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ZartTod  作者: えびてん丸
42/42

episode30

「ねえ、お姉ちゃん」

 妹が唐突に聞いてきた。顔を目いっぱい上げて、私の顔を覗いてくる。その小さな手には私がいつも首から下げている装飾の少ない銀色のロザリオを持っていた。

 でも。

 私がかつて使っていたような向きとは真逆に彼女は持っている。下の方が長い十字架を、逆さまにして上を長くしている。

 そして、彼女は言う。

 あの頃の、無垢で純粋な声音で。

 あの頃と一切違わぬ、その声音で―――。


「神様って、いる?」


 なんて、聞いてくる。

 私は一瞬、声が出なかった。

 私が何も反応を見せないことに疑問を持ったのか、イニスは小首をかしげて、少し心配したような顔をする。

 そんな彼女の様子に、はっとして、気を取り直して、しかし動揺しながら、

「そ、そうだなあ。イニスがいる、って思えばいるんじゃないかな」

曖昧に答える。

 私自身、神様、というものがいるかどうかなんて、分からなかったから。

 協会に毎日通い、聖書の内容を熟知し、礼拝だったりも確かにする。他の誰よりも熱心にやっている、と周りからよく言われ、熱心な信徒だ、と囃される。でも、実際は違うのだ。ただ、縋るものが欲しかっただけだった。神様、なんていないことくらい、母が死んだときに私はもう理解していた。

 だから……。

 私は、神様なんて信じていない。

 願いを叶えてくれる、万能の願望器なんてないのだ。

 すると、イニスは更に聞いてくる。

「じゃあ、じゃあ! 死神っているの?」

「え―――?」

「だって、いい神様がいるなら、悪い神様だっているかな、って」

 不安そうに語る彼女と同じ目線まで、しゃがんで、その頭を撫でる。

「うーん……。イニスは大丈夫よ。いい子のところには、死神なんてこないから」

「そうなの?」

「うん」

 私は、神様を信じていない。

 だからといって、死神がいないか、と言われて、有無を言わずに肯定できるわけではなかった。

 死神はいつだって、目に見えない形で現れては、何かを攫って消えていくから。

 でも、不安にさせてはいけない。

 イニスにそんなやつを近づけてはいけない。

 そう、思っていた。

「じゃあ―――」

 イニスは再び、口を開いた。


「わタ、し  を 殺シ た、のは  誰だ 、っ たッ ケ、 ¿」


 その目には光が映っていなかった―――。



 ***



「―――キ? おーい、シキってば!」

「え?」

 意識が現実から離れていたのに気がついたのは、彼の声が聞こえたからだった。隣に立つ少年の青い目が不思議そうに、私の目を覗いている。

 彼を中心に、世界が戻ってきた。

 ざわめき、喝采、笑い声……。空は暗く、星が光っている。けれども、普段はその明かりさえ頼りなく、街を照らしてくれるものと言えば、月明かりくらいだったが、今日ばかりは少し違う。少し、ではない。大分違う。等間隔に設置された提灯が、町中を照らしていた。それ以上に、人々の感情が町を照らしている。明るくしている。

「どうしたの?」

 イキが聞いてきた。お面の穴から彼を見ると、どこか心配しているような顔をしている。

 彼に聞かれて、はて、私はどうしてぼうっとしていたのか、分からなかった。分らないから、答えようがない。

「いや……何でもないよ。大丈夫」

「本当に? いや~、何だか怯えてるような目をしてたからさ」

「目?」

「うん……。あ、勿論お面を取ったわけじゃないよ。目の穴からちらって見えたんだ。本当に大丈夫? やっぱり、腕が痛むかい?」

 腕……と言われて、意識の外にあった右腕の痛みが、不意に戻ってきた。鈍痛というか、腕に力を入れると容赦なくジーンと痛みが走る。それに、少し顔を顰める。

 服で隠れているから、治しても良さそうなものなのだが、如何せん私は自分の力で、自分の傷を治せないもので。イキなら、治せるのだろうが、こんな人混みでできるわけないし、何しろあれは本当に緊急事態のときのみ用いるのが当たり前なのだ。それに、あれは非常に激痛を伴う。痛みは体力を消費するのだ。彼が昨日言っていた通り、私は病み上がりで、普段よりは体力が断然落ちている。そんな状態で、痛みを受け、あの白騎士と戦うとなれば、私は秒殺で終わるのは目に見えている。それに、ここで怪我を直したところで白騎士との戦いの間で、怪我をしないか、と言われると、怪我をする、と即答するだろう。私はそういう戦い方しかできないから。

