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ZartTod  作者: えびてん丸
32/42

episode22.5

 早朝に宿を出て、もうすでに三時間近く経つ。

 薄暗く、霧があった森から、爽やかな風と太陽の柔らかな日差しが差し込む森に代わっていた。そう言えば、朝ごはんをまだ食べていないなあ、と思いつつ歩いていく。

 先に僕が歩き、森の道をかき分け、安全な場所を選びながら行く。たまに後ろを歩く彼女の様子を伺いながら、もし調子が悪そうなら丁度いいところを見つけて休憩でもしよう、と考える。しかし、ここ二時間くらいでシキの顔色に変化はなかった。我慢しているのか、と心配になるほど変化はない。彼女の足取りはだんだんと重くなっている。限界ではないのかな? 

 僕は見兼ねて、

「ねえ、シキそろそろ休憩する?」

「わっ、私は……大丈夫だから」

 少々の息切れを混ぜながら、返答する。

 大丈夫には見えないなあ……。

 でも、この場合シキは断固として大丈夫だ、と言い張り休憩しようとはしない。どうしても、自分のせいで迷惑を掛けるのが嫌らしい。

 ならば―――。

「あ、いや~、僕がお腹空いたんだよね。あの河原で休まない?」

 と僕が、川岸にある木陰を指さして言ってみた。

 すると、予想通り彼女は頷いて、それに僕は少々嬉しくなってけれどもそれを彼女に知られないように顔には出さずに、彼女の手を引いた。

 川に近いと石が所々に転がっていて、座るには不向きだが、三、四メートルばかり離れると土の地面があって木が生えている。シキを木陰の下に連れていき、座らせた。そして、僕はその隣に腰を下ろし、鞄を下す。ポケットから木の実を何十粒取り出した。木の実の量に彼女は驚きの色を見せる。

「い、いつ取ったの?」

 木の実を指さして彼女は言い、それに「君が歩いているとき」短く答えた。シキはそれを聞くと、申し訳なさそうな顔をして黙ってしまった。どうやら、自分が歩くのが遅いから僕は時間が余って木の実を摘んでいる、とでも思ったのだろう。だが、そんなことはない。そもそも、彼女に体力がないのは承知でクレフストに向かっているのだ。本来は一日掛かるところが、シキの怪我と熱で二日掛かってしまうかもしれないから。それをどうにか、魔女狩りまでに間に合わせるために一日早めにあの宿を、何も言わずに出て来たのだ。休憩が細目に挟まれることは、想像に難くない。僕も、当人も分かっているはずだ。

 だから―――。

「君が気に病むことじゃないよ」

「………」

「……君も、食べる? その辺で取ってきたんだけど、おいしそうなやつを適当に取って来たから、毒とか混ざってるかもしれないけど………」

「え……それを食べるの?」

 顔を青くして、心配そうな顔で彼女は言う。どうやら、調子が戻って来たみたいだ。

 それに少し嬉しくなる。

 けれどシキは気づかずに、木の実を半眼で凝視し毒の実か木の実かを判断している。すると、毒だと思ったものは弾いていく。いや、もしかしたら、本当に毒だったのかもしれない。彼女は色々と知識が豊富だ。少し天然だなあ、なんて思ったりしたこともあったが、こういうところは年上というか直属ではないけれど上司であり、頼りになる一面もある。

 シキの色んなことが見えてくるのが、とても幸せに感じられた。

 これが、ミコトの言っていた『好き』ということだろうか。そういうのは、よく分からない。どうなんだろう。

 シキなら、教えてくれるだろうか。……いや、やめておこう。

「シキも食べる?」

「……ううん。あ、でも毒が含まれているのは取り除いておいたよ。食べたら? お腹空いたんでしょう?」

「うん……シキは本当に何もいらないの?」

 シキは暫し考え込んでから言った。

「喉乾いた……かな」

「じゃあ、水飲む?」

「うん」

 頷く彼女に僕は金属製の水筒を手渡す。受け取ったシキは、思っていたよりも重かったのか一瞬だけ驚いた顔をして、手が少し落ちた。「大丈夫?」と聞くと、「うん、大丈夫」と返された。そして、彼女は水筒の栓を開けようとして、腕が震えるくらいまで頑張っているが一向に空く気配がないことに僕は見兼ねて「大丈夫?」と二回目に聞くと、「大丈夫……じゃない」と返ってきた。

