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ZartTod  作者: えびてん丸
27/42

episode20

 何もない。

 誰もいない。


 私は唯独り―――蹲る。


 暗闇が迫る。

 誰かが責める。

 孤独が攻める。

 夢が醒める。


 誰もいない、世界で独りぼっち。


 あなたには見えるの?


 あなたには何が見える?

 あなたには誰が映る?


 ねえ。

 教えてよ。


 私には何も、誰も見えないの。


 独りはもう、嫌なの。


 助けて。

 お願いだから……。



 ***


 青い空に白い雲が幾つも流れていく昼下がりに、一つの浮島に甲高い音が響いていた。激しくぶつかり合うその音と、乱れた息遣い、呻き声が小さく出ている。小鳥の囀りなど、耳に入らない。遠くから聞こえる川のせせらぎも、風でざわめく草花の音も、気にしていられなかった。

「シキ……」

 目の前にいる黒髪の男が私を見下ろす。手には黒い剣、白いコートを身に纏い、涼しげな顔で見てくる。

「……そろそろ、休んだほうがいいよ?」

 などと、言ってくる。

 でも、私は、

「いえ、まだ……やらせてください」

断った。

 まだ。

 まだだ。

 止めるわけにはいかない。休んでいられない。

 息も絶え絶えで、体中打撲や、切り傷だらけで確かに限界が近い。包帯の巻かれた両手からは、鮮血が滲み出ている。その痛みで、鎌なんて握っていられないし、振るうことも憚れるが、意地でも手放さない。

 弱い。

 私は、とことん、自分自身で飽きれるほどに弱すぎるのだ。

 それに目を逸らしていた。見て見ぬふりをしていた。

 いや、違う。

 肯定していたのだ。

 弱いことで、誰も傷つけない―――と。

 傷つける力もないのだから、誰も傷つかない―――と。

 けれども、それは同時に誰かを救う力すらないのだということを、忘れていた。

 知っていたじゃないか。

 ずっと、ずっと前から。私が人間だったころから。

 守る力も、攻める力も、両者とも同じ“力”だ。

 だから、私は強くなる必要があった。

 強くなって、誰かを救う力を手に入れて、それから―――

「………っ」

 鎌を振って、大助さんに切り込んでも、軽くあしらわれてしまう。彼は一歩もその場から動いていない。片手に黒い剣を持ち、片手であしらう。涼しい顔だ。何とも思わない、蚊を払うようなそんな素振りだ。一方、私は、

「ほいっ」

「……う、ぁ」

弾き飛ばされる。

 背中から地面に落ちて、痣だらけだったのだろうか、とても痛い。痛くて、痛くて堪らない。

 以前の私なら、ここで諦めて、泣き寝入りしていた。でも―――。

「………っ」

 下唇を噛む。

 助けたかった。

 でも、力がなかった。

 知識もなかった。

 だから、力も知識も欲しい。

 無様だと笑われてもいい。

 それでも、彼を救うことができなかった、私自身に憤りを覚える。

 息が上がる。もう、辛い。痛い。苦しい。止めたい。いっその事、倒れてしまいたい。立ちたくない。こんなもの、握りたくない。ぐっすりと、あのベッドで安穏と寝ていたい。

 もし、そんな事ができたら、どんなに楽だろうか。

 ―――強くなりたい。

 だから、

「……うあああああああああああああああああああ!!」

いつ振りかの叫びを上げで、がむしゃらに大助さんに突進する。そんなことをしても、無意味なことぐらい分かっている。でも、そうでもしないと抑えられなかった。

「やれやれ……」

 大助さんは呆れたように溜息を吐いて、剣を振った。

「―――く、ぁ!!」

 ぶっ飛んだ。

 痛みに悶える私の傍に彼は歩み寄る。心配そうに、眉を顰めて、剣を仕舞う。そして、言った。

「シキ……何を焦っているんだい?」

「………」

「やっぱり、この前の……?」

「………っ」

 この前の―――エリルさんのことだ。彼が暴走して、私は救うことができなかった、寧ろ、殺してしまった。だから、力が要る。強くなる必要があった。大助さんにはそんなこと、お見通しだった。

「焦る気持ちも分からなくはない。でもね、焦ったところで何も変わらない。君は弱い。君には誰も救えない。誰も救われない。でも、君は自分の弱さを知った。それに……君は君の求める『力』を既に知っている。だから、焦る必要なんてないし、そんなに自分を追い込む必要なんてないんだ。君は十分傷ついた。悲しんだ。努力した。それで十分じゃないか」

 なんて言って、彼は私の目線までしゃがんだ。けれども、私は彼と目を合わせる気になれず、下を向いた。そんな様子の私に大助さんは、

「さあ、顔と手を洗ってきなよ。泥だらけじゃあ、可愛い顔が台無しだよ」

 と言って、血だらけの私の手にその大きな手を重ねた。汚れてしまう、と思ったが、身にしみるような暖かさに拒むことができなかった。

 その後、私は体中傷だらけで立つことが出来ず、大助さんに小川の近くまで負ぶってもらった。小川に流れる清水に手を漬けてみると、手にべっとりと付いた血が流れると同時に、傷口が沁みる思いがした。川の水に赤いものが混ざって、汚くなった。川から手を離すと、手がいかに傷だらけだったのかを思い知らされた。血がなくなって、白い惨めな手が露わになったのを見て、いや違うな、と思った。違う、私の手は今も今迄もずっと、血だらけだったのだ。目に見えなかっただけで、目を逸らしていただけで、それが視覚化されただけで、本質的なところは一切変わっていない。血塗れた、化物で、死神で、死のうと思っても死ねなくて、それを赦してくれる人がいなくて、寧ろ赦さない人たちばかりで、自分は生きて良いんだって、生きるべきなんだって、毎日のように肯定してきた。それでは駄目なんだ。誰かを殺したから、死ななければならないんじゃない。殺したから、殺してしまったから、ずっとずっと、苦しくても辛くても痛くても生き続けなけばならない。

 なら、死ぬ事は果たして、悪いことばかりなのだろうか。

 では生き続けることが果たして、幸せだと言えるだろうか。

 もう、何が何だか分からなくなってきた。

 なんて、思案に暮れていると、近くで猫の鳴き声が聞こえてきた。その方へ、顔を向けてみると、白い毛並みに青い目の子猫がいた。その子猫は、私に近づくなり再び鳴いた。撫でてほしいのだろうか。

 でも、

「ごめんね、今の私にはあなたを撫でてあげられないの」

今の私の手は傷だらけの、血だらけだ。川から手を離せば、傷口から血が滲み出てくる。そんな手で、白い毛を撫でられるわけがない。私の血なんかをその綺麗な毛に付けたくない。

 私の声に、子猫は小さく鳴いて、私の太腿に頬をすりすりと擦り付けてきた。その仕草に癒されながら、私は先ほどまでのもやもやに霞がかかってくるのを感じた。

 ふと、大助さんが私の手を見て、

「全然、治ってないね」

と言った。

 確かに、と思った。私の手は三日経っても、一向に傷口が塞がっていないのだ。未だに、傷口からは血が滲み出てくる。人間でも、もう傷口ぐらいは塞がっていてもおかしくはないはずだ。そもそも、私の体はもう人間ではないから、もっと早く傷が治ってもいい。なんなら、傷口が綺麗さっぱりなくなって、元通りになっていてもいいくらいだ。だから、これほどまでに治っていないほうが逆に不自然なわけで、私も大助さんも不審に思っている。

「じゃあ、これからライラの所に行こうか」

「え……」

「あ、やっぱり苦手?」

 私は黙って頷く。

 大助さんは予想してたのか、業とらしく笑った。

 それから、傷だらけの手に新しい包帯を巻いて、泥だらけの服を脱いで新しい服に着替えてライらさんのいる研究棟に大助さんを伴って向かったのだった。

 道中、体中が痛かったが、大助さんにはなんとか気づかれないように、行けた……と思う。研究棟に着いてからは、十字路を左に曲がって、突き当たりの部屋に行った。目的の部屋の目の前に立ち、大助さんが二、三回ノックをした。けれども、返事がない。再度ノックするも、やはり返事は返ってこなかった。それに、お互いを見合い、

