episode13
おばあさんを、再び訪れてみると、どうやら体調を崩したらしく、ベッドで寝ていた。
私が近くまで寄ると、おばあさんは申し訳なさそうに、「ごめんね」と蚊の鳴くような声で呟いた。
余命が近づいている、という事なのだろうか。
大助さんが言っていた通り、放って置いても勝手に死ぬ、だろう。
だからこそ、大助さんは私にこの仕事を遣らせたのだろう。覚悟を、決めなければならない。
私は、彼女を殺せるだろうか?
自信なんてない。
勿論、そんなものが私にあったとなれば、こんなに悩む必要なんてないのだ。
『情を移したら、駄目だよ』
今になって、大助さんが言っていた言葉の意味を漸く理解した。
情を移したとなったら、私は……。
だから、彼は忠告した。
けれども、それは遅かった。
横たわるおばあさんを見下ろし、それから、居間にあった椅子を一つベッドの傍まで持ってきて、それに座った。男性は今日も仕事らしい。聞いた話では、隣町にある工場で働いている。だから、朝早くから家を出て、帰るのはいつも夜遅くまで。おばあさんはその間、独りぼっち。私がよく来るようになったことで、おばあさんは大分明るくなったらしい。
三日目になって、おばあさんはこんな事を言ってきた。
「ねえ、貴女の名前をまだ聞いていなかったわね。なんて、名前なのかしら?」
それに、私は一瞬だけ生前の名前を言いそうになって、それを飲み込み、
「……シキ」
と答えた。
「そう、いい名前ね」
おばあさんは弱々しく微笑んだ。
そして、
「おばさんの、名前はね……」
掠れた、けれどもはっきりとした声音で、
「イニス……そう、おばさんのお母さんが付けてくれたのよ」
そう言った。
その名前に、耳を疑った。
妹の名前と同じだったから。
でも。
妹はとうの昔に死んでいるのだ。
ここにいる筈がない。
それに、同姓同名なんてよくある。
気にする必要なんてないのに、それなのに、気がかりでどうしようもなかった。彼女の身の上話を聞いたからだろうか。よく分からないが、これ以上彼女にかかわると、私は仕事が出来なくなってしまう、そう思ってそれ以上考えるのを止めた。
これ以上彼女について知ると、殺せなくなるんじゃないの? と誰かが、呟いてくる気がした。その通りだと、素直に思った。
寝込んでいるおばあさんの傍にいるのが心苦しかった。病の床に臥した彼女に対し、私は殺す殺さないかの対象としか見ていない事に、それを知らずに微笑むおばあさんに、息が詰まる思いだった。
だから、私は、外で遊んでくる、と言っておばあさんの家を出た。
暫く歩き進み、行く宛てのない私はデルクの町外れにある雑木林の中へ入って行った。子供一人で入るような場所ではないらしく、町の人に止められたが、それを押しのけてここへ来た。目的なんてない。ただ、一人になって考え事をしようと思っただけ。
町の人が言うように、ここは薄暗く、陰湿で気味が悪い。こんなところ、子供が一人でいるところを見たら、獣なんかはかっこうの獲物とばかり貪りついてくるだろう。
不規則に生えている木々の間を縫うように歩いていると、
「やあ」
目の前の木に背中を預けてこちらを見ているあの人がいた。
「大助さん……」
彼の目は、いつものように気味が悪いくらい優しい目で嗤っていた。
「どうして……」
と、私が言いかけたところで、
「ここにいるのかって?」
大助さんは遮ってそう言う。
私の言動を予想していたかのような感じがした。
彼は肩を竦ませて、笑みを浮かべながら、
「君が、困っているんじゃないかな~って、思ったから来たんだ。どうやら、正解だったらしいね。それと、ここにいるのは君が一人になりたいと思っていたら、ここに来るんじゃないかなぁ、って。こっちも、予想通りだ」
本当に予想通りだ。
私が単純だからだろうか。
よく分からないが、今は正直いってそんな事を考えていられるほど余裕がなかった。
私が大助さんに対して、緊張しているのかと思われたのか、
「まあまあ、そんな固まらないでよ。気楽に行こう。気楽に、さ」
