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ZartTod  作者: えびてん丸
39/42

episode27

 空が白くなってきたのを眺めて、私は音を出さないようにベッドから降りた。そして、イキから貰った外套を羽織、フードを被った。忍び足で部屋から出る。宿の外には誰もいない。昨日の夜にやっていた屋台は形こそ残ってはいるが、店先に人はいない。港町とあってか、この早朝―――霧が濃い。一人でぼうっとしながら、冷たい風を頬に受けながら、ふと、まだ港に行ってないなあと呑気に思いながら、そこへ向かった。

 港では、漁から帰ってきた船がぽつぽつと現れて、捕った魚を上げている。そんな様子を遠くから眺めながら、潮風を感じる。フユルにいたときの森の香りとは違って、こっちは磯の香りがする。これはこれで、悪くない。そして、海を覗いてみる。そこは真っ黒で、底が見えない。魚は沖の方に多く居る場合が多い。

 ただじっと見つめて、吸い込まれそうになった。身体が暗闇に傾きそうになったところで、

「駄目だよ」

と誰かに腕を掴まれた。

「えっ」

 驚いて振り向くとそこには、茶髪に優しい目元の少年―――シーレがいた。

「なん、で?」

 私は思わず驚いて、彼のことを暫く凝視していた。だが、そんなこと気にも留めずにシーレは言う。少し肩を竦ませて、

「まあ、散歩……かな」

「さんぽ……こんな時間に?」

「それは俺の台詞、だと思うけど?」

「ま、まあ……たまたま、目が、覚めただけ……よ」

「ふーん」

 嘘だった。目が覚めたのではなく、夜通し起きていたのだ。イキが眠りにつき、暫く傍にいてほしい、と言うので、彼の傍に数時間くらいいた。イキが熟睡し、夢の中へ深く入り込んだのを見計らって、自分のベッドの上に戻った。その後、ずっとベッドの上で膝を抱えて空を見上げていた。

 でも、どうしてシーレが起きているのだろう。みんな寝ていた筈なのに。それを見越して、少し暇だったから外に出た。

「わ、私が起こしちゃったの?」

 そう聞くと、彼は頭を振って、

「いいや、俺は朝が早いんだ。ほら、言っただろう。牧場育ちだって」

 そう言えば、そうだったかも。でも、そうなると……。

「じゃあ、アリも起きているの?」

 今度も彼は頭を振った。

「いや、アリは……まあ、村では早起きだったけど、アッシュたちと旅をしているときは、疲れているのか、起きるのが遅いんだ」

 それでも、アッシュたちよりは早起きだけどね。と、彼は言う。

 思い出話や、アリの話をするときの彼の表情はいつもとは違う。なんだか、懐かしむような……思い出を愛でているような、そんな顔をするのだ。

「あなたは疲れてないの?」

「別に……牧場で牛や馬の面倒を看るのもいいけど、やっぱり、こうして楽しい仲間たちと旅をしているんだ。疲れることなんてないよ。アリは、人付き合いが苦手でね。だから、疲れるんだ。アッシュとアーシェはいっつもハイテンションだから……」

 肩を竦ませた。

 私は「あはは……」と、とりあえず、控えめに笑う。すると、シーレは言う。

「君はさ―――」

 私の目を見て、

「―――アリと似ているよね」

「え? ど、どういうこと?」

「ん? そのままだよ。人付き合いが苦手なところが、さ」

 意表を突くようなことを言う。

 どきり、と身体が強張る私を他所に、いや、それすらも見抜いているような、私の事なんか見え透いているような目で、続けた。

「本当は人のこと、苦手なんだろう?」

「………」

「アリよりも、重症なんじゃないかな。人の事、怖がってる。目も合わせようとしないしね」

「そ、そう?」

「まあ、アリは露骨なんだけど、君の場合隠すのが上手いからね。それに、イキ君がいる」

 黙り続ける私に、彼は微笑んだ。

「ごめん、ごめん。そんなに責めるつもりはなかったんだ」

 と苦笑した。

 そして、シーレの提案で、港近くの長椅子に座った。居づらいなあ、と内心では思いながらも、「先に帰るね」とも言い出せず、彼の隣にずっといた。すると、シーレが話題を振ってきた。