「どうしたんだろ? いないのかな?」

「もう一度、出直しますか?」

「うーん、でもそのままじゃあ、君ペンだって握れないだろ? それ以外にも普通の生活にだって、支障が出る。なるべく、早いほうがいいんだけどね~」

「そうですか……でも、いないんじゃあどうしようもありませんよ?」

「まあ、そうなんだけどさあ」

 溜息を大助さんはついた。

 そして、何の躊躇もなく、扉を開けた。鍵は掛かっていなかった。部屋はカーテンを締め切っていて、昼間だというのに真っ暗だった。大助さんが深い溜息をついて、閉まっているカーテンを一つ開けた。窓の外からは陽光が差し込み、部屋が大分明るくなった。そんな部屋の、診察台らしき台の上に寝そべっている人影があった。大助さんはその人を見るなり、歩み寄り、手刀を作って額に向けて、

「おい、起きろ」

振り下ろした。

「いったあ、何すんの?! って、え? 大助じゃない。どうしたの?」

「まったく……今何時だと思っているんだ。あんた、それでも医者か?」

「えー、酷いなあ。というか、あたしは、医者というよりかは研究者なんだけど……」

 そんな問答があって、ライラさんが、

「で、何しに来たの? あんたがここに来るって事は何かあるんでしょう?」

「ああ、シキのことで、ちょっとね。頼める?」

「程度によるかな?」

 ライラさんは、椅子に座って、もう一つの椅子を自らの目の前に置いた。そして、私を手招きし、それに応じて私は彼女の目の前に座った。私の身形を見るなり、何か悟ったのか、私の手を取って包帯を外していく。手の怪我を見て、

「全然、治ってないわね。いつの?」

その質問に答えようとした所で、大助さんが答えた。

「三日前だ」

「三日!? そんなはずは……だって、そんなの普通に治るよ。これだったら、人間だって止血くらいしていてもおかしくな……」

「だから、あんたに頼んだんだ。原因、分かるか?」

 彼が問うと、彼女は「う~ん」と唸って、私を再度見て、

「他にも怪我があるみたいだけど、これも三日前の?」

「あ、いえ、これはさっき……」

「何やってたの?」

「えっと、大助さんと……組み手をやってました」

「へ、へー」

 ジロリ、と大助さんを見た。彼はサッと目を逸らす。

「ねえ、大助?」

「は、はい……なんでございましょうか?」

「ちょっと、部屋出てってくれる?」

「はい」

 素直に彼は部屋の外に出て行った。

 あんな大助さん始めてみたかも……。

 ライラさんはニッコリ笑って、私に向きなおした。そして、

「ちょっと、背中とか見せてくれる?」

と言って、私に背中を向けさせ、服をたくし上げた。私の背中を見るなり、驚いた声をだして、

「痛くないの?」

「痛いです……」

「やっぱりね~、あとでお説教かな……」

などと呟く。

 説教、ということは大助さんにだろうか……?

 大助さんが彼女のことが苦手なのは、こういうところなのかもしれない。

「これはさっき、よね?」

「はい」

「ん~、でもこれくらいの怪我も治っていない、か……。ちょっと、いいかな?」

「なんですか?」

「今、この怪我を治そうって、やってみてよ」

「はい、分かりました」

 頷いて、私は怪我を治そうと霊力を集中させるが、一向に治る気配がない。それに、ライラさんも首を傾げた。しかし、何か分かったのか、こんな話を始めた。

「貴女の呪縛鬼の力が強くなった、というのは聞いた?」

「はい、大助さんに以前聞きました。二十年くらい前までは、危ないから具現化禁止って言われました」

「そっか……多分、貴女の怪我が治らないのは霊力を上手くコントロール出来ていないからよ。原因は、貴女の持つ呪縛鬼―――それが干渉してきて、コントロールができない。だから、怪我も治らない。まあ、自然治癒っていうのもあるけど、それでもこの治癒速度は遅すぎる。呪縛鬼が原因ってのもあるでしょうけど、一番はあなた自身ね」

「え? 私、ですか?」

「まあ、ちょっと聞いたんだけどさ、貴女……友人を失ったらしいね。それも、貴女自身の手で……」

「………」

「ま、まあそれを責めるつもりはないよ。だって、暴走しちゃったんでしょ? なら……」

「仕方のないこと、ですか?」

 自分の低い声が静かな部屋に響いた。私の声音に、しかしライラさんは調子を狂わすことなく、

「ううん、違うけど。でも、そう言い切るしかない」

そう続けた。

 確かに、言い切るしかない。

 暴走してしまったのだから、殺すのは仕方のないことだ。でも、あの時のエリルさんには理性があった。ならば、救う事だってできたかもしれない。それなのに、私には力がなかった。知識が足りなかった。だから、殺すしかなかった。

 そんな私の心の内を見え透いているかのように、

「シキ……後悔してるでしょ? でも、それは当たり前だもの。だから、それを責める気も、いつもでも落ち込んでるなって怒る気もない。だって、大切な人を失ったら誰だって、そうなるもの……。例え、英雄だとか、勇者だとか、神様だとしてもね。でも……そんなにいつまでもウジウジしてたら、駄目だよ。それに、貴女の友人だって、それを望んでいない、と思う。自分のために悲しむ人を見ている、こっちが悲しいからね。多分、その人もそう思っているんじゃないかな? 貴女だって、嫌でしょう? どうせなら、笑っていてくれたほうがいい。落ち込むのも分からなくもない。でも、これだけは忘れないで。貴女の、その心の持ち様が呪縛鬼にとって、悪い方向に向いたらチャンスになってしまう。呪縛鬼は常にあたし達の心の弱みに付け込む。もし、心を飲み込まれでもしたら、暴走してしまう。そうなったら、どうなるか貴女にだって分かるでしょう?」

 後ろから聞こえる問いに私は、

「はい」

と小さく答えた。

 私の返事を聞いて、「よしっ」と嬉しそうな声を上げて、

「じゃあ、ちょっと怪我治しちゃうね。痛いかもしれないけど、我慢してね」

と言って、私の背中に手のひらを当てた。少し冷たい手だった。その手から、霊力が流れてくるのが分かった。すると、体中から、痛みが走った。

「………っ」

 数秒間、痛みが続いた。

 彼女が手を離したら、先程までの痛みも、これまで感じていた痣や擦り傷の痛みもなくなっていて、手の切り傷なんかは止血されていた。ライラさんは私の服を戻して、

「これで終わり」

と言って、私の両手に包帯を手馴れた様子で巻いていった。

 包帯が巻き終わったところで、私は立ち上がり、

「ありがとうございました」

とお辞儀をして出て行こうとしたが、ライラさんに呼び止められた。

「ああ、そうだ。大助に、後であたしの所に戻ってきて、って言っておいてね」

「はい、分かりました」

 大助さんも大変だな、と思いながら、部屋を出て行った。

 部屋を出て、扉のすぐ近くの壁に背中を預けて立っていた大助さんを見つけた。

「やあ、終わったのかい?」

「はい」

「じゃ、帰ろうか」

 心地良い晴天の空の下、私と大助さんは並んで研究棟を後にした。体中の痛みもなくなり、今なら素振り千本くらいは余裕で……いや、百本くらいは余裕だろう。そんな事を考えながら、私たちはあの暗い狭い部屋に着いたのだった。自室に帰り、部屋の中を覗くと書類が山積みになっていた。やんなきゃな~、と肩を落としながら、部屋に入る途中で、ライラさんの言っていたことを思い出した。

「あの、大助さん。ライラさんが、後で戻ってこいって言ってました」

「あははは、聞こえてたんだけどさ、やっぱり行かなきゃならないのかね~」

 彼は苦笑して、

「んじゃま、お説教されてくるよ」

と踵を返して、元来た道を歩いていった。



 ***



 ―――百二十年目。



 夕日の空に浮かぶ橙色の雲を眺めながら、私は一冊の本を持って吹き抜けの廊下を歩いていた。吹き抜ける風は何だか冷たくなっていた。もう、冬なんだ、とふと思った。少しだけ、一年と言うものが短く感じるのは、これまで生きてきた月日が長すぎたからだろう。人間の寿命よりも長い長い月日を私の意識は生きていた。人間の私の体はもうない。今あるのは、霊力と言うエネルギーの塊とそれを制御する魂、呪縛鬼だ。私の意識は魂に宿っている。魂が消えれば、私の意識も消える。魂が死ねば、この体も死ぬ。

