inside story-2
目が覚めて、見たことのない天井に一瞬驚き、けれども、直ぐにあの小屋の中なんだと理解した。上半身を起こそうとしたところで、腹部に何か重いものが乗っている。そこへ目線を動かしてみると、小さな女の子が僕の顔を覗いていた。四、五歳の女の子だ。たしか、宿主さんにまだ小さい娘がいる、と聞いたことがあった。僕が寝る前は、リビングで寝ていた。僕が起きたことに気づくと、嬉しそうに、
「おきた? おきた?」
とあどけない表情を見せてくる。
「起きたよ」
と答えると、
「そっかあ」
と笑った。
何故、女の子が僕の上に乗っているのだろうか。いや、ただの気まぐれかもしれない。子供とは大概そういうものだ。だから、それ以上考えるのは止めた。
「どうしたの?」
僕が尋ねると、少女は呂律のまわり切っていない口調で言った。
「えっと、大変なことになった、って」
「大変なこと?」
何のことだろうか。よく分からない。けれど、親が子を寄越してくるくらいだ。相当大変なことなのだろう。だから、僕を起こしにきた、ということだろうか。もう少し詳しく聞こうと思ったところで、
「おい」
と宿主さんが少女の襟を掴んで戒めた。すると、少女は拗ねたように頬を膨らまして「だって……」と、「おかあさんが……『おこしてきて』って……」理由を話した。宿主さんはそれを聞いて、訝しげな顔をして、それから、娘に対してすまなそうなお顔をして掴んでいた襟をゆっくりと離した。
宿主さんは僕に「行ってこい」という意味だろう眼差しを僕に向けた。僕はそれに、無言で頷いて、ベッドから降り、シキのいる小屋の方へと足を向けた。
小屋の中へ入ると、宿主さんの奥さんが困ったように顎に手を当てていた。眉を顰めて、うーん、と唸っている。僕が入ってきたことに気がつくと、
「少し前から、熱を出してしまったのよ……」
と言った。それから困ったような声音で続けて「お医者さまでも呼ぼうかと思ったのだれど、なにぶん、ここからじゃあ呼ぶにも時間が掛かるし……」と言って、そのあとに何やらぶつぶつと呟いていたが、詳しくは聞こえず、僕は痺れを切らして、
「大丈夫ですよ。数日すれば、熱も下がると思います」
「そうだといいんだけどね。でも、大怪我しているんでしょう? なら……」
「でも、暫くは様子見するしかありません。何かあったら、また、呼びます」
「そう?」
「はい。それから、濡れたタオルかなんか、ありますか?」
「ええ、それくらいならあるわ。持ってくるわよ」
無理矢理、押し切るようにして、話を打ち切った。奥さんは依然困ったような顔をして、徐に立ち上がり、小屋を出ていこうとして、僕は「ありがとうございました」とお辞儀をし、彼女はそれに対して、微笑んで会釈した。
部屋には寝ているシキと僕しかいなくなり、静寂がおとずれた。
彼女を見てみると、辛そうだった。呼吸は乱れ、頬は赤くなっている。額からは大量の汗が流れ出ていた。その表情は苦悶に満ちている。でも、僕ができるのは、額に冷たい水で濡れたタオルを乗せ、汗を拭うくらいのことだ。それ以外は、シキの傍にいてあげることしかできない。
でも、医者を呼ばれなくて良かった。
今のシキの体は人間のそれとは全く違う。姿形は似ていても、構造そのものが異なる。もし、人間の医者に診てもらったりなんかしたら、大惨事だ。医者は魂消るだろう。
それは兎も角として、彼女はいつ目覚めるだろうか。
もう、二日くらい経つだろうか。
けれども、起きる気配は全くない。もう、起きないんじゃないか、と考えれば考えるほど怖くなってくる。早く、早く起きてほしい。起きて、そうしていつものように、しかし今度は僕のほうから彼女に「おはよう」というのだ。そしたら、彼女が笑って「おはよう」と返してくれる……早くそうならないだろうか。
ふと、窓の外を見てみると鬱蒼と暗く沈んでいた。よく見ると、いや、よく見なくとも外は土砂降りの雨だった。音も激しい。彼女に目線を戻すと、頬が紅潮し、汗だらけで息も上がっている。苦しそうに眉を顰め、しかし、僕にはそれをどうすることもできない。僕には彼女を救う力がないのだ。
失望する。
目が覚めたとして、僕にできることはなんだろうか。
彼女が抱える闇を少しでも、僕は何とかできないか。軽くすることができないなら、少しでも気を逸らすことはできまいか。
悶々と思案を巡らせても、巡らせても、結果は同様で、何も変わらない。
ああ、くそ!