「ねえ、彼とはどういう関係なのかな?」

「か、彼、って?」

「イキ君のことだよ」

「あ、ああ……別に、イキとは………旅、仲間、よ」

「へえ、旅仲間、ねえ。友達、とは言わないんだね」

「へ?」

 仲間と言った私に対して、彼は薄ら笑いを浮かべた。

 友達、という響きに私は、少し驚いていた。驚いた、というよりかは困った、と言った方が正しいかもしれない。

 友達とイキのことを呼んで、果たしていいのだろうか。確かにイキと出会って二か月くらいは経つが、それでも、どうなのだろう。けれど、シーレに「私はイキに殺され、イキは私を殺す。そんな関係よ」などといえるわけがないのだ。それこそ、変な風に聞こえる。では、何と言えばよかったのだろうか。旅仲間じゃあ、駄目なのだろうか。友達、と私が勝手に言ってしまってもいいのだろうか。

「い、いいのかな?」

「何が?」

「イキのこと、友達って思っても……」

「いいんじゃないかな。別に彼は何も思わないと思うけどなあ。それとも、友達は嫌なのかな?」

 私は思い切り頭を振る。

 嫌ではないのだ。寧ろ、そう言ってくれたら、そうあってもいいのなら、これ以上嬉しいことなどないのだ。

「そういえば、彼のこと好きなの?」

「え、す……好き。私が?」

「違うの?」

「えーと、好きか、どうかは、分からない、けど。嫌いじゃあ、ない、よ。勿論、友達になってもいいなら、なりたいくらい、だし……」

 だんだんと小さくなっていく私の声をシーレは横目で見る。

 自信が持てない。友達、という確信も、そう思ってもいい自信も、なかった。自分が死神で、人を何人と殺してきていて、何もかもを失ってきて、何かを得ることを恐れて。失った時を考えると、怖くて。そんな私を信じて、約束を守ろうとしてくれた彼に、私自身は果たしてどう向き合えばいいのか、分からなかった。

 いや、それを聞けば、答えてくれるだろう。「大丈夫だよ」と笑って、答えてくれる。そういう人なのだ。この二ヵ月間ずっと一緒にいたのだ。それくらい、分かる。

 彼は優しいから。

 私の我儘な願いも二言返事で返してくれるような、そんな人なのだ。

 最初の頃は、流石のイキも私のことを嫌っている感じではあったが、今ではもう柔らかくなった。私に慣れたのか、それとも、遠慮をしているのか、定かではないが……。

 昨晩だって、もしも、今の彼を知らなかったらあの言葉は出てこなかっただろう。

 イキに友達になってもいいか、と聞けばまだ応えてくれる。そんなのは、分かっていた。けれど……。

「………」

 私がイキの立場で、果たして友達を殺せるだろうか。そういう酷なことを私は友達にさせるつもりなのか?

 そう考えるだけで、胸の奥がキリキリと痛む。

 結局、結論を出すことができぬまま、港から朝焼けを望み、シーレとともに宿へ戻った。

 私は、なんと答えを出すべきなのだろう。

 頻りにそう考えながら……。



 ***



 宿に戻った時、起きていたのはアリだけだった。アッシュもアーシェも鼾をかいて、豪快な寝返りを打って、布団がぐちゃぐちゃになっている。兄弟そろって服がめくれて、臍が見えている。アリが布団を綺麗に直していて、ドアが開く音に気がついて、こちらを見た。

「あ、おかえり……です」

 最初はシーレだけなのか、と思ったのか、彼の後ろから入ってきた私を見て、です、を付け加えた。

「うん、ただいま」とシーレ。

 彼が意地悪そうに私に目配せをする。返せ、ということだろう。

 だから……

「た、ただいま……」

 小さな声でそういう私に、シーレは「はは」と小さく笑う。その笑いにアリは気がついた様子はなく、小さく睨む私に首を傾げていた。私はシーレのことが苦手かもしれない。どことなく、私に意地悪するときのライラさんに似ている。それに久しぶりの私に対するいじりが始まったのだ、と考えるだけで気が重くなる。無意識に肩を落として、横目でシーレを見やりながらため息を吐いた。

 そんな私の姿を見たアリが心配気な表情で寄ってきて、

「あ、あの……彼に何か言われましたか?」

と首を傾げる。

「え、え? な、なんで?」私が驚きながら聞いた。

「い、いや……その。シーレは、昔から……どんな人にも無遠慮なところがあって……。その、シキさんも何か言われたんじゃないかって、思い、まして……。あっ、いえ! 別に何もなかったなら、いいんです。何か、言われたら……言ってください。わ、私が言って、おき、ますので……」

