episode4
家を出ると、直ぐ近くにイキが立っていた。
壁に寄りかかり、黙って空を仰いでいた。
「あら、いたのね」
私が声を掛けると、イキはようやく私に気づいたのか「ああ」と気のない返事を返す。
「あなたは看取らなくてよかったの?」
「いいよ。目の前で誰かが死ぬのは……見たくない」
「……そう」
沈みきった声音で言う彼に、私は目を逸らす。
そして、おじいさん達の家から離れ広場に向かった。噴水の広場。だが、誰もいない。閑散としていた。教会を一瞥し、歩き続け先ほどの通りに出る。昼間だというのに、暗い。
すると、
「なあ、君は一体何しにここを訪れたんだ?」
とイキが言った。
私はその質問に淡々と、
「看取る、ためよ……」
答える。
「看取る? あのおじいさんのことか?」
「ううん。おじいさんは、まあ……たまたまね。もっと、他の事よ」
曖昧な私の言葉にイキは「他の事?」と考え始めた。
暫く考えていると、遠くから少女の泣き声がした。イキはそれに敏感に反応し、走って彼女のもとへと行った。私もそれにあとから着いて行った。
彼は泣いている少女と同じ目線までしゃがみ、微笑みながら言った。
「どうしたんだい?」
すると、嗚咽を漏らしながら少女は言葉足らずに言う。
「あのね、かあさんがね、どっかいっちゃったの……」
「そっか。じゃあ、どこで逸れたか分かるかな?」
彼はそう言いながら、私をチラリと見てそれから少女へ視線を戻す。
その行動に―――道、分かるか? と言っていたように感じた。分からないわけではないが、知識が十年も前のことなので自信がない。それにここは、無理やり民家や工場などを建設したせいで道が入り組んでいて、道に迷いやすく、人を見失いやすい。少女もそれに填ったのだろう。
「ひろばでまってたんだけど、おかあさんかえってこなくてっ」
泣きじゃくる彼女にイキは困惑した表情で私を見る。そんな彼の様子に、あなたが困ってどうするのよ……と呆れてため息が出てしまう。
そして、少女の目線まで私もしゃがみ、微笑みながら言った。
「あなたの名前は?」
「……ぐずっ、アリム……だよ」
「そっか、じゃあアリムちゃん。私と、ここのお兄さんと一緒にお母さん探そうか」
そう言うとアリムは少しだけ泣き止み、小さく「うん」と頷いた。
彼女の小さな手と繋ぎ、まず広場まで向かった。道中で、イキが隣で「君は凄いな」と囁く。
「普通でしょう?」
「いや……、僕途中で困っちゃって……」
知ってる。
「あまり、子供と接してこなかったから……。どうすればいいか、分からなくなちゃったんだよね。君は慣れた様子だったね、羨ましいよ」
「別に、昔よく子供のお守りだったり、一緒に遊んだりしていたからかな。あなた以上には、対応出来るはずよ」
「……うっ」
痛いところを突かれたのか、目を逸らすイキ。そして、思いついたのか「ああ、そうだ」と言って、
「駄菓子屋、ないかな?」
唐突にそんな事言い出す。
「お腹でも空いたの?」
「いや、僕じゃなくて……」
彼の視線はいまだに母親が見つからなくて、不安そうにしているアリムに向けられていた。
「ある、けど……。いま、こんな状況だからやっているか、分からないわよ?」
「そっか、どうしよっかなあ」
「やってるよ」
「「え?」」
アリムがいきなり、駄菓子屋はやっていると言い出した。こんな病魔が跋扈しているこの村で、営業ができるのか。
「だがしやのおばさん、かぜひいてるのにおみせやるんだよ。みんな、おやすみしてるのに、おばさんだけいつもわらってやってるよ」
なるほど。と感心した。
多分、子供たちのために病に苦しみながら頑張っているのだろう。そう感じた。
そしてイキと目を見合わせ、「じゃあ、行こうか」「うん、そうだね」と駄菓子屋を目指して歩き始めた。
