episode23
暗い宿屋の天井をぼんやりする意識の中見ていた。そして、寝返りを打って横を向くとそこには、イキが寝ていた。一つのベッドに、私とイキ二人で寝ていた。この部屋にはベッドが一つしかないのだから、仕方がない。彼の身体と私の身体が密着している。いつもなら、一緒に寝ようという提案にまったを掛けるところだったが、今回は覆すほどの元気が私にはなかった。
頭が痛い。
頭が、ふらふらして、くらくらして、ゆらゆらしている。
気分が非常に優れない。
村であの少女が死んだのを見てから、調子が悪い。
あの少女は、村人たちに殺された。
あの少女は、死神である私が殺した。
少女の死を村が泣いていた。
私は、イキの優しさに触れて大泣きしてしまった。
私には、泣く権利などないのに、といつも思ってきたのに。それなのに、泣いてしまった。我慢できず、辛抱できず、彼の優しい言動に甘えて、堰を切ったように泣いた。彼はそれを受け止めてくれた。目の前で、疲れたように寝ている少年が、優しく抱きしめてくれた。
こうやって、まじかで誰かが魔女狩りとして殺されるところを見たのは三度目だろうか。いや、もっとか?
人間の頃に二度見ている。
一度目は小さい頃。私がまだ五、六歳の小さな少女の時だ。その頃に魔女狩りに選ばれたのは、先日殺された少女と同じくらいの年頃の子だったと思う。小さい頃は、私が今子どもだと思うような歳の子でも、大人に見えてしまうから、よく分からないが、感覚としてはそんな感じである。たまたま、連れていかれて(母が、町内の関係を保つために、やむなく家族総出で連れていかれたというのは、それがあった数年後に兄に聞かされて知った)少女が町民の声に焼かれてゆくのをみた。炎が彼女を飲み込んでいく様子が今でも脳裏に焼き付いている。動物の肉が焼かれるのは何度か見たことがあったが、生身の、それも生きている人間が焼かれているのは、その頃の私にとっては牛肉が焼かれるのと同じくらいの衝撃だった。今の今まで目の前で生きていた筈の牛が、人間に殺されて、皮を剥がされ、薄赤色の肉と乳白色の脂肪と骨だけになって、焼かれているのと同じだ。私はまだ、小さかったというのもあってか、人の死というものに非常に鈍感だった。けれど、これだけは覚えている。
人間は、自分の心を平和に保つためなら、他の人間の死を喜ぶのだ。
それでいて、自分に関係のない誰かの死を我が身のように、痛み悲しむことが出来るのだ。
私は、人間の恐ろしさを知った。
私は、人間の優しさを知った。
今にしてみれば、恐怖を知っているからこそ、人は優しくも残酷にもなれるのだ。たくさんの人間を見てきた。色んな死に様を見てきた。けれども、どれも違っている。十人十色の死を見せる。それは、人間だけではないような気がする。
………。
死に際に、死にたくないと叫ぶ人もあれば、生まれてよかったと微笑む人もいる。生まれ変わったら……、なんていう人もいた。本当に違う。生まれも違い、環境も人生も違う、地位も違う人間でも、同じように死は必ず来る。私が一様に決めてしまう。
貴族は、自分が死ぬなんてありえないと言う。
けれども、死ぬ。
主に忠実な人は、主の為に自分は死ぬ、と言う。
誰かの為に死ぬということは、容易くて、難しい。逃げるための死ではなく、立ち向かうための死。誰にも、その人を止めることはできない。
私は……逃げるために死ぬのだ。
死にに往くのだ。
立ち止まってはいけない。
常に前を向いていないと、私は壊れてしまう。
鬼に食べられてしまう。
怖い。
恐い。
自分が壊れていくのは、物凄く怖い。
月明かりに照らされている、少年の顔が目の前にあった。静かに寝息を立てて寝ている。
怖くなって、私は彼を起こすのが申し訳なくて、ただ静かに体をもぞもぞと動かして彼の腕の中に入る。こんなことは、普段の私がしたら、赤面ものだろうが、その時は何とも思わなかった。子供が、怖い夢を見て母親のベッドに入り込んで一緒に寝るのと大差ない。恐怖を紛らわすための、行為。
イキの体温を感じながら、彼の胸に顔をうずめて、目を閉じた。
***
クレフストは、次の日から通常運転を続けていた。秋と言う季節だからか、伸び悩んでいた作物の収穫がたくさんできるようになり、それに村民は魔女狩りが効いたとばかりに喜んでいた。一か月後に控えていた収穫祭が無事遂行できることが、ほぼ明確になると、彼らの話題はそっちに向いた。昨日の話題を提示するものはいない。彼女が死んだことで泣いていたり、悲しんでいる人は見受けられなかった。たぶん、彼女の親類は全員殺されたのだろう。例外なく、これもまた魔女狩りがあればいつもの事なのだ。殺されそうになっている娘をどうにかしようとするのは、親も友人も同じ気持ちである。だから、抵抗し、その抵抗する人を排除する。それがこの地域で流布している所謂――魔女狩りであった。
魔女を狩るためなら、どんな手段も問わないのが、元々の方法であったが、500年くらい前にある神父が、『魔女を神に捧げることこそが、魔女狩りの真の意味であろう。ならば、その死に様を天に掲げてこそ、魔女狩り遂行である』などと言ったのが、伝染したのかもうこれが本来の魔女狩りであるとばかりに習慣化されている。そのため、魔女狩りを行う場合、その魔女に選ばれた少女の戦意喪失を狙わなければならない。そのため、前もって『お前は魔女に選ばれた』と言われる。そうなると、両親が神父に訴える。そして、その両親が殺され、また、反対した少女の友人が殺され、その死体を敢えて彼女の目に入るようにする。そうすることで、少女は自分のせいだと思い始めるのだ。今まで仲の良かった近所の人でさえ、殺されるのではないかと忌避する。たちまち少女は独りになって、絶望する。もうそうなると、黙って縄で縛られ火あぶりだ。