「開けようか?」

「うん、お願い……」

 受け取って、僕が栓をつかむと簡単に抜けて、シキはそれに、

「え、嘘……」

驚きの声を上げる。そして言う。おかしいものでも見たように、砕けて笑う。

「あはは、やっぱり男の子だね」

「えー、今まで僕をなんだと思ってたの? 君は」

「んー、なんだろうね。頼りになるなあ、とは思ってたし、まあ見た目が子どもだから何と言うか」

「やっぱり、子どもなのかね。そう言えば、君の見た目っていくつぐらい?」

「どうだろ……二十くらいかな。あなたは?」

「……十五くらい」

「身長同じだしね」

「む……」

「気にしてるの?」

 気にするも何も、隣を歩く女の子と身長が同じと言うのは、少しばかり男のプライドというものが……。それが、少し気になる女の子ともなれば、なおさらだろう。生神の中では二番目くらいに身長が低いのだ。一番はミコトなのだが、男だけだったら一番に低い。それを気にしない、というのは難しい。

 そんなことを指摘されて、しかもシキに言われて、心が折れそうになった。

 彼女は、

「大丈夫だよ」

と言う。

「どうして?」

「だって、これからもっとイキは大きくなるよ。私よりも強くなるよ」

「今だって君よりも強いよ」

「そうなの?」

「いや、君と戦ったことないし……分からないけど。じゃあ、僕は将来強くて格好良くなる?」

「格好良くなるかは、分からないんだけど……。まあ、でも今のままでも私はいいけどね」

「ほう、その心は?」

「イキの笑った顔とか、美味しそうに物を食べる顔とか、寝顔とか、見ていて可愛いから」

 そう言って、シキは笑った。はにかみながら、笑う。

 僕の笑顔が可愛いと言う彼女の笑顔の方が、僕にとっては何倍も可愛く見える。寝顔だって可愛い。お粥を食べているときは、流石に可哀そうであったが。

「シキの方が可愛いよ」

「え!?」

 僕が言うと、彼女は顔を赤くして「そ、そんなことないよ」と頭を振る。その仕草が可愛い。髪の毛や服装が白いからか、その紅潮した頬が目立っている。赤い目が潤んで見えて、出会った当初よりも親近感がわくし、ずっと見ていたいなあ、なんて思ってしまう。柄にもない。

 本当に、僕は彼女に会ってからどうかしてる。

 ミコトにあんなことを言われるくらいだから、本当にここのところ僕はおかしいのだろう。自分でもなんだか、そんな気がしてならない。シキを見ていると、不思議な気分になる。それにまた奇妙な感じがするのだ。

「イキ、どうしたの?」

 いつの間にか、彼女のことをじっと見ていたのか、シキは困ったような顔をしていた。私の顔に何かついてる? とでも言いたげな顔をしていて、というか実際にその言葉を彼女は口に出していた。だから、答えた。

「……目と鼻と口がついているね。あとは、眉毛とか」

「あ、いや……そういうのを聞いているんじゃなくて。それ以外に何かついてる? って聞いてんの」

「ほか?」

 何かついているのだろうか、とシキの顔に近づいてよく見てみる。見たところ何もついていない、ような気がする。次に触ってみると、シキが「……んっ」と小さく声を上げ、頬が桃色に染まった。

「顔が赤いよ?」

 僕が言うと、彼女は、

「あなたのせいよ」と言う。

 どうしてそんなことを言われるのか、分からずに首を傾げる。

「僕のせいなの?」

「……うん」

「どうして?」

 僕が聞くとシキは小さな声で「…………ばか」と呟いたのだった。その目は真っ赤で少し潤んでいて、僕を可愛らしく睨みつけている。そして、頬を僅かに膨らまして、そっぽを向いてしまった。

 僕は悪いことをしてしまったのかな?


