(13)
「ど、どうしてそんなこと言うんですか」
「やつらは苦しいんだよなぁ。ゾンビって、永久に痛みが続くんだよなぁ、永久に続く痛みを和らげるために、人に噛みつくんだよぉ。噛みついたときは、痛みから救われるから」
いや、だからなんでこの人はゾンビに詳しいんだ、と俺は繰り返し考えた。考えても考えてもわからないことは、訊くしかなかった。
「なんでゾンビに詳しんですか」
「……」
「答えてくださいよ!」
「今っ!」
「ごまかさないでください」
山岡さんが俺の上腕に触れる。
「橋口さん、違うの。今、制服の女の子が走って海岸の方に行った」
作業員たちが話し出す。
「まだ生存者はいるんだな」
「生存者とは限らないぞ。ゾンビかどうか、確認が必要だ」
「危険だ……」
そう言って、佐藤さんはガスバーナーを引っ張りながら、走り出した。
「危険?」
俺は反芻するようにそう言うと、山岡さんがうなずいた。
「佐藤さんが、今『危険だ』と言ったみたい」
何かある。やっぱり何か重要な情報を知っている。俺は佐藤さんを追いかけていた。
「佐藤さん!」
「おい、勝手に行動するな」
「お前ら、ゾンビとみなすぞ」
「ごめんなさい」
山岡さんも俺と佐藤さんの方についてきて、作業員達と別れてしまった。
建設中の『防潮堤』の足場の下に作っている通路を通って、海岸に出た。
「何、この匂い」
「腐臭?」
波が寄せてくるときに、何かが浮かび上がった。
あれは……
「おかあさん!」
と言ったのは、走って海岸に出て行った女子高校生だった。かなり海岸線を南にすすんでいる。佐藤さんがボンベを引きずりながら、女子高校生の方へ向かっている。『おかあさんだって?』
俺は女性高校生が見つめている先を見た。
そのあたりの海にも、何か、黒い物体が浮かんでいる。
「これって、前にモッズコートの男が来た時といっしょなんじゃ……」
「なんですか、そのモッズコートの男って」
俺は、山岡さんに昨日の話をした。
「監督さんがゾンビになったもの、そのモッズコートの男のせいじゃないかと思いますけど」
「そうだよね」
「佐藤さんが何か知っているんじゃ」
「そう思うよね」
「!」
山岡さんが、目の前の海を見つめて言葉を失った。
「えっ、これは……」
「人、ですよね」
さっき浮かび上がってきた物体が、岸についてきた。海藻が絡みついているが、人の形をしている。浮かび上がってきた物体は、顔を出して呼吸している様子はなかった。つまり……
「死体?」
山岡さんが俺の背中に回り、半ば押されるようにしてその人形の物体に近づいた。途中で流木を拾って、それを前に突き出した。
「人だ……」
はじめのうちは波に揺られて行ったりきたりしていたが、波が引いていっているのか、ぴったりと止まったまま動かなくなっていた。
「おかあさん!」
振り向くと、そう海に向かって叫んでいる。
俺は打ち上げられた物体を流木でつついた。
「裏返してみて」
恐怖からか、腰が引けてうまく裏返らない。
「もっと近づけば」
さっきモッズコートの男のことを話したばかりなのに、この物体が突然立ち上がって動き出さないような言い方をしてくる。
「テコの原理ってやつ?」
山岡さんが、流木をシーソーのようにつかってその物体をひっくり返せ、指示する。
俺は思い切って物体の横に回り、石を置き、流木を石を支点にするように砂に刺した。そして、力点である手元を押し下げる。物体の下にもぐった流木の先端が砂もろとも物体を押し上げる。
ゴロっと物体がひっくり返った。
「キャー」
何を見たのか山岡さんが叫ぶ。俺は物体の方を凝視するが、海藻が絡んでいてよくわからない。