と大助さんは朗らかに言った。
「で、彼女の件……だけど、見たところ……」
「………」
「まだ、決心がついていない様だね。今日で最後、なんだけだね。これ以上先延ばしは出来ないし、早すぎても駄目。まったく、困った仕事だよ。君はどう思う?」
「どうって、言われましても……」
本当に困ったでは言い尽くせないほど、嫌な仕事だ。
大助さんは私の心中を察したのか、
「そりゃ、困っているよね。特に君なんかは今、ひしひしと感じているんじゃないかな? まあ……そんな雑談を交えながらさ、君のこれからについて話そうとしようか」
そう言って、大助さんは雑木林の中を歩いていった。それに私もついて行く事にした。
***
木々を掻き分け掻き分け、ずんずんと進んでいった。
デルクにいるのは分かっているけれど、こんなに奥まで進んでしまうと本当にここがどこなのかを忘れてしまいそうだった。町とはまったく違った風景に、もの悲しさを感じる。
しかし、こんなに奥へ進んでしまって、戻れるだろうか。道がない以上、目印となるものを覚えなくてはならない。
そんな心配をしている私を気にも留めず、大助さんはどんどん進んでいく。
「君はどこか、俺たちを誤解していないかい?」
「え……?」
否定しようと思ったが、声が出なかった。
すると、大助さんは苦笑して、
「あははは、そんな身構えなくてもいいよ。別に、怒ろうなんて思ってないんだ。ただ、誤解を解こうと思ってるだけさ」
私の顔を少しだけ見た。
そして、話し始めたのだった。
「俺たちだって、何も、最初から躊躇いがなかったわけじゃないんだ。それこそ、ダリットなんて、本当に駄目でね。慣れたのは、ほんの五十年くらい前のことさ。あはは、ダリットのこと話したら、怒られちゃうから、俺の身の上話でもするよ。俺は、生まれた時から天界にいて、五十年勉強させられた」
「え……っ」
ということは、大助さんは成り上がりじゃなくて、新神として生まれてきたことになる。
それは、初耳だった。
「父と母とは疎遠で、会ったことすら、数える程しかなくて、でも、別に寂しいなんて思ったことなんてなかったよ。天界じゃあ、それが当り前だからね。五十年たって、俺は漸く纏まった仕事ができたんだ。俺の父と母は、ファベルとは違って、特定の神ってわけじゃなかった。だから、生まれつき何かの神様ってわけじゃなかった。つまりは、なんでもなれたんだ。生神にでも、裁神にでも、本当になんでも……。で、そんな俺のところにきた仕事が、死神だった。正直、吃驚したよ。だって、新神の中での、死神の印象は嫌われ者の仕事で、度胸のある奴にしかできない仕事、ってのが常識だったからね。俺にはそんな度胸はなかった。寧ろ、最初は怖くて仕方がなかった。最初に人を殺すときは本当に辛かったね。でも、だんだん、そんな意識なんて薄れていく。
気づいたんだよ。
人間なんて、だたの動物と変わらないってね。だた、我儘で、強欲で、仇を仇で返すような、莫迦な奴らだって。絵空事ばかり並べて、誰かを信じなさいとか、裏切ってはいけないとか。信じたら信じたで、とことん裏切られて。利用されて。そしたら、信じて裏切られた自分が悪いのに今度は裏切った方を、恨んで、貶める。本当に何が悪くて、何が善いのか分からないよ。
分からないな~、って思ってると、今度は我慢しろと言う。我儘はいけないと。でもさ、人間って、我儘の塊みたいな物じゃないかい? 必要もないのに牛や豚や、鳥を狩って、それを我が物顔で租借する。生きていること自体が、我儘みたいなものじゃないか。それを我慢しろと言う。では、死ねと? ははは、本当に意味が分からないよ。
君になら、分かるのかな? 元人間の、君になら」
なんて、聞いてくる。
そんなこと言われても、私だってそんなの分からない。分かるはずがない。人間という、枠組みから外された私に彼らの心理など、到底理解できない。
ねえ、分かる?
分かる?
ねえ。
ねえ、ねえ。
教えてよ。
あなたになら、分かるでしょう?
