(14)
ガスボンベをくくりつけている紐を二人がかりで、引きずりながら、佐藤さんの後を追う。
これだけのものをひっぱっていても、ゾンビには追い付かれそうにはなかった。
「佐藤さん、どこにいくつもりなのかしら」
「わからない。けど、ゾンビのことを知っているのはあの人しかいない。今はついていくしかない」
「そ、そうね」
ボンベは重く、山岡さんの力では、ほとんど引っ張ることは出来なかった。
基本的には俺がひっぱり、引っかかったり曲がった時に手伝ってもらうようにして、進んだ。
海岸線には、次々に黒い物体が流れ着き、流れ着いた者から立ち上がった。
立ち上がったものは、目で追うというより、嗅覚で俺と山岡さんの方向へ歩き始める。
動きが遅いから追い付かれないが、数が問題だ…… 俺は海の方を見ながらそう思った。
「佐藤さんがいなくなった!」
と、突然山岡さんが言う。
俺は自分の顔が引きつるのを感じた。
「そんな! もう一度しっかり見てください!」
「見てた、見てました。けど、いなくなっちゃったんです」
俺はボンベを引っ張るのをやめ、山岡さんが見ている方向を必死に探した。しかし、見当たらない。
「じゃあ、いなくなる前に見ていたあたりに向かって誘導してください」
「……」
俺の声に含まれる、苛ついた感情に気付いたのか、ムッとした表情で睨みつけた。
「早く!」
俺は急いた。喧嘩しても仕方ないのは分かっていたが、疲労と焦りに加えて、佐藤さんを見失ってしまうという事態の発生に苛立っていた。
「わかってるわよ」
言い過ぎた。しかし俺は謝らなかった。
山岡さんの誘導のまま、『防潮堤』の下まで進んだ。
しかし、佐藤さんの姿はなかった。
「?」
草が生えているところに、マンホールのような鉄の丸い板があった。
「まさか、ここから下に入ったんじゃないか?」
「わかんない」
「わかんないって、見てたんだろ?」
「しらないよ」
お互いどんどんと声が大きくなっていく。
「これじゃないなら、他を探せよ」
「ここら辺だったっ!」
「だから佐藤さんはどこで見失ったんだっ!」
俺は叫んだ。
その時、その鉄の丸い板が軽く動いたように見えた。
「?」
俺はその板に近づいて、小さく開いている穴を覗いた。
「暗くてなにも見えない」
再び、丸い板が動いたように見えた。
「動いたっ。見たよな?」
山岡さんは怒った顔のまま腕を組む。
俺は山岡さんの方を見ながら言う。
「ゾンビ」
「!」
山岡さんは飛び上がるように走り出すと、すぐさま後ろを確認する。
俺は山岡さんを両腕で捕まえる。
「……ウソだよ」
山岡さんは涙目になりながら、俺の胸を手でドン、とたたいた。
と、鉄の丸い板から声がした。
「そこにいるのか?」
聞き覚えのある声だった。
『佐藤さん!』
俺は山岡さんとハモってしまった。
鉄の板の下から声が聞こえる。
「ボンベとバーナーは持ってきたか?」
「はい」
「そこの周りに鉄の棒が置いてある。それを穴に突っ込んでひっぱり上げるんだ」
「わかりました。けど、この穴はなんなんです?」
「『防潮堤』の地下にある空間につながっている」
「入ったらどうすれば」
「ゾンビに鉄の棒を使った作業は無理だ。同じところに鉄の棒をおいてから、入って内側から蓋を閉めろ」
俺は周りに置いてあるという鉄の棒を探した。
「これだ」
と言った時、俺と山岡さんの間に人影が見えた。
「えっ?」
その人物は、片目が眼孔から落ち、髪の毛と海藻が絡み合っていた。指が何本か欠けている。足も皮膚が裂けて黒くなった肉が見えている。その人物の後ろを見ると、すぐ近くの波打ち際から足跡が続いている。
