episode2
私が殺した猪をイキが街道からそれた木の下に埋葬した。イキが枯れ木を拾い集め、それに火を着けて天にのぼる煙を見ていた。「それは何?」と聞くと彼は「送り火だよ」と答えた。
送り火は人間の文化の中で根付いたもので、死者の魂を天に送るための道しるべなんだとか。魂を送る、と言っても死んでしまった時点で魂は最高神の手に戻っている。そんな事をしても、意味なんてない。イキもそのことは分かっている。
―――ただ、形だけでも遣っておきたいんだ。例え、それが無意味な行為だとしても、安らかに眠ってほしいから。
イキはそう言って、火を消した。
そんなことを遣っていたら、辺りは夜になっていた。
月のない夜だったが、星は自分はここにいるんだと自己主張をしている。
少し冷える夜だが、今はラゾット村へ行こうか。そう思った私は街道に戻り、進みだした。今行けば、早朝には着いている頃合だろう。
歩いていると、静かに着いて来ていたイキが唐突に言い出す。
「ねえ、シキ」
「何?」
「君は、寝ないのかい?」
「イキは眠いの?」
「いや、別にそうじゃないんだけどさ。その……ずっと歩きっぱなしだったから、君は疲れているんじゃないかって思っただけだよ。死神だとしても、君も女の子じゃないか」
イキの言葉に一瞬だけ、吃驚し目を丸くした。
「へえ、もしかして心配してくれてるの?」
と言うとイキは少しだけ顔を赤くして、
「べ、別に心配しているわけじゃ……。たっただ、風邪をひかれたら困るだけで……」
と言い訳を言う。
彼の反応を見る限り、素で出た言葉だったらしい。根から良い人なのだ。彼は。
「そんなに、気に掛けてくれなくても大丈夫。ありがとう、イキ」
イキを見ていると、彼ははにかみながら「大丈夫ならいいんだ。大丈夫なら……」と呟いた。
そんなことを言った私だったが、実際朝早くに向こうに着いても遣る事がないのは事実だった。だったら、ここで野宿し体を休めるのも必要、か。
私たちのような、神様は完璧ではないのだ。風邪だって引くし、怪我をすれば痛い。ただ、人間と違って死なない。それぐらいのことでは死にやしない。死んだりしたら、世界は大混乱だ。しかし、神にだって死の概念は存在する。
死神が死ねば、世界から姿を消せば生物の《死》はなくなる。つまり、私が死ねば誰も死ななくなる。彼が私を殺すとはそういうことだ。
空を見上げ息を吸う。空気は冷たく冷えていた。
「ねえ、イキ」
唐突に私は彼の名前を呼び、
「ん? 何、シキ」
「やっぱり、休もうか」
と言った。
私から言い出すのが意外だったのか、イキは暫し目を丸くし固まっていた。そして、理解出来たのか「ああ、そうだな」と応えた。
応えるなりイキは野宿にいいだろうと思われる場所を探し、そこに枯れ木を集め始めた。木を集め、火を熾した。「どうして、火を熾すの?」と聞くと「火を熾したほうが体が温まるし、動物も襲ってきにくくなるからね」とイキは答えた。私はあまり、体を温まるとか動物を避けるとかを気にしてこなかったので、そういう事を知らない。彼よりも私のほうが無知なんじゃないか。そう思わされた。
朱色に燃える火を見ていると、厭な気分になってくる。昔のことが頭に過ぎり、あまり体を温める気分になれなかった。
横になろうとする私にイキが、
「もう寝るの?」
「うん」
「そっか、おやすみ」
「うん、おやすみ。あなたも早く寝てね」
「分かった」
頷き、火の番をしている。
火を背にするように横に寝ると、後ろからはパチパチといった音が聞こえる。木が燃えている音だ。耳にこびり付いた音だ。その音と共に聞こえてくるのは「殺せ」と叫ぶ群衆の声。「魔女を殺せ」と。夜なのに眩しく熱かったあの日のことを覚えている。生きたいとは思わなかった。死にたくないとは思わなかった。ただ、死にたいと思った。最期に見たのは、月も星もない真っ黒な夜空に舞い上がる、火の粉だった。
そんな事を思い出しているうちに、睡魔が襲ってきた。
その睡魔に身を任せ、眠りについた―――。
目が覚めた時には空が仄かに明るくなっていた。
体に微かな重みを感じたと思って、身を起こしてみると私の体に黒いコートがかけられていた。見覚えのあるコート。確か、イキが着ていた物だ。
イキを探すと、近くに彼は静かな寝息を立てて寝ていた。その体にはコートは着ていない。
私は思わず微笑みながら、彼にコートをかけてあげた。
「ありがとう、イキ」
「………」
勿論、返事はないが寒そうに顰めていた顔が緩くなったことに微笑ましく思えてしまう。思わず、彼のやわらかい黒髪を撫でた。やはり、子供っぽい。
朝日が昇り、小鳥の囀りが聞こえてくる。