 誰かを傷つけなければならないとき、私は自分も傷つかなければ不公平だ、と思ってしまう。

 だから、こういう模擬戦じみたただ盛り上がるだけの戦いに対しても、生死を掛けた戦いに対しても、私は相手を傷つける前に自ら相手にやられに行くような、そんな行動を無意識に取ってしまう。そういう戦い方に、大助さんもファベルさんも、その傷を治すライラさんも呆れたようにいつも言うのだ。「そういう戦いばっかりしていると、いつか足元を掬われて、気がついたら死んでるよ」と。私としては、それでも一向に構わないのだが、それを言うと彼らは私の脳天を軽く殴って怒る。

 たぶん、イキも怒るだろう。

 彼らとは違う顔で。叱るような顔ではなく、純粋に怒って、少し寂しそうな顔で。

「そんなこと、いわないでくれ」と言うのではないだろうか。

 いや……私は彼にそう言ってほしいのかもしれない、と、隣で大男と格闘家の戦いを今か今かと待ちわびている少年の顔を盗み見ながら、そう思った。

「ん? 僕の顔に何かついてるかい?」

「ううん、別に何もないわ」

 ただ、別に彼に拒絶さられるのが怖くなっただけだ。

 ねえ、そうでしょう?

 だって、私は化け物だから。誰かに嫌われるのなんて、当たり前で、彼に「嫌いだ」と言われてもそれで彼を憎んだりなんかする資格も権利もない。いや、憎むことすら宛て違いだ。結果論では、彼が悪いと思っても仕方がないが、原因は私自身が生産し続けた人殺しと裏切りという名の悪魔が、私に仕返しをしている、ただそれだけのことだ。

 だから、私は嫌わるのが当たり前の存在で、誰かを好きになる資格なんてないし、誰かを嫌う権利なんて勿論ない。

 メイリス、あなたはどうなの?

 私のこと、どう思ってるの?

 彼女はいつだって、誰かのことを嫌いになったことはなかったが、メイリスは私の一部なのだ。だから、たぶん苦笑してそれから「嫌いじゃないです」と言おうとして、泣くのだ。「どうして、そんなことをしたのですか?」って、辛そうに泣いて私にしがみついて、どうして? と何度も何度も……。

 いや、駄目。

 駄目、駄目。

 そんな暗いこと考えては駄目だ。

 彼らの楽しい思い出に、私なんかが介入していいわけがない。

 だから―――忘れよう。

「ねえ、イキ……」

「ん?」

 彼の口は少し膨らんでいた。手元には、私が女格闘家と戦っていたときに食べていたものと同じ、団子が握られていた。

「また、食べてるの?」

 呆れたように言うと、彼は、

「アッシュがたくさん買って来てくれたからね、食べなきゃまずいだろう? あ、君も食べるかい?」

「いや、私はいいわよ……。それより―――」

 私は、土俵へと上がった大男と男格闘家の方へ視線を向けた。彼もそのあとに続いたのが、視界の片隅で見えた。

「あの二人、あなたはどちらが勝つと思う?」

「んー、まあ……大きい人の方かなあ」

「どうして?」

「さっきの戦いを見れば、何となくは……ね。それに、格闘家さんの方は銀騎士さんとの戦いで結構疲弊しているだろうし……。君はどうなの?」

 彼にしては、かなり的確な分析だ。少し彼のことを見縊っていたのかもしれない。

 イキに聞かれて、私も同じことを言った。

「大男の方が勝つでしょうね」

「どうしてそう思う?」

「まあ、あなたと同じようなことよ。まず、これはルールのある試合ではないから。何かの格闘技の試合で、それなりのルールや禁止事項があれば、大男の戦い方は型というものを少しも成していない。それに、相手が格闘のプロであるからこそ、あの男には勝てない」