けれども、あの少女はまだ生きていたいと願っていた。死にたくないと、叫んでいた。家族が殺され、友人が殺され、それでも尚、死にたくない、と言っていた。それはきっと家族が嫌いとか、友人が死んでも構わないとかそういう心理ではないだろう。己が命を犠牲にしてまでも、自分を守ろうとしてくれた人たちの思いにこたえたい、という心理ではないだろうか。
これは私の想像でしかない。
早朝の冷たい空気に、私の頬は熱を帯びているのか敏感になっていた。頭がくらくらするのと、頭痛とは昨日と全く変わらないというか、寧ろ悪化したという有様になっている。イキとしては、昨日雨に当たったせいかなと肩を竦ませていた。あれから、直ぐに寝たのだが、結局私は熱に魘されて起きた。それはそうと、今私はそのふらふらする頭を抱えて、イキとともに宿を出て、これから、中央街にでも行こうかという話し合いをしていた。
だが、私の体調からして、中央街までの道中、たぶんというか確実に私は歩けない。まともに立ってもいられないのに、歩けるはずがないのだ。
では、今私はどうしているのか、果たしてそれは簡単だった。私はイキの背中の上にいた。背負ってもらっている。いや、されているというほうがこの場合正しいのかもしれない。
「ねえ……恥ずかしいんだけど」
「立てもしないのに、そんなことできるわけないだろう。一人で歩けるようになってから、言ってよ。そもそも、君がこの村を出たいって言うから……」
と、まあ、こんな感じで何倍にも返されたわけだが……。
「そんなに、言わなくてもいいじゃない……」
「このくらい言わなきゃ、君は聞かないだろうに」
確かに。
「わ、分かっているわよ……ばか」
「馬鹿って、君なあ。確かに、この前自分で自分のことを馬鹿って言ったわけだけどさあ」
そんな他愛ない言葉を交わしつつ、村を始めてきた時とは反対方向に伸びている旧街道を進んでいた。舗装された道の両岸には石で出来た家の残骸があった。大昔、ここに村があったが、かなり前の戦乱でぼろぼろに破壊され、当時クレフストの村民は今の場所に移動をして、そのまま住み続けているといった、歴史がある。かなり前の戦乱と言うのが、ストラル地区の初代領主――ウォル・ストラルが招いたものである。
数十分歩いたところで、
「どのくらいでつくの?」
とイキから問いが来た。
「つ、疲れたの?」
「ん? いや、別にそういうわけじゃ……」
「私、重い?」
「え? 別に、重くなんかないけど。寧ろ軽いくらいだし……。君はもう少し太った方がいいんじゃないかな」
「え……!?」
「なんで、そこで驚くの?」
「あ、いや……動揺しちゃって」
「動揺? なんで?」
首を傾げる彼に、我に返った私は恥ずかしくなって、彼の肩に顔を埋めた。
こうして、彼是何十分くらい旧街道を進んでいるのだろうか。進んでいるうち既に、クレフスト方面の馬車が二台ほどすれ違っている。空高くに鳥が飛んでいて、鳴いている。風が時たま吹いて、汗を冷やしていって寒い。彼の背中が温かいから、そうでもないのだが、一人でいざ立つとなると武者震いが襲い掛かる。
イキと話していると、なんだか楽しくなって風邪のことを忘れられるのだが、こうして沈黙が続くと、ふと思い出したように体が怠く重くなって、悪寒や頭痛、吐き気が酷くなる。かといって、話し続けられるほどの話題と集中力、なにより会話力が今の私にはなかった。
今の私は周りからどう見られるのだろう。既に荷馬車が二台ほど通り、以前にはクレフストの村民に見られながら、ここまでに至っている。私はイキとほぼ同じくらいの身長だが――実際は僅差でイキのほうが上――しかし、傍から見れば大の大人が少年に背負わせているという風には見えやしないか。まだ、私がもう少し見た目が若ければ、彼よりも小さくなり何となく分からなくもないが、今の状況は後から蒸し返すと顔から熱を発するくらいの恥ずかしさが出てくることだろう。
「ねえ……イキ」
「ん? どうしたの?」
彼に声を掛けたものの、実際何を言おうとして、彼を話をしたかったのか、分かっていなかった。
「あ、いや、えっと……分かんない」
「そっか」
イキは、あっさりと頷いた。
「どうして、とか聞かないの?」
「いや、ほらさ……風邪引いたときとかって無性に寂しくなったりとかさ、別に話があるわけじゃないけど名前呼んじゃったりするときって、あるからさ。だから、ほら君もそうなのかなあって。ずっと、一人だったわけだし」
一人だったから、寂しいのだろうか。
こうやって、風邪を引いて誰かにおぶられることは久しぶりすぎて、そうして、イキの優しさや温かみに触れてしまって、安心して寂しいのだろうか。
果たして私は―――
「寂しい、のかな……?」
呟いた私に、イキは、
「分からないかい?」
「うん……」
彼の言う通り、私はずっと―――独りだったから。
何が寂しくて、何が寂しくないのか、分からなくなっている。
でも。
私はきっと寂しいのだ。
こうやって誰かの温もりに触れたことが、久しぶりすぎて分からなかったが、やはり私は独りで寂しかったのだ。誰かにこうやって、頼りたかったのかもしれない。
「じゃあ―――」と彼は言う。
「これからはさ、君が寂しいって言うなら、というか言わなくても、君の傍にいるよ。僕が君を寂しいって感じさせないように頑張るからさ。まあ、どちらにしても仕事だから、君のそばを離れられないんだけどね」
「………」
仕事……という言葉が妙に重く心に落ちていくのを感じた。
黙ってしまった私に彼は、
「どうしたの、シキ?」顔だけ振り向いて私を見ようとする。
「な、何でもない!」
「えっ、そんなことないでしょ。あ、あれか」
気づかれてしまった?