 休憩を三十分ほどした僕らは、シキが拗ねた勢いで水を全て飲んでしまったので、清水を探して汲みに行かなければならなかった。例え、神である僕らでも所詮は『不完全な神』であるから、水を飲まないと体にがたがくるし、食事をしないと空腹が襲うときもある。怪我や病気を治すなら、大量の霊力が必要でそれを体内だけで生成するのは難しい。だから、食事で外部からの摂取が必要になる。

 いい例がシキである。

 彼女は昨日まで全く体に力が入らず、昼ご飯にお粥を僕が無理やり食べさせて数時間で自力で起き上がることができるくらいまで回復した。今では歩けるくらいには回復しているが、長時間の歩行には向いていない。まだ、万全ではない証拠。

 一歩後ろを歩く彼女は、申し訳なさそうに頭を垂れている。僕が見ていることに気が付いたのか、さらにその顔は暗くなっていく。

「ご、ごめんね」

「いや、いいよ」そもそも、僕が君の機嫌を損ねたのが問題である。本を糺せば、僕がいけなかったのだ。今でも何がいけなかったのか、分からないが。

 昼近くになって、太陽の光が少し強くなってきた。風が爽やかな季節とはいえ、気温は高いような気がする。まあ、これくらいが丁度いいのかもしれない。シキを見てみて、やはり暖かい方がいい、と思う。彼女はまだ、風邪が治っていないから。暖かい方が、寒いよりはいい。時たま吹く、森の香りと川の香りを含んだ風が心地よい。

 不規則に生えた木々に、所々苔が生えていて緑が一面に広がっているように見える。遠くには寿命で倒れた倒木に、緑色の苔や新しい木が生えている。それが命の循環を思わせた。自然の生命力に、これも僕たち神々が作り出したのものなのか、と思ってしまうくらいに幻想的だった。

 森の緑と、川の灰色とが絵画のように見えてしまう。

 数十分くらい川を上流に遡っていって、源泉を探していく。山を登ったりしなければならず、シキには過酷な道のりだったことは否定しない。段差が大きいところでは僕がまず登ってから、彼女の手を取って引き上げた。やっとのことで、源泉を見つけ水筒に水を入れる。

 シキはこんな時間を掛けてしまったことに謝っていたが、僕としてはこんな冒険ができて嬉しかった。

 なんて言ったら、また「ばか」って言われちゃうかもなあ。

 それから、小一時間ほど山道を歩き進め、崖を登っていく。人が作ったのか、崖に斜面が作られていて、道らしきものがある。人間はすごいな、なんて思いながら進んでいく。けれども、まだ道は続いていき、崖を登り終わったと思ったら、まだ先がある。斜面を歩いていると、彼女の気配が遠くなっていることに気が付く。

 踵を返して彼女のもとへ駆け寄ってみると、その顔色は良くなかった。気分の悪そうな顔色に、額には汗が浮き出ている。

「大丈夫? シキ」

「だい……じょうぶ」

 息を切らしながら、頷くシキに、大丈夫じゃないな、と考え、空を見上げる。空模様が気になる。あと、数十分くらいで降り出しそうな、そんな空。それに肩を竦ませ、

「シキ、休もうか」

手を差し伸べる。

 けれども、

「いい、大丈夫だから……」

 頭を振る。

 強情な彼女に、僕はため息をつきそれから、無理やり手を取った。勿論、彼女はそれを咎めないはずはなく、

「な、何するのよ……!」

「君が我慢するのが悪い。まあ、確かに僕が無理するなって言っても無駄だ、と言ったわけだけど……。でも、休憩を挟みながら行こうって、約束したじゃないか」

「約束……? したっけ?」

「………」

 あれ?