朝は猛獣が目覚め動き出す時間だ。私は彼が襲われないよう、見張りをしていた。
すると、
「……ん」
イキが目を覚ましたのか、虚ろげな目で周囲を見渡し目を擦っていた。
まだ目が覚めきっていないのか、ぼうっとしている。イキは私を捉えるなり、
「あ……シキ。おはよう」
と言う。
やけにぼんやりとした口調だ。
私は見張りを止め、彼の傍まで寄り返した。
「おはよう、イキ。あなた、朝は弱いんだね」
「うん、まあね」
「寝癖も、着いているし……」
「え? ああ、うん」
暫くして、彼は目を覚まし寝癖を直した。黒いコートを着込み、「そろそろ、行くか?」彼は言い「そうだね」と私は答えた。
街道を道沿いに進み、森へと入る。
ラゾット村は森の中にある、村で鉄鋼業が盛んで鍋や剣など王国に献上していた。鉱山が近くにある事や燃料となる木が豊富だったということが要因だろう。
鬱蒼とした森は不等間隔に生える木々や薄くかかった霧が不気味さを際立たせていた。
霧はかかっているものの、それほど障害にはなっていない。ただ、視界をぼやけさせる程度。進むのには問題ない。
街道の続きで、森には刈り取られ整備された道があった。馬車が通れるようにするためだろう。だが、その道に標された馬車の跡が最近のものではない。恐らく、三週間くらい前……。
淡々と歩く私にイキは怪訝な顔をして、
「なんか、変じゃないか?」
と言い出す。
確かに変なのだ。ラゾット村は鉄鋼業がさかんな場所だ。なら、毎朝のように馬車が通らなければ仕事が滞ってしまう。三週間も運搬をしていないのは妙だし、何よりも静か過ぎる。
遠くで、烏がカァと鳴いた。
「行けば、分かるわ」
静かに呟くと、イキはさらに怪訝な表情をする。
暫く歩き、もうすぐかな……と思い始めたところで、遠くから老婆が苦しそうに走ってきた。
咳をし、苦しそうに肩で息をしている。顔色が悪く、血色も悪い。皺が掘り込まれた顔は以前にも増して、皺が深くなっている。気分が悪そうに汗を掻いている。
「た、助けて、シキちゃん。前に息子を助けたように、夫を救ってください……」
泣きそうな声音で、私に縋ってくる。「げほっ」と咳をし、彼女の異変に気づく。鎖が、魂を繋ぎとめておく筈の鎖が揺れ動き、今にも壊れそうに綻びが入っている。
もうじき、このおばあさんは死ぬ。
そう感じた。
病気で苦しんでいる夫を救ってくれ、そう言われた。
救うとは、殺すこと。
苦しみから逃げる、一番の方法。
二度と苦しみを味わうことのない方法。
誰もが最後に縋る、救いの手。
しかし、イキはそれを認めないだろう。
苦しそうなのは彼女も一緒だった。
きっと、夫が安らかに死んでしまえば直ぐにでも死んでしまいそうなほどの儚さを感じた。
「大丈夫、直ぐに楽にしてあげるから」
しゃがみこんだおばあさんと同じ目線までしゃがみ私は微笑む。
おばあさんはその様子に、さきほどの表情とは違って安心した表情をした。
「よかっ……」
が、そこまで。そこまで言うと、おばあさんは力なく倒れこんだ。
鎖を切ったのだ。
容易く、切れてしまった。
大丈夫、直ぐにあなたの夫も送ってあげるから……。
そう誓いながら、死んでしまったおばあさんの体を寝かせ、目を閉じた。
息はしていない。微かに体温を感じるが、それも失われていくのだろう。
イキに今の私はどう映るのだろうか。
彼を見ると、やはり怒っている。
「どうして、殺した」
「救ってあげたかったからよ」
私が言うと、
「ふざけるな!」
声を荒げ白い槍を取り出す。
しかし、私はその槍を触り消した。白く光る粒子となって、槍は消えた。
本当に槍が消えたわけではない。イキの体の中にある。神々は武器をそれぞれ持っており、その武器は体内に細かく砕いて仕舞っている。
「なっ!」
彼の肩の上に、手を置きラゾット村のほうを見据えて言った。
「見れば分かる。村がどういう状況なのか、見てみればあなたも分かるわ」
「………っ」
渋々、了解したのか、彼は付いて来た。
死んでしまったおばあさんの亡骸を悲しそうな表情で見つめながら……。
少し歩くと、木がなくなり辺りが明るくなってきた。森を抜けたのだろう。
民家や商店、遠くには工場が見える。
しかし、店はやっていない。工場の煙突から煙は上がっていない。工場が動いていないのだろう。以前来たときはもっと、明るい村だった。活気あるはずの村には活気がなく、見るからに苦しそうだった。道行く人みんなが、苦しそうに咳き込み、顔色が悪い。数人は道の端で倒れこんでいる者もいた。その中には死体もある。医者のいる建物には看板がついていない。野良猫は居らず、ただ苦しそうな人ばかりが蔓延っていた。
「なんだよ……これ………っ」
そんな村の状況を見て、イキは息を飲んだ。