 そんな事を考えていると、再び、今度はもっと冷たい風が吹いて、身に凍みた。

 そう言えば、大助さんはどこにいるんだろう。

 私はこの本を翻訳して欲しくて、彼を探していて執務室に行ったのだがいなかったのだ。昼間に行ったのだが、いや、まあ……その、ね。迷子になって遅れた、というのも一つの原因なのかもしれない。しかも、行きに迷い、帰りも迷った。だから、夕方なのだが。本当に私の方向音痴は迷惑極まりない。治らないだろうか。もう、百年くらい経つが、治っていないのだから治る見込みはない。少し落ち込む。

 彼は本当にどこに行ってしまったのか、今から彼の寝室に行く途中だった。この本は、元々クロさんのものだ。あの書庫にはたくさんの本があって、ほとんど私にとって読めないものばかり。だから、いつも大助さんに読んでもらっていた。

 そういえば、私は最初の頃大助さんのことが苦手だったけど、今は苦手ではない。寧ろ、好きなくらいだ。好きと言っても、恋愛とかそういうものじゃない。憧憬だったり、まるでお兄ちゃんのような、そんな感じ。

 廊下の奥に、人影があった。廊下の柱に寄りかかっていて、白いコートを身に纏った、黒髪の……あれは、

「大助……さん?」

紛うことなく、彼だ。

 でも、様子がおかしい。苦しそうな呻き声に、苦しそうに胸を押さえている。身を柱に力なく預けていて、しゃがみ込んでる、いつもの大助さんから想像ができない、その光景を私は息を飲んだ。

 はっとして、彼の元へ駆け寄った。

「大助さん! 大丈夫ですか!?」

 彼の肩に触れようとした―――

「触るな!」

が、彼に手を弾かれてしまった。

 拒まれた。

 それに少々衝撃を受けて、子供の叱られたような気分に浸る。けれどもそれも数秒で、彼は私だと気づくと、申し訳なさそうな顔をして、

「………っ」

頭を撫でてきた。

「ごめん」

「か、体は……大丈夫なんですか?」

「あ、ああ。大丈夫だよ」

「でも……っ」

「君が心配することじゃない」

「だって、さっきまで苦しんで……」

 あれ? この感じ、どこかで……。

 ―――エリルさん?

「もう大丈夫だからさ」

 と言って大助さんは何もなかったように立ち上がって、背伸びをした。そして、私を見下ろして、

「で、俺に用があったんだろ? 何?」

先程までの呻きなど感じさせない軽快な面持ち。何か、隠しているように思えた。でも、それを話してくれるような相手ではない。私じゃあ駄目なのだ。私じゃなく、ファベルさんやフリールさんのような頼れる人物でないと。

「えっと、この本を読んで欲しかったんですけど、でも……」

 体調が悪いなら、明日で直します。と言おうとしたが、その前に手に持っている本を取られてしまった。

「へえ、これかあ。懐かしいな。いいよ、分かった。じゃあ、俺の部屋においで」

 私の手を大助さんは引いて、部屋に連れて行く。

「……あっ」

 断ることが出来なかった。

 ここで、拒めばよかったのだ。でも、そんな事できない。あんな優しい目で見られたら、私は……。

 柱と柱の間から見える東の空に闇が色づいているのが見えた。一方、西の空には消え入りそうな太陽があった。朱色がだんだんと、青、紺、黒となっていくのを見て、もう、夜なんだ、と今更ながらに思った。



大助さんは仕事がまだ残っていると言って、私を寝室に残して執務室に戻って行った。彼を待っている間、私は彼の寝室の本棚を眺めていた。彼の部屋は大きな本棚がたくさんあって、壁一面それで埋め尽くされている。ベッド横の壁も本棚で、そこには資料や、たくさんの学術の本、物語などなど……。いろんな、時代国言語の本がある。大助さんはかなりの読書家なのだろう。

そうこうしている内に、大助さんが帰って来た。

「やあ、ただいま」

 ものの数分、そんな短時間で遠くまで行けるはずもない。だから、きっと専門家のライラさんの所にはいっていないのだろう。あんなに苦しんでいたのに、病気なんじゃないか、とか、何か異常が起きたんじゃないかと考えるのが定石だ。なのに、あんな風にへらへらして、優しい顔で何でもないように装って、彼は大丈夫なのだろうか。

「あの」

「ん? どうしたの?」

「ライラさんの所には行かなくても、いいんですか?」

「別に……大丈夫だよ。だから―――」

「でも……でもっ、あんなに苦しそうにしてたじゃないですかっ」

 私の若干上ずった声に、大助さんは申し訳なさそうな顔をして、

「ごめん。でも、君が心配するようなことじゃない。だからさ、もう泣かないでよ」

撫でてきた。「それに」と大助さんは続けて、

「もう、行ったんだ」

「え?」

「ライラの所にはもう、行ったんだ。今日も行ったし、一昨日だって……」

 ―――だから、今行ったって意味ないんだ。とでも言っているような顔で苦笑する。

 大助さんは、暗い雰囲気を一新させるために、明るい口調になって、

「さ、じゃあ、本を読もうか」

とベッドをぽんぽんと軽く叩く。寝ろ、ということだろうか。よく分からず、彼の言うとおりにベッドに入った。すると、彼も私の隣に入ってきて、ベッドはもう二人でいっぱいになっていた。私の肩と、彼の肩は触れ合うくらいに、いや、それ以上でもうくっ付くほど、私と彼は近くにいる。

「あの……」

「ん? 何か問題でもあったのかい?」

「その……問題というか、えっと……」

 問題ではないのか? そうなのか。よく分からない。大助さんが気にしないと言うのなら、私は別にいいのだけれど、ファベルさんはなんと言うだろうか。大体予想は付く。だから、言わないでおこう。

 大助さんは私の持ってきた本を開いて、

「じゃあ、最後まで読まないから、その前に寝てね」

なんて、わけの分からないことを言う。

「あの……意味が分からないんですが」

「え? だってさあ、ほら、小さい子がお母さんに「本読んで~」って言って、読むけど結局最後らへんの良い所に行く前に子供って寝ちゃうから。だから、最後まで読むのは無意味かな~って」

「え、いや……まあ、そうなんですけど……。でも、その場合その子供は本の内容を知りたいんじゃなくて、お母さんと一緒にいたい、という気持ちのほうが大きいと思いますよ……」

「え? そういう意味なの? 子供って分からないな~。あ、そうか、君には妹弟がいたね。だからか……」

「あ、まあ、そうですね」

 そうではあるが、実を言うと私自身がそうだったのだ。仕事が忙しくてお母さんに構ってもらえなくて、寂しかったときによく「本を読んで」と言ってはお母さんのベッドの中に潜り込んでいた。最初は、字が読めないから、と理由をつけて読んでもらっていたが、ただ構って欲しかっただけで、本当は字も読めたし、その本の内容も熟読していた。だから、寂しかっただけなのだ。たぶん、妹たちもそういうのだ、というのは最初のお願いで大体予想が付いていた。

 大助さんは、天井を見上げて、

「まあ、俺にはそういう記憶がないから、よく分からないな~」

 寂しそうな声音だった。

 そういえば、大助さんの身の上話を聞いたことがない。彼の友人関係については、フリールさんから少し聞いている。ファベルさんとフリールさんは幼馴染で、ライラさんも確か幼馴染だった。ライラさん曰く―――「昔は弟みたいで、可愛かったのよ。いつも泣いて、『お姉ちゃ~ん』ってさあ。それが、あんなに生意気に図体も態度も大きく育って、可愛くなくなった」ようするに、姉弟みたいな関係らしい。だから、大助さんは彼女に頭が上がらないのか、と納得したのを覚えている。