 詰まり詰まり話す彼女の癖は寝起きした今でも尚健在で、そう言われた私の人見知りもやはり健在だった。

「あ、ありがとう、ね。うん、何かあった時は、た、頼ることにするから……」

 一晩同じ部屋で過ごし、同じ湯船に浸かったとしても、やはり透明な見えない壁をお互いに払拭できずにいるのは確かだ。シーレの言う通り、私はアリよりも重症なのかもしれない。彼女は彼女なりに、こうして旅に出て前向きに、自分自身と向き合っている。私は目を背けてばかりではないか。彼女の人生は上手く生きていられて、あと五十年くらいだろう。だからこそ、全ての一瞬一瞬が煌めいていて、且つ、その煌めきを忘れまいとその目に焼き付けるのだ。私は……何年生きた? あと何年生きられる? 果てしなく続く、続けられるこの生涯をどうやって生きていけばいいのだろう。何もかもを諦めて、何もかもから逃げ続けて、私はその先に何を求めているのだろう。彼女は自分自身の手でどうにもできない短い人生を、どうにかこうにか足掻いて足搔いて、切り開こうとしている。何かかけがえのないものを得ようと頑張っている。

 私はどうだ?

 何かを成して、何かを得ようとしたことはあったか?

 いつもいつも、失うことばかり恐れて、怖くて蹲ってるだけじゃないのか?


『君は、すべてから逃げようとしている』


 鬼の言葉。

 ぶすり、と私の胸に深く深く突き刺さって、抜けない。抜こうとすると、周りの肉を抉り返して、傷口を広げるばかりか、更なる痛みを伴って私を襲いにかかる。


『シキが、幸せになったら、僕は君を殺すよ』


 そうイキが言っていた。今ベッドの中で気持ちよさそうに寝ている少年が、そんなことを言っていた。

 幸せ、か―――。そんな風に叱られたのは三回目だったのを今思い出した。全く、私よりも年下のくせして、子どものくせして、かっこいいことを言う。嬉しいことを言ってくれる。そんな彼のことを私は―――。

 私は………?

 す、き……なのかな?

 顔が堪らず熱くなった。暑くて、熱くて仕方がない。どうしたのだろう。心臓が壊れるほど大きく動いている。

 ほんと、私はどうしたのだろう。

 呑気に、私の事なんかお構いなしに鼾かいている、少年の頬をつんつんと指で突いてみた。頬に指が沈んで、彼の顔が変な顔になった。それに「ふふっ」と声が小さく漏れ出てしまう。

「まったく……あなたのせいで、私、おかしくなっちゃったかも………」

 小声でそう言う私に、

「シキさん……?」

「はえ!?」

 アリが声を掛けてきた。いきなり過ぎて、大袈裟とも思われるくらいに身体をびくつかせながら、私はアリの方へ顔を向けた。

「な、何?」

「あ、その……そろそろみんなを起こした方がいいのではないか、と……」

「あ、ああ……うん。そうね」

「わ、私はアーシェを起こしに行くので、シキさんは……イキさんをお願いします」

「う、うん。分かった」

 なんで動揺しているんだろう、私……。

 自分の酷い挙動に呆れつつ、アリに言われた通りイキを起こし始めた。現在起きていないのは、アッシュ、アーシェ、イキの三人で、シーレはアッシュを、アリはアーシェを、私がイキを起こすという役割をしている。私たち三人は、ベッドのシーツや掛け布団を綺麗に整え直している。後は起きていない彼らが起き、準備が整い次第出発できる状況だった。

 まず最初に起きたのはアーシェだった。アリは手際よくアーシェを起こし、顔を洗わせその隙に彼女のベッドのシーツや掛け布団を整えていく。こりゃあ、私も負けてられないなあ、と思い、イキの肩をそれなりに強く揺さぶって、