 確かに、したか?

 まあ、いいか。どうせ、この流れで「約束してないから、休憩しなくていいよ」なんて今更言えない。そのまま、僕は彼女の手を引いて、崖の途中にあった洞窟の中で休むことにした。少しばかり暗いが、まあ、大したことはないだろう。洞窟の奥はそれほど続いているわけではなく、日の光が薄くなったなあというところで行き止まり、という感じに浅い洞窟だ。蝙蝠は運よくいない。たぶん、よくここを人間が使うのだろう。入口から奥に少し行ったところに焚火の跡がある。そこに荷物を置き、シキに少し待っているように言った。僕は、薪を探しに少しの間崖を下りて、森の中を散策し、幾つか枯れ木や倒木の一部を切り取って帰った。火を起こし、彼女に提案をした。

「少しだけ、寝たら?」

「いや、いいよ。座っていれば、何とかなるよ」

「君はそういうけどさ。ほら、もうすぐ雨降りそうだし、この辺で思いっきり体力回復させてさ、晴れたら一気に進んだ方が効率がよくない?」

 僕が、そういうと彼女は少し悩んで「まあ、そうだけど……」と肯定した。正直言って、シキを納得させられるか自信のない、苦し紛れの言い訳であったが、聞いたようでなによりだ。

 そうして、シキに薄手の毛布を渡して寝かした。一応、二人分で二枚あったから、一枚は地面に敷き、もう一枚は彼女の上に掛けた。彼女は、「イキは寝ないの?」と言い、それに「いや、火の番をしないといけないし、雨が上がったら君を起こすよ。僕は今晩寝るからさ」僕は答えた。シキは頷いて、身体を地面に横たえた。

 間もなくして、雨が降り始め、最初の数分は大したことはなかったが、だんだんと大降りになってきて、音が大きくなっていく。それに、シキが寝にくいんじゃないかな、とも心配したが、その必要がないくらいに彼女は寝ていた。息を荒げ、苦悶の表情を浮彫にして、額には汗が滲んでいる。ほんのりと紅潮した頬に触れる。

「………」

 熱を帯びていて、彼女が今まで我慢していることが知れた。

 僕には、あまり心を開いてくれていないんじゃないか、とも思ってしまった。ただ、彼女が素直じゃない子に過ぎないんだとしても、信じてくれていないのかそれとも頼りにしてくれていないのか、そんなことを考えてしまう。もっと、素直になってほしい。僕はシキを頼りにしているつもりだし、なんなら、最近は彼女のことを嫌いではなくなったのだ。前は、先入観とかいうもののせいで、シキの本当の姿というものがぼやけてしまって、僕に幻覚を見せていたみたいだが、今ではその幻覚は消えている。なら、僕の方から彼女が、素直になって心を開ける空間というか雰囲気を提供すれば、シキも自ずと我慢しないでくれるのではなかろうか。

 見上げる空はどんよりと曇っていて、さらには、土砂降りの雨が降っていた。いっこうに止む気配も、シキが目覚める気配もない。

 寝ているシキに視線を下げて、それから、彼女の頭を僕の膝の上に移動させた。それでも、彼女は起きない。熟睡だ。それに安堵し、熱を帯びた頭を撫でる。膝の上から彼女の体温が伝わってきて、心が温かくなってきた。

 すると、薪がパチンと音を立てて弾けた。



 ***



 三十分くらいたったところで、膝の上でもぞもぞと動くのを感じた。

「シキ……?」

 彼女を見てみると、薄く目を開けていて、だがまだぼんやりとはっきりとしない様子で暫し目線が宙を見ていたり、泳いだりして、ようやく僕を視界に捉えたのか赤い目がよく見えるようになった。すると、きまって彼女は安心したような顔になる。それに僕も、先ほどの心配も不安もなくなっていくような気がした。