「あの、大助さんの家族の方はどんな方だったんですか?」

「あー、母さんは生まれたときからいなかったから、よく分からないけど……。父さんは、寂しそうな人だった。そうだ、君には言ってなかったね―――」

 大助さんは、私を見下ろして微笑みながら言った。

「―――俺、成り上がりの間に生まれた子供なんだ」

「え……?」

 そんなの、稀だ。だから、彼は違ったのだ。どうみても、どの総代からも――ファベルさんとフリールさんを除く――見下げられている感じがしたのか。

「え、じゃあ……」

「うん、君の想像している通りだと思うよ」

 成り上がりは契りを結ぶと、両者ともに死んでしまう。正確には、消えて世界から存在がなくなる、のだという。だから、成り上がりは、誰かを好きになることが難しい。なっても、相手が死ぬ事を嫌がれば、破局へと向かう。だが、中にはずっと一緒にいよう、と言って死んでいく人たちもいる。結ばれないのも、死ぬのも嫌だ、と言う人もいて、子供をつくろうとする人もいる。それでも、結局母親となる方は確実に死ぬ。子供をとるか、好きな人をとるか、二者択一の選択。その判断が、成り上がりにはある。新神と成り上がりの一番の違いは、結婚の有無や出生にも犠牲がいる、というところだろう。他にもあるが、切がない。

 つまり、

「大助さんのお父さんは、子供を選んだんですね」

だが、

「いや、違うよ」

と否定された。

 そして、彼は淡々と続けた。

「母さんは、俺が生まれてくることを父さんには隠してたんだ。だから、相当悔やんでいたし、それにいつも『お前は生まれてくるべきじゃなかったんだ』なんて言って、周りから怯えているみたいだった。だから、俺は父さんに愛されてたってわけじゃない。まあ、でももう死んでるからいくら愚痴ったって、何も言われないんだけどね」

「え……」

「ある日、父さんは任務で死んだんだ。周りの人たちは、事故死だ、って言ったけど、俺知ってたんだよ。あいつは、偶然死んだんじゃない。死にに行ったんだ。あいつは、出かける前に『母さんに会ってくる』って言ってた。まあ、だから俺は捨てられたんだな~、って思ったよ。あいつは、今目の前で生きて存在している息子じゃなくて、ずっと昔に死んで存在しない愛人を取ったんだ、ってね。それから、父さんが死んだことに対してじゃなくて、捨てられたことに泣いたね。毎日のように泣いてたら、あいつに会ったんだ」

「あいつって……?」

 彼は短く、

「ファベルさ」

と答えた。

「ファベルは、『いつまでも男が泣いてんじゃねー!』って怒ってたね。いや~、煩いやつが来たな~って最初は面倒だったけど、いつの間にかずっと連れ立ってたし、一緒にいて楽しいなあ、って思うようになったね。まあ、これで俺の身の上話は終わりかな……」

 長いような、短いような話が終わった。

 大助さんはいつもへらへらしているけど、実はそんな過去があった、というのに驚いた。でも、ファベルさんは昔も今もあまり変わっていない。では、フリールさんもライラさんも昔からああなのだろうか。気になるところではある。

「でも、結構長かったなあ」

「え? 何がですか?」

「ん、だから生きてきて、長いなあって」

 確かに、大助さんの年齢をファベルさんと同じだと考えるならば、だいたい三千百歳くらいだろう。見た目では、二十代前半だが、もうそんなに生きている。人間の一生よりも遥かに長い月日だ。気が遠くなるような時間だ。私もいつか、そんな日が来るのだろうか。

「まあ、でもシキにはまだ未来があるね。これからが、正念場だよ~」

 軽く笑って彼は言った。

「は、はあ」

「ま、幸せになれよ」

「え?」

「君はいつも、自分のことを不幸にしようって頑張っているみたいだけど、そんなのもうやめろよ。好きな人作って、恋して悩んで身を焦がしてさあ、毎日くだらないこと考えて過ごせよ。それで、好きな人と毎日莫迦みたいに笑って、莫迦みたいに幸せになれ。俺らを失望させんなよ。君が信頼する人、君を信頼する人たちを落胆させんなよ。たくさんの人を殺したから幸せになる権利がない?

 ふざけんな。

殺したから、尚更幸せにならなきゃ死んで逝った人たちが可哀想だろうが。犠牲の上に立っているなら、犠牲の分幸せになれ。それに、君の妹も弟も兄さんも、君が幸せを望まなかったら、怒るよ。俺も怒るし、ファベルだって怒るさ。だからさ、莫迦みたいに、俺らが呆れるくらい、幸せになれよ……シキ」

 大助さんは言い終ってから、私の頭を微笑みながら撫でた。

 彼の言葉は確かに私の心に刺さった。刺さったが、痛くはない。刺さったところから、私の心の氷が解けていく。壁が崩れていく、そんな感じがした。暖かかった。優しくて、暖かい。彼の手と同じだ。また、私は彼に救われる。

 でも、どうして突然そんな事を言うのだろうか。それじゃあ、まるで……。

 先ほどのことを思い出す。大助さんが苦しそうにしていた、あの時のことが頭に過ぎって不安に駆られる。あの苦しみ方、まるでエリルさんみたいで、怖かった。あれがただの病気とかならいいのだが。

「あの……大助さんは………」

 ―――暴走しませんよね?

 などとは言えず、

「―――幸せですか?」

 彼はそれに微笑んで、即答した。

「勿論さ。だって、俺を信頼してくれる友人が傍にいて、俺を慕ってくれる部下が煩いほどいて、それでみんなが楽しそうにしているのに、幸せじゃないはずがないよ。君は幸せかい?」

「私は……」

 幸せかな? どうなのかな?

 幸せってなんだっけ?

 人間のころは幸せだったか、どうなの? 

 ―――分からない。

「……幸せか、どうか、分かりません」

「そっか……」

「でも………」

「ん?」

「今は、凄く楽しいです」

「そっか、なら良かったよ」

 どうして、人間のころは幸せだったのか、今は覚えていない。もう、百年以上経っている。忘れてしまった。それでも、これだけは言える。不幸ではない、寧ろ楽しいくらいだ。人を殺すのが楽しいのではない、彼らといることが、それだけで楽しいのだ。誰かを殺す戦慄を忘れるわけではないのだが、大助さんやファベルさん、フリールさんたちと一緒に笑っているだけで、なんとなく気が紛れるような気がしてならない。でも、それと同じくらい大切な人を失った。人間の頃も、そして今も尚そうなのだ。学習能力がないといわれるかもしれないが、そんなこと学習したくないし、認めたくない。今だって、人間に親しい人を作っては、自分のこの手で―――殺しているのだ。いまだに、あの鬼は私の首を絞めてくる。息苦しい。生苦いきぐるしい。

「シキ……」

 どれくらい考えことをしていたのだろうか。大助さんが私のことを唐突に呼んだような気がして、飛び上がる気分がした。

「あ、はいっ」

 私の様子に彼は不思議そうな顔をして、ニヤリと笑う。

「どうしたの? もしかして、変なことでも考えてたのかな~」

「い、いえ……たいしたことじゃあ………」

「えー、ほんとにぃ?」

「は、はい」

 大助さんのこういうところが私は苦手だ。

 すると、いきなり頭に手を乗せてきた。驚いて彼の顔を見ると、微笑んでいて、

「じゃあ、そろそろ寝ようか」

と言う。

「え、じゃあ、私は出ます……」

「あは、駄目だよ。良い子は寝る時間だ。こんな夜遅くに出歩いちゃあ駄目だよ」

 ―――でも、と言おうとしたところで、額に彼の指先が触れ、刹那――意識が吸い込まれるような感覚に苛まれ私はベッドに倒れた。薄れゆく意識の中で、微かに、大助さんの声が聞こえた。

「おやすみ、シキ―――」



  *



 これはよく見る夢、今はその続きだろうか。

 真っ暗な、天井も壁もなければ、果てもない空間に白い立方体の大きな箱が在った。箱と言ってもよいのか分からないし、正確には台かもしれないが、今はそういうことにしておこう。その箱の上に真っ黒な少年がいた。十歳くらいの容姿をした少年がこちらを見下ろして座っている。真っ黒な髪に、真っ黒な服、真っ赤な目を光らせて私を嘲う。その目は、私のものにそっくりなようで、少し違って見えた。

 彼は言った。

「やあ、久しぶりだね。何時間ぶりだっけ? たしか……三四二時間と五一分くらいかな? 酷いなあ、ボクを避けるだなんて、ボクとキミは、言わば一心同体―――いや、二心同体かな? まあ、どうでもいいけど……」

 頭の上にある二つの小さな赤い火を揺らして、軽快に話す。

 そう、あれは鬼だ。

 私の中にいる、鬼。私の魂を狙って、弱みにつけ込んで殺そうとする凶悪の鬼―――死鬼だ。

「で、いやいや、面白くなってきたねえ」

 鬼は嗤う。

 ケケケと嗤う。

「何が?」

 と問えば、

「えー、知らないの?」

などと言う。

 知らないものは知らない。

 何が起こっているのだろう。

「ケケケ、これはこれは愈々面白くなってきたね。キミは何も知らないんだ。キミの大切な人の身に何が起きているのかも知らないなんて、これは―――傑作だなあ!」

 大切な人に危険が迫っている?