「イキ、起きてっ」

と顔を近づけてなるべくそんなに大きな声を出さず、けれども、張り上げて言った。二、三回、彼の名を呼ぶと、

「ん~」

とイキが声を出して、徐に起き上がった。

「朝だよ、イキ」

「んー」

「起きてる?」

「……うん」

「酷い寝癖よ。直して来たら?」

「うん」

「顔も洗って……」

「うん」

「布団は私がやっておくから。分かった?」

「うん、わかった」

 寝ぼけているのか目は虚ろ気に半開きだった。寝癖はいつも通り髪の毛が犬の耳のように立っている。大きな欠伸をしながら、彼は洗面所へ向かった。その間に私はイキの寝ていたベッドを整えていく。その頃、ようやくアッシュが起きて、私やアーシェたちに「おはよ」と挨拶をした。それにみんな「おはよう」とそれぞれ返した。準備の終わっている私たち三人で昨夜干した服を取り込んでいった。衣服は皆乾いていて、それを畳む。そういえば、こうして洗濯をして干して乾いた衣服を畳むのは久しぶりだったことを思い出した。

 天界で、成り上がりとして神に転生したばかりの頃は勉強勉強づくしで、家事などは基本召使人(レトリア)に任せることになっていた。一回、自分の物は自分でどうにかしようと思って洗濯場に行ったら、彼らは驚いていて、仕舞にはファベルさんに叱られてしまった。洗濯、掃除、料理などは召使人レトリアの仕事であり、それを取ることは仕事が奪われ神格を徐々に削りながらぼんやりと生きてゆき気がつけば消滅する、ということらしい。彼らはもとは私やイキと同じ人間からの転生した人たちばかりで、もとが貴族だからと神の位を与えられるわけではないらしい。私のように貧民街で生まれ育った人がこうして神として生き、召使人レトリアとして成り上がった貴族よりも高い神格と高い地位、自由を得て生活しているのだから、生まれなんか関係ない。必要なのは、この世界でどのように上手く生きていけるか、らしいのだ。今に至っては彼らの世話になりっぱなしなのが現状だった。食事は必要ないにしても、掃除や洗濯などは専ら彼らに任せっきりだ。言い訳をするなら、仕事が多すぎて手が回らない……。それを卑下するつもりは、毛頭ない。

「寝癖、直った~?」

 間抜けな声を出しながら戻ってきたイキの頭は全くと言っていいほど、寝癖がなおっていない。だが、直そうとしたのか、髪の毛が跳ねている部分の下部に水で濡らしたのか、少し濡れている。それに、仕方ないなあ、と少しため息を吐く。

「イキ、直してあげるから座って」

 私自身、満更でもないところが、少し憎たらしくもある。

 私が手招きすると、ゆらゆらと寄ってきてちょこんと座り込んだ。それに再びため息を吐く。これはあれだ。呆れから出てくるため息ではなく、嬉しさから出てくるため息だ。微笑ましくて、彼の子どもっぽさに可愛らしさを感じて、そうして出てくる微笑にも似たもの。ただちょっぴり、懐かしい。人間の頃に弟の髪の毛や、妹の髪の毛を直していたのをやっぱり思い出してしまう。十歳年の離れた弟だったから、今私の年齢が二十だとしてもルーヤはまだ十歳だ。イキの見た目年齢からはまだ程足りないが、それでも、ルーヤも十五くらいになればこんなに大きくなって、けれども、まだ「お姉ちゃん」と甘えてくるのかもしれない。

 そんな想像をしながら、黒髪の少年の頭を触る。私の髪の毛と違って、少し癖がありさらさらだが、私の髪の毛よりも少し硬い。ルーヤとお兄ちゃんの髪の毛は私とほとんど同じだったから、みんなこうなのか、と思っていたがそうでもないらしい。そんなイキの髪の毛を触りながら暫しの感動に浸り、我に返ってそそくさと寝癖を直す自分が現れるまで十秒もの時間を要した。

「ふう、出来たわ」

「うん」

 私が終わりの宣言をするとイキはのろのろと立ち上がった。

「顔洗ったの?」

「ううん」頭を振った。

「洗って来たら?」

「うん」

 素直に頷く。

「あ、シキ……」

「ん、なに―――っ」

 唐突に振り向くとすぐ傍にイキの顔があって、驚いたがそれよりも先にイキが動いた。瞬間、左の頬に柔らかい感触。それがイキの唇だと言うことに気がつくのに暫しの時間が掛かった。理解できたと同時に頭の中が真っ白になって、手に持っていたブラシをその場に落としたのか、何かが落ちる音が静かになった室内に小さく響いた。