「どうして?」

「あなただって見たでしょう? 大男の戦い方はどう見たって力任せそのものだもの。簡単に言えば、戦いに必要な作法を知らない力だけはある子供が、ただ己の拳を力任せに振り回しているだけ……。格闘は、まあ、流派によりけりだけれど、相手の動きを先読みして攻撃したり、防御したり、相手の動きを封じたりする……でもそれって、自分自身の力が相手に通じればの話でしょう」

「……ということは、格闘という枠を外して戦えば、格闘家さんは勝てるってこと?」

「そんなことしたら、そもそも戦えないわ」

「へえ、じゃあ―――僕は勝てる?」

「え?」

 いきなり発せられた彼の言葉に理解するのに一秒くらい要した。

 理解できた瞬間に、老人とイキとの戦いが頭の中に蘇って来て、それに呆れた。

「あなたが本気で戦ったところなんて、私見たことがないわ」

 と言って、判断できないという旨を伝えると、彼はいかにも不服そうに頬を膨らませて、

「えー、僕戦ったじゃないか」

「あんなの戦いでも何でもないわよ……」

「酷いなあ……」

 彼はそう漏らすと、手に残っていた団子を再び頬張った。

 そうこうしている内に、ゴングが鳴った。

 最初の攻撃は大男からだった。大きな拳が、格闘家に向かって振り下ろされた。格闘家は、動きを見切って後方へ飛ぶことで、避けた。拳は案の定格闘家へ当たらず、そのまま地面へ落ちていく。重いものが勢いよく落ちた時のような音が土俵上で鈍く響いた。地面が抉られそうな音である。格闘家の調子はあまりいいものではないらしい。

 イキの言った通り、彼は疲れている。

 きっと銀騎士との戦いが、激戦だったせいだろう。怪我もしていたし、対して大男は怪我は一切していない。

 格闘家が銀騎士と戦ったあと、イキや私、白騎士たちの戦いがあってそれなりに時間が経ったとはいえ、体力は回復しているに違いないが、怪我の痛みまではそうはいかない。しかし、そうは言っても彼は戦いのプロだった。一切相手に弱いところを悟られないよう、また、観客に対しても怪我の痛みを感じさせない動きを見せつつ、大男の拳を辛うじて避けていた。

 しかし、そんな誤魔化しがいつもでも通用するはずもなく、遂に大男の巨大な拳が格闘家の腕を捉えた。

「うッ……!」

 格闘家は苦悶の表情と共に、呻き声を小さく上げた。

 その怯みが、格闘家に決定的な隙を生んだ。大男はこの声を逃さず、大きく振りかぶった拳を思い切り格闘家に振り下げる。格闘家は体を素早く動かすことが出来ずに、そのまま―――土俵の外へ追いやられてしまった。大男の攻撃をまともに受けた格闘家の腕は、左腕は見るからに折れて、右腕は痣が出来ていて痛々しかった。

 かくして、大男の勝利。

 次は―――

「あ、君の番じゃなかったっけ?」

 イキが、団子の櫛を口から離して言う。口の周りには餡子が付いているのが気になる。

 しかし、何故彼は言わなくても分かることを言うのだろう。しかも、それが素であるから、尚たちが悪い。

 私は、彼の口元を持っていたハンカチで拭き取ってあげた。

「分かってるから、言わないで……」

「えっ、ああ、ごめん」

 あはは、と彼は笑った。そして、続けて、

「腕は大丈夫なのかい?」と聞く。

「大丈夫に見えた?」

 逆に聞き返すと、イキは困った顔で笑って、

「あー、見えなかった。でも……出るんだろう?」

「あなたとの約束だからね」

「あ、僕のせい?」

「どうだろうね」

 私はそれだけを彼に言い残して、土俵へと向かった。



 ***


 私が会場近くの開催本部のあるテントへ司会者から渡された赤いハンカチ大の布を見せたとき、白騎士の姿は既にあった。

 彼女の手には騎士見習の少女と戦った時にも使っていた、模擬戦用の木製の突撃槍が握られていた。先端は尖っておらず、突いても刺さることはないのだが痛いことは痛いのだろう。

 彼女は司会者の後ろに控えているある男の騎士と話していた。騎士―――と言っても格闘家と戦い負けた銀騎士ではなかった。別の騎士だった。身なりを見るに、どうやら銀騎士よりも階級が上ということは一目瞭然だった。中佐か准尉くらいだろう。もしくは、聖騎士パラディンか……。騎士団長クラスなのは、一目でわかる。だが、そんな相手と白騎士は仲良く話をしている。どうやら、銀騎士と騎士見習の子について話しているらしいのは、遠くで聞いていて判明した。