「僕が君を殺すっていう約束を言わなかったから? いや、まあ、君を殺すって約束した以上破るわけにはいかないし、そうなると僕はシキから離れられないってことになるかな。そういうこと?」
「そ、そういうことじゃないけど……」
「え、じゃあ、どういうこと?」
更に振り向こうとする。
「ああ、もう! いいから。もう、気にしなくていいから!」
「わ! ちょ、ちょっと、目を塞がないでよ。何も見えないじゃないか!」
私に目を塞がれた彼は、バランスを崩し始めて、暴れている。終に、バランスを崩してその場に、共々倒れた。彼が庇ってくれたおかげで、私は彼の上にいた。でも、イキの顔を素直に見ることができなかった。
「いてて、シキ大丈夫? 怪我とかしてない?」
彼が私の頬に触れる。
「熱、凄いね。大丈夫?」
「大丈夫……じゃないけど、大丈夫」
「どっち?」
「大丈夫じゃないわよ……」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「じゃあ、拗ねてる?」
「拗ねてない」
「どうしたのさ、機嫌が悪いようだけど」
「あなたが悪い」
「えー、僕が鈍感だから?」
「自覚してるじゃない……」
「あはは、よく言われるからね。なんとなくは、ね」
なんとなくか……。
ということは、私が何にどうして機嫌が悪いのかは分かっていないようだ。それになんだか、ムカつく私がいた。
私は思わず、イキのシャツを握っていた。
けれども、彼はそれには触れずに、ただ私の頭を撫でて、
「ねえ、シキ……」
と先ほどよりも低くなった声音で呼びかけてきた。
「な、何。どうしたの?」
「いや、何と言うかさ……目の前に馬の顔があるんだけど、どうすればいいのかな?」
「は? 馬?」
彼の言葉に驚いて、顔を上げてみると本当に目の前に馬の顔があった。茶色の毛並みに、目の前のその馬は喉の奥を鳴らしている。こんなに間近で見たことがないからか、迫力を感じて、息を詰まらせた。
そんなことを私がやっているあいだに、イキは上半身を起こして、馬を再度見る。彼の肩越しにきちんと見てみると、馬には手綱が付けられていて、その後ろには馬車があった。荷馬車だろうか。方向的にはクレフストの方だ。クレフストから帰って来たのか、それともクレフストを通過してきたのか、果たしてその答えはすぐに分かった。
馬車から降りてきたのは商人と思しき夫婦で、イキはその人たちの顔を覚えていた。私が彼の背中にいて意識が朦朧としていたときに、すれ違い様に話を掛けてきたらしい。私にはすれ違ったという記憶しかない。
その彼らはイキに親しみ深く話しかけてきた。
「お、少年。また、会うなんて嬉しいじゃないか!」
「まあ、ウォレスさんは行って戻って来たんですから、また会えるのは普通のような気がしますが、会えて僕も嬉しいです」
「あはは、嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
ばんばんとイキの背中を叩いている男――ウォレスさん。その後ろには、柔和な笑みを浮かべる奥さん。二人とも三、四十代くらいだろうか。まあ、そうなると、私たちはまだまだ子供。
その後、イキとウォレスさんは話に話、それに奥さんが「時間を取らせてしまって、すまないねえ」と苦笑した。そして、ウォレスさんは言う。
「なんだって、こんなところで寝てんだ?」
「あ、いや~、色々と……」
あははは、と彼は笑った。
イキは彼らに、どこに行くかを尋ね、彼らは中央街に行くと言う。それに彼は、中央街まで乗せてくれませんか、とお願いをした。彼らは彼らで、荷物はほとんどないから、良いよ、と快く頷いてくれた。
それから、馬車の荷台に乗って、ウォレスさん夫婦は馬の手綱を握って走らせた。街道と言っても、もう何百年も前に作られ、そうして、破壊されたものだから、普通に歩いても馬車に至っては相当凸凹道なのであった。荷台には、幾つかの木箱に、白い麻袋が綺麗に整頓されていた。食料品、衣料品、その他雑貨などと、分類別にそれぞれ纏められていて、箱や袋には商品名の頭文字とその買取人の名前らしきものが記されていた。その荷物たちのない空間に私たちは座っていた。荷台の壁を背に、後ろには風景が流れるように進んでいく。普段だったら、その風景を見ているところだが、また、例の悪寒やら吐き気、頭痛が襲ってくる。身体が怠くて仕方がない。隣に座るイキの肩に頭を乗せた。
「シキ、大丈夫?」
「うん……たぶん」
大丈夫じゃない、という言葉が続かない。やはり、さっきと違う。さっきは、イキと話していると、風邪の事なんか忘れたみたいに流暢に話せるのに、うまくいかない。頭がぼうっとする。寒い。そして、触れている肩や腕からの温もりが恋しい。寒いのに、汗が出る。別に激しい運動をしたわけではないのに、動悸や呼吸が乱れている。
「イキ……」
「どうした?」
「……寒い」
私が小さな声で言うと、彼は今の今まで着ていた黒いコートを脱いで、私の肩に掛けた。同じ身長とは思えないほどに、そのコートが大きいな、と思った。でも、それ以上に、
「………ありがと」
「どうも」
―――あたたかい。
「何かあったら、何でも言ってよ。君は病人なんだからさ」
彼はそう言って、肩に腕を回して抱き寄せた。それによって、イキと触れる面積が増えて、その分だけ彼の体温が伝わってくる。
本当に、温かい。
***
目に見える光景に、思わず息を飲んだ。
一人の少女を包み込むのは、真っ赤な炎と、それを囲む狂気に満ちた群衆の歓声。彼女は叫ぶ。痛みに、恐怖に、悲しみに、苦しみに―――。
嘆いて、叫んで、泣いて、恨んだ。
どうして、自分がこうされなければならないのか。
どうして、家族も友達も知人も、みんなみんな殺されてしまったのか。
私は何かをしたのだろうか。
何をしてしまったのだろうか。
そして。
思いだす。
あの、大きな鎌を持って、人々の命を刈る化け物のことを。
そうして、睨み、恨み、呪う。
彼女は確かに、私を睨んでいた。
「……っ」
夢だったのだろうか。
そう思うほどに、現実味を帯びて私を睨んでいた。
目の前には見たことのない木目の天井と、右からの陽光があった。まるで、フユル渓谷で目を覚ました時を自然と思い出す。そうなると、左を向くとそこにはやっぱり、