 何も考えられなくなった私のことなど気にもせずに、

「ありがと………。顔、洗わないとなあ……」

言うだけ言ってやはりのろのろとした足取りで洗面所へ戻っていった。

 残された私たちのうちアッシュが、

「あいつ大胆だなあ」

と感心したように呟いたのだった。



 一分か二分か、それくらいの時間が間放心状態だった私が正気を取り戻すのに必要だった。最初はぎこちない動きを見せながら、ただそれでも私自身としては普通にイキの寝ていたベッドを整えていた。その後、私は昨晩イキから貰った赤いマントと言うには短い頭巾のような外套を羽織った。そんな私に、アーシェは自らの準備が整ったのか、私が先ほど落としたままにしていたブラシを拾って言った。

「シキ~、髪の毛結ぼっか」

「どうして?」

「どうして、って、今日の闘技に出るんでしょ?」

「う、うん」

「なら、その髪の毛じゃあ邪魔でしょ」

 確かにそうかも……、と納得して彼女に促されるがままに、この部屋にもともとあった背もたれのない椅子に腰を掛け、私の後ろにアーシェが立った。誰かに髪の毛を結わいてもらうのは久しぶりだった。人間の頃は専ら私が結わく側で、髪の毛を梳かしてもらったのは母が生きていた時で、死んでからはフリールさんやライラさんがふざけてやった時くらいだった。男の子っぽい言動が多いアーシェだが、なかなかに手先は器用だ。髪を梳くときに頭に触れる手つきが少しくすぐったい。どうやら髪の毛を頭皮から三頭分している。頭皮をすすと滑る指に背筋がぞくぞくとして、肩が無意識にびくっとなってしまう。そして少し髪の毛が引っ張られて、それに三つ編みをしているんだな、と理解が及ぶ。

 編まれていくのを感じながら、昔のことを想起する。懐古の情から口元が緩んでいく。

「あれ?」

 後ろから声がした。

「どうしたの?」と聞くと、

「リボンとか、紐とか持ってない? 結ぶのはいいけど、留めるもの忘れていた」

 あはは、と力ない笑い声。

「私の荷物と一緒にイキが持ってるから、私はよく分からないのよ」

「じゃあ、あいつが戻ってきたら聞いてみるか。でも、遅くない?」

「ま、まあね」

 すると、洗面所の方から元気な声が聞こえた。

「おはよう~! いや~、目が覚めた目が覚めた。ん? みんなどうしたの?」

 イキがようやく戻ってきたみたいだった。彼の声とともに、みんなが一斉に静かになり、そして視線が彼に集まったのは言うまでもないだろう。そんな静寂を破ったのはアーシェだった。

「なあ、イキ」

「ん? 何々、髪の毛結んでるの?」

「そうそう、で、さあ……リボンか紐か、何か結べるもの持ってない?」

「リボン……あっ、これなんかどう?」

 とイキがズボンのポケットから赤いリボンを取り出した。それを受け取ったアーシェが、

「これどうしたの?」

「昨日、それ買ったときに店主さんにサービスでもらったんだ。昨日は渡しそびれちゃったんだけどね」

 と私の着ている赤い外套を指さしながら言った。

 そして、アーシェはもうリボンで留めるだけだったのか、受け取るとすぐに結び、「はい、終わったよ」と言って私にブラシを返した。後ろで見ていたのかイキが、

「似合ってるよ、シキ」

と朗らかに言って、私の顔を覗いてきて一瞬だが目が合った。思わず、目を合わせられなくて、髪の毛を外套の中に仕舞ってフードを被った。そんな彼にとっては、私の素っ気ない素振りにイキは首を傾げて傍にいるアーシェに聞いた。

「どうしたの? シキ?」

「そりゃあ、まあ……あんなことをされたらそうなるよ」

「ん? 僕なんかしたの?」

「聞いてみれば?」

 アーシェがイキにそう言う。促されるままイキは私の方へ寄ってきて、

「僕、君に何かしたかなあ?」

「……そ、それは―――みんなに、聞いてみたら?」

「みんなは知ってるのかい?」

 黙って頷いた。

 イキは私のもとから離れて、たぶん話しやすいアッシュに聞いていた。

「そりゃ、お前………―――」

 アッシュは小声でイキに耳打ちしている。聞き終わったイキが、向こうで小さく「ああ、そういうことか」と呟いていた。事情を理解したイキは再度こちらへ寄ってきた。そして、背を向ける私などお構いなしに、私の目の前までやってきて、椅子に腰を掛ける私の目線までしゃがんでこちらの顔を覗いてくる。