「おはよう、シキ。どう、気分は?」

 見下ろしながら、問うと、彼女は寝ぼけながらも答える。

「頭が重い」

「あとは?」

「頭痛がするのと、頭がぼんやりする」

「そっか……」

 僕が頷き、手に持っている地図に目を落とすと、シキはおもむろに起き上がる。

 頭が痛い、と言っていたが、大丈夫なのだろうか。寝ていた方がよいのではないか。どうせ、雨はまだ止んでいない。彼女が寝ていても、起きていて万全であっても、外に出ることはできない。

「寝ててもいいよ? どうせ、雨止んでないしね」

「ん……少しだけ……慣れさせておこうかなって………」

 そういって微笑むものの、顔を顰めていてふらふらしている。顔色もよくない。我慢しているのはすぐにわかった。けれども、僕がそれを言ったところで彼女は聞かないだろうし、寧ろ、大きな声を出したりなんかして彼女の頭に響かせてしまっては、さらに辛い思いをさせるだけだ。

 だから、諦める。

 地図に視線を戻すと、肩に重みがかかった。それに驚いたが、肩から伝わる温かみに、シキか……とすぐに理解できた。

 僕が気にしていると思ったのか、

「ご、ごめんね。少しだけ、このままでもいいかな……?」

と小さな声で呟く。

 耳に彼女の吐息が掛かって、くすぐったかった。

「いいよ。寒くない?」

「少しだけ、寒いけど……今はそんなでもない」

「そっか」

「何見てるの?」

 地図を見ていた僕の様子に、シキは不思議に思ったのだろう。

 僕は答える。

「フレインスの方向が合ってるかなあ、っていう確認かな。これから、君はどこに行くだい?」

「んー、あまり考えてない。それに、そもそもこの旅だって、息抜きのつもりだったわけだしね」

「へえ、そうなんだ」じみじみと頷く。

「あなたは、私を追ってきたの?」

 彼女は聞いた。

 シキから見れば、僕はそうなるのかもしれない。だって、彼女の目の前に現れて、いきなり「君を殺したい」なんて、タイミングが良すぎるしなんなら計算してやっているようなものだ。僕だって、シキがあの場所にいることなんて知っていたわけではない。たまたまだ。いや、たまたまかどうかも疑わしい。僕をあの場に送り込んだのは、生神の総代であるネフさんだ。あの人なら、僕にとってのたまたまも偶然も、そうではないと言うだろう。こんな風に。

「あはは、本当に偶然なのかな。本当は、それがそうされるべき未来だったのかもしれないじゃないか。私たち神は、そうやって人間の未来を決めているわけだしさ。人間が自ら開いた突破口でさえ、私たちが予想していたことなんだ。人の死も、生も、運命も、何もかもがとうの昔に決まっているんだよ。そうだとしたら、君はどうする? 私は君の過去も未来も、全て知っている。それでも尚、君はイキとしての生を全うするかい?」

 いつもこんな調子だ。何でも知っていて、僕にとっての予想外のことも、彼にとっては予想内のことなのだ。全てを知っている。この世界が今後どうなるのかも、僕がどうなるのかも、シキがどうなるのかも……全て彼の手中にある。もしかしたら、僕が彼女を殺すのかどうかさえ知っているのかもしれない。けれど、それを教えようとはしない。ただ、流れるのを見て、楽しんでいる。

 そう考えると、ネフさんは恐ろしい人だ。

「まあ、君を探しに来たのは事実なんだけどね。でも、空から降りてくるのは、僕にとっても予想外だったよ。ネフさんが僕を突き落としたんだ」

「え……」

 僕はそのまま話をつづけた。

 あの日、僕はシキを探すために天界から現界への扉を潜る前に、準備として鞄に入れた荷物を確認して、ネフさんから、仕事の確認をしていた。たまたまその日は空が澄んでいて、雲が風に流されると現界がよく見えたのだ。そしてふと浮かんだ疑問を、ネフさんに投げたのは僕だった。