ニンゲンが何なのか。
ねえ、教えてよ。
煩い。
うるさい。
ウルサイ。
色々な声が、疑問が、頭の中をぐるぐる、ぐるぐるぐる、回って渦巻く。頭が痛くなりそうだ。吐き気さえ、浮かび上がってくる。
「………っ」
それを堪えた。
私の様子を見て、大助さんは顔を顰めた。
「ごめん、ごめん。変なことを聞いてしまったようだね。でも、まあ、君になら、裏切られるっていうのは分かるんじゃないのかな?」
「え、そんなことはな……」
が、遮って、大助さんは言う。
「あるさ。自分でも気付いているんだろう? 家族を奪われて、友人を失って、それでも尚、君は彼らを庇うのかい? 優しいね。だから、君は自己犠牲を選んだのかい? でも、そんな奴はここじゃあ、生きてられないよ。人間に情けなんて掛けてられない程、君はこれから沢山の人を殺していくんだ。分かるだろ? シキ……」
「…………」
確かに、いちいちこんなに悩んでいては死神なんてやってられない。
彼の言うとおりだ。
私は、まだ、死神になりきれていない。
まだ。
まだ、まだ、まだ。
しかし、命の尊さを忘れるつもりはない。
彼の言うとおりに、情けを掛けないでいるなんてできる訳がない。
ダリットさんはできても、私にはできない。
それでいい。
私は私のスタンスでいこう。
「分かりました」
「そうか。そりゃ、よかったよ。シキに分かってくれなかったら、どうしようかと思ってたから………」
そう言えば、大助さんはこういう人だったか……・
「ん? どうしたんだい?」
「いえ、ただ……大助さんに名前、呼んでもらったの、初めてだったような気がしたので……」
「あれ、そうだったけ?」
「そうですよ。呼ばれた覚えがありません」
「ん~、そうだったかもしれない。まあ、仕事頑張ってね。ファベルは、君の事相当心配してたよ」
「そう、なんですか?」
「うん。様子見て、帰ってくると物凄い剣幕で迫ってくるからさ~。怖いんだよね~」
困ったよ~、と彼は笑っていた。
そして、
「じゃあ、これからは君の仕事の時間だ。俺は、結構口では言わずに背中で教えるタイプ、なんだけど……。君はそんなの通用しないからね。だから、敢えて言葉で話した。頑張れるかい?」
「はい……。頑張ってみます」
「そうか、そうか。行ってらっしゃい」
どうやら、ぐるりと一周したのか、元来た道に戻っていた。
大助さんは、優しそうに笑っている。
私は、私のやるべきことがある。
少しでいい。
進まないといけない。
彼らのためにも。
だから―――
「行ってきます」
そう言って、おばあさんの家へと向かった。
彼らには、彼らなりのやり方や理解の仕方がある。
私には、彼らのやり方も理解の仕方も、到底真似なんてできない。
なら。
私は、私のやり方で死神として生きていかなければならない。
例え、それが誰かを殺す行為だとしても。
私が死んで悲しむ人がいる限り、私は前を向かないといけないのだ。
まだ、おばあさんを殺す覚悟なんてない。
それでも。
***
おばあさんの家に着く頃には、日は陰り、空は赤くなりかけていた。気温がだんだん下がってきて、少し肌寒い。もう、秋が来た。そう思わせる候であった。
少し躊躇いながら、ドアを開けると、おばあさんが、
「おかえり」
と優しく笑った。
それに、
「うん。ただいま」
と応える。
これで、最後になるのだ。
男性が帰ってくる前に、やっておかねばならない。
「どこにいっていたの?」
と、聞いてくるおばあさんに、
「だ……、お、お兄ちゃんの所に……」
と、私。
一瞬、大助さんと言おうとしてしまった。
焦る私に、おばあさんはやはり微笑んでいる。何も、知らないから、微笑んでいる。
私が死神だと、あなたを殺しに来た死神です、と言ったらなんと言うだろうか。そんなことない、とでも言われるだろうか。
どうしても、怖かった。
口が噤んでしまう。
どうしよう?
「どうしたんだい?」
おばあさんは心配そうに、微笑む。彼女のそんな顔に、申し訳なく思う。
結論から言うと、無理だ。
駄目。
泣きそうになってくる。
いや、それこそ駄目だろう。
だから、堪えるしかない。
ぐっと堪え、
「なんでもないです」
「本当に?」
「はい」
「そっかあ」
笑う彼女に、言わないと、と思った。
「あの……」
突然、口を開いた私に、一瞬驚くがそれでも微笑って、
「なに?」
と首を傾げてきた。
こうやって、優しくしてくれて、見ず知らずの私に色々と遊んだり、話してくれて凄く嬉しかった。だから、話さないといけなかった。
そして、私は言った。
「……あなたを、殺してもいいですか?」
「……?」
「あっ……」
しまった、と思った。
自分が言ってしまった、無遠慮な言葉に口を噤んだ。
普通なら、怒られるだろう。そもそも、そんな宣言を本人の前でするなんて、強盗じゃあるまいし、いないだろう。本当に自分の莫迦さ加減に嫌気がさしてくる。もっと、考えて、言葉を選ぶべきだった。本当になにを言っているんだろう。
目の前のおばあさんだって、吃驚して、首を傾げている。彼女も、こんな八歳くらいの少女に『殺してもいいですか?』などと、言われるなんて思ってもみなかっただろう。この場に大助さんがいたら笑われている。
どうしよう? と、悩んでいると、
「それは、どういうことかな?」
おばあさんはそう言って首を傾げる。
怒られる、と思って決死の覚悟で顔を上げると、おばあさんは怒っているような顔ではなかった。というか、笑みを崩さないでいた。
話そう、と覚悟を決めた。
どっちにしろ、私は彼女を殺すのだ。何も知らず、殺されるよりかはここですべてを話して、理解してもらった方が楽なような気がした。それに、このおばあさんなら理解してくれるんじゃないか、と思ったのだ。
私は、すべてを話した。私が、死神であること、彼女を殺しに来たこと、すべてを話したのだ。けれども、彼女は笑みを崩さない。
それは、本当に救いになった。
私は大きな鎌を生み出す。黒い、大きな鎌。人の魂を刈り取る、死神が使うような、気味が悪いもの。
「それで、わたしを……」
――殺すのかい?
