる。
「ん…… んっ」
喘ぎ声? 店内のカメラ映像再生中に寝込んでしまったことに気がついた。
ゾンビにやられる。俺はパッと上体を起こすと、周りを見回す。
すると店の端で、犀川さんが耳に手を当てて、目をぎゅっと閉じている。
「あん、ああ…… あん」
喘ぎ声が聞こえる。これを聞くまいと耳を塞ぎ、目を閉じているに違いない。
俺は立ち上がって、辺りを見回すと、声の主が分かった。
「山岡…… さん、佐藤さん」
どうして、そんなことを……
二人は俺の目が覚めたことなど気にも留めない様子だった。
耳を塞いでいた犀川さんが、急にこっちにやってきたかと思うと、レジカウンターに無造作に置いてあった鍵を取って、自動ドアの方に向かっていく。鍵を開け、手でオートドアを開いていく。
コンビニを出て行くつもりだ。
「犀川さん、待って、外はゾンビが!」
いつの間にか外は暗くなっていた。
俺は慌ててレジカウンターを乗り越え、犀川さんを追う。
「橋口さん?」
「橋口はいいとして、犀川を逃がしちゃまずいな」
俺は走って追いかけた。
「犀川さん、危険だ!」
コンビニの前の小さのスペースから海沿いの小道に出て、左右を見回した。南の方向に走っていく犀川さんの姿が見える。俺は追いかけた。
必死で追いつき、手をつかむものの、犀川さんはその手を振り払った。
しかし、息が切れていて、これ以上逃げるつもりはなさそうだった。
「はぁはぁはぁ…… なんで追いかけるのよ、ほっといてよ」
「はぁ、はぁ…… あ、あそこを離れたら、ゾンビにやられるかもしれないんだぞ」
俺は苦しくて、体を曲げ、膝に手をついた。
「はぁはぁ…… コンビニにいたら、あたしゾンビじゃなく『佐藤』にやられちゃうのよ。それともあんたも佐藤と同類?」
「はぁ、はぁ…… 俺はしない…… 寝てたからわからないんだけど、なんであんなことに…… なってるの?」
犀川さんは真っすぐ睨んだ。
「はぁ、はぁ、あたしもしらない」
「……」
「だいたい。あなたと山岡さんは恋人じゃないの? 悔しくないの?」
「いや……」
俺は『おれと山岡さんは恋人じゃない』と言いたかったのだが、息が切れているのと、山岡さんと加藤さんの姿を見て、思ったより動揺している自分をさらけ出したくなかった。今、気持ちを声にしたら、うわずったり、怒り口調になってしまう。
「はぁ、はぁ。もどらないから。あんなところに戻らないから。じゃあ、ね……」
体を曲げたまま顔を上げ、犀川を少し見上げるように見た時、俺は自分の目を疑った。
「な、なによ?」
「そ、それ……」
「きゃぁーーー」
犀川さんが全力で悲鳴を上げると、俺の背後に戻って来た。上着を強く引っ張るせいで、俺は上体を真っすぐにして立った。
「さ、佐藤さん」
先回りしたかのような場所に、佐藤さんが立っていた。
上着は引っ掛けただけのようで、ボタンは止めていなかった。すこし見える上半身は筋肉がついて、鍛え上げられていた。
「ちょっと驚かせてしまってすまん」
「……」
男女四人しかいないところで、二人が関係を持ってしまう状況を『驚かせてすまん』で切り抜けれるものか、と俺は思った。
「あれは、山岡さんから誘って来たんだ」
佐藤さんは両手を広げて、訴えてくる。
「……」
犀川さんがぎゅっと俺の服をつかむのが分かる。
「しかたないんだよ」
「佐藤さん、聞きたいことがある」
「なんだ」
「さっき『橋口はしかたないとして、犀川を逃がしちゃまずい』とか言ったでしょ? あれどういう意味?」
真剣な表情をしたかと思うと、突然笑い出した。
「ああ、それか。橋口さんはゾンビの怖さを知っているけど、そっちの犀川さんはお母さんとゾンビの区別がつかないから、一人にしては危険だ、ということさ」
「ふうん」
「信じないのか」
どう振舞っていいのか悩んだ。これを嘘だと言い切る確証はない。佐藤さんの目的も分からない。ここで対立しても、損なだけだ。
「……いや」
すこしホッとした表情を見せて、佐藤さんは胸を抑えた。
そしてコンビニの方を指差す。
「さあ、帰ろう」
と言って佐藤さんは、俺の後ろにいる犀川さんの腕を捕まえようとする。
俺は犀川さんに盾のように使われた。
「……完全に怖がられちゃったな」
あんなに堂々と男女の行為をされては、女の子でなくてもビビってしまうだろう。
「ほら、こわくないから」
左、右、と俺の横から手を出して、しつこく犀川を捕まえようとする。
「やめろ」
俺は佐藤の手を払った。
「……お前、何やった?」
「怖がってるじゃないか」
「覚えてろ」
佐藤はものすごい形相で俺を睨んだ。
「とにかく戻るぞ。山岡が心配だ」
佐藤が早足でコンビニに戻り始めた。俺は犀川さんを背中に捕まらせたまま、ゆっくりとコンビニの方へ戻り始めた。