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つい3時間前、戦争の開始が正式に布告された。
そこからの私の行動は、極めて迅速であった。
予め調査しておいた経路を、予め想定していた手法で、障害を排し、淀みなく、躊躇いなく進んでいく。
そして、目標であるアルシアの眠る『白砂の檻』には、当初想定していた時間よりも5分早く余裕をもって到達することができた。
まだ発射の余韻が残る銃身を右脚付け根のホルスターにしまいつつ、見慣れた空間を見回す。
巨大な半球状のドームに、真っ白な砂によく似た抑制物質が、砂浜のように、地面を覆って広がっている。
見た目と、踏んだ音と、その触感は、砂と違いがわからない。
白砂の広がる空間の中央には、ぽつんと、天蓋付きの寝台と丸テーブルに2つの椅子が置かれている。
清廉で、潔白な、どこか物悲しい。
私達の思い出が眠る場所。それがこの『白砂の檻』である。
「……先生?」
眠っていたのであろうアルシアが、寝台に近寄る私に気づき、目をこすりながら起きる。
長い銀色の髪と、蒼の瞳が印象的な女の子。
白い肌と細い手足が、ガラス細工を思わせる女の子。
きっと、可愛く着飾れば全ての人の視線を奪うことができる女の子。
それら全てを否定する、その額から伸びる、異形の角。
アルシアという、極めて人間の少女に近い容姿に確固たる異常を併せ持つ彼女は、いつだって私を見つけると、その綺麗な瞳の蒼をより輝かせてくれる。
彼女にとって私はただ一人の友人であり、師であり、そして、姉であり、母なのだ。
「どうしたの、先生。今日は不思議な格好をしているね。すごく黒い」
私の白衣姿しか知らない彼女からすれば、それは自然な反応ではあるのだが、「黒い」の一言が精一杯の表現であることに、少しだけ私の頬が緩んでしまう。
……それにしても、だ。
こうして、人を殺すためだけの格好をして彼女の前に現れなければならない日が来ることを、私は望んでいなかったはずなのに。
だが、今となっては逆に清々しい気分ですらある。
これまでの噓をかなぐり捨てて、本当の自分を彼女の前にさらけ出したからであろうか。
アルシアは、手を伸ばせば触れられる距離にまで接近した私を、興味深く眺めている。
「アルシア、ここを出ましょう」
私がそう言うと、アルシアは最初、意味を理解できなかったようだった。
しかし、じょじょにその両目に理解の色が宿り始めると――
「外に出られるの?」
彼女は興奮を露わにし、寝台から飛び跳ねる。
かつてないほどの喜びがそこにはあった。
その様子がどうにも愛おしくて、私はつい、血の付いていない方の手で彼女の頭を撫でてしまう。
さらさらとした髪の感触が、グローブ越しにも伝わってくる。
「ねぇ、先生。どうして外に出られるの? 先生が連れて行ってくれるの? 本当にいいの?」
「うん。いいんだよ。先生が外に出してあげる。アルシアのみたいもの、一緒に見ようね」
「本当? 先生も一緒なの? 私、海見たい! 先生と一緒に、見たい!」
「うん。うん。いっぱい見よう。いっぱい。先生が全部見せてあげるから」
アルシアは「やった! やった!」と何度も繰り返し、嬉しさを抑えられなくて、その場で飛び跳ねる。ぴょんぴょんと跳ねて、ときたま私に抱きつく。
……思わず涙が出そうになった。
私は、アルシアがこんな風に喜ぶ姿をずっと見たかった。
ずっと、待っていたのだ。
私の深淵で、この13年間ずっと燃え盛り続けていたものを、もう止めることはできない。
この白砂の檻に来るまでに瞳に焼き付けてきた、幾つもの苦悶、死、脳漿、血液ですら、内なる炎の糧になっている。
もう誰にも、邪魔はさせない。
「――――ねぇ、先生」
アルシアの呼び声が、私の火照った意識を冷静にさせる。
「私ね、こんな日が来るのをずっと待ってた!」
そう言って笑顔を見せるアルシアと、心が通じ合ったような気がして、私も笑ってみせた。