 そんな彼女が私に気が気がつくと、男性との会話を中断して私の方へ歩み寄ってきた。

「今晩は。また、会えて良かったよ」

「は、はい。わ、私も……です」

 そう言って、彼女は手を差し出してきた。その手に合わせて右腕を出した。そのまま、力強い握手が返って来て、右腕の痛みが襲ってきた。私は呻き声を噛みしめて、顔を顰めた。お面があって良かったと、この時ばかりはそう思った。

「先程の、戦いを拝見した。素晴らしい動きだと思ったのだが、どこかの騎士団にでも入っているのか?」

 私は頭を振った。

「いえ、どこにも……」

「ふむ、そうか」

 少し残念そう……。

 すると、壇上へ上がれという合図が入った。「では、行こうか」と、白騎士は言った。私は頷いて、彼女とは左右逆方向へ進みだす。

 簡易階段を上り、土俵へと上がった。

 司会者が遅れてやってきた。

「さて、第七回戦―――」

 青年は白騎士の方へ腕を刺して「左―――白!」続いて私の方へ腕を指して「右―――赤!」と大声で言った。彼がコールするたびに、観客の歓声は一層盛り上がりを見せる。そして、私たちに聞こえる声で、私たちそれぞれに目配せをしながら、

「準備はいいですね?」

と最終確認をした。

 無論、白騎士は―――

「勿論だ」

 頷いた。

「………」

 私もそれに続いて頷く。

 それを合図に、青年は両腕を勢いよく前方で交差させた。

「始め!」

――――ゴングが鳴り響いた。

 歓声がわっと上がる。

 白騎士は、女格闘家とは違っていきなり突進してはこなかった。至って冷静、余裕の面持ち。すると、彼女は丁寧に一礼をして、

「手合わせ、願おう」

と言った。

 突然、そんなことを言われ、私は変に驚いて、言葉が詰まってしまった。

「え、あっ、はいっ。よ、よろしくお願いします……」

 傍から見たら、情けない……。

 たどたどしくお辞儀をする私に白騎士は苦笑をしていた。

 恥ずかしい……。お面をしていて良かったと思う。

 数秒待っても、白騎士からの攻撃はなかった。それに対してか、観衆も文句を言っている。何をやっているんだ、と。どうやら、白騎士は私の動向を伺っている。警戒しているのかな? だとしたら、買いかぶりすぎだ。うーん。私から仕掛けるべきか、否か……。悩んでいると、白騎士はようやく突撃槍を動かした。

 顔に目掛けた突き。

 私は反射的に、突撃槍の腹に物干し竿をこすり合わせた。擦れる音を立てながら、円柱上の槍の側面を滑る。力を外側へと向けることで切っ先が体に触れないようにずらした。

 白騎士は、私がそういう反応をするのだと、分かっていたように二撃目を呼び動作なしに繰り出した。突きからの横への薙ぎ払い。咄嗟にしゃがみ込み、攻撃をかわす。頭上で風を切る音が野太く聞こえる。

 そのまま、物干しざおを彼女の顎に当てれば、脳震盪を起こして、私は勝てるのだが、これは祭りだ。盛り上がりに欠ける。これじゃあ、なんの考えなしに拳を振り回す大男と変わらない。

 私はそれとなく彼女の懐に飛び込むふりをしてみた。ちょっとした悪戯心のようなもの。

 白騎士は案の定驚いた目を見せ、直ぐにそれは焦りの色に変わった。このまま私が彼女に攻撃をすれば、負ける、それが分からないほど白騎士は愚かではないはずだ。

 私は彼女の体をぐっと押しやった。

 押されたことと、攻撃されなかったこと、その両方に驚いた白騎士は若干体をふらつかせるが、それも一瞬だった。すぐ、気を張り、私の動向を先程よりも一層警戒して見てくる。

 左手に持っていた物干し竿を右手に持ち替えた時痛みが走った。お面の下では顔を顰めた私がいるだろう。だが、幸いにも彼女はそれに気がついていない。ほっと、秘かに胸を撫で下ろす。