「はい……」
「そっか」
おばあさんは、どこかすっきりした声音で、
「やっぱり、神様はいたんだね」
と言った。
おばあさんは、小さい頃にお姉さんが『神様はいるんだよ』と言っていた。
「じゃあ、これでお姉ちゃんに会えるのかな?」
と、おばあさんが呟く。
そして、私は時計を見て、それから鎌を振り上げた。そして、振り下ろす瞬間、おばあさんは確かに言った。
「そしたら、ルーヤにも会えるね」
その言葉に、私は驚くが、振り下ろすその手は止まらず、彼女の鎖を切ってしまった。魂が解放される。
「え……。うそ………?」
ルーヤ、というのは名前だろう。彼女の言っていた、弟の名前。
もしや、と思い、私は急いで家を出て、天界へ戻った。もしかしたら、いや、もしかしなくても、取り返しのつかない事をしてしまったかもしれない。
おばあさんの名前が、イニス。
その弟が、ルーヤ。
姉がいて、兄がいて、父がいる。
母は、弟が生まれて数日後に死んだ。
並べてみると、類似点なんてたくさんあった。
あってほしくなかった。ありえないと、思っていた。でも、もしかしたら……。
***
天界に戻り、それから、転生の扉へと向かった。
死者が向かう、扉の向こうに彼女は……彼女の魂はある筈だ。今なら、まだ間に合うかもしれない。
走って、転生の扉に着いた。
真っ白な空間に扉だけがそこにあった。そして、その扉の前には、
「やあ、来ると思ってたよ」
「……クロさん」
彼女が立っていた。
黒い髪に黒い目、黒い服を着た少女。
通さない、とでも言うのだろう。と、思っていると、
「いやいや、別にキミの邪魔をしに来たわけじゃないんだ」
「え?」
「ここを、通りたいんでしょ?」
「はい……」
「じゃあ、通りなよ」
「え、でも……」
「大丈夫、ボクが責任を取るから、キミは安心して、行って」
彼女の細い腕で、大きなその扉をとん、と押すと重々しく開いていく。扉の奥へ向かって、風が吹く。
クロさんの方へ向かって、お辞儀をしようと、
「いいよ。そんなのは後だよ。急いでいるんだろう?」
「ありがとうごさいます」
諌められた。
走って、扉の奥へと入って行った。
中は、真っ白な空間で、色々な色の三角や丸や四角が浮遊している。しかし、近寄ると気付いたら消える。奥は、真っ黒で何もない。
ずっと、ずっと、走っていくと、奥へと行こうとしている人影を見つけた。
おばあさんだろう。
私は息を荒げ、名を呼んだ。
「イニス……!」
名前を呼ばれた彼女は、驚いた顔で、しかし微笑んで、
「どうして、ここに……?」
が、それを遮って、
「ごめんなさい……っ」
と私。
「ごめんなさい。ごめん、ね。私、あなたが死んでしまった、って思って……たから」
ぽろぽろと、涙が零れる。止めることなんてできなかった。
彼女はそれだけ聞いて、
「もしかして……お姉ちゃん?」
と聞いてきた。
それに、私は泣きながら、頷く。
「そっか、やっとお姉ちゃんに会えたんだね。というか、凄く近くにいた」
「ごめんね」
「どうして、謝るの?」
「だって……っ」
「お姉ちゃんが、わたしも、ルーヤも死でいると思っていたから?」
「それだけじゃ、なくて……。あなたたちが、死んでいるって思って、勝手に死んでしまった事や、それから……」
「それは、お姉ちゃんの所為じゃないよ。それに、わたしも、ルーヤも、お姉ちゃんに何にも伝えてなかったのがいけなかったの」
彼女は、申し訳なさそうに言う。
本当は私が謝らなきゃいけないのに、本当は私が慰められる側なのに、慰めてもらっている。本当に、情けない。
「ねえ、ルーヤには、会わなかった?」
と、突然、イニスは聞いてきた。
「会って、ないけど……」
