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水平線の向こうに、陽が沈んでいく。
私は、かつて星空を見た時のように、アルシアを抱えて砂浜に座っていた。
アルシアは、沈んでいく太陽をじっと眺めている。
「ありがとう。先生」
アルシアが小さな声でそう言った。
「先生があの日、外に出してくれてから、今日までずっと、本当に楽しかった」
「私もだよ」
嘘ではない。
たったの数週間だが、アルシアと見た世界は、美しかった。
アルシアとの日々は、これまでの人生で間違いなく最良のものだった。
私は幸せだった。
アルシアも、そうであると願いたかった。
「……先生、私はどうなるの?」
アルシアが、落陽から目を離すこと無く、私の手を握る。
「私、きっと、壊れちゃったんでしょう?」
私が答えずにいると、アルシアも無言になる。
やがて。
「どうして教えてくれないの、先生」
震える声で、アルシアが言う。
「……聞こえないの」
その頬に、涙が伝うのが見えた。
「あんなに聞こえていたはずの、人間の声が、聞こえないの」
ついに、アルシアが私の方を向いた。
「ずっと聞こえていたのに、この前から、急に聞こえなくなって。何も感じられなくなって。私、おかしくなったんだよね? これって、おかしいよね。だって、私はそのために角があるんでしょ? 先生とは違って、角があるのに、何も感じられないの。おかしいよ。それって、私じゃないよ。どうして? 私は、もうおかしくなっちゃったんでしょう?」
私は、まずアルシアを抱きしめた。
そして、両肩に手を置いたまま、真っ直ぐ彼女を見つめる。
「アルシア。よく聞いて」
「……先生?」
「あなたが人間の声が聞こえなくなったのは、あなたがおかしくなったからじゃない。私があなたに魔法をかけた。ただそれだけ」
「……魔法?」
「アルシアを幸せにするための魔法だよ」
アルシアが、美しい世界で在り続けるための魔法。
アルシアが、偽りの神のまま地に堕ちない魔法。
「……先生は、どうして」
「アルシア」
彼女の両肩に乗せた手に、自然と力がこもってしまう。
「あなたは、これから、私と離れなければならない」
「えっ」
「大丈夫。あなたは、一人じゃない。これからもあなたは、この美しい世界で、生きていける。あなたは、今日までのように、風や木々、空や星々、海を愛することができる」
「どうして? 先生と離れるの? そんなの嫌!」
「……アルシア」
もう一度、私はアルシアをかき抱いた。
「先生はね、人間だから。もうこの星にはいてはいけないの」
「……え?」
「今日まで、私はわがままを通してきたの。最後の人間として、今日まで、ずっと」
「待って、先生。意味がわからないよ。どういうこと?」
「大丈夫。アルシアは一人じゃない。ただ私とは一緒にいられないだけ」
「嫌だ! 意味分かんないよ! 先生! 嫌だ! なんで、そんなこと言わないでよ!」
「私は、あなたを愛しているから。ずっと、これからも。あなたに生きていて欲しい。ただそれだけなの」
「やめて、やめてよ。先生、変なこと言わないでよ! 先生!」
「アルシア――――」
アルシアがあらん限りの力で私に抱きついてくる。
わっと泣いて、私の胸元を濡らす。
水平線の向こうに、太陽は沈み。
世界は闇に包まれようとしていた。