 しかし、失敗だったかもしれない。

 これで彼女の警戒心は一層増し、手加減してくれていたものがきっと幾分かは本気を出してくるだろう。そうなると、彼女に合わせて私もどうにかしなければならないのだが……序盤からこんな風に警戒されるようなことをしなければ、ある程度時間が経った後ですぱっと終わらせることが出来たのになあ。本当に、私は馬鹿だ。心の底で大きなため息をついたことは、私しか知らない。

 勝手に落ち込む私に、白騎士はこんなことを言った。

「我々と共に、騎士になる気はないか?」

 唐突な質問。

 いや、彼女が試合前にどこかの騎士団に入っているのかと聞いてきた時から、だいたいそういう質問が来るのではと予想はついていた。ついていたからこそ、驚いたのだ。

 騎士になる気はないか、という彼女の質問に私は一瞬頭が真っ白になる。土俵下の観覧場所にいるイキの顔がすぐに目に入った。すると、揚がっていた心が一気に冷静さを取り戻した。

 私が騎士になる? そんな―――馬鹿な。

「すみません。私は……あなたについて行くことは、できません」

「そうか……。弱い私について行くのは嫌、ということでいいだろうか」

「え……あー。そういう意味じゃなくて、騎士にはならない、ということです。私には―――」

 誰かを守る力なんて、ないから。誰かを守ることなんてできないから。

 いつだって私は誰かから奪う側の人間。

 いや、もう既に人間ではないか。

 化け物だ。

 そんな化け物が彼女たちの神聖な領域に一緒に居てはいけないのだ。

 私が彼女の誘いを断ると、白騎士は残念そうな顔をした。一呼吸おいて、白騎士は、

「では―――本気で行かせていただこう。後悔しても遅いからな」

模擬用突撃槍を構えた。先程よりも真剣な顔で。先程よりも鋭い目つきで。

 彼女は構えて一拍置くか置かないかの間で、私に向かってその槍を突いてきた。さっきよりも、鋭く、空気を切る音を立てながら、私の腹部を狙ってきた。

 本気だ。

 私は体を右に逸らして躱そうとするも、

「――――っ!」

僅かに触れてしまった。わき腹が殴られたような痛みが襲う。だが、ここで怯んではいけない。弱みを見せてはいけない。私はわき腹を庇うことを忘れたように、そのまま腹を槍の側面に当てながら一歩前に出て彼女の腹部を左手で、殴った。

 ゴンッ。

 小さな音がした。

 それと共に、

「いッ―――!!」

 私から小さな悲鳴が漏れた。

 その場の空気が一気に静まり返った。だが、そんなことを気にしていられるほど私の精神状態は正常では長った。

 痛い。

 殴られたはずの白騎士は何ともなく、殴った方の私は左手を抑えている。

 呻くように、

「忘れてた……。鎧着ているの完全に、忘れてた。うぅ……」

そう呟いた。

 彼女の体は白い鎧で覆われているのだ。覆われていない部分、と言えば、兜を被っていない頭のみ。それ以外は固い装甲が包んでいる。鉄を殴れば、そりゃあ痛いに決まっている。それも本気で殴れば。私に力がなくてよかった。

 白騎士は、本気を出すと言っていたときの顔とは一変して、心配そうな顔で、

「だ、大丈夫か?」

と試合中であるまじき問いを対戦相手にしている。

「だ、大丈夫……です」

 私は痛みに蹲りたい気持ちを押し殺して、立ち上がる。

 お面の奥で私は涙目になっていた。なんだかなあ。今日はいまいち上手くいかない。なんなんだろう。でも、不思議とつまらないとは思わなかった。寧ろーーー楽しい。

「い、いきます!」

 私は痛みをこらえながら、物干し竿を構える。私のその行動に、彼女も気を張る。それから、私から攻撃を仕掛けた。しかし、そこは流石現役岸といったところだろう。すぐに対応を示す。