明らかに、俺と山岡さんを追ってきたゾンビとは、別のゾンビだ。
「キャー」
声に反応したのか、ゾンビは山岡さんの方に向いて、動き出した。
どうする……
俺は鉄の棒を両手で握り込んだ。
そのままゾンビの背後から踏み込んで、水平に振り抜いた。
スパッ、という表現がぴったりするように、棒はゾンビの頭と胴体を切り離した。ただの棒が、名刀のような働きをしたのだ。
「……」
頭が地面に落ちると同時に、体もバランスを失い、山岡さんの方へ倒れる。
「早くこっちに」
俺はそう言うと、板の穴に鉄の棒を突っ込み、板を持ち上げてずらした。
鉄の棒を放ると、まずバーナーとボンベをゆっくりと下し、次に山岡さんを下ろし、最後に俺が入った。
中から必死に蓋を持ち上げ、ずらしてずらして、ようやく蓋を閉めることができた。
「ふぅ……」
ここまでボンベを運んだおかげで、手足がパンパンだった。おまけに、最後の蓋を閉めるのに、背伸びをしなければならず、ふくらはぎがつりそうだった。
俺はその場で腰を下ろして、壁に背中をつけてしまった。
「……」
山岡さんが俺の隣に腰を下ろした。
俺の腕にしがみつくように腕を回してくる。
海の匂いと、ゾンビの腐臭だらけだった俺の鼻に、急に甘い香りが入ってくる。
山岡さんにしがみつかれた腕は、やわらかいものに包まれて気持ちが良かった。
「ありがとう。橋口さんがいなかったら私助からなかった」
「!」
足音がして、鉄の蓋から差し込んでいた光が消えた。
「(ゾンビが上に来たんだ)」
「(怖い)」
と、まもなく二の穴から光が差し込んできて、少し砂が入り込んだ。
「行ったみたいだ。早く佐藤さんのところに向かおう」
俺は山岡さんの胸の感触をもう少し味わいたかったが、振り切って立ち上がった。
ガスボンベとバーナーを引きずって、地下通路の奥へと入っていった。
女子高校生は、後ろ手に縛られた上に、足も縛られ、床に座っていた。
「全員そろったな」
佐藤さんが、静かに話し始めた。
「俺は、大災害の時、波に流されてしまった。たまたま流れてきた大きな木片につかまることができたが、沖に流されてしまっていた。泳いで帰るには遠すぎたし、寒すぎた」
今までの訛ったような佐藤さんのしゃべり方は、標準語のようになっていた。
「それでもわずかな望みを持って、木片にしがみついていると、そこに北の船がやってきた」
佐藤さんは北の船が引いていた網に掛かってしまった。
「一緒に流されていた、多くの犠牲者も同じ網にかかった」
網にからめとられた津波の犠牲者は、船の中で流れるように処理されていた。
「俺は生きていたから、柱につかまって、ギリギリその処理から外れることができた」
緑色をした粘り気のある液体だった。北の国の言葉で『薬液』とだけ書かれたパイプから、流れ落ちてきていた。
網にかかった遺体は、一定時間、その緑の薬液につけられた。
薬液に入れられた死体を見ていると、一瞬だけ、手足が震えたように見えたそうだ。
「それより驚いたことに、薬液から上がってきた犠牲者は、ゆらゆらと揺れながら立ち上がった」
「えっ?」
「俺も目を疑った」
数分前まで死体だった者が、薬液につけられ、上がった時には動き出しているのだ。
「立ち上がるものの、声は出なかった。しゃべりかけても答えない…… ゾンビ。これはゾンビなんだ、とその時思った」
佐藤さんは、ほどなくして、船の乗員に見つかった。
しかし、たまたま北の国の言葉を勉強していた佐藤さんは、船員達に『生きたい』と伝えると、船員達は『労働力』欲しさに佐藤さんを受け入れた。
船は『うごめく死体』をのせたまま、北の港に着いた。
「その『うごめく死体』をどう処理したか、までは見れなかった」