 この状況ではもはやフードなど意味はないのだが、私からするともうこの時点で視界にはイキの顔しかなかった。周りの様子はフードの布地で隠れて、アッシュたちの様子が見えない。

 今、この場にいるのは私とイキだけだ。二人だけの世界になって、少しだけ久しぶりに初めて会った時のことを思い出す。その頃は、といっても経った一か月ちょっとのことなのだが、それでも、当初と比べれば私たちの距離は縮まっている。お互いにお互いを信頼している、と言ってもいいほどだ。彼が私を信頼している、とは分からない。分からないけど、私が彼を信頼して、そうして命を託したことは分かっている。それだけは、断言する。

 イキは少し困ったような顔で、

「怒ってる?」

と叱られることに怯えている子どものように首を小さく傾げる。そして、続ける。

「あー、いや……その、怒られても仕方ないかなあ、とは思う」

「どうして?」

「へ?」

「どうして、私が怒るの?」

「えーと、僕が……君の頬にキスしたから。いやだと思うし、なんだったら顔洗ってもいいし、顔を拭いてもいいよ。僕は気にしないし、さ」

「わ、私はっ―――」

 こつん、と額と額がぶつかる。けれど、お互いにそれを気にするでもなく、私は続けた。

「私は……怒ってなんか、ないから。だから、そんなことはしないわよ……」

 堪らなく恥ずかしくなって、目を反らした。だが、イキはその言葉で立ち直ったのか、案したような顔で笑って、ブードを両手で掴んで自分の方へ引き寄せながら、

「良かった」

と呟いた。

 額同士がぶつかり合って、それ以上顔が近づくことはない。だが、イキとしても、私としても、それで十分だった。落ち込んでいた彼の顔は、「よかった、よかった。君に嫌われてなくてよかったあ」と向日葵が咲いたような、何か欲しいものを貰った子どものような無邪気な笑顔を見せた。

「よかったの?」と、おずおずと聞くと、

「うん」と笑った。

「そっか」

「うん、君は?」

「私は……うん、よかった。あなたが落ち込んでいたら、私どう接したらいいか分からないし」

「あはは、うん。予想できる」

「むう……」

 そんな朝の一コマである。

 その後、私はイキと離れ、彼はベッドの上に畳んでおいた黒いコートを羽織、アッシュらと宿を出た。



 *

 *

 *



「なあ、あいつらって付き合ってんの?」

「いや、付き合ってないらしいよ」

「へえ、聞いたの?」

「うん。彼女に、今朝ね」

「あれで付き合ってないのかあ。じゃあ、あれは素でやってんのか。天然なのか?」

「ははは、確かに。でも、あの二人が見せつけるようなことはしないと思うけどね」

「ああ、確かに。でも、無自覚にイチャつかれるこっちの身にもなって欲しいよ。どういう気持ちで見ればいいんだよ。付き合ってたら、まあ、何となくは納得するけどさあ」

「まあ、いいんじゃない。見ていて飽きないし」

「あー、それは納得」



 *

 *

 *



 そとの通りは昨晩と比べていっそう活気がある。昨日よりも人通りが増えたような気がするし、なんなら、店も増えたような気がする。まあ、たぶん、人は増えているだろうが、なにぶん夜と比べて見通しがいい昼間だからだろう、遠くの人まで良く見える。

 まず、宿屋を出た私たちは昨夜の酒場とは違う酒場に行き、朝食を済ませた。それから、町の最北端に位置する闘技の会場へ向かった。昼前までに参加希望を出さないといけないらしいのだ。昼ちょっと前に、弱い人を脱落させる、謂わば予選というものがある。それに参加しなければ本戦では参加できない。色々な国、地域からたくさんの参加希望者が集うため、弱い人をさっさと脱落させて強く、見ごたえのありそうな人だけを残す。とりあえず、本戦に出たければ予選をまず勝ち抜かなければならない。

