第18話 少女の心 - (1)
「話はラキに聞いたぞ! あたしもつれていけ!」
「………ダメ」
河原付近に建てられた、千歳の住処である掘っ立て小屋。
早朝から塒に押しかけたアヤメの意思表明を、千歳は寝ぼけ眼のまま、しかしはっきりと却下した。
「なんでだよ! 私は強いぞ、役に立つぞ!」
「朝っぱらからうるせーなぁ……。つーかアホか。お前みたいな小娘、3日で干上がるわ」
尚も食い下がるアヤメに、千歳はにべもない。
「なー、強い魔獣もたくさん出るんだろ? 頼むよ、足手まといにはならないからさぁ」
無免許での狩猟行為や外界進出という前科のあるアヤメは、無自覚ながら千歳の真意に薄々は気づいているのであろう。
徐々に語気を弱めて、それでも尚懇願する。
「お前の剣術は基本的には対人戦術だから役に立たん……とまでは言わねーが、それが理由じゃねーぞ。道中の災害対策知識、警戒動物の生態知識、応急手当の知識、お前には樹海を生き抜く為の知識が何もかも足りてねーんだ。サバイバル舐めんな。どうしてもついて来たいなら…………そうだな、半年やるから勉強してこい」
旅の同行を願うその動機が、強敵を求める性なのか、好敵手や親友との別れを惜しんでなのか。それはアヤメ本人にも自覚できていない。
勉強と聞いて反射的に項垂れたアヤメに、千歳は容赦なくダメ押しを放った。
「それから当然だが、親御さんらとはきちんと話し合えよ。お前がいくら上手に剣を振れてもだな、そもそもお前をこれまで養って、他にいっくらでも仕事があるこのご時世に、女だてらに剣の道を行くことを許してくれた親御さんにだな……」
年を取って、最近やたらと説教くさくなったと自覚しつつも、千歳はくどくどと言葉を並べていく。
実際には戦神の噂を聞きつけて同行を志願する連中は日増しに増えている程だ。
アヤメの両親もその例に漏れず、娘の同行が許可されるのであればむしろ誇りに思うぐらいだ。
千歳の説教はいらぬ心配ではあるのだが、半ば世捨て人となった上に自身の評判から意識して目を逸らしている千歳にとって、それは思いもよらない事態なのだった。
「一応、連れて行く気はあるのだな」
「何だ、いたのか」
項垂れて屍同然となったアヤメを横切って掘っ立て小屋から顔を出せば、そこには人の悪い笑みを浮かべたマーリンが立っていた。
さらに視線を後ろに向けると、スティラキフルアがしゃがみこんで道端の雑草を熱心に観察しているのが確認できる。
「半年で出来なきゃそれまでだ」
塒の場所を子供達に教えた犯人はマーリンだろうと確信して、千歳はこれみよがしに溜息を吐いてみせる。
「……娶るのか?」
「なんでだよ! アホか、どんな歳の差だ。孫どころか曾孫以下だろ」
マーリンにしては珍しく見当違いな言葉に、千歳は即座にツッコミを入れて今度は呆れを含んだ溜息を吐いた。
「人には散々結婚しろと言っておいて、君は非道いな」
「あのなぁ……俺は──────」
軽口を叩きながら、千歳とマーリンはいつもの河原へ歩き出した。
◆◆◆
「……ラキ、何してるんだ?」
項垂れたまま物思いに耽っていたアヤメは、視界の端で草をいじり倒している親友に声を掛けた。
「ここの草、すごい」
「何が?」
「異常発達。多分、ちぃくんの闘気……ううん、生体エネルギーに当てられてる」
「……ふーん」
聞いておいて気のない返事をするアヤメに、スティラキフルアは熱心に見ていた雑草から手を離して目を向けた。
「アヤちゃんらしくないね」
「う……、いやさぁ」
言いたいことはストレートに言うアヤメの性格をよく知るスティラキフルアは、アヤメの心情を察して苦笑した。
「アヤちゃんにとって、ちぃくんはどんな人?」
「……………うーん?」
唐突な質問にアヤメは面食らったものの、素直に言葉の意味を受け止めて思考する。
彼女は親友の頭の回転の速さをを知っている。
会話は飛ぶし、一見して何を考えているのかわからないように映るが、彼女は意味のない事をしない。
ならば、いちいち意味を確認するよりも、素直に応対するのが手っ取り早いのだとよく理解しているのだ。
「……あたしの父さんはさ」
熟考の末に出てきた言葉は、父の事。
思えば、語るより棒を振り回してきたような人生だった。
そんなアヤメが、自分の目で見てきた戦神を───南 千歳を語る。
これは、その為に必要な助走だった。
拙いながらも、不器用ながらも、アヤメは静かに語りだした。
「ニホン列島探検隊の一人だったんだ。凄腕の剣士───刀じゃないけど───で、戦闘要員として選ばれて、家族を置いて喜々として出て行った……らしい」