「……イキ」
「おはよう、シキ。大丈夫、魘されてたけど?」
彼がいた。
私は周囲を見渡す。窓の外は、クレフストやフレインスとは違った様相のしかしどことなくその風貌はあったようななかったような、そんな感じの建物を見て、ふと、私は一体どこまで来てしまったのだろうと思った。この部屋も、外の建物も、これまでのような感じではなく高級感を漂わせるものばかりだ。ベッドだって、人間の世界から見れば、高いものだ。弾力のあるベッドにふかふかの敷布団。
「ねえ、ここどこなの?」
「覚えてない?」
覚えているかと言われると、ぼんやりとだが思い出してくる。
あの商人の夫婦の馬車に乗せてもらって、揺られること三十分くらいで、中央街の検問所が見えてきた。そこで、夫婦は、商人用の手続きとは違うからここでお別れだ、と言って私たちを馬車から下し、そうして、私と彼は検問所で手続きをしたのだ。けれど、私は中央街に入った記憶がない。あっても、ぼんやりして、曖昧で、ぼやけていて、滲んでしまって、覚えがない。たぶん、意識はあったのだろう。イキに背負われた記憶はある。ぼんやりとした記憶の中で、はっきりと彼の背中を感じている。
ということは、中央街に私はいるのだろうか。
彼に聞くと、合っていて、それも中央街の宿屋の一室にいる。
イキはこう話した。
「手続き中に、君が倒れてね。それで、まあ、何とか中央街に入れたけど、宿探さなきゃなあ、って探して、町中歩き回って、ここ見つけたんだ。部屋余ってたみたいだったしね。高かったけど……」
「あなたが払ったの?」
「うん、前払いらしくてね」
「私の財布から出しても良かったのに……」
「いや~、他人の財布を漁るわけにはいかないだろう」
イキは安心しきったように笑う。
私はきっとそんな長い時間寝てないだろう。というのは、外がまだ明るいからだ。朝に出て、だいたい今は昼頃だろう。だから、寝ていたとしても一時間くらいじゃないだろうか。
頭が重い。身体を起こそうとして、けれども、できなかった。風邪が悪化していて、どうにもできない。力が入らない。
彼もそれに、顔を顰めた。私の頬を触るイキの手は少し冷たかった。私の額に乗せた濡れタオルを冷やしたせいであろう。
「どう?」
「な、何が?」
「いやあ、程よく冷えてるから気持ちいいかなあって」
「うん……きもちいい」
私が頷くと、彼は微笑んで私の頬や首を撫でてくる。それがくすぐったい。
私は結構寝ていたのに、全然熱が下がっていない。寧ろ、上がっているくらいだ。イキはそれを鑑みて、
「医者呼ぶ?」
「いしゃ……呼ぶの?」
「ああ、人間のじゃないよ。天界にいる医者ね」
「あ、うん……イキに、任せる」
いよいよ頭がぼー、としてきた。
呂律が回らない。
彼は肩を竦めてから立ち上がって、黒いコートを着た。そして、私の方に屈んで、
「じゃあ、行ってくるよ」
と微笑んで、行こうとする。
何故だかそこで、私は寂しくなったのか、コートの裾を掴んだ。イキはそれに気が付いて、私の意図をなんとなく察したのか、
「大丈夫だよ。直ぐ帰ってくるからさ」優しく撫でてくれた。
「うん……いってらっしゃい」
「ああ」
彼は出て行った。
その背中を私はじっと、姿が見えなくなるまで追い続けていたことに、彼がいなくなってから気が付く。あれ? 今の私って、子ども見たいじゃなかったかな? しかし、やっぱりこれもイキが優しく感じるのも、彼がいないと寂しいのも、恋しいのも、全部全部、
「……熱のせい」
そう思うことにした。
そうじゃないと、恥ずかしすぎて、熱が上がって卒倒しそうだった。
「何が熱のせいなんだい?」
イキの声と、彼の顔がいきなり私の視界に入ってきた。
「えっ?」
「どうしたの?」
「さっき、行ったばっかじゃないの?」
「んー、まあ、二十分ばかり経ったけど……」
二十分? あれ、そんなに経っていたっけ?
うーん……。どうやら、熱のせいで思考と現実時間が噛み合っていない。
悩んでいる私を他所にイキは、
「あ、そうだ。先生来る前に着替えておこうか。ほら、買ってきたんだ」
そう言って、持っていた紙袋から白い女性ものの寝間着を取り出した。
「どうして、白なの?」彼に聞いた。
「いや~、僕も悩んだんだけどさ……どんなにイメージしてもシキには白いのしか当てはまらなくてさ」
「そう……」
私が今着ているのは、現界や天界で歩き回る用の服で、それなりにきっちりとしたものだった。今は、胸元を緩めているが、寝るようではないから、些か寝にくいのが難点である。だが、丈夫だから、多少の運動や戦闘にも耐えられるようにはなっている。
身体を起こした途端に、眩暈がした。頭の中にあったものが急に降下してきたような感覚。くらっと来て倒れそうになったところを、イキに支えてもらった。そのまま、ボタンを一つ一つ外していき、服を脱いで、彼が買ってきたものを来た。ワンピースのように上下繋がっているから、着るのには難くなかった。少々はだけているものの、イキが一緒に買ってきた羽織のお陰で、寒さは解消されたといえよう。
しかし、熱は解消されない。
頭が重くなって、イキの肩に額を乗せた。今は丁度、私がイキの腕の中にいるような形だ。
着替え終わったということで、イキは、「じゃあ、寝よっか」と言ったが、私は彼の服を掴んで離さなかった。
「シキ……?」
「……この、ままがいい」
「え?」
今日の私はとことん寂しいらしい。
彼はそれを察したのか、
「分かった」
頷いて、そのまま私の身体を抱き寄せた。頭を優しく撫でる。イキの身体は思っている以上に、私よりも大きい。身長同じなのに、何でだろう。
すると、この部屋の扉が開いて、女性の声がした。
「道に迷って、遅くなちゃった。ごめんね―――」
が、私たちを見て驚いたのか、言葉が止まって、にやりと笑って、
「あー、ごめん、邪魔しちゃったね。そのまま、続けてて。あたしのことは気にしなくていいから」
などと言って後ずさりをし、部屋を出ていこうとする。
それにイキが、
「いえ! 別に、邪魔とかそんなんじゃないです。勝手に勘違いしないでください! 先生!」
慌てている。
「いやいや、良い雰囲気だったのよ。そんなに仲がいいとは思わなかったなあ、お姉さん」
「………」
先生、とは一体?
