第2話 新しい家族
その日───現代の紀年法で言えば、【四神暦紀元前244年】。
千歳は見渡す限りの草原の中で、目を覚ました。
辺りに生き物の気配はなく、戸惑いの最中で助けを求め、当てもなく彼は歩き続けた。
這々の体でたどり着いた森の中の小さな村には、兎のような耳を持つ人間達が暮らしていた。後に『兎妖精族』と呼ばれる種族達である。
彼らの暮らしぶりは原始人に勝るとも劣らないものであった。言葉は通じず、まともに休める場所も食べ物もなく、衛生観念の欠片もない。
しかし、幸いにして千歳は受け入れられた。身を寄せ合うような、その日暮らしの生活が始まった。
◆◆◆
「チトセにはきっと、戦いの才能はないなぁ」
それから5年の時が過ぎた、【四神歴紀元前239年】。
千歳がようやく現地の言葉の聞き取りができるようになり、覚束ない言葉で話し始めた頃、ある兎の老人が言った。
老人は彼らの村に紛れ込んだ千歳を、とりわけ心配して保護してくれた兎妖精族だった。
どうやらこの世界において、兎妖精族は食物連鎖の随分下に位置するらしく、その外敵は少なくない。そして厳しい生存競争を生き抜く為には、彼らの気性は余りにも穏やかで、優しすぎるものだった。
外敵には四つ足の大きな獣や昆虫などがいたが、特に多いのは狼の耳を持つ人間か、鳥の翼を持つ人間だった。後に日本語で狼人族や鳥人族と呼ばれることとなる種族である。
彼らは拙くも同じ言葉を話す知性ある生物同士で殺し合い、時にその肉を喰らい生き延びる。元の世界ではあり得ない常識に眩暈を起こしながらも、千歳は外敵を排除するべく、兎妖精族達に必死で戦闘訓練を提唱した。その結果、かけられた言葉がそれである。
それでも千歳は、懸命に強くなる術を求めた。
罠、奇襲、騙し討ち。
卑怯も非道も何もない、純粋な生存競争。
動物の骨から削りだした拙い武器を振り回し、時には元の世界の倫理観につられて思い悩み、神経をすり減らしながらも千歳は戦い続けた。
受け入れてもらった恩に報いたかったから。
新しい家族を守りたかったから。
「何十年か前に、この辺りにいた種族は、みんな狼や鳥に食べられていなくなった。多分僕らも、いつかそうなる」
兎妖精族の青年が力なく呟いたそんな言葉が、脳裏から離れなかった。
そんな彼らにすらも全く敵わない現状に歯噛みしながらも、千歳は必死で牙を研ぎ続けた。
◆◆◆
【四神歴紀元前229年】。
この不思議な世界に来て、15年。
30歳になった千歳は、自身の異変に気づき始めていた。
体を鍛えても、筋肉がつかない。
いや、それどころか千歳は年をとっても容姿が全く変わらなかったのだ。
自身に起こる不可思議に不安が頭を擡げたが、誰に相談する事もできなかった。
この年の冬、千歳を保護した老人が老衰で亡くなった。それから千歳は、群れを引っ張るリーダーとなったのだ。
彼らに弱みは見せられない。もう、保護されるだけの子供ではないのだから。
激動の日々を過ごす内、千歳は不老について次第に深く考えなくなっていった。
日常の中に埋もれていった現実を思い知るのは、未だ少し先の事だった。