 私の大切な人―――?

 誰だ? 誰だ? 誰だ? 誰だ!?

 意気揚々と話を続ける鬼を私は睨みつける。

 鬼は気がつくと、業とらしく、

「酷いなあ、そんなに睨まないでよ。ボクだって傷つくんだよ。分かるかい? ケケケッ、ああ、そうだ。ボクはいつもこんな姿でキミの前に現れるけど、これはキミの記憶から形作っているんだからさあ、そうそう睨まないほうがいいよ?」

「記憶から?」

「そそ、まあ尤も、キミが大好きだった人だけは模していないけどね」

「私が大好きだった人?」

「え? もしかして、覚えていないの?」

 大好きだった人、か。

 あの人か。

 でも、どんな人だったっけ?

 容姿は?

 声は?

 髪の色は?

 服装は?

 どうだったっけ?

 ―――覚えていない。



 ―――君はさ、醜くなんかないよ―――



「酷いなあ」



 ―――寧ろ、綺麗じゃないか―――



「あんなに、好きだったくせにさあ」



 ―――そんな謙遜することないさ。僕が保障する―――



 彼の言葉がありありと私の頭の中に響いてきた。

 驚くほど鮮明で、でも、顔だけは思い出せない。あの、真っ黒な服装の彼を。

 あの人のことを思い浮かべていると、突き刺さるような声が聞こえた。

「じゃあ、俺のことも忘れたのかな?」

 我が耳を疑った。

 澄んだ声色――その声のする方を見てみると、ありえない人がいた。白い短髪に青い目の青年がこちらを見て立っている。

「う、そ……どうして?」

 ここにいるの?

「どうしてって、酷いなあ」

 だって、死んだはずだ。死んでから、もう、何百年も経っている。いるはずがない。なのにどうして、

「……お兄ちゃん」

 私が呟くと、彼は、

「あは、嬉しいな、久しぶりだよね。そう呼んでくれるのはさ。メイリスは妹ができてから、見え張ってたからそう呼ぶのはあまりなかったよね」

と笑う。

 さも嬉しそうに笑って、けれども、顔を曇らせて、

「でも、忘れるのは酷いなあ。約束したじゃないか、ずっと一緒にいるって、それなのにさあ。君は、忘れるなんて」

「ち、ちがっ……忘れてたわけじゃ………ッ」

「いいや、違わないよ。だって君は今の今まで俺のこと忘れてた。というか、俺だけじゃない。君は、すべてから逃げようとしている」

「……え?」

「もう、俺のことも、イニスのことも、ルーヤのことも、それにイルフェスくんや他にも色んな人のことを忘れて逃げようとしている。苦しみから逃げようとしている」

 違う、と言いたかった。でも、言葉がでない。

 否定できないからだ。確かに私は、肯定した。妹のことも、たくさんの人のことも、仕事だから仕方がないって、諦めてそれで終わりにしようとしていた。

「ぁ……」

 その言葉に打ちひしがれて何も言えなくなっていると、後ろからあの声がした。


「もしかして、おれのことも忘れようとしているのかな? シキ」


 振り向くとそこには、目を細めて笑うエリルさんがいた―――。




  *



 ―――二ヵ月後。


 真っ暗闇の小さな町を寛歩していた。見たことのあるような町並みに、しかし気のせいかもしれないという疑惑を持ちながら見渡し、終始疑惑を抱きながら先頭を歩く大助さんについていった。今日は大人数だ。珍しい。前回は確か……、と考えていると、私の一歩前を歩く先輩であるフェイルさんがニッコリと笑って、

「シキとここに来るのは久しぶりだな」

と言う。

 やはり、ここには依然来ていたのだ。でも、覚えがないのは何故か。

 一応、ここは相手に合わせておこう。

「はい、そうですね」

 だが、私の愛想笑いは彼女には効いていなかったらしく、仏頂面をこちらに向けて、

「全く、なんでそんな嘘をしゃあしゃあと言えるのか」

とぼやく。

「えー、でも、無反応よりは大分マシだと思うよ? そう思わないの、ユエ?」

「それはアンタだけでしょ、あたしと一緒にしないで頂戴」

「そんな、こと言わずにさあ。ほら、後輩虐めはよくないよ~」

 と、二人仲良く話をし始めた。

 白緑色の短髪をした男性がフェイルさんだ。彼は、仕事も人付き合いも上手な人で私はよく助けられたりしていた。人付き合いは上手いのだが、女付き合いが悪い。私は一度、彼に絡まれてしまい、そのせいで、私はユエさんに嫌われる原因となったのだが、いまだにどうしてユエさんが怒るのか分からない。度々、フェイルさんはそういうことをして、大助さんやダリットさんを困らせ、ユエさんにこっ酷く起こられる始末だ。

 対して、ユエさんはフェイルさんと口論をしながら赤い髪を揺らして大助さんの後をついていっていた。彼女は口は悪いが、根は本当にいい人だ、と思う。何度か、私の体が小さいとき、棚の上にある資料を取ってくれたり、資料の山を抱えていると文句を言いながらも半分以上を持って運んでくれる。

 今思えば、私は誰にも嫌われてなんかいなかったのだ。私が、私自身が避けていたのだ。

 自分勝手に、独りぼっちだと思い込んで、孤独に泣いて、寂しいよと呟いては同情を乞う。そんな、馬鹿みたいなことをしてきた。

 してきた。

 でも、どうして―――?

 なんで、こんな事になったのかな?

 分からないよ。

 誰か、教えて。



 ―――大助さんが、暴走した。



 暗闇にゆらゆらと揺れ動く黒い炎のような影に包まれて、嗤っている大助さんがいた。もう、三人殺された。それも、人間ではない。彼直属の部下だった三人。残っているのは、私、フェイルさん、ユエさん、そしていまだに交戦中の三人――ダリットさんは別任務でここにはいない。

 あ、また一人死んだ。

 剣先の筋に合わせて鮮血が舞う。断末魔を上げる余地もなく、魂諸共引き裂かれていく。肢体が地面に転がる音がする。鈍い音だ。

 彼は嗤っている。

 誰よりもこの状況を嫌うはずの大助さんは、今、嗤って仲間を殺している。

 鬼が彼を飲み込んだ。

 もう、目の前にいるのは、私の知っている彼ではない。

 鬼だ。

 全てを破壊し尽すまで暴走する鬼だ。

 だから、殺さないといけない。

 いけないはずなのに、私は―――フェイルさんとユエさんに守られていた。私に背を向けて立つ彼らには、痛々しく傷がついて血が滲んでいる。私もまた、返り血や自身の血液と泥で白い服が、体も汚れてしまっている。でも、今はそんなことを気にしていられる場合ではない。

 驚きに未だに体を震わせている私に対し、フェイルさん達は冷静だった。

「まさか、こんな早いとは思わなかった」

「……そう、ね。でも、やるんでしょう?」

「まあね、それが俺らの最後の仕事さ。あの人の言う通りに俺はするけど、ユエ、お前はどうする? やめるか? なら、逃げても……」

「逃げないわよ。貴方一人で、何とかなるわけないでしょ……」

「えー、信用ないなあ。これでも、あのネフ様も認めてくれたんだよ? ほら、ばっさばっさとさあ。最期くらいは格好つけさせてくれてもいいのにさあ」

「貴方は、死んでも格好良くなんかならないから、安心して」

 と言い放つユエさんに対し、フェイルさんは苦笑して「安心できないなあ」と呟く。気がついたら、鬼と交戦中だった一人が死んで、もう一人が援護しろと叫んだ。それに、二人は反応した。勿論、私も反応したが、体が上手く動かなかった。でも、それではいけない。

