episode3
ラゾット村に入り、一番に目に入ったのは病におかされた村人だった。
栄えていたはずの村の風景とは違い、今では咳をする人や、その場に倒れこむ者、といった活気とは無縁の風景だった。曇りのせいか、村全体がどんよりとした雰囲気に包まれていた。
森から、村への境には門らしきものがあり、そこを潜ると街道の土が固められてできた道とは違い、ちゃんとした石畳で舗装されていた。それが村の真ん中を通る道だった。馬車が通るため大きく出来ている。その道の端には人が倒れている。誰も気にかける人はいない。
歩いていると後ろからイキが、
「どこに行っているんだ?」
「言ったでしょ、あのおばあさんの言っていた人に会いに行くのよ」
「……殺すのか?」
静かに言った。
けれど、私はおばあさんの苦しそうな表情や、「楽にするから」と言った時の安心した表情を思い出して言い放つ。
「それが、彼女の願い……でしょう?」
それを聞いてイキは複雑な顔をする。私はそんなことに気にも留めず、以前立ち寄ったおばあさん達の家に向かった。
横幅の大きい道を暫く進み、五つ目の右にある建物と建物の間の小さな路地を抜け広い場所に出た。そこは広場で、噴水もある。しかし、噴水からは水は出ておらず、いつも元気そうに遊んでいた子供の姿もない。広場の奥には教会がある。教会の建物に蔦の草が巻きついていた。管理が出来ない状況なのだろう。教会の左横にある道を進んで行き、少し歩くとレンガ造りの民家に着いた。ここがあのおばあさんの家だ。
赤いレンガの綺麗な家だったが、今は雑草が生えていた蔦が巻きついていたりと荒んでいた。
「ここが……?」
「そう、あのおばあさんの家よ。多分、この中に……」
「いるのか?」
「まあ、そうね」
おばあさんの言った様子だと外に出られる状況ではないだろう。医者は通りと見たとき看板は下ろされていた。だとしたら、この家にいるのが妥当だろう。
茶色の扉の前に立ち、コンコンとノックをする。中からは、返事がない。
「………」
「………」
イキと顔を見合わせ、それからドアノブを捻って中に入った。
足音で気づいたのか、奥からはおじいさんと思しき嗄れ声がした。
「げほっ、帰ったのか?」
しかし、彼の捉えたのは彼の言うおばあさんではなく私だった。私の姿を見るなり、目を見開き「ああ、そうか」と声を漏らした。
「久しぶりだね、シキちゃん。何年ぶりだったか……?」
「十年ぶりよ」
「ああ、そうだ。そうだった。あの日は、バアスが楽になった日だ」
バアス―――彼らの一人息子で、重病に罹り床に臥していた。日を追うごとに痩せ、顔色も表情も暗くなっていく彼らにはそれを見ていられなかったのだろう。終にバアスは「死にたい」と言った。「死んで、何もかも楽になりたい」と。病気に負けて死ぬくらいなら、自分で自分を殺して死んだ方がいい。とさえ思ったほどだ。そんな時、彼の前に姿を出したのが私だった。たまたま、この村で道に迷っていたところをおばあさんに助けてもらっていた。「お茶でもしないか」そう言われたのが彼と会う切っ掛けとなった。おじいさんもおばあさんも買い物に行った時に彼に声を掛けた。
「病気なの?」
「ああ、とても重いね。もう、苦しいよ」
「死にたい?」
「……死ねるならね。でも、そんな事をして、何もかも諦めて自殺……なんてことになったら父さん母さんに申し訳がたたないよ。大切に育ててくれたんだ。いつも、僕のために頑張ってくれているんだ。本当は僕が働いて、この家を養っていかなきゃならないのに、この病気のせいで父さんはまだ働かないといけない。母さんも家事をしながら、商店の手伝いをして僕の医療費のためにお金を稼がなきゃいけない。でも、僕がいなくなればきっと楽になると思うんだ。もしも、死神がいたら『殺してくれ』と頼むね」
「そっか……。じゃあさ、もしも、その死神が私だって言ったら信じてくれる?」
「貴女が?」
疑問に思う彼の前に真っ黒な鎌を手の中から生み出した。禍々しく揺らめく残滓が人間の作り出したものではないことを物語っていた。
それを見て、理解できた彼は「そっか、やっと僕にも死神様が来てくれたんだね」と微笑む。その反応に私は思わず、目を見開く。
「へえ、怖がらないんだ」
「?……どうして怖がるんだい?」
「みんな、これを見ると『化物!』って言って逃げていくから」
「貴女は化物なんかじゃないよ。寧ろ、僕にとっては天使みたいなものだよ」
「ふふ、初めてだわ。悪魔、なら言われ慣れたけど、天使なんて言われたのは初めてよ」
「……ねえ、一つ聞いていいかな?」
