第8話 居場所
※2016/6/11 スティラキフルアの愛称を変更。
【四神歴紀元前28年】。
「……驚いた、君は本当に強いのだな」
マーリンの驚嘆の声に、千歳は苦笑いを浮かべた。
いつもの森の川辺には、森に迷い込んだのであろう凡そ4メートルの巨大な猪が、頭部のあちこちから血を流して倒れ伏している。
千歳が戦うところを初めて見たマーリンは、普段の落ち着いた物腰とのギャップに少なくない驚きを見せた。
「そりゃ200年も毎日棒切れ振ってりゃ、それなりにはな」
「君は自分を平凡だと言うが、とてもそうは思えん」
15歳で成長が止まった千歳は、どれだけ鍛錬を積んでも腕力や体躯が変わらない。
それが逆にアドバンテージとなったのか、本人の感覚としては強くなったというよりはただ単に巧くなったという思いだった。
“初めは本当に、兎妖精族の子供にも敵わなかったんだけどな”と、千歳は困ったように笑う。
「…………才能が無いと言われたことを200年も続けるなど、普通はモチベーションが保たないだろう。私が言っているのはそういうところだ」
珍しく素直な感情の発露を見せていたマーリンにいつもの呆れを含んだ声色が混じり始めると、その後ろに隠れていた少女が飛び出した。
「おいちゃん、すごーい!」
「おー、よしよし。ラキ、お父さんは頼りにならないなー?」
「ならないなー!」
“あははははっ!”と無邪気に笑い千歳に抱きついているのは、マーリンの娘スティラキフルア。
朱色混じりの金髪に、活発的な印象を受ける目元は父親よりも、母親によく似ていた。
千歳は返り血を一滴も浴びていない手で、少女の頭を乱雑に撫でる。
「しかし、この辺りに大きな獣が迷い込むのは珍しいな」
千歳とマーリンがこの森の川辺で出会い語らうようになって凡そ17年。
『魔法』以外に興味が無かった青年が、唐突に結婚をすると言いだして女性を連れてきたかと思えば、数年後には娘を連れてきたり等々。
短くない時を過ごしたこの場で、思えば様々なことがあったが、巨大な魔獣に遭遇するのは初めての事だった。
「元探検隊の一人である環境学者の論文と調査結果を受けて、警戒勧告の公文が発表されていたはずだが」
「何?」
「チトセ、君は最近国の干渉を避けているだろう」
先程よりも呆れの色が強くしてマーリンは嘆息した。
論文の内容は国境山脈の西側───現代日本で言えば関東山地の南端から富士山にかけての範囲───に生息が確認されていた、大魔熊と呼ばれる巨熊の絶滅の可能性を示唆するもので、それに伴って巨熊を天敵としていた中型獣の生息範囲が拡大するというものだった。
現在オトギは、神奈川県から栃木県にかけた関東地域の一帯に国土を広げている。
千歳とマーリンが語らうこの川辺は、神奈川県の宮ヶ瀬湖付近───現在は大きな河川になっている───で、件の領域からは目と鼻の先だった。
「崇拝されるのが恐ろしくなったか?」
建国の過程で兎妖精族の群れのリーダーという役目から降りてからというもの、千歳にこれと言った肩書は何も無い。
それでも国を誘掖してきた千歳を“不老の賢人”や“護国の勇者”、“オトギの父”と英雄視する者は多い。
特に国の中枢に姿を見せなくなったこの数年の間は、千歳に関する伝説が語り継がれるに連れて神格化される流れが出来つつあった。
「……別に、恐ろしくなったとかじゃあない。ただ、老害がいつまでものさばってるもんじゃないと思っただけさ」
歯に衣着せぬマーリンの物言いに、千歳はちらりとスティラキフルアに目を向けて応えた。
確かに神格化されることについて物思う所はあるが、それ以上に気になっている点は兎妖精族の度が過ぎた従順さだった。
彼らの千歳への従順さは他種族の比ではなく、比喩でなく文字通り死ねと言われれば本当に死にそうな程だ。
千歳の抱く違和感の正体は、後に『妖精種』と分類される、兎妖精族を含む数種の妖精達の魂の特性だった。
今より遥か過去───千歳の時代からは遥か未来に、地球上で行われた人間の品種改良。
その結果、主に愛玩用に生み出された『妖精種』は、生まれながらに善性の魂を持ち、原型の人類に服従するようにデザインされた命だった。
文明が滅びた後、長期に渡る野生化と世代交代を経た自己進化によりその特性も失われつつあったのだが、文明人としての挟持を取り戻した彼らの目の前に、原型人類の現実の偉業を並べ立てられれば、神格視されるのは当然の流れだ。
今の千歳にはそれを知る由も無かったが、純粋な同種の存在しない世界に孤独を感じている千歳に、その従順さは毒となる。
それを無意識に避け続けた結果が、現状だった。
「まぁいい。思わぬ魔獣に邪魔されたが、今日は毎日代わり映えのない努力に精を出す君に朗報を持ってきた」
千歳の苦悩を正確に読み取ったわけではなかったが、マーリンは眉をハの字にした娘を一瞥して意識的に話題を変えた。
「魂の残滓……『魔素』を利用した身体能力向上技術を確立した。これなら君の身体でも力を底上げできるはずだ」
「…………いやいやいや、そりゃ願ってもない話だけどさ、“確立した”って……お前が?」
「既に衛兵や狩人の訓練に組み込まれた、正式な技術だ。理論的には意図的に発現させる『特性』に似た原理だな。寿命に対する影響も無いはずだ。まぁ『魔法』の研究課程でできた、単なる副産物だ」
「はあ、これだから天才ってやつは」
“凡人はありがたく、天才の踏み固めた道を歩けば良い”と、マーリンは尊大に冗談めかして笑う。
今度は千歳が呆れるように笑い、それにつられる様にスティラキフルアも笑った。
その日からの千歳の鍛錬に、『魔素』から『闘気』を練り、身体強化を図る訓練が加わった。
◆◆◆
それから凡そ3年後、【四神歴紀元前25年】。
探検隊の記した情報で確認されていた、大陸の西側───大阪府近辺に住まう森人族の集団が、オトギの国に現れた。
ネタバレって程でもないですが、現存する『妖精種』は、『兎妖精族』、『猫妖精族』、『犬妖精族』の3種の予定です。その内さらっと登場します。何か可愛いの思いつけば追加するかもしれません。