「わ、私も……っ」

 行きます、と言い、立ち上がろうとしたところで、フェイルさんが私の頭を押さえつけるように撫でて、

「シキの出番はまだだよ。これから先もっと、シキにはやることがあるんだ。だから、今は待っていてくれないかな? 大助の命令なんでね」

 いつものように、にっこりと笑う。

 そして、その言葉がもう最期のようで、もう覚悟なんて決めてしまってどこか遠くに往ってしまいそうないいかたで、なんだか急に寂しさがこみ上げてきた。「そんなこと言わないでください」と言おうとした。しかし、その前にフェイルさんは「想真心鬼そうましんき―――」と呟き、その手には、黒色と白色が明滅する短刀が握られていた。

「―――彼の想いを伝えろ」

 すると、彼は私の額に手をつけ、とたん、何かが頭の中に急に流れ込んできて、それに頭が耐え切れていない。脳みそが今にも破裂しそうだった。

「……ぅ、ぁ」

 意識がぼやけてきた。

 もう、駄目かもしれない。



  *

  *

  *



「ありゃ、気絶しちゃった……。また、手加減を間違えたかな?」

「もう、莫迦なの? まあ、でも今回はそっちのほうが都合が良いかも」

「んじゃま、行くか。俺らの仕事は、シキが目を覚ますまで彼女を守ることだ。間違っても、彼を殺しちゃあいけない。分かってる?」

「うん、でも……貴方だとなんだか、頼りないなあって」

「えー、酷くない? さっきから、ユエ俺のこと罵倒してばっかじゃあ……。それに、ネフ様のお墨付きも貰ってるんだよ。でも、手加減しなくても……俺らが拙いね。相手が悪い」

「まあ……じゃあ、行きましょ」

「うん。……なあ」

「ん? 何?」

「……いや、なんでもない。逝こうか、俺らの最期の仕事に!」



  *

  *

  *



 激しい頭痛で目が覚めた。呻きながら、顔を上げて重い身体を起こしてみると、上から声がした。

「あ、起き……たんだ」

 私を庇うように立っているフェイルさんが息も絶え絶えな声音でそう言う。体中傷まみれの、血だらけで立っているのがやっとだったのか、私を一瞥すると卒倒した。

「フェイルさん!」

 慌てて、彼の元へ駆け寄った。すると、いつものような笑みを浮かべ、片腕を上げ私の頭に手を乗せた。いつものように、撫でてくる。

「あはは……、末っ子ちゃんには、酷いことしてるのかも、な」

 彼はいつも、私を『末っ子ちゃん』と呼んでいた。死神の末っ子―――。ああ、そうか、私はみんなに頼ることを恐れていたんだ。でも、みんなそんな私のことを『末っ子』として支えてくれていた。

 そんなことも分からなかっただなんて、莫迦だ。

 フェイルさんは、続けて、

「大助のこと……頼んだよ」

「え?」

「あいつを、殺してやれ。もう、大助の気持ち、分かったろう?」


 ―――ごめん―――


「はい」

「それに、呪縛鬼の使い方も」

「はい」

「なら、良かった。じゃあさ―――俺を殺してくれないかな?」

「え? なんで、そんなこと……?」

「大助に、俺を殺させないでくれ。これ以上、仲間を殺したらあいつ、死んでも死に切れないだろ? 末っ子ちゃんには申し訳ないと思う。でも、シキが彼を尊敬するように、俺もあいつを尊敬してた。だから、あいつに、これ以上、辛い……思いさせたくないんだ。分かるだろ?」

「………」

 何も言えなかった。

 殺したくないと言えなかった。ここで、何もせず、大助さんを殺したとして、彼は生き延びる可能性はあった。それなのに、手放す。フェイルさんを見ていられなくて、少し遠くを見ると、ユエさんが地面に倒れていた。ぴくりともしない。死んでしまっているのだろうか。だとしたら、きっと彼は―――この先生き延びたってずっと悔やんでいくだろう。私はそんな彼を見たくない。

「フェイルさん……」

「何?」

 優しい眼差しを向けてくる彼に、私は黒い刃を突き立てた。視界が滲む。頬に生暖かい液体が伝っていて、しかしそれを拭う余裕なんてなかった。

「わ、私は……っ」

「うん」

「フェイルさんのこと……っ」

「うん」

「みんなのこともっ……」

「うん」

「好き……でしたっ」

「……うん、俺も、君のこと好きだったよ」

 そして、彼は微笑んでまた、

「―――末っ子ちゃん」

と言う。

 もう、これが最後なのだ。

 何もかも、終わりだ。

 黒い刃が彼の胸に突き刺さって、魂が消えた。

 フェイルさんが死んだ。

 みんな、死んだ。

 後は、大助さんだ。

 彼も死ぬ。

 私が殺す。

 私は涙を乱暴に拭い、立ち上がり大助さんを見た。暴走して、鬼となっている彼を見た。彼の顔はまだ、嗤っている。大切な仲間が死んでも、尚、彼の顔は嗤っていた。

 そして、ふと、フェイルさんに渡された彼の想いが脳裏に浮かぶ。


 ―――ごめん、シキ。君に迷惑を掛けてしまったみたいだね。本当にごめん。


 ―――俺を殺せ、シキ。


 ―――頼むから、ファベルに……あいつに、俺を殺させないでくれ。


 どうして、今になってそんな事を言うんだろう。今更、こんなこと伝えられても……。そんな、つまり大助さんは、

「知ってたんですか?」

しかし、彼は何も言わない。ただ、嗤うだけ。

「自分が、暴走するって知ってて、私にあんな……優しくしてくれてたんですか?」

 ずっとずっと、何も言わないで一人で抱え込んで、それなのに私には「一人で抱え込むな」って言うなんて、そんなの、

「あんまりじゃないですかっ」

 私も莫迦だ。

 ニケ月前に薄々は感ずいていたんじゃないのか。それなのに、忘れようとして、エリルさんのことで怖いから、大助さんもああなったらと思うと恐ろしくて堪らなかったから、忘れて何もかもなかったことにしようとしてた。気にしないようにしてた。もっと、あそこで私が彼を気にかけていれば良かったのかもしれない。ファベルさんは知っていたのかもしれない。

 ……なんて。

 結局、私は彼に信頼されていなかったのかもしれない。

 だから、話してくれなかったのだ。

 何も教えてくれなかったのだ。

 私だけ、仲間外れにして、ここに連れ込んで「俺を殺せ」だなんで、

「本当、あんまりじゃないですかっ」

 彼はいつも、私に対して、そうだった。いつも、意地悪でからかっては笑ってきて、私がいつもどんな思いでいたか分かるまい。

 私は一言言った。

 静かな声音で、言った。

「《死鬼―――彼を呪縛しなさい》」

 すると、私の影から黒い鎖が何本も伸びて、大助さんを縛った。両腕、両足を縛られ、尚且つ―――その鎖には死鬼の持つ呪いが付与されている。だから、彼は、

「……ぐっ、ぁ」

呻き声をあげる。

 彼の顔で、彼の声で、鬼は喘ぐ。

 そのまま、私は彼へと歩み寄り、手には黒い死神が持つような大鎌を持って、覚悟を決めた。

 彼は、最後まで意地悪だった。

 だから、殺したって未練はないだろう?

 そうでしょ?

 その、はず――――。

 なのに、どうして今になって、そんなのが頭に過ぎるのか。


 ―――俺は、


 あんまりじゃないか。

 そんなの、酷いよ。

 今から、殺さないといけなのに。

 だから、意地悪な人だから、嫌な人だったからいなくなっても何も変わらない、と思いたいのに。

 あなたはそれも赦してくれないんですか?


