(11)
相撲の地方巡業の話。アイドルグループで起こった陰湿ないじめ。記録的な暑さ、豪雨、天気の話題……
「……ないな」
「掲示板は?」
「そうだ、この近所のSNSのメッセージを表示させろ」
俺たちは、この事務所で起こったゾンビ事件の原因、あるいは同様の事件か書き込みがないかを探していた。
それをみてどう行動するか決めるのだ。
ドンドン、と入口にぶつかる音がする。俺はちらりと入口をみると、監督が入口の引き戸を開けられなくて、何度もガラス面に顔を当てていた。
「だめだ。SNSとか、掲示板はロックされてる」
さっき山岡さんが言っていたことからすぐにわかりそうなことだった。
会社から会社が不利益になるようなことを書きこまれたら困るからだ。それに、そんなことの為にネットを使われたり、就業時間を無駄に使われては給料を払う意味がない。
「なんかねぇのかよ」
作業員は机をドン、と叩いた。
「はぁぁぁぁーー」
その場の緊張感が気が抜けるような、間抜けで高い声が事務所に響いた。
「なんだ今の」
「あれじゃねぇのか」
「あっ、おいっ」
作業員が事務所の入口の方を見始めた。
俺も体を動かして、入口に視線を移す。どうやら、縛られていた『監督に噛まれた』作業員が出した声のようだった。
「もらしてる」
「うわっ、くっさい」
一人の作業員が近づいてく。そして『噛まれた』作業員の髪をつかんで、顔を上げさせた。
「お前、ゾンビじゃないけど、つまみ出してやろうか」
口から、赤いというより黒く固まりかけた血が顎を伝って落ちる。
「ひっ!」
「さ、さるぐつわが取れてる」
「!」
摑まれていた髪が頭皮ごとずるりとはがれ、顔がその髪を持っていた作業員の足に向かう。
ガッ、という音とともに、ふくらはぎに噛みつかれる。
何が起こったかわからない作業員は、叫んで転んでしまう
「うわっ!!」
転んだ勢いで、噛まれていたところは、外れた。
「ヤバい、こいつゾンビ化した!」
と、言った。その作業員は、縛っていた方の作業員がゾンビ化したこと言ったのだが、今まさに噛みつかれた方も気が動転していた。
「待ってくれ、俺は、俺はまだ……」
「まずいぞ……」
「どうする」
一人、階段を下りてくる音が聞こえると、そこから声がした。
「確定だなぁ」
全員の視線が階段に向かう。
「噛まれるとゾンビ化するなぁ。さあ、この二人、どうする?」
「待ってくれ、俺はまだゾンビじゃない! お願いだ、助けてくれ!」
足をかまれた作業員は足を庇いながらふらふらと立ち上がり、両手を合わせて乞う。
「お願いだ、頼むから……」
「まずいだろ、治る確証ないし」
「事務所の中に置いておくと、お前の二の舞を踏むやつが出るからな」
ざわざわと作業員達の意見が出るが、どれも新たなゾンビ化を恐れるものだった。
「治す方法があれば、その時に連れ戻すから。とりあえずお前は外にでろ」
大勢が決したようだった。
合わせていた両手が、力なく、だらり、と下がった。
「嘘だろ……」
作業員の足元に、何かが落ちた。
「こんなに頼んでいるのに!」
バン、と近くの机を叩くと、それを押し倒した。
そばにいた別の作業員の腕をとり、噛みついた。
「これでお仲間がひとり増えた」
さっと、三人を中心にして周りに分かれた。
「ふん。さっきとは比率がだいぶ違うゾ」
「なぁ、俺今噛みつかれただけだぜ。まだこいつゾンビ化してないじゃん。だから俺は大丈夫だ」
作業員の肩をポンと叩き、縛られていた作業員に足をかまれた作業員が言った。
「お前がいくら大丈夫と主張しても、こいつらは受け入れてくれないぞ。お前はもう、こっち側だ」
「……」
ガタっと、机を動かす音がした。