聞き覚えのある声がイキと話している。
気になってイキの肩越しに見てみると、そこには、白衣姿のライラさんがいた。手には鞄を持っている。
「ライラ……さん」
「やあ、久しぶりね―――って言ってもそうでもないか。よく来るもんね、あたしの所」
「そうなんですか?」とイキ。
「そうそう、まあ、貴方もそうだけどね」
「すみません……」
彼らが会話している間に、私はベッドに寝かされた。
「ちなみに、イキ君はあたしの手を煩わせるナンバーツーね」
「じゃあ、ナンバーワンは誰ですか?」
「この子よ」
ライラさんはそう言って、私の頭を撫でる。
「すみません……ライラさん」
「随分とまあ酷い状態ね、シキ。今度は何があったら、こうなるのかしらね。そうそう、聞いたよ。人間に刺されたんだってね。ぶすり、って」
そう語るライラさん。
いつも通りだ。
彼女も外に出ることはある。というか、ほとんど私のせいでこっちに来ているというのが、本当なのだが。基本、あの研究棟の端にある彼女専用の研究室兼診察室に籠っている。病気や怪我が少ない――小さなものや、たいしたことのないものは、霊力で自分で治してしまうため、患者は少ない――ために、彼女は研究をしている。私は研究の内容をざっくりとしか知らない。簡単に、掻い摘んで言えば、神の病気やら怪我やら、血のことだったり、少しは呪縛鬼の研究をしていたりする。少し前に聞いたことで言えば、精神と肉体は繋がっているとか何とか……簡単にいえば、私なんかがいい例だ。気持ちが落ち込んでいると、怪我や病気が治りにくくなったり、寧ろ、悪化したり、そういうこと。
神々の身体については、後日話すことにしよう。
今回の話は、私の風邪を治すことだ。本筋はこれくらい。
では、本題に入ろう。
ライラさんは、私を診察した。私の上半身を起こして、風邪の具合を見た。
「結構酷いわね。いつから?」
私に聞いて、私は、
「……いつから?」
イキに聞いた。
「なんで、貴女が知らないのよ……」
「私、意識なかったので……大怪我で。すみません………」
イキは、指で日数を数えてから、答えた。
「五日くらい前だったかな……」
「そう……随分長いわね。ずっと、こうなの?」
「いえ、一昨日までは結構熱も引いていたんですけど、昨日の夜から急に悪化したんですよ」
イキが説明する。
すると、彼女はうーんと唸って、考え始めた。
「ねえ、シキ……昨日の夜何を見たの?」
その質問に、私もイキも閉口した。理由は言わずもがな。お互いに言いたくないことだから。
察したライラさんは、
「やっぱりね。誰か、死んだの?」
「………っ」
「ふーん、ま、言いたくないならいいけどさ。でも、貴女死神になって何年だっけ?」
「さ、三百年です……」
「そんなに経つのに、人が死ぬのに慣れないの?」
「わ、私は……誰かが死ぬのに、慣れたくなんか……ありません」
「そうは言っても、貴女は何もかも捨てて逃げようとはするよね。何度、自殺しようとしたっけ?」
「そっ……それは―――」
「四回。そうでしょう?」
一度目は、首を切った。
二度目は、首を刺した。
三度目は、胸を刺した。
四度目は、心臓を貫いた。
けれども、死ねなかった。刺しどころが甘かったわけではなかった。確かに、一度目も二度目も、大動脈を切った。三度目は心臓に穴を開けた。四度目は確実に心臓を貫通して、破裂した。でも、死ななかった。
死にぞこない。
自殺しても、死にきれない。
鬼が、許してくれない。
嗤って、嘲笑って、私を殺さない。
君はまだ死ねない、と。
死んではいけない、と。
君には利用価値がある、世界はまだ変わっていないし、なんなら、あの男ともまだ会っていないから。だから、まだ、殺さない。殺させない。
鬼はそう言う。
笑って言う。
人間の持つ銃弾が心臓を貫いた時もあったが、それでも死なない。
しぶとい。
だから。
だから、イキに頼んだのだ。
私を殺して―――と。
彼なら、私を殺してくれるのかもしれない。死なせてくれるのかもしれない、と。我儘な願い。
「………う―――ぁ」
息ができなかった。
ついでに、お腹が何かに刺されたような激痛に襲われて、頭が割れそうで、変な汗が止まらなかった。苦しいのに、狂しいのに、死にたいのに、それでも死ねない。
肺が潰れそうだった。
頭が割れそうだった。
腹が破れそうだった。
死にたくなった。
けれど。
死んじゃいけない。
死にたくなったけど、私は、私の意志で死んではいけないのだ。
彼と、約束したから。
してしまったから。
彼が、私を殺してくれる、と。私を死なせてくれる、と。
そう言うから。
初めてだったから。生まれて初めて、私を殺してくれると約束してくれたから。応えたい。
だから、どんなに苦しくても、辛くても、真っ暗闇が私を覆って何も見えなくなって黒い絶望に心が染められても、死にたいという欲望がこの身を蝕んでも、私は、勝手に死んではいけない。
「ねえ、シキ……」
「ら、らい……ら、さん………?」
彼女はそっと私の耳元まで近寄って、イキには聞こえないくらいの小さな声で言った。言い終わると、すぐ立ち上がって、
「じゃ、あたしは薬取りに行くから、イキ後はよろしく」
「あ、はい……分かりました」
彼女はそう言って、部屋を出て行った。
部屋には、私とイキだけが取り残された。
静寂が漂う。
「シキ……」
「………」
「えっと……大丈夫?」
「………」
「そんなわけ、ないよね。ごめん。凄く君……苦しんでいたから」
「………」
私が何も言わないのに、居心地を悪くした彼はとうとう、