 ―――君のことが、大好きだった。


 堰を切ったように涙が溢れてきて、彼の顔が滲んでまともに見れなかった。

 震える手で、鎌を振り上げた。すると、体を無理やり動かして、鬼は私の脇腹に黒い剣を刺す。けれども、それを気にせず、私は言った。


「私も……大助さんのことが、大好きでした」


 黒い刃が彼の胸を貫いて、血を舞い上がらせた。彼の魂が消えて、鬼もまた姿を消した。死鬼の鎖も消えうせた。大助さんの体が、地面に落ちる。鈍い音だ。

 堪らず、膝を突く。

 止め処なく流れる涙と、頬についた彼の血が混ざって地を打った。



 数十分かの後のことである。

 静寂の中に、足音と、声が聞こえてきた。

 聞きなれた声。

「おい……」

 その声にはっとして、涙を拭う。そして、振り返ると、そこには驚いた顔のダリットさんがいた。任務の帰りだろうか。目を見開き、そして辺りを見渡す。彼の視界には、ユエさん、フェイルさん、そして大助さんの亡骸が映っている。最後に私を見て、言った。震える声音で言った。

「なんだよ、これ?」

 私は何も言えずに、俯いていると、彼は怒鳴りを上げた。

「お前が殺したのか!?」

 そこで彼が何を言おうとしているのかが分かった。彼の目には、私が全員殺したように映ったのだ。確かに、私には彼からすれば殺す理由がある。みんなを殺せば、私が総代になることだ。地位を得ることができる。だから、みんなを殺した。彼にはそう映っている。

 なら、それを利用しよう。

「はい、私が……殺しました」

「なんで……なんで、殺した!?」

「………」

「なんだよ! 答えろよ!」

 黙りこくって何も話そうとしない私に対し、ダリットさんは手に真っ黒な双刀を生み出す。

「お前が、殺したってんなら、俺がお前を殺す」

 私を切りつけようとして、しかし、

「《死鬼―――》」

私の呼びかけに呼応して、彼の影から黒い何かが伸びて彼を捕らえた。暴れるダリットさんだが、一向に外れる気配はない。そのまま、ダリットさんの方へ歩み寄り、真っ黒な鎌を生み出す。そして、

「うあああああああああああああああああああああああっ!!」

ダリットさんの左腕を切り落とした。響き渡る叫び声と、血の滴る音。地面には先ほどまで腕だったもの。まるで、人形のようで現実味がなかった。夢であってほしい。これが夢で、みんなが死んだのも、大助さんが暴走したのも、それで死んでしまったのも、全部嘘で、悪い夢でした、ってことになればいい。それで、目が覚めたら、大助さんが傍で笑って「悪い夢でも見たのかい?」と優しく笑って頭でも撫でてくれたら。どんなにいいだろうか。でも、これは現実だ。

 黒い影を消し去ると、ダリットさんは左腕の傷口らへんを押さえて蹲る。そして、血色を失った顔を上げて、私を睨みつける。ふらふらと立ち上がり、右手で私を殴った。頬を殴られて、それに耐えうるほどの精神状態ではなかったため、吹っ飛んで地面に叩きつけられた。彼は、落ちている左腕を拾い上げ、

「次会ったら、絶対に殺す」

と再び睨みつけて去っていった。

 彼は確かに泣いていた。

 これでいい。

 これで、ダリットさんの中の大助さんは、優しい大助さんは、壊れていない。もしも、彼が大助さんがみんなを殺した、ということを知ってしまったら、イメージが壊れてしまう。それだけは嫌だった。私が嫌われるくらいで、彼の中にいる優しい大助さんが保たれるというのならそれでもいい。これで、彼の中の大助さんは活きている。ずっと活きている。そう願いたい。

 私も帰らなきゃ、と起き上がろうとしたが、体が重くてできなかった。腹部が熱い。そう思って、触ってみると、ぬめっと舌感触と皮膚の切れ目の感触があった。ああ、そうだ。さっき、鬼に刺されたんだっけ。意識が遠のいていくのが分かった。

 このまま……。

 このまま、死ねたらいいのに。


 みんなと一緒に、死にたい。



  ***



「……ん」

 目を開けると、白い天井と目が眩むような眩しい光が差してきた。眩しさに暫しうろたえていると、傍で声が聞こえた。

「ああ、起きたか」

 ファベルさんの声だ。

 それに反応して、体を起ころうとして、だが、腹部に刺さるような痛みが走り歯を食いしばる。

「おい、無理に起きなくてもいい」

「いえ、大丈夫です……」

 何とか起き上がって、そして、腹部の痛みにこれが夢ではないこと、死んでいないこと、そして何より、

「夢じゃ……なかったんですね」

 俯く私の言葉に、

「ああ、そうだな……」

とファベルさんは目を逸らして低い声で言う。

 死ねなかった。

 みんな死んだのに、フェイルさんを殺したのに、大助さんも殺して、ダリットさんも殺そうとして、それなのに死ねなかった。死なず、生きて、こんな風に生き延びてしまって、いいのかな? こんな私なんかが生きていても……。

 また、死に切れなかった。

 死にぞこない。

 もう、生きていたくない。なんで、私はいつも死に切れずに、まだここにいるの。おかしいよ。もう死にたいよ。生きていたって、意味なんかないのに。私が生きていたって、みんなを不幸にするだけだ。人間も、お世話になった人たちも、殺して殺して殺して、それでも自分を殺すことは何故だか赦されなくて、こんな風になってまで生きて、おかしいよ。

 もう、いいじゃないか。

 十分苦しんだよ。

 苦しいよ。

 ここは私には息苦しい。

 息苦しくて、生苦しくて、逝苦しくて、生狂しい。


 ―――幸せに成れよ。


 ふと、大助さんの言葉が浮かんでは消えて、もう忘れまいと思うと手元に大量の涙が落ちてきた。

 ああ、また私は彼のことを忘れようとしていた。

 また、彼に助けられるのだ。

 死んでも尚、私を助けてくれる彼に申し訳なくなってくる。

 そして、ファベルさんが近くにいることを思い出して、出る涙の量が増す。

「ごめん、なさっ……い」

 嗚咽交じりの「ごめんなさい」は拙く途切れ途切れではあったが、それでもそれしか言うことができなかった。

 大助さんを殺してごめんなさい。

 彼を騙してごめんなさい。

 死ねなくてごめんなさい。

 生きていて本当にごめんなさい。

 幾度となく繰り返す私に、ファベルさんは目を細め、そして手を私の頭の上に乗せ、

「もう、謝らなくてもいい。お前は悪くない。俺も、ライラも、フリールも怒っていない。あれは事故だ。というか……暴走したあいつを助けてくれて、有難う」

撫でて、笑った。

 笑って、そんな事を言う。

 そんな事を言われたら、また、みんなのために生きなければいけないじゃないか。

 そんなの……。

 酷いよ。

 でも。

 それで私はまた救われる。

 生きていてもいいのだと、肯定できる。

 生きねばならないと、前向きになれる。

 もう少しだけ、生きよう。

 私を信じてくれる人のために。

 ねえ、そうでしょう? メイリス。

 数十分かして、漸く落ち着きを取り戻した私に、彼は紙束を渡してきた。

「何ですか、これ?」

「ん? ああ、それは新しい死神の候補だ」

「え? でも……なんで私に?」

 死神の候補にきちんとした契約を結んで、正式な死神として迎えるには総代の認証が必要だ。でも、今はその総代がいない。どうして、私に渡すのだろう。流れでいえば、ダリットさんではなかろうか。

「ダリットさんでは、ないんですか?」

 ファベルさんは一瞬きょとんとするが、すぐに理解したのか、

「ああ、そうか、お前はずっと寝てたからな、あいつは転身したよ」

と静かに言った。

 転身―――つまりは、死神をやめた。死神をやめて、別の神に属したのだろう。あの状況で、彼は私の傍にいたくないだろう。でも、そうなると彼はまた一からやり直しだ。

 じゃあ、総代は誰になる。

「あの、総代は……?」

「ん? まだ、分からないのか? 総代は―――お前だよ。シキ」

「え?」

 頭が一瞬真っ白になった。

「え、何で……? 私は……」

 驚きのあまり言葉を繋げることができなかった。そもそも、私自身は大助さんを殺したり、フェイルさんを殺してしまったことで捕らえられるとばかり思っていた。だから、私なんかが総代になるなど、考えもしなかった。

 私の意図を汲んだのか、

「お前は、自分は捕らえられるんじゃないか、って思ってたのか?」

 図星だ。

「はい」

「そうか……今回の件は、別に法に触れたわけではないからな。逆に、法通りとったほうが良いか」

「………」

「なあ、シキよ。お前は、罪って何だと思う?」

「え?」

 唐突な質問に驚きながらも、彼の顔を見て、それから考え始めた。

 罪、とは何か。

 私なりの答えを導き出すのに、少々時間がかかった。

「……法に、反する、ということですか?」

 それに彼は頷き、

「まあ、そうだろうな。でも、その法は誰が定める? 王か? 国民か? それとも神か? 何れにせよ、それはそいつ等の善悪の尺度に過ぎんだろう?」

 確かにそうだ。

 どんな法を作ったとしても、そこには作り手の価値観や、そこに属する物差しに当てはめて「これは悪いことだ、これは良いことだ」と決めているに過ぎない。だから、結局のところどれが正しく、どれが間違っているかなど、分かるはずもない。人によって、その度合いが異なる。

 では、罪、とは誰が、その行いを罪だと決める?