アヤメの父、シゲトラは探検隊選抜メンバーの一人だった。
アヤメとの父娘関係にこそ気づいていないが、実は激励会やオトギ郊外での実地訓練指導で千歳とも面識がある人物だ。
「母さんは何も言わないし、私も小さかったからよく覚えてなかった。その内私は近所の道場で剣術を始めて……師範に“アヤメは父ちゃんみたいに才能があるな”って言われる度に、なんとも言えない気持ちになった」
シゲトラは国の一員として、一人の武人として、自信と誇りを持って任務に臨んだ。
今や関東地方の大半を占める程に拡大の一途を辿るオトギだが、全てが盤石というわけではない。
増加を続ける人口や、それに伴う食糧問題など、新たな資源を求めての領土拡大は急務という程ではなくともいつかは必要となる案件だ。また外界の探検には、外敵と成り得る可能性のある存在を確認するという重要な意味合いも含んでいた。
オトギが自らを国と呼称し始めたのは、人口がまた1万に満たない頃からの事だ。
他に比べる存在がないのだから、呼び名は村でも街でも変わらないのだが、だからこそ彼らは一丸となって国の行末に注目し、探検隊という重要な役割を担う事に憧れや誇りを抱く。
アヤメの母もまた、そうして夫を送り出したのだ。
物心付く前の、小さな娘をその手に抱きながら。
「それから何年かして、父さんがひょっこり帰ってきたんだ」
そして探検隊───シゲトラは、危険な長期任務をやり遂げて帰還した。
西側に強大なコミュニティを築く森人族達の存在。
生態域、気候、地形、ニホン列島の全貌。
どれもが今後のオトギを左右する情報であり、命をかけたニホン列島の探検は歴史的な偉業と讃えられた。
「父さんは功績を認められて、報酬としてすごくたくさんのお金をもらった。それと、父さんの望みで『戦神』に家名をつけてもらったんだ」
ようやく出てきた戦神の名に、スティラキフルアはぴくりと反応する。
対価として名付けを迫られて困り果てる千歳を想像して、スティラキフルアは親しい者にしか気づけ無い程度に顔を綻ばせた。
「ミヤモトって言うんだ。ニホンで、一番強かった剣豪の家名なんだってさ」
それは、物心付いた頃から父と千歳が語り合う川辺を遊び場としていたスティラキフルアも知っていた名だ。
太古の昔に実在した二刀流の剣豪、という程度の認識だが、アヤメの父が大層な家名を賜ったという事はよく理解できた。
「あたしは父さんに甘えた。なんだかんだ言って嬉しかったんだと思う。剣を始めたのも、父さんがいなくなって、代わりにあたしが母さんを守るんだって……そんな動機だったから。国中に英雄扱いされて、最強の家名なんてものをもらって……そんな父さんが帰ってきて、最初は複雑だったけど、まるで物語のヒーローみたいに見えて……やっぱり嬉しかったんだ」
素直過ぎる程に、次々と湧き上がる感情を吐露するアヤメを見て、スティラキフルアは目を細めた。
魂の証明、闘気練法の確立。
スティラキフルアの両親もまた、数々の偉業を成し遂げた偉人だ。
ただ、彼女は物心つく頃から『父の親友』としての南 千歳を見てきた。
それは彼女にとって“国の為”というよりも、“こうしたら面白いんじゃないか”、“こうしたら上手くいくんじゃないか”と悪巧みをする様に知恵を絞る友人同士の語らいに見えた。
それは千歳を───戦神という天上人を、現実に目にしてきたスティラキフルアだからこそ抱けた想いだ。
だからこそ、自然に自分の役割を理解して、納得もした。
そうしたい、と思えた。
結局の所、彼女達の違いは『戦神』ではなく『南 千歳』という実像を見てきたか否かなのだ。
「でも、父さんはあたしにあっさりと負けた」
それは、いつか戯れに道場に顔を出したシゲトラが、親友が開く道場に通う愛娘の噂を聞きつけて提案した試合。
「不意打ちとか、子供相手に遠慮してとか、そんなんじゃなくって……それはもう、あたしの方が手加減が必要なくらい、はっきりと差がわかるぐらいに父さんは負けた。何度も、何度も」
年老いた自身の肉体や、進化を繰り返す本国の闘気練法の実情に対する思いもあったが、幸いにしてシゲトラは実の娘に嫉妬心をぶつける程に器量の小さい男ではなかった。
「父さんは喜んでたけど、なぜか勝ったあたしの方がショックでさ。めちゃくちゃ動揺した。母さんを……家を捨てて、剣に生きて、それでその程度か、って。憧れとか、尊敬とか、全部崩れていくみたいで……それを認めたくなくて、とにかく強い人を探したよ。そのくらいからかなぁ……戦神も実は大したことないんじゃないかって思うようになった。他の門下生も、師範も、父さんでさえもあたしにとっては大差無かったから」