「水、新しいの汲んでくるよ」
と言って、タオルの入った桶を持って、出て行った。
部屋には私だけになってしまった。
***
ふらふらとする足取りで、私は衝動に駆られて外に出た。誰にも知らせず、イキにも何も言わずに出てきてしまった。けれども、それを気にしていられるほど、私は普通じゃなかった。
頭が痛い。
けれども、歩みは止めなかった。
何かから逃げるように歩く。
何かに吸い寄せられるように歩く。
ふらふらと。
ゆらゆらと。
ライラさんの言葉が耳から離れない。ピタリとくっついて、どんなに頭を振っても、手で払い落そうとも、しぶとくつき纏う。
『貴女は果たして、人間? それとも、神? どちらなの?』
彼女はそう言って、去っていった。
私は人間ではない。もう、人間性なんて失くしてしまった。人間をたくさん殺してしまった。だからもう、人間でいられない。
なら、神なのだろうか。死神という神なのだろうか。でも、やっぱり違う。そんな崇高な存在ではない。不気味で、冷酷で、冷淡で、血腥い存在―――。
ふと、そこである言葉が浮かんできた。
『バケモノ』
人間の頃よく言われ続けた言葉だった。
髪が白くて気味が悪いからと、町の子どもに虐められた。髪を引っ張られ、蹴られて、殴られて、突き飛ばされたり……仕舞いには大切にしていた犬まで殺された。そんな中で、彼らはよくこう言った。
「気持ち悪いバケモノが。近づくんじゃねえよ」
「バケモノがうつったら、どうすんだよ」
「どうして、お前なんかがいるんだよ」
「よく生きていられるよね、バケモノのくせにさ」
バケモノなのに、どうして死なないのだろう。いや、死なないからこそ化物なのかもしれない。
神でもない。
人でもない。
私は、化物だ。
死にぞこないの、生きぞこない。
人を殺す化物。
だから、生きてちゃいけないのだ。
目の前に教会があった。夕日に赤く染まり始めた教会が。
それに懐かしく感じた。
すると、どこからか鐘の音が響いた。
***
夕焼けの教会で、地獄を見た。
壁には真っ赤な血が飛び散っていて、床には血だまりと肢体があった。教会の祭壇の奥にある聖母像にも血が付いていて、この世の終わりを予感させた。床に倒れているのはどれも、聖職者の体をなしていて、けれども、どれもぴくりとも動かない。
そのどれも、見覚えのある人たちの顔ばかりだった。
神父さんに、老輩修道女のイェルさん、そして―――唯一の友達のフィアがいた。
「フィア? なんで、こんなことに……?」
すると、壁に赤い文字で、『お前のせいだ。メイリス』と大きく書かれていた。
そして気が付く。
自分のせいなのだ、と。
何もかも、私が悪かったのだ。
「………?」
目を覚ますと、女性の声がした。
「ああ、良かった。教会の前に倒れていたのを見つけまして。もう、目覚めないんじゃないかと冷や冷やしました」
彼女は胸を撫でおろした。
女性はだいたい二十代前半くらいで、黒を基調とした修道女の服を着ていた。ということは、教会の一室に寝ているのだろうか。額には濡れたタオルが乗せられていた。
「あ、あの……ありがとうございます」
「いいえ。困っている人を助けるのが、私たちの仕事ですから」
「そ、そうですか……」
「ああ、そうだ。先ほど、あなたを探しているという男の子が来ましたよ」
その台詞に思わず、とび起きた。
「そ、その人はどういう人でしたか?」
「あちらにいらっしゃいますよ。今は神父様とお話ししています。もうすぐ、こちらに来られるかと……」
彼女は、部屋の奥を指さした。扉は半開きで、部屋の外が僅かながらに窺い知れた。黒いコートを着た少年が、これまた黒い服の男と話している。たぶん、私について話しているのだろう。彼女の言った通り話はすぐ終わり、そうして、少年がこちらに向かって来て、部屋に入るなり私を見て安堵する。
「やあ、おはよう。シキ……」
「イキ……」
走っていたのだろうか。肩で息をし、額には汗が滲んでいる。急いでいたのか、コートの襟が歪んでいる。
それから、修道女はどこかへ行ってしまい、彼と二人きりになってしまい、思わず閉口してしまった。数分もしないうちに修道女は戻ってきた。これには助かった。手には木彫りのお椀が有って、そこから湯気がたっている。たぶん、お粥かなんかだろう。そう予測し、合っていた。
イキは、彼女から受け取ってそうして木彫りのスプーンでお粥を掬い、私の口元まで持ってきた。
「はい、シキ」
「いいよ。自分で食べるから」
「いいや、駄目だね。君はそうやって、いつも食欲がないって食べないじゃないか。だから、意地でも今日は僕が食べさせる」
断固として聞いてくれなかった。
仕方なく、彼の言う通りにして、お粥を完食。その頃には夕焼けも頂点に達し、町ではばたばたと店仕舞いを始めたり、夕食の準備でごった返していた。彼女も家族があるので、家に帰ると言うので、私たちはお粥を食べ終わってからそうそうに教会を後にした。
帰り道。私はイキにおぶられていた。彼のコートを私がはおり、彼は私を背負って元の宿屋に戻っている。彼の背中が大きい。
「ねえ、イキ……?」
「ん、何?」
「もしかして、怒ってる?」
「もしかしなくても、怒ってるよ。当たり前じゃないか」
イキの態度が尖がっていた。私は、身が縮こまる思いであった。私が全面的に悪い。勝手に出て行って、心配を掛けてしまったから。
「ごめんね……」
「いいよ。謝らなくても。僕が君を虐めているみたいじゃないか」
「でも……」