 電撃が走ったような攻防。

 白騎士は勿論、私も勝ちを譲ることはなかった。

 彼女の攻撃は一撃一撃が重く、次への攻撃が早い。だが―――あの老人に比べたら、遅い。

「なっ―――!!」

 白騎士の重心を狙って物干し竿でつく。彼女は前によろめき、驚く。その隙に私は彼女の後ろに回って、その背中を押した。彼女はそのまま、土俵の外へと押されて出ていった。

 彼女が土俵の外に出たとき、辺りは静まり返った。

 司会者の、

「勝者、赤‼」

という号令とが上がると、ワッと歓声が上がった。白騎士は驚いたような顔をしていだが、人々の歓喜の声が聞こえると我に帰ったのか、土俵の上に戻って私の目の前に立ってお辞儀をした。そして、

「素晴らしい戦いだった。手合わせありがとう」

と手を差し出してきた。彼女の顔は負けたとは思えない優しい笑みを浮かべていた。

 彼女の手をとって、握り返した。

 そして、土俵から降りて、白騎士はどこかへ行こうとしていた。私はその背中に、

「あ、あのっ」

声をかけた。

 白騎士は踵を返す。そんな彼女に私は、

「え、えっと……。話ししませんか? ほら、その……約束、しましたし」

 白騎士と共に、会場から離れていった。



 ***



 闘技会場からほど近い雑木林の中へと移った。ここは会場から近いとあってか、遠くの方で人々のざわめきが聞こえてくる。提灯の明かりも小さな光を伴って遠くから私たちに所在を伝えていた。木々が生い茂る中、私の向かいには白騎士が立っている。そして―――

「ねえ、どうして僕も呼ばれたの? あ、もしかして、二人きりじゃあ恥ずかし―――ぐえ、殴らないでよ……」

 私の横にはイキがいる。

 彼を横目で見やると、彼は苦笑して言った。

「じゃあ、外したら?」

「あ、うん……」

 彼に促され、私は久しぶりに赤鬼のお面を外し、ついでにフードも脱いだ。激しく動いたからだろう、お面とフードとに逃げ場を失っていた熱が一気に外に出ていき、滲んでいた汗が風に冷えてきた。

 私の顔を見た白騎士は、頷いて、そうか、と言った。

「それが理由で、隠していた。ということでいいだろうか?」

「うん、それで大体合ってるよ」イキが答える。

「確かに、公国の者にその姿を見られてしまえば、標的になるな。だが、これは私の見解であるが、貴女ほどの実力の持ち主相手に襲ってこようなどと思う輩が果たしているだろうか」

 彼女のその疑問は確かに的を射ている。だが、

「大勢で掛かってきたら、たぶん、私は負けますよ」

 五人ならまだ相手にできるかもしれないが、力勝負、ともなれば私に勝ち目はない。そもそも、争い事を起こしたくはない。だから、こうやって私が隠せば済むというのなら、私は迷わずにそれを選ぶ。

「では、貴殿方が私にそれを明かしたということは、私は彼女をこの祭りの間護衛すればいいのだろうか?」

「え? あ、いや……そういうつもりじゃ―――」

「守ってもらえば? ほら、僕だって君の傍にいつでもいるって訳じゃあないしね」

 イキは気楽にそう言う。

「でも、彼女に迷惑じゃない?」

「私は構わない」

「ほら。彼女のああ言っているわけだしさ。人の厚意は快く受け取った方がいい」

 彼のその言葉に私は有無を言えなくなってしまった。言えずに口ごもる私に、イキはそんなことお構いなしに話を進める。

「ねえ、いいかな? えっと……」

「ロゼ、私の名前だ」

「そっか、僕はイキ。彼女はシキだよ。よろしく」

「ああ、こちらこそ」

 二人は二人で打ち解けあって、握手まで交わしてるし。

 いいのかなあ。

 なんて、考えてると、ロゼと名乗った白騎士が言った。

「そういえば、貴殿方は時間は大丈夫なのだろうか? そろそろ、二人とも試合開始の時ではなかろうか」

「え?」

 驚く私に反して、イキは、

「うん、今行くよ」

「え? どういうこと?」と聞くと、

「ん? 知らなかった? 次、君と僕との試合さ。いやー、君と戦うなんてはじめてだね」

「……負ければよかった」

 全力で負ければよかった、と後悔した。落ち込む私の手をとってイキは、じゃあ、行こう! と手を引いて会場へと引きずっていった。

 遠くでロゼが苦笑しながら、

「健闘を祈る」

と冷静な声音で言った。だが、声とは裏腹に彼女の顔は暖かみを帯びているように感じた。

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