「このまま、落ちたら現界に行けるんですか?」

「試してみるかい」

 二コリと笑うネフさんに僕は「え……?」と声を出し、次の瞬間には体が宙に浮いていた。ネフさんの意地悪そうな顔が遠のいていく。物凄い速度で近づく地面と、離れていく天界の地層に、僕は焦った。どうするべきか、と焦り、呪縛鬼を鎖状に変化させ僕が今まで立っていた天界の浮島に鎖の先についている杭を差し込み、なんとか鎖を握りしめるが、身体の落下速度でずるずると僕の身体は落ちていく。鎖を握る手が、ぐちゃぐちゃになっていく。肉片を飛ばし、鮮血を飛ばし、骨を削り、けれども僕の身体は止まらない。その手が無理そうになったところで、片方の手を使う。その間ぐちゃぐちゃになった手を修復する。その繰り返しだ。だが、地面がもう間近に来つつあるのを確認して、そこが民家でないことに安心し、鎖を握っていない方の手から槍を生み出し、地面へと思い切り投げた。爆発音にも似た音を発しながら、槍は地面に深く刺さった。槍を投げた勢いで、僕の身体は僅かながら空へ向かい、落ちる勢いが小さくなった。そのまま、槍を掴みに行って、地面に着地。その時間はほぼ一瞬だったかもしれない。僕の両腕はボロボロになり、両足は骨折した。だが、それもすぐに治る。そういう身体だから。

 粉塵に暫し咳込みながら、僕をおとしたネフさんに悪態を吐こうとしたところで、シキが目に入ったのだ。

 そんな話を彼女にした。

「す、凄いね……」

 というのが、シキの感想だった。

 まあ、そうなるだろうな。僕自身、話していて無茶なことをしてしまった、というか、変な疑問を彼に投げかけてしまったことに後悔している。結果的に、シキを探す手間は省けたのだが。

「シキは、息抜きでこっちに来ているから、もう帰るのか?」

「いや……もう暫くはこちらにいるつもり、かな。戻ってもやることないし」

 彼女曰く――仕事は既に終わらせているとかで、年末まではやることがないらしい。

「イキは、私についてきて仕事は大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。僕にあんまりそういう書類整理の仕事はこないから」

「え? でも、あなたの立場からしてそういう仕事は多いんじゃないの?」

「あはは、いや~、僕はそういう書類整理というか、そうちまちましたデスクワークは苦手でね。だから、そういう仕事は回ってこないんだ。みんなも分かっているしね。僕の仕事は基本、みんなが済ませた書類を運んだり、持って来たりする肉体労働がほとんどかな」

「へえ、じゃあいつも仕事があるんじゃないの?」

「今の仕事は、君といることだからね。今も仕事中……みたいな感じかな」

「仕事、ね……」

「どうしたの?」

「ううん、別に……」

 心なしか、落ち込んでいるような顔をしていたような感じがしたのだが、気のせいだろうか。彼女は、そのまま僕の肩に顔を埋めるようにして、黙ってしまった。

 その行動を不思議に思いながら、地図を見る。

 今は、王国の端っこにいる。山奥の端っこ。王都までどれくらいの距離があるのか、この地図じゃ見当もつかない。そもそも、この地図が正確に作られたものかどうかも不安でしょうがない。たぶん、ここを通った旅人が作ったものなのだろう。紙は古いのか、茶色になっている。原本は物凄く大きいのだが、これは誰かがその旅人が作った地図を模写したのだ。手書きで。王国の北西の端。それがクレフスト、フユル渓谷の位置だ。彼女の言っていたストラル地区は結構大きい。この地図には旧ストラルの名はない。ストラル地区中央街まで、そう遠くはない。そして、彼女の出身地――シルフェまではここからでは遠い。なら、まずは中央街から行った方がいいのだろうか。ストラル地区を回るだけでも半年は掛かりそうだった。王国中を回るのはもっと掛かる。