「でも、じゃないよ。どうせ、宿に帰ったら僕怒るし。きっと」
「そっか」
「……シキ、寒くない?」
彼は唐突に聞いてきた。
頬に当たる風は冷たかった。けれど、彼のコートや、彼の背中からの温もりが私を暖かくしてくれていて、
「ううん、寒くないよ。大丈夫」
「そっか、なら、良かった」
真っ赤な中央街の街並みを、少年の背中越して見て新鮮味を感じた。二階建てのレンガ造りの建物の窓が陽光を反射させて、町を照らしていた。人々は帰路を急ぐ。商人たちは露店を閉め始め、宿屋を探しに出ている。宿屋の入り口付近には馬がぶるぶると顔を振っていた。
「ねえ、イキ……部屋戻ったら、一つだけ聞いてほしいことがあるの」
「聞いてほしいこと?」
「うん。ほら、この前、お粥食べたから、何でも一つだけお願い聞いてくれるって、言ってたじゃない」
「ああ、それか」
「忘れてたの?」
「いや、覚えてたよ。まさか、こんなに早くに来るとは思ってなかったからさ」
彼は肩を竦めせて、少し笑った。
何度も何度も、時代を隔てて見てきた街並みを眺め、そうして、今度は独りではないことに安心した。
「ねえ、重くない?」
「ん、別に。というか、昼間もこの会話したよ。気にしてるの?」
「まあ、一応は……」
「ふーん」
彼はそういうことに興味がないらしい。まあ、男の子はそういうものなのかな。イキは鈍感だし、どう見ても恋愛には興味がなさそうな感じがする。鈍感、というと私がイキに何かに気が付いてほしいみたいで、まるで、私がイキのことが好きという風に思われるような気がする。私は別に、彼のことが好きではないと言い切れないかもしれないが、しかし決して嫌いではないのは確かだ。
好き、か。
死んでから、一度か二度くらいしか誰かを心から信頼し、好意を抱いていない。私が好意を抱いた人たちが、私の手で死んでから、嫌になった。
でも、最後に誰かを信じてみてもいいかもしれない。
信じて、信頼して、信用して、この人に会えてよかったと、心底思いたいのだ。
だから、イキにこのお願いをするのだ。
「ねえ、シキ……」
「ん?」
「君は随分と自分のこと重いか重くないかを気にしているみたいだけど」
「……む」
「別に重くなんかないよ。軽すぎるくらいだ。だから、君の命を背負うくらい、なんてことないよ。君が背負ってきた命に比べれば、たいしたことない。君は自殺を失敗したみたいだけど、僕が絶対君を殺すから。だからさ、あんまり気を重くしないでよ。僕は、君の笑った顔が好きなんだ」
「でも、あなたに誰かを殺すという罪を背負わせることになるのよ?」
「君のためなら、僕はそれでもいい。そもそも、僕の方から君に最初言ったわけだし。それに―――僕はもう人を一人殺したことがあるんだ」
「え?」
それ以降私は彼に何を言ったらいいか分からず、閉口した。彼も私の動揺を理解したのか、何も言わなかった。沈黙を保ったまま、宿に帰った。
***
宿屋の私たちが止まっている部屋には、ライラさんが待っていた。
もう夕方だったため、部屋の中にも夕焼けが充満していた。真っ赤になった家具や壁の中に、白衣を着た彼女は私たちの帰りに、
「あ、おかえり。遅かったね。シキが家出したってね」
「ご、ごめんなさい……」
イキの肩越しに頭を垂れた。
私は彼にベッドの上に下ろされて、ライラさんが、こう言った。にやりと笑って、言った。
「じゃ、薬打とうか。結構酷かったし、自然治癒を貴女の身体に要求しても意味ないからね」
彼女が取り出したのは透明な液体の入った注射器だった。大きな注射器。その分、針も大きく、その先から薬が浮き出ている。
太い針が自分の腕に刺さるのかと思うと、怖くて仕方がなかった。
「いえ、治ります。すぐ治ります。薬なんかがなくても、治りますから大丈夫です」
「いやいや、五日も治らなかったくせに何言ってるのよ~。大丈夫、一発で吹っ飛ぶから」
何が、吹っ飛ぶのか。是非とも教えていただきたい。
「本当に大丈夫です」
「大の大人が注射くらいで、何を怖がってるのよ。ねえ、イキ?」
「え、あ、そうですね。シキ、大丈夫だよ。だって、君のお腹にそれよりも何倍も大きな剣が刺さったんだからさ。そのくらいの針はたいしたことないよ」
「あ、いや、刺さったけど……」
それはそれというか、それを言われたら言い返しようがないけども、腕に、血管に入れられるのを見るのと、剣で刺される時の精神状態はかなり違うものだ。だから、比較されて大丈夫だと言われても、私からしたら剣で刺された方がましなくらいだ。
「じゃあ、イキ、頼んだ」
ライラさんはイキにそう言うと、彼は頷いて私の腕を押さえつけた。彼を見上げると、イキは困った顔をして、
「いや、そんな『何で、裏切るの?』みたいに、涙目になられても……」
苦笑する。その笑いには、「大丈夫だよ」という意味があると私は熱望する。
「いくよ~」
ライラさんはノリノリだ。そのままの調子で、私の腕に向かって針が進んでいき、私は見ていられなくて思いっきり目を閉じた。チクリ、と腕に痛みが走って、何かが注ぎ込まれる感じがした。終わるまで目を閉じていた。
注射し終わると、すぐに別の注射が刺さった。今度は、薬ではなく、検血のために血を抜かれた。
一日に二度も注射を連続して行ったことは、滅多になかった。
ライラさんは器具を片付けて、にやにやしたまま帰っていった。
「大丈夫、シキ?」
「大丈夫じゃない。……ばか」
「いや、そんなに睨まないでよ。ごめんって。でも、あれで明日には治るって先生言ってたし」
イキは微笑む。子供みたいに、笑う。