広場から、少し離れたところにその駄菓子屋はあった。
確かにアリムの言っていたとおり、店は開いている。周りは休業をしているのに、ここだけ営業している。
「じゃあ、シキはここでまってて」
「うん、分かった」
イキは言うなり、走って駄菓子やまで行き、「あの、すみません」と声を掛けた。
店の置くからは、アリムの言っていた「おばさん」らしき人が出てきた。微笑んではいるが、その顔色は悪かった。無理をしているのだろう。
「おやおや、大きなお客さんだね」
「あはは……。えっと、飴かなんかありますか?」
「飴かい? あるよ」
「じゃあ、一つください」
イキはそう言って財布を取り出し、お金を払った。飴を受け取りながら、
「あの……」
「まだ、何かあるのかい?」
「……アリムちゃんのお母さんを探しているんですが、どこにいるか分かりませんか?」
「アリムちゃんの?」
駄菓子屋の店主は店から少し離れたところにいるアリムを捉えるなり、悲しそうな顔をした。
「アリムちゃんのおかあさんは―――」
店主は口ごもりながら、
「―――帰ってこないよ」
ありえない事を言った。
帰ってこない?
どうして―――?
イキもその疑問は一緒のようで、
「どういうことですか?」
「アリムちゃんのおかあさんは、この村から逃げ出したんだよ」
「―――っ!」
衝撃の言葉に、イキは勿論きっと私も苦い顔をしていたのだろう。傍にいるアリムが心配そうに「お姉ちゃん、どうしたの?」と聞いてきた。
私は微笑みながら「大丈夫よ」と答えることしかできなかった。
疫病が怖くなったのだろう。
だから、アリムの母親は逃げ出した。
きっと、娘を連れて行けば邪魔になるとでも考えたのだろう。
無邪気な子を捨てて、逃げた。
無責任だ、と問い質せばいいのだろうが、でもそれは普通の事だと言うことも出来てしまう。
親だって人間だ。
死ぬと分かっていて、こんなところに長居はしたくないだろう。
やっぱり、怖かったのだ。
いつ自分が死んでもおかしくない、この村の状況に。
打開策もない。
なら、逃げるしかない。
きっと、アリムの母親はそう考えたのだろう。
この村の人はみんな優しい。だから、その優しさに縋った。
そして、自分の命を守った。
賢明な判断だと言えよう。
少ししてイキは、話が終わったのか戻ってきた。
落ち込んだ表情だったのだが、アリムに向かう時は笑って飴をあげた。無理して笑っているのは、聞かなくても分かった。私は今どんな表情をしているのだろうか。落ち込んでいるのか、それともポーカーフェイスを決め込んでいるのか、定かではない。
イキが不慣れながらもアリムと楽しげな話をしていると、通りの方から集団の足音が聞こえた。
―――もう、来てしまったのか。
と背筋がぞっとした。
楽しそうにしているイキには申し訳ないが、
「イキ、この村を出るよ」
彼の傍に寄り、小声で言った。
「え? どうして……」
困惑するイキを他所に、私はアリムに向かい「もう、この村を出なきゃならないの」そう言った。
「おねえちゃん、もういっちゃうの?」
「うん」
「おにいちゃんも?」
「うん、そうだよ」
寂しそうな顔をするアリムを見かねたのか、駄菓子屋の店主が寄ってきて「じゃあ、おばさんとお母さん探そうか」と笑っていった。
そして、私を見て―――アリムちゃんは任せて。と店主の目は言った。
それに頷き、わけが分かっていないイキの腕を掴み通りへと歩みだす。
「お、おい。どういうことだよ!」
「用事を思い出したからよ」
「何だよそれ。そんなこと理由にならないだろ! それに……」
「いいから、来て」
「……っ」
私は今どんな顔をしたのだろうか。イキは私を見るなり渋々と歩き出した。
通りに出ると、そこには病気がうつらないようにだろうか。完全にここと隔絶するような出で立ちの男が何人か居て、民家の一部に火をつけ始めていた。