「何?」
そして、徐に彼は言い始める。
「僕は、後どれくらいで死ねるんだい?」
その言葉に
「……さあ」
私は何も言えなかった。
彼の寿命はあと二、三十年近くあった。到底、今すぐ死ねるという状況ではなかった。彼の鎖は、魂をしっかりと頑丈に現世に留めている。私たち神々にとって、二、三十年は大した年月ではないが、人間にとってみればそうではない。長い。そう思った。あと二、三十年……彼が四、五十歳になるまでその苦しみは続く。彼はその時、一人だろう。彼の両親はその前に死んでしまう可能性のほうが高かった。だから、独りで死んでしまう。
私の様子を見て、悟ったのか「そうか、僕はまだ死ねないんだね」と残念そうに言う。けれど、方法がないわけではない。鎖を、楔を私が切ってしまえばその生は終わる。そう私が彼に言うと、バアスは微笑んでそして自らの胸に手を当て、
「じゃあ、この場で僕を殺してよ。いや、救ってくれ……の方が正しいかな」
「いいの? あなたの両親に看取られなくても?」
「……まあ、寂しいけどね。言いたい事もたくさんあるけど、でもね、良いかなって思ってる。だって、言葉って空虚なものだろう? 確かに、思いを相手に伝えるには便利だよ。でもさ、それは相手を傷つける鋭利な刃物にだって、嘘を吐いてしまう時もある。なら、言わなくても父さんや母さんには十分伝わっている、そう思うんだ」
「そう……」
その後、直ぐに彼の両親は帰ってきて、微笑んでいるバアスを見て喜んだ。そして、私が死神だと、彼を殺しに来たと言うと彼らは図らずも喜んでいた。その日の夜、私はバアスを、死を望んだ青年を殺した。穏やかなその表情に、おばあさんもおじいさんも喜び目に涙を溜めていた。頻りに「ありがとう」「息子を救ってくれて、ありがとう」と言って頭を下げた。
それが十年前のこと。
たくさんの人を殺し、見取ってきたがこれだけ印象に残っているのは稀だった。
「お茶でも、飲むかい?」
「いえ、今はそういう……。一つ、聞いていいかしら?」
「いいよ。儂にはなせることなら、なんでも」
「じゃあ……」
と私は言葉にする。
ここに来たときからの、些細な疑問を理解するために。
「この村に何が起こったのかしら?」
私がそういうと、おじいさんは少しだけ目を見開き、それから口にする。
「一ヶ月くらい前だったか、村で病気が流行ってね。なんでも、医者でも治せないらしくて……。最初はパン屋を営む夫婦が発症して、間もなくして向かいの靴屋の男性が発症したんだ。それからはあっというまだよ。咳は止まらなくてね。重症になると、血だって吐き出す。体が動かなくなって、みんな死んでしまった……げほっごほっ」
「だ、大丈夫ですか?」
イキが彼に駆け寄り、肩を擦る。
よく見ると、塵箱には血のついた布がたくさんあった。きっと、この老夫婦のものだろう。主にこのおじいさんの……。
おばあさんの帰りが遅いことに気づいたのか、
「ばあさんは遅いな……?」
と首を傾げ心配そうな顔をする。
帰ってこない。
そう言おうとしたが、憚られ結局―――
「大丈夫よ。直ぐにおばあさんに会えるから……」
言いながら、黒い鎌を生み出す。
禍々しい命を奪う黒い鎌。
それを見て悟ったのか「ああ、そうか。そういうことか」と穏やかな表情をした。
鎌を振り上げようとしたところで、
「やめろ」
イキが鎌を持ったほうの腕を掴んできた。
―――殺すな。
彼の目がそう呟いた。
「じゃあ、どうするの?」
「………っ」
イキはおじいさんを見て、苦しそうなおじいさんを見て苦渋の表情をする。私の腕をさらに強く握り、それから諦めたのか話して小さく「今回は……」と呟く。
「君の判断が正しいよ」
その言葉を言って、彼は家を出て行った。
それを見ていた、おじいさんは微笑みながら、
「あの子は誰だい? シキちゃんの恋人かなんかかい?」
「そんな、違うわ。あの子は私と正反対の神様よ。生神―――彼はそういう神様よ」
「そうか。彼と仲良くするんだよ」
なんて言われて、一瞬だけ実の父親のことを思い出す。
「うん、分かった」
思わず、そう答えてしまった。
少々、子供っぽくなってしまった感じがする。
だが、
「じゃあ、シキちゃん。もういいよ」
そう言う。
もう、殺していい。
そう言った。
だから、私は―――
「ええ、分かったわ」
鎌を振り鎖を切った。
現世に留まっていた魂が天に昇っていく。
これでおじいさんは死んだ。
穏やかに死んでいった。
よく見ると、おじいさんの使っていたベッドはバアスが以前使っていたものだった。