⑨
俺と佐竹は一言も話すことなく、ホテルへ辿り着いた。
エレベーターホールで、年代物のエレベーターがゆっくりと降りて来るのを待つ。
「あのっ」
沈黙を破ったのは佐竹の方だった。
「あの、一度宮前君とちゃんと話したかったの。もうこんな機会二度と無いと思うし……。宮前君がもし良ければ、私の部屋で少し話さない?変なことしないから!」
両手をきつく握り締めた彼女は、意を決したように一気に捲し立てた。
「あ、変なことって言うのは告白とか迫ったりしないって言う意味で、私は純粋にただ宮前君と喋ってみたいな、と……」
どんどん声音が弱まっていく彼女に俺は吹き出してしまった。
「変なことしないなら、いいよ」
からかうように俺がそう言うと、彼女は俯きながらホッと息をもらした。
正直、信じられない誘いだった。俺の知っている佐竹は、いつも予防線を張り先読みをし、相手に不快な思いをさせないように気を張っていた。
自分のことを嫌いだと知りながら、その相手に自ら近付くような真似は絶対にしないはずだ。
そして、何より自分自身の変化にも戸惑った。佐竹と話をしてみたい。彼女のことを知りたい。バス停での彼女の視線を追った時の気持ちが、ありありと蘇った。
赤い絨毯を敷き詰めたエレベーターは、厳かだけれどどこかカビ臭かった。俺と佐竹は二歩分離れて並んだ。彼女の緊張はどうやら解けたようで、表情は穏やかだった。
招かれた彼女の部屋は俺達の泊まっている階のひとつ下の階だった。
勿論、間取りは全く一緒だ。
「友達は?」
俺はサイドテーブルにビニール袋から炭酸水を取りだし置いた。
「さっきまで一緒に飲んでいたんだけど、二人ともあまり強くなくて引き上げちゃった」
飲む?と佐竹はグラスと白ワインを掲げてみせたが、俺は顔を横に振った。
窓のカーテンを開け、窓際の所々破れた革貼りの椅子に腰掛ける。俺はテーブルを挟んで向かいのもう一脚の椅子を引いて、ゆっくりと腰を降ろした。
彼女はグラスに白ワインを注ぎ美味しそうに飲み干した。その目はやはり窓の外の雨を見ていた。
小学校から知っている、それも自分とは決して相容れないと思っていた女と、日本から遥か遠い地で向かい合っている。それはとても信じられないような光景だけれど、俺は不思議と落ち着いていた。
サアサアと降る雨は、外に出ていた時よりも弱まって薄い霧のように広がり、灰色の世界を作り出していた。
「宮前君、私、ずっとあなたに言いたかったことがあるの」
不意に目線を俺に向け、彼女は言った。
「私、あなたのことが苦手だった。もしかしたら嫌いだったかもしれない」
じっとりとした湿気が部屋の中に立ち込める。
だけれど、この部屋は決して濡れやしない。俺と彼女が決して泣かないように。
俺は彼女の目を黙って見つめ返した。
そこにはもう仄暗い光は灯されていなかった。