 ファベルさんは続けた。

「まあ、だから罪なんてものは、ないに等しいのだが、でもな、それがないと集団では生きていけん。だから、内でルールを決める。……でもな、勘違いするな。天界ここでは、確かに裁くのは裁神だが、あいつらが罪科を決めるのではない。なあ、シキ……初歩的な罪って何だと思う?」

「初歩的な罪、ですか。そう、ですね……」

 善悪の判断材料、の基。いわば、基盤となるものか。

 子供は親に、「これは駄目、あれも駄目」と叱られて、何が正しくて何が正しくないというのが分かってくる。じゃあ、その前は罪はあるのか。どうなのだろう。

「……えっと、思いつきません」

「そうか……答えは罪悪感だ」

「あ……」

 確かに、そうかもしれない。罪悪感を感じるからこそ、そこに罪が生まれる。人によってその大小は異なるが、確かに、毎日自分には何も罪なんてない、と感じる人は少ないんじゃなかろうか。いや、もっと砕けた感じで言えば、悪いことをしたことがない、という人はまずないだろう。悪いことをし、それを誰かに叱られて初めてそれが悪いことだと気づくのだ。

 では、私には罪はないのだろうか。

 妹を殺した罪。

 見知らぬ人達を殺した罪。

 クロさんを殺した罪。

 エリルさんを殺した罪。

 フェイルさんを殺した罪。

 大助さんを殺した罪。

 殺人とは、人間では最も重い罪科だ。

 なら、私は既に死刑囚だ。

 死刑囚の身でありながら、罪を更に重ねていく。

 死ぬ事すら赦されない、死刑囚。

 堕ちてゆくばかりだ。

 

 どうだい? 死にたい?

 あはは、ごめんね。

 君は死ねない。残念だったね。


 と、嗤う鬼が見えた。



「で、新しい死神候補はどうする?」

 と言われ、改めて渡された資料に目を通す。

 ミコト、という少女の新神だ。経歴を見るに優秀だろう、ということはすぐに分かった。この子がいれば、十二分に頼もしい。私なんかよりも、仕事を上手くやってくれるかもしれない。でも、こんな純粋な子をこんな血みどろな世界に引きずり込んでよいのだろうか。彼女なら、どこでだってやっていける。死神ここでなくとも、その優秀さを発揮してくれるだろう。私が教え説くような子ではない。私には導く力なんてない。

 だから、

「……いえ、いりません」

「不十分か?」

「そんなことは、ありません。寧ろ、十分すぎるくらいです」

「なら……」

「だからこそ、この子には別なところで立派になってほしいです。だから、私には……」

「部下はいらないと?」

「はい」

「それが、どんだけ大変か分かってて言っているのか?」

「はい」

 分かってる。

 大助さんの傍でずっと見てきた。部下にあまり負荷が掛からないよう、彼は仕事の大部分を一人で受け持っていた。徹夜を二日三日など当たり前だった。だから、どれだけ大変なのかを知っている。でも、誰かに人を殺せ、だなんて言えるはずがない。これが仕事だからって言えるわけがない。

 結局は、自分を守るための方便だ。


 私は、また独りを選んだ。



  ***



 ―――三百五十年目。


 総代になって二百年余りの時が経ってしまった。相変わらず、私には部下はいない。やっとのことで、仕事をこなしている有様だ。

 鬱蒼とした森の中に私と、目の前にファベルさんがいた。今日は久しぶりの、鬼化の練習だった。私の鬼化は大変危険なので他の人がいない、この森で行うことになっている。不規則に生えた木々に、生い茂る葉のせいで太陽の光がまともにはいってこない、そんな晴天の昼下がりとは思えない暗さだった。

 彼は準備のため、周囲に火の玉を三十個ほど生み出し、空に浮かせた。

「じゃあ、やれ」

 合図を受け私は、黒い大鎌を手元に生み出す。

 そして深呼吸をし、一言、

「《死鬼―――私の魂を喰らいなさい》」

 とたん、どこかで鎖が切れるような音がし、魂が締め付けられた。胸が酷く苦しくなったと思うと、体が妙に軽くなる。力が内から溢れるような感じである。

 そして、火の玉を切っていく。それは浮いているだけでなく、物凄い速さで遠ざかったり、こちらを攻撃してくるように音速で近づいてきたりする。それを、普段じゃあできないであろう速度でこちらも応戦する。

 近づいてくるものを鎌で薙ぎ払い、遠くのものは自らの影を伸ばして捕らえる。軽快であった。体は思ったよりも俊敏で、頭はクリアだ。

 が、その時間は限られている。

「シキ! 終わりだ!!」

 とファベルさんが叫び、無理やり死鬼とのリンクを断ち切った。瞬間――体が重くなり、地面に倒れる。体中が痛い。

「……かはっ」

 血を吐く。

 体中がひび割れて、そこから血が滲む。重くて、傷だらけの体を起こすことなどできるはずもなく、私は倒れたまましかし、それでも彼の目を見つめた。

「限界、だな。いいか、お前がもし鬼化を使うなら、制限時間は四分だ。それ以上使ったら、お前は暴走する。でも、鬼化を使う状況なら、もし暴走しても死ぬし、仮に暴走しなくとも相手を捕らえられなくとも死ぬ。だから、四分でけりをつけろ」

「分かり、ました……」

 悲鳴を上げる体を起こし、立ち上がる。足元が覚束ないが、それでも自室の方へ歩き進めた。歩いている途中で木の幹に体を預け、暫し休憩を挟みながら歩いた。途中、ファベルさんが、

「たまには、現界でも行って気晴らしでもしてこい」

と言っていた。

 なんとか、自室へ帰ると倒れこむようにしてベッドに体を預ける。もう、起きれる体ではなかった。でも、傷をこのままにするわけにはいかない。無理やり、再び体を起こし服を脱ぐ。痛々しい傷が露呈する。そこに、包帯などで処置をした。その後疲労のあまり、シャツだけを着てベッドに倒れた。だが、寝る気分にはなれず、ずっと天井を見上げていた。

 鬼化は体への負荷が大きい。だから、多用はできない。四分以内に相手を仕留める、か。できても、できなくても、私は失敗した時点で死ぬ。

 でも、それでもいい。

 死ねるなら。

 それでも……。


 数週間が経って、何ヶ月か何年か振りに現界に降りた。二日くらい、当てもなく歩く続けた。そして、思い立って、あの場所へ行ってみた。私が始めて死神となって人を殺した場所であり、私にとって一番大切な人たちを失った場所でもある。今も昔もあまり変わらない。町から外れた雑木林の中に、木も生えていない空間がポツンと空いている。そこで、みんな死んだ。

 私もいつか、どこかで死ねるだろうか。

 神様の寿命は、結構長い。

 平均して一万年とか、今でも健在な方もいるくらいだから、私もいつかそうなるかもしれない。

 暫く見据え、小さく息を吐いて踵を返した。そして、雑木林を出ようとしところで―――。

 後ろで爆発音がした。

「え?」

 何もなかったはずのなのに、何故?

 と思って、振り向くと舞い上がる埃でよく見えなかったが、だんだんと薄くなっていくにつれて人がその中にいるのが分かった。その人は、独り言のように悪態をついていた。

「もう、危ないじゃないか。一歩間違えたら死んでたよ、これ……。全く、ミコトもネフさんもあんなところで突き落としたりなんかするか……ら」

 その人は私を視界に捉えたのか、驚いたように目を見開いた。そして彼は小さく「死神……」と呟いた。

 黒髪の少年だった。黒いコートに黒いズボン、ベージュのシャツを着た少年。大体、十五歳くらいだろうか。そんな少年のすぐ隣には地面に深く深く刺さる白い槍。

 それを素早く引き抜き構える。刀身を私のほうへ向けて、少年は一言言った。

 死にたいと思っていた私に向かって、言った。


「君を、殺したい」


 真っ直ぐな少年の目と言葉に、私は願いが叶うという期待と、こんなにも早く叶ってしまうんだ、というおかしさに少しだけ笑みを零しそうになってしまう。

 私にはそう言う、彼が救世主に見えた。

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