「シキはどこか行きたいところはあるのかい?」

「……ヒルヘルに、行きたい」

「ヒルヘル?」

 帝国の帝都の名前を口にする少女に、僕は首を傾げた。彼女が人間の頃はきっと一度も行っていないだろう、町の名前を出すからだ。でも、どうして、そこに行きたいのだろう。何かあるのか。彼女にとって特別なところなのだろうか。しかし、僕はそれを聞くことが出来ないまま、雨は上がり僕たちは出発したのだった。

 一日半掛かって、ようやくクレフストに着いたのだった。



 ***



 クレフストに着いたのは夕方のことで、教会の広場には既に村人が何人か集まっていた。燃料となる薪を広場の中央に積んであって、その中央に十字を模した木が作られていた。たぶん、そこにあの少女が縛られるのだろう。僕たちはきっと、村の一部の人たちに目を付けられているだろうから、フードの付いた服を通りすがりの商人から買って、それを着ている。僕もシキもフードを被って村に入ったが、誰にも気づかれなかった。というよりも、みんな僕らがしたことを忘れているように思われた。

 隣を立つシキを見てみると、顔色が悪い。

「シキ、大丈夫?」

「あ、うん……大丈夫」

 シキは頷く。脂汗を滲ませながら、顔を顰めて笑った。

 けれど、それをどうこうすることはできず、僕はただ「そ、そうか……」と呟くだけだった。

 数分もしないうちに村人という村人が集まって、そうして教会の奥から女の子をつれた神父がやって来た。村人の誰かが「魔女を殺せ」と叫んだのを合図に、群衆はそれを連呼する。その中にはシキを殺しかけた少年たちもいた。彼らはシキには気が付いていないが、シキは、

「………っ」

 気が付いていた。

 怖いのだろう。

 だから、僕は声を掛ける代わりに、彼女の手を握った。シキは驚いたように僕の方を見たが、意図を察したのか、何も言わず握り返してくれた。

 十字の木に少女は縄で縛りつけられている。もう、叫んで助けを呼ぶ気力すらないのか、うなだれている。薪に火がつけられ、少女の目に恐怖が宿った。油が染み込ませてあったのか、直ぐに火の手は上がった。少女のつま先から炎は飲み込んでいき、そして啄む。舐めるようにゆらゆらと、炎の先を揺らして、彼女の素肌を撫でていく。彼女の足を食べて、飲み込んでしまう。だんだんとつま先が黒くなっていき、最初はばたつかせていた足はもう動いていない。喉を切るような悲鳴と、村人の歓声が響き渡る、それに呼応するように火はその勢いを増していき、少女を飲み込んでいく。彼女の顔は涙と涎でぐちゃぐちゃだ。

 僕は見ていられなくて目を反らす。シキは、目を離さずに凝視している。

 どんな気持ちなのか、見当も付かなかったが、確かに僕の手を握る彼女の手は震えていた。

 とうとう、少女の悲鳴が聞こえなくなる。意識を失ったのか、何も言わない。白目を剥いているが、確かに生きてはいる。身体が痙攣していて、下半身はもう、真っ赤に膨れ上がっている。つま先はもう黒くなっている。脹脛は、赤く爛れてしまって、血が滲んでいる。

 数分もしないうちに、少女はぴくりとも動かなくなって、村人はただ火葬されているのを見るのみだった。

 彼女が燃え尽き、炎も消えた。

 村人は我に返ったように静かになって、自分の家に帰り始める。広場には、燃え尽きた少女の遺体と、僕らだけがあった。

 村全体が泣いているように雨が降り始めた。

 隣に立つシキは動こうとはしない。ただ、少女を見上げる。

 そんな彼女の手を引いて、僕は言う。

「シキ……行こう」

「………」

 でも、彼女は答えない。

 それでも僕は彼女の手を引いて、村外れの森の中に入った。彼女は抵抗する力もないのか、手を引けばその通りに歩く。森の少し入ったところにある空間に僕は立ち止まり、シキの方を向いた。僕が手を引かなくなったから、シキも立ち止まる。顔は下を向いていて、表情が窺い知れない。