 北へ北へと向かうにつれて、人通りが多くなっていく。会場に至ってはもう人混み状態だ。

「凄い人混みね」私が言うと、隣にいるイキが笑いながら、

「君のその顔も凄いね」

「あなたが、このお面を選んだんじゃない……『それ付けたほうがいいよ』って言って!」

「そんなに怒らなくても……」

「怒ってない!」

 半分怒鳴りながら、私はそっぽを向いた。

「怒ってるじゃないか……」

「顔が見えないのに、どうしてそんなことが言えるの?」

「声だけでも分かるよ。それくらいはさ」

 とイキは肩を竦ませていい、お面をすっと軽く持ち上げて私の顔を覗いてきた。そして、やっぱり、と言った風に微笑んで、

「うん、怒ってる」

なんて言った。

 呆れかえるその行動に私は痺れを切らしてため息をついたのだった。

 会場に来る前―――昨夜通った通りを抜けている途中でイキがこう言った。

「どうしたの? 何か気がかりなことでもあるのかい?」

 無意識に顔に出ていたのか、私の顔を覗きながら彼は首を傾げた。

「いや……人がたくさんいるなあって思っただけよ」

「ふーん」

 イキは周りを見渡した。そして、何か思い当たったのか、再び私の方を見て、

「髪の毛の事気にしてたりする?」

「………」

「あ、やっぱり。気にしてるんだ」

「私、まだ何も言ってないわよ?」

「いや、言わなくても何となく分かるよ。あれだろう? 公国の人が来ていたら、君、最悪殺されちゃうから」

 そんな話をしていると、アッシュが、

「物騒な話だな。何、シキちゃん誰かに命狙われてんの?」

と参加してきた。

 それにイキが、

「狙われているも何も、ねえ……」

説明し始めた。

 公国の文化、というか、迷信の中に、私のような若くして髪の毛の色が薄い人の身体を燃やした灰を煎じて飲むと寿命が延びる、とか、その灰を家の周りに撒けば悪いものが家の中に入ってこない、とか、畑に撒けば豊穣―――などなど……色々と言われている。だがそれは、公国でのこと。ここ王国ではそういうことが禁止されている。そのような行為を見つけたら直ぐに捕まって、牢屋に入れられるだろう。だが、今は祭り騒ぎに集中している最中だ。警備隊の目を盗むのは容易い。

 この祭りで公国の人が来ないとも限らない。私を見ればすぐに襲い掛かるのではないだろうか。それだけは避けたい。

 イキがそれを彼らに伝えると、

「んじゃ、髪の毛が見られなきゃいいんじゃないか?」

アッシュが言った。だが、シーレが、

「でも、真正面に立ったら髪の毛が見えるから、それだとまだ駄目なんじゃないかな」

「んー、確かにね」イキが頷く。

 イキは更にあたりを見渡して、ふらっとどこかへ行ってしまった。数秒後、手に何かを持って帰ってきた。その手に持っているものとは……。

「お面?」

「うん」

「どうして、そんなのにしたの?」

 と、イキが持っているお面は赤い顔をした鬼のお面だった。顔を歪めて、怒ったような風だった。何故、彼がこれを選んで買ってきたのか、よく分からない。私が、聞いても「何となく?」という回答しか来なかった。

「怒ってるよ、これ」

「いいんじゃない。どうせ、戦いに行くんだしさ。『私を倒せるのかー、このヤロー』みたいな?」

「喧嘩売ってどうするのよ。それ付けて、戦うの?」

「勿論」即答だった。

「……はあ。まあ、ないよりはいいけど……」

 私はイキから赤鬼のお面を受け取った。

「お、気に入ってくれたの?」

「気に入ってない!」

 なんて言いながら、私はそのお面を仕方なく顔に付けたのだった。

 そんなことがあって私は現在、赤鬼のお面をつけフードを被り、全身ほぼ赤一色といういで立ちで闘技へと参加するのだった。

 まずは予選。予選では土俵のような正方形にも似た、観客のいる所よりもいっそう盛り上がった台の上で行われる。男と女で別れていて、まず、参加希望の男だけがその土俵に上がった。三十人近く屈強そうな男から、如何にもガラの悪そうな男、剣士の少年や、騎士、騎士見習い、などなど、たくさんの人が参加していた。みんな、真剣そうな顔をしているが、その中でイキは普段通り怯えもせず、真剣そうな顔も一切見せず、余裕があるような、そもそも戦う気があるのか分からない、そんな感じだった。一方、アッシュとシーレだが、同じ土俵に上がっている人たちを見て、アッシュは顔を引きつらせ、シーレは「あ、もう無理だ……」と小さく呟いた。

 そして、この闘技の司会を務めるのであろう青年がやって来て、

「では、これより予選を開始いたします!」

と大きな声で言い、そして歓声があたりに燃え上がる。

 司会の青年の合図で、試合開始のゴングが高々と青空に鳴り響いた―――。

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