私の足は泥だらけだった。裸足で町を歩き続けて、教会の前まで行ったのだから、当然だ。擦り傷なんかもたくさんあった。歩いているときは気にしなかった。
彼はそんな足を濡れた布で優しく拭きながら、笑って私を見上げる。よかった、とでも思っているのだろうか。安心してくれているのだろうか。今回のことで、イキにはたくさんの心配を迷惑を掛けた。
拭き終わって、私は再び布団にもぐった。けれど、寝る気がしない。頭は痛いのに、頭も体も重くて怠いのに、寝る気がしなかった。ベッドに腰を掛けているイキは地図を見ていた。どこの地域の地図を見ているのだろう、と気になって起きて見た。
「どこの地図?」
「ん? 王国と帝国の地図」
そこには、王国と帝国の国境に赤い線が引かれた地図だった。山だったり川とか森が図式的に描かれていて、点線で都市名ごとに区切られていた。今いるのがストラル地区の中央街。ストラル地区は森や山などの自然が多い地区で、三つの地区と隣接している。北方にイオルブ地区、南東にガストル地区、南西にラメール地区がある。イオルブ地区は主に鉱山が多く、坑道が多い。ガストルは海に面しているので漁業や貿易なんかが栄えている。ラメール地区は工場が多い。イオルブからの鉱石を加工して刃物を作ったり、ガストルからの魚を加工して干物などの保存食を作ったりなどをしている。ストラル地区は主に農業や、森が多いから林業などがほとんどだが、その収入はいたって少ないのが現状だった。幸いにもストラル地区には名商が多くいる。そこで商工業でストラル地区は賄っている。工業では腕のいい職人が多いため、ラメールの刃物よりもいいものが出来て、たくさん売れる。軍事力もこの四地区の中でトップだ。だから、どの地区も攻め入ろうとは思わない。
「でも、どうして地図なんか見てるの?」
「君がヒルヘルに行きたいって、言ってたから」
「でもここから遠いでしょう?」
「うん。まあね。行けないことはないよ。最短でなら、一度天界に戻ってヒルヘルにそのまま行くっていう手もあるけど、やっぱり、旅を楽しみたいなあって」
「へえ、あなたこっちにはあまり来ないの?」
「少しは来るけど、長期はないかな。来てもやることないしね。一人っていうのも、なんだかなあって。だから、君がいて安心してるんだ」
にこっと彼は笑う。柔らかく、可愛く笑う。
「そ、そう……」
黄昏時とあって、部屋の中は暗くなってきた。地図が見にくいんじゃないかなと思ったが、もう、気にしなかった。なんでか眠気が襲ってきた。薬のせいだろうか。それとも、熱のせいか……。
イキの背中に凭れ掛かる。
「どうしたの?」
「ちょっと……眠くて」
「寝たら?」
「でも、寝たくない」
「なんで?」
「なんとなく……」
夢を見るのが怖いから、とは言わなかった。言えなかった。
彼の服を引っ張って、
「ねえ……一緒に寝よう?」
「え?」
この部屋には、ベッドが一つしかない。椅子はあるものの、寝るには辛い。私がこのベッドで寝てしまうと、イキは床で寝るか、椅子に座って寝るかしかない。私だけが、良い思いをして寝たくはないのだ。ならば、半分こをしたい。
クレフストでも同じ会話をしているから、彼も理解してくれた。
「君がいいなら、僕は構わないけど……いいのかい?」
「うん……」
彼は微笑んで、地図を机の上に置いて、ベッドに入ってきた。べっどはそもそも一人用だから、身体が成長した大人が二人も入るとぎりぎりだが、それでも、私はこっちの方が良かった。一人ではないし、何より安心する。温かい。
イキの方を向くと、私を見ないようにしているのか、背を向けて寝ていた。
「ねえ、イキ……? 寝ちゃった?」
「寝てないよ。どうしたの? やっぱり、出たほうがいい?」
「ううん、出ない方がいい。というか、こっち向いてよ。寂しいから」
私がそう言うと彼はこちらを向くように寝返りを打った。彼の青い目が私を見つめる。
「夕方にさ、聞いてほしいことがあるって、言ったじゃない。あれ、言ってなかったから」
「ああ、そんなことも言ってたね」
「忘れてたの?」
「あははは、ごめんごめん。で、何?」
彼に言いたいこと。
私はずっと、彼の言う通り独りだった。
死神だからって、孤独を望んだ。けれど、寂しかったのだ。
イキに言われるまで、自覚するのが怖かったが、もうやめよう。
認めよう。
私は寂しいのだ。
前も、今も。
でも、これからは、彼がいる。
寂しいと思えない日々があるのかもしれない。
そうだとしても、不安なのだ。
だからこの際、言おう。
「あ、あのね……」
あの日、言えなかった言葉を、彼に。
「私を、独りにしないで……お願い」
少し間を空けて彼は口を開いた。
「それが君のお願い?」
「うん」
「そっか。別に、何でも聞くっていうやつで、言われなくても聞くよ? それくらいのこと」
「分かってる。でも、一応……約束してほしかったから」
「分かった、じゃあ、約束だ。僕は君を独りにしない」
「うん。私が死ぬまで、ずっと一緒にいてもらってもいい?」
「ああ、勿論」
「仕事とかそういうの関係なしに」
「ん? ああ、うん……って、もしかして」
イキは何かに気が付いたような顔をした。
「昼間拗ねてたのって、仕事って言ったから?」
あ、墓穴を掘った。
無意識に言ってしまった。
何も言えずに黙っている私に、
「ごめんごめん。君がそんな言葉に拗ねるとは思わなかったよ」
あはは、と笑う。
そうして、夜が来て、私も彼も眠りについた。
この時は、悪夢を全く見なかった。