「シキ……」

「………」

 答えてくれない。

 泣こうとしない彼女に、泣くのを我慢する彼女に、僕は言う。

 握った手を離して、シキの頬に触れて言う。

「……泣いても、いいんだよ」

「……え?」

 シキは心底泣きそうな顔をする。けれども、泣きそうな顔をするだけで、その先はない。

「我慢しなくてもいい。泣きたいなら泣けばいい」

「そ、そんなこと……今更――」

「できない?」

「……だって、私は死神だから。たくさんの人を殺して……きたから。いまさら……いまさらっ、むりだよ………っ」

 涙を零しながら、彼女は言う。

「無理なんてことはないだろう。誰だって泣きたいときはあるよ。誰も君が泣くのを許してくれないなら、僕が君を許すよ。それじゃ、駄目かな?」

「……だめ」

「あはははは、駄目かあ」

 僕は彼女を抱きしめて、言った。

「じゃあ、今だけ。今だけさ、泣きなよ。僕は君が泣いているところを見ていないわけだし、こうすれば誰も君が泣いているところが見えない。それなら、君だっていいんじゃないか」

「なにそれ……ばかみたい」

「あはは、そうだよ、僕は馬鹿だから。こうする方法しか思い浮かばないんだ」

 けれど、ばかみたい、という彼女だけれど、無理やり僕の腕の中から出ようとはしなかった。寧ろ、僕の胸に顔をうずめて、小さな嗚咽を漏らし始める。

 冷たい夜の雨の中、彼女の温かな涙が流れている。

 数分か数十分か、泣いた後で、彼女は言った。

「ねえ、イキ……私を殺して」

 静かな声で、しかしはっきりと言った。

 僕から少し離れて、目を見ながら言う。泣きながら、シキは言ったのだ。

「シキ……」

「お願い……私を殺して」

 続ける彼女に、僕はシキの両頬を両手で挟んだ。そして、自らの額とシキの額をくっつけて、言った。

「君は、それでいいの?」

「え?」

「それでいいのか、って聞いてるんだ」

 シキに言ってやろう。

 死にたがりの少女に、自分を卑下する彼女に言ってやろう。

「君はどれだけ、人を殺してきた? それなのに、いまさら責任を全て投げ捨てて逃げるつもりかい。そんなのあんまりだ。それにさ、君は一人でずっとずっと頑張って来たんだろう。何百年も頑張って来たんだろう。その頑張りも、君を支えてくれた人たちの優しさも、何もかもを捨てて逃げるのか。なあ、シキ。それでも、君はいいのかな?」

「だって……もう、疲れたよ。人が死ぬのも、人を殺すのも、もうやだよ」

「うん」

「ねえ、殺して」

「……いいよ。僕は君を殺そう。でもね、死にたいって、殺してって言う君を僕は殺してあげない」

「え……?」

 僕の言葉に驚くシキに、さらに続ける。

 そうだ。

 あの人が言っていた。

『好きな人を、大切な人を、とことん幸せにしろ。馬鹿みたいに毎日笑っていられるくらい幸せにしてやれ』

 僕に色々なことを教えてくれた先生が言っていた言葉。

 僕はシキのことが好きかどうかは分からない。でも、大切な人なのだ。

 彼女はまだ、楽しそうに笑っていない。

 幸せになっていない。

 だから。

 簡単には殺さない。

 殺してなんか、やらない。

「シキが、幸せになったら、僕は君を殺すよ」

 そう宣言した。

「でも、そうすればいいのよ。そんなこと……?」

「幸せになろうとしないやつが、幸せになれるわけないだろ。だったら、君はまず幸せになる努力をしなよ」

「そしたら、あなたは私を殺してくれるの?」

「ああ、勿論」

 雨の日の夜に、シキとそういう約束を交わした。

 風邪を引くとまずい、ということで僕はシキの手を引いて村の宿屋に行った。そして、僕もシキも疲れ果てて、僕は真っ先に寝てしまってその後のことは覚えていない。

 シキは寝たのだろうか。

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