この村を焼却するのだ。
そう、国が決めた。
イキはそれを見て、
「まさか、シキはこれのために村を出ようって言ったのか?」
「……ええ、そうよ」
「なら、アリムちゃんやさっきのあばさんに言わなかったんだ?」
と問い質す。
アリムの元へ行こうとする彼の腕を掴み、制止する。
「何するんだよ!」
「だめよ」
「じゃあ、あの人たちを止めるまでだ!」
怒鳴り散らすイキに私は言った。
「じゃあ、あなたが『やめて』と言えば、彼らはそれに従うと思う? あなたが神様だって言って彼らが信じると思う? 確かに、あなたが槍を取り出せば、信じるかもしれない。でも、そのせいでこの村の疫病が国中に蔓延したとき、怒りの矛先は必ずこちらに向くわ。神々と人間の前面衝突……なんて前代未聞よ。だから、私たちは無闇に自らの素性を口外出来ない。その意味、あなたも分かるでしょう?」
それを聞いて、イキは「分かるよ……」と力なく言った。
唇を噛み、アリムたちのいる広場の方を見て悲しそうな顔をする彼の腕を引きながら、私は出口を目指して走った。
そして、私たちは村を出た。
ラゾット村を一望できる崖の上に行ったときには、村は朱色に燃えていた。
村に居た人は多分全員死んだ。
燃える。
あの場にいたら、きっと村民の悲鳴が聞こえたことだろう。
アリムは泣いていたのだろう。
もう、彼女らに会うことは二度とない。
全て、炎が消し去った。
村を見下ろしていると、イキが膝を突き泣いているのが分かった。
「何も出来なかった」
小さく、呟く。
助けたかった。
救いたかった。
でも、何も出来なかった。
僕は無力だった。
僕は神様なのに、神様になったのに。
結局何も出来ていない。何も出来なかった。
嘆く彼に私は、
「じゃあ、あなたに何が出来たというの?」
自分でも驚くほど冷たい口調で言い放った。
でも、実際私も何も出来なかった。
イキはそんなこと聞いていなかったのか、起き上がって私を見た。
「これが、君が選んだ事なのか?」
その言葉に『死神が行う、死の選定』が頭に浮かぶ。
確かに、私が選んだことだ。
「ええ、そうよ」
「―――っ」
そう言うと、苦渋の表情で目を逸らす。
そんな彼に「でも……」と私は付け加えた。
「彼らの死に方までは決めていない」
「なんだよ、それ」
「彼らがこう死ぬって事はつい最近知ったことよ。だから、私は看取りに来た。それが私の彼らに対する、最後の礼儀……そう思っているから」
「………」
イキは黙り込んで、愛しむように燃える村を眺めた。
死に方を決めない。
死に方まで決めてしまったら、運命があることを認めることになる。だから、私はそういうことをしない。だって、自分で選んできた道が本当は誰かが選んだ事だってなったら、これまで自分が遣ってきたことは全て無駄だったと思えてしまう。そんなのは、生きていても意味はない。
「シキ、僕に何が出来ると思う?」
「……今更、何言っているのよ……。イキ、あなたが生神で、私が死神である限りあなたは私を止める。そして、私を殺す。そうでしょう? 」
私がそう言うと、ようやく気づいたのか涙を拭い村を眺め「そうだな……」そう言った。
村を燃やす朱色の炎を見ていて、嫌気が差した。
昔のことが頭の中を過ぎる。
その場にいられなくて炎を背にし、歩き出す。
「行きましょう。イキ」
「もう、行かなきゃならないのか?」
名残惜しそうな彼の言葉に私は―――
「私、火が嫌いなのよ……」
そう言った。
そして、彼に構わず歩き出す私にイキは「待てよ」そう言って後から走って着いて来た。
私が言った言葉が、昔の事から逃げたいからなのか、今の状況が見ていられないからなのか、分からなかった。
彼なら、分かるのだろうか―――?