その時、波が俺の足元をすくった。バランスをとるために、流木から手を離してしまった。
「うわっ!」
結局、俺は足を滑らせて転んでしまった。転んだあとで、俺の足をすくったのが『波』ではないことに気が付いた。
「あっ、あっ……」
仰向けになって、お尻をついたまま、手と足を使って後ずさった。
青黒い肌、海藻まみれの服、何か所か噛みつかれたように抉れた腹…… ゾンビとしか言いようのない者が立っていた。
それは俺がひっくり返した物体の横に立っていた。
俺は立っている者が『ゾンビ』だと認識した後、すくわれた足を確認する。表も、裏も、ひねって、あらゆる角度から。かみつかれていたら、俺もゾンビになってしまう。
「おかあさん!」
遠くで女子高校生の声がする。
「違う、あれはお前のおかあさんなんかじゃない」
と、佐藤さんの声がする。佐藤さんは続ける。
「津波で流された者は帰ってこない。ここに流れ着く死体は、北で改造されたンビだけだ」
「!」
足に噛まれた傷がないことを確認すると、俺は前方を凝視しながら、ゆっくりと、慎重に立ち上がった。流木を手放してしまったのは失敗だった。ゾンビを目の前にして無力な状態になっている。
「逃げて!」
山岡さんが叫ぶ。
声のする方を横目で確認すると、海岸線を横に、佐藤さんがいる方へ走っていた。
反射的に俺も同じ方へ走り出していた。
佐藤さんのバーナーが唯一の武器だ、という頭があった。
しかし、この海水から上がって来たばかりの、海藻だらけのゾンビが『燃える』とは思えなかった。それでも佐藤さんの方へ走ったのは、一人で戦うよりマシだということなのだろう。
幸い、ゾンビの足は遅かった。
肩が動き、同じ方の足が後から出てくる。逆側の肩がでて、肩と同じ足が出てくる。ゾンビには、腰をひねって手と足でバランスをとるような、通常の人間が持つバランス感覚がないようだ。
「佐藤さん、こっち、こっちにゾンビが出た」
呼びかけるが、佐藤さんは、俺の方に振り向く様子がなかった。
「おかあさん」
女子高校生は、正面の波に揺られる物体にそう呼びかけている。
思いつめて、海に入っていきそうになるところを、佐藤さんが抑える。
「おかあさん!」
「違う!」
佐藤さんが言いのけた。
「あれは君のおかあさんなんかじゃない。津波で流された者は帰ってこない。今、ここに流れ着くのは、北で改造されたゾンビだ」
ついさっきもそう言っていた。
「けど、着ている服が、あの時の……」
「北の船が遺体を拾い上げ、その中で『加工』され、運ばれたんだ。服も何もかも、死んだときのままなのはそういうわけだ」
佐藤さんの近くまで行っていた山岡さんが訊く。
「どうしてそんなことが分かるんですか」
女子高校生が、一瞬山岡さんの顔を見て、すぐ佐藤さんの顔を見返した。
「そうですよ」
「……見たからさ」
「見た…… って何を?」
俺は後ろのゾンビを警戒しつつ、佐藤さんの方へ近づいていった。
「津波で、遠くまで流された俺は、北の船に回収された」
「えっ!」
佐藤さんは、俺の後ろをついてくるゾンビに気がついた。
「話はここまでだ。すぐここを離れないと」
「けど、ずっとお母さんを待っていたんです。これは絶対にお母さんです!」
佐藤さんは、抑えていた女子高校生を倒し、手足をロープで縛った。そして担ぎ上げると、俺に言った。
「やめて! 離して! お母さんっ!」
佐藤さんが俺の方を振り返り、
「俺の後についてきてください。それと、このガスボンベとバーナーを頼みます」
と言った。
山岡さんがすがるような表情で俺を振り返る。
「はい」
佐藤さんにそう答えると、俺は山岡さんに言った。
「このロープを一緒に引っ張ってください」
山岡さんが小さくうなずいた。