それから、アヤメは遮二無二強者を求めた。
父が弱いのではなく、自分が強いのだと、無意識の内に証明したかったからだ。
そうすることで、父への尊敬を、家族の関係を保とうとした。
見方を変えれば、彼女はただ父に甘える口実が欲しかっただけなのかもしれない。
物心ついた頃を共に生きられなかった父娘の溝を、不器用なりに埋めようと必死だった。
そしてその内、力に酔ってしまった。
千歳の生まれた21世紀には無かった魔素───『闘気』という力は、未だ精神的に幼い子供であっても、訓練や才能によって強大な戦闘力を与える。
闘気による戦闘法が確立されて以来、未成年が力を暴走させる事故や事件は、増加を続けている大きな社会問題の一つだ。
「でもここに通うようになって、現実を思い知った」
上には上がいる──────そんな生易しい言葉では済まされない、天上の武人。
その戦技は、膨大な経験に裏打ちされた綿密で繊細な技術によって、身も震える程に美しい剣閃を描く。
その眼光は、剣技だけでは留まらない、相手の生の全てを見抜くような知性を宿す。
その闘気は、手にとった1本の木の枝ですらを、大地を揺るがす豪剣と化す。
凡そ戦いに置ける全てにおいて、雲の上の存在──────『戦神』。
「でも、あたしは一度だって負けるつもりで戦ったことはない。これからも絶対に勝てないとは思わない。思ってやらない」
それでも、アヤメは何度でも立ち上がる。
自身の後ろ向きな気持ちから目をそらし、我武者羅に強者を求める日々。
ぎくしゃくとする家庭、どこか別の世界にも感じてしまう道場、いまいち馴染めない同世代の集まる学校。
何もかもがどうでもよくなる程に、何もかもが小さな出来事に思える程に、その戦いは、精一杯で、必死で、清々しい。
ただ、目の前のこの男を超えてやるんだという思いだけを胸に突き進む。
アヤメにとっての千歳とは、親でもなく、友でもなく、師匠でもなく、先生でもない。
“もっとこうしたらいい”だとか、“ああしたらこうなる”だとか。
そんな具体的な言葉など、もらったことはない。
「でもあの人はさ、あたしが自分でもすごいと思うぐらいの剣を振るうと……本当に嬉しそうに笑うんだ。それが、すごく嬉しい」
自身の想いを口にする事で感情を整理するアヤメが、“そうか、あたしは好敵手になりたいのか”と呟くと、スティラキフルアはわざとらしくため息を一つ吐いてから、堪え切れないように笑った。
「な、なんだよラキ! 笑うことはないだろ!」
「わかってる。アヤちゃんは、ちぃくんが大好きなんだよね」
「な、な、なななぁ!?」
思いもよらない言葉に、アヤメは顔を真っ赤に染めて狼狽えた。
だが、否定はしなかった。そうだと言われれば、そうなんだと素直に胸にすとんと落ちる思いだった。
「…………そっかぁ」
胡座をかいたまま、後ろ手をついて空を見上げる。
思えば、思うままに生きてきた人生だ。
そして、それはこれからも当たり前のように続いていくものだと思っていた。
家族か、想い人か。
どちらを選ぶだなんて、軽々しく口にすることではなかったのだと、アヤメは思い直した。
父との関係から目を逸らしたまま千歳に付いて国を飛び出せば、自分はいつか必ず後悔しただろう。
もう目を逸らしはしない。自分は、父との溝を認めたくなくて、剣を磨いてきた。
離れ離れになど、なりたいわけじゃない。
だけど──────
「今はまだ見上げるばっかりだって、ちゃんとわかってる。あたしばかりが引っ張りあげられるような、そんな戦い。ただあたしは、いつかあの人がずっと笑ってられるような……そんな戦いがしたいんだ」
剣を振るうことが、ただ純粋に楽しい──────そう思えるようにしてくれたあの人が、心の底から笑えるように。
「だからちぃくんは、アヤちゃんから目を逸らさないで真っ向から相手をしてくれるんだよ。……あの人は、神様なんかじゃなくて、人だから」
優しさを滲ませた親友の囁きを聞きながら、アヤメの心は揺れ動いていた。
今日から復帰です!
わーい、やっと出張が終わったよう……。
予定外の投稿で申し訳ありません、来週は……間に合うかなぁ……。
ちなみに日本最強が宮本武蔵かどうかという議論は……すみません。あくまでニワカ千歳さんの私見ですので、あの……すみません。