噛まれていない方の作業員の一人が、さすまたをもって、一人のゾンビと、二人のゾンビ予備軍に対峙した。
「とにかくこの三人をここから叩き出そう」
「ああ……」
「怒れ」
と腕をかまれた作業員を嗾ける。
「一人にかみつけばアッとゆう間に有利不利が逆転する。この狭い空間では俺たちが有利だ」
ブルっと体が震えた。
俺の脇腹の服をつかんで、山岡さんが俺の後ろに隠れるように動いた。
山岡さんに気を取られている間に、一人が引きづり倒された。
「やめろぉーーー」
そう言われてやめるわけもなかった。腕を噛まれた作業員は馬乗りになって、倒れた作業員の首元にかみついていた。
「うっ…… うっ…… うっ……」
倒された作業員の、泣きつくような、すすり泣きのような声が聞こえてくる。
「早く追い出さないからこういうことになるんだ」
「さすまたを貸せ」
「おらっ!」
さすまたの先が、馬乗りしている作業員の首をとらえた。
意識していない方向からの突然の衝撃で、馬乗りになっていた作業員は出入り口の方に飛ばされた。
さすまたは、続いて床に倒れている男に突き立てられた。
「ほら、動けないようにしておくから、早くやれ」
「どうするんだよ。さすまでやれよ。引き起こしたら、噛まれちまう」
「無理だよ、触れねぇ。さすまたでなんとかしろよ」
「ちっ」
さすまたを握った作業員が舌打ちする。しかし、それでやるしかないと思ったのか、刺すまたを寝かせて倒れている男を押すように動かしだした。
「もっと武器はないのかよ」
「おらっ! 出て行け!」
「棒もってこい棒を」
さすまた以外の棒状のもので、倒れたままの作業員を押し出し始めた。
俺はチラチラと窓の外をみていた。この均衡が崩れ、事務所内がゾンビ化した時の事を考えたからだ。
窓から外を見る限り、認識できているゾンビは、入口にぶつかってきている監督一匹だった。逃げ場がなく、ゾンビ密度の高い事務所内より、外の方が安全かもしれない。
俺は小声で山岡さんに言う。
「(もし全員がゾンビ化したら、窓から逃げましょう)」
「こらっ、お前らも手伝え!」
俺の方に視線が向けられている。
「危険なことを俺たちにばかりやらせやがって」
「あっ!」
床に倒れていた作業員が、体をぐるっと回して、さすまたを巻き込むように引っ張った。さすまたで『突いて』いた作業員は不意を突かれてゾンビ化した作業員の方へ倒れ込んだ。
腕、首元、足…… さすまたを持っていた作業員に一斉に噛みつく。
俺を合わせて十三人いるなかで、一人がゾンビ化、四人がゾンビ予備軍になってしまった。
あちこちを噛まれ、さすまたを杖代わりに使って、立ち上がる。
「橋口、てめーらが手伝わないせいで、俺までかまれちまったじゃねぇか……」
腐臭が事務所内に充満してきた。
ゾンビ化していなかった四人も、噛まれた個所から肌色が青黒く変化していき、全体に広がっていく。
「窓から逃げよう。外はとりあえず監督一人っぽい」
「それ、本当かよ。外に出たらもっといっぱいいるんじゃ?」
「けど、さすまた取られたら戦えないし」
佐藤さんは…… まだ階段か? 姿は見えなかった。
とにかく動かせる机を動かして、窓から逃げる準備をする。
「窓から逃げるいいから、早く準備してよ」
「さっきから窓から逃げる窓から逃げるって、こいつらに聞こえているけど、大丈夫なのか」
「早く開けろ!」
俺は窓を開けた。
「橋口先に行って外の様子を見ろ」
「わかった」
俺は窓から外の様子を確認し、飛び出す。
誰もいない。
「大丈夫だ! ほら、山岡さんっ」
山岡さんが窓から出てくる。そして、次、次、と作業員が出てくる。
「うわぁぁぁ」
「ど、どうした!」
「いたい…… やめてくれ……」
最後に出てきた作業員が首を横に振った。