がむしゃらに、頭を掻いた。
「……ッ」
思わず、怒りに任せて叫びそうになって、彼女が寝ているのだと気づいて、なんとか押さえ込んだ。
『私を殺すんでしょう?』
そんな言葉を思い出して、彼女は死のうと自分自身が死んでも構わないと思っているように感じられた。それなのに、今、彼女の体は生きようと必死に熱を出して病原菌と闘っている。そんな様子が、なんだかおかしくおもえてしまって、
「なんだよ……変だなあ」
頬が綻んでしまう。
君は、いつもそうだ。
死神なのに、人を殺すのが怖くて。
死にたいはずなのに、「まだ殺されてあげない」なんて言って。
本当に、本音が見えないよ。
そんな僕もおかしいのは事実だ。
君を殺すとか言っておいて、今、君を助ける為に頑張っている。これこそ、彼女が見たら、おかしくて笑われるんじゃなかろうか。
類は友を呼ぶ、というがこのことだろうか。
友……か。
「シキ……僕たちは、友達になれるかな?」
などと問うてみても返事はない。苦しそうな彼女の吐息が聞こえてくるばかりだ。
彼女と僕は、殺し殺される関係だけなのだろうか。それ以外は求めてはいけないだろうか。もし、彼女が嫌だというなら、今の関係を保とう。
実際、僕の役割は彼女の自殺を阻止することだ。それが僕がネフさんに言われたこと。だから、シキが今を楽しんで、それで辛いことや苦しいことから少しでも目を逸らすことができれば、僕はそれでいいのだ。確かにそれは逃げることだ。でも、逃げることの何が悪い。誰だって、辛いことや苦しいことからは逃げたいはずだ。それを否定できる人はきっと、偽善者だ。他人に正論を吐いて、悪者を悪者のまま肯定するような人のすることだ。僕はそういうやつではない。いや、もしかしたら僕のそれもそうなるかもしれない。結局は方便なのだ。
真っ赤な顔で寝ている彼女の頬に触れ、その熱と柔らかさに肩を竦ませた。そして、額のタオルを氷水の入った桶に入れて、冷やす。ついでに熱の具合を見るつもり――という名目――で彼女の額に手を乗せた。やはり、熱い。熱は全然下がっていないようだ。
これでは、熱が下がるまで当分は目覚めないだろう。
「………ん」
シキから、吐息が漏れた。
それに、僕はびくっと肩を揺らし、だが、何でもなかったというのに肩を落とした。
「シキ……」
彼女を呼ぶ声が虚しく響いて霧散していった。僕は、彼女の華奢な手をぎゅっと、しかし優しく握り締めた。
翌日のことである。シキの熱は一晩で、大体下がった。だが、少し熱っぽい。
外の土砂降りはもう何事もなかったように晴れ渡っていて、水滴が輝いている。窓から差し込む日差しに僅かながらにうろたえながら、シキの白く輝く髪を見て、それから額のタオルを取った。桶に入れ、その時にもう水が常温になっていることに気づく。
あとで、宿主さんに言わないと……。
などと、思っていると―――。
「………ん」
「………」
彼女の赤い目が見えた。
それは、数秒天井を見つめ、窓を見て眩しそうにしてそれから僕を捕らえたのだろう。その表情は、ふと、安心したように緩んだ。
ようやく、お姫様が目を覚ましたようだ。
「おはよう、シキ」