「そっかあ、ルーヤ、『一足先に、姉ちゃんに会ってくる!』って、言って兵士になって、戦争に行ったきり帰ってこないから……」
「え……?」
そんな話初めてだった。
ルーヤは戦争に行って、死んだ。
もうすぐ、時間が来る。もう、彼女と話していられる時間はなかった。
それに気付いたのか、
「もう、時間ないんでしょう?」
と彼女は笑っていた。
「うん」
と、私は頷く。
「ああ、そうだ。わたしのベッドの傍にある引き出しにおねえちゃんに渡したいものがあるの。受け取ってくれるかな?」
それに、私は頷く。
そして、彼女は笑って、
「じゃあ、お兄ちゃんたちに会ってくるね」
と、言う。
私の知っている、彼女の姿になって言う。
幼い、無垢な笑顔で言う。
その先には、兄さんも、ルーヤもいない。あるのは、ただ真っ黒な闇と深い虚無だけだ。
「じゃあ、行ってきます」
まるで、遠足に行くかのような、はしゃいで、彼女は走っていった。
止めようと、一瞬体が動いたが、どこかで駄目だと言う自分がいた。だから、私は小さく呟くように言った。
「行って、らっしゃい。イニス」
黒い闇に、彼女の体は消えていった。
私は踵を返し、扉の外へと向かった。
外には、扉の縁に背を預けて立っているクロさんがいた。彼女は、
「もう、いいのかい?」
と聞いてきた。
「はい……」
そして、歩き出す私に、
「もう、行ってしまうのかい?」
「はい、まだ……私にはやる事があるので」
「そっか……」
「はい。ありがとうございました」
「お礼は後でいいよ」
お辞儀をして、私は足早に、おばあさんの家へと向かった。
*
*
*
「やあ、盗み聞きなんて、キミらしくないじゃないか。ファベル君」
「ふん。別に……。それを言うなら、お前だってらしくない」
「そうかな?」
「お前は、見ているだけじゃなかったのか? お前が、誰かの肩代わりするなんぞ、珍しいではないか」
「ん~、そうだね。まあ、ただ興が乗っただけだよ。家族愛とか、兄弟愛というやつにね。それに、ボクじゃなくても、キミが通してたんじゃないかな?」
「…………」
「でも、キミが通していたら、キミの父君……太陽神にファベル君が殺されているよ。そんな事をしたら、幼馴染のフリールちゃんが泣くんじゃないかな」
「……あんな、自分が愛した妻を殺すような男を、俺様は父などと思っておらん」
「へえ、まだ、怒っているんだ。……あれ? もう、帰るのかい?」
「……興が冷めた。俺様はもう、寝る」
「ふ~ん。じゃあ、お休み~」
「…………」
「家族……か。よく分からないなあ。そういうのは……どうしても、解せないな~」
*
*
*
おばあさんの家に行くと、もう夜だった。
男性はまだ帰ってきていないのか、部屋は真っ暗だった。部屋の隅にあるベッドには、おばあさんの亡骸が横たわっていた。息はしていない。
私はそそくさと、彼女の言っていたところから、渡したいと言っていた物を探した。どうやら、それは手紙らしい。上から、一段目はメモやペンが入っていた。二段目に、彼女の言っていた手紙と私が以前着けていた、銀の十字架があった。少し黒くなっていたり、錆付いていた。ずっと、持っていてくれていたのだ。
それを握り締めて、
「ありがと」
と呟く。
そして、手紙を取り出す。二つあった、一つは封が開けられていて、もう一つは未開封のもの。開けなかったのには理由があったのかもしれない。そう思って、開いている方の便箋を取り出して読んだ。
え~と、これを読んでいるのは、多分、イニスだよね。ルーヤはまだ、文字が読めないはずだから……。間違ってたら、ごめん。
そうだね。なにから話そうか。
まず。
ごめん。
それだけは、言わせてほしい。
本当に、ごめん。
迷惑を掛けてしまった。
兄さんは今、隣町のルッヘルにいる。そこの病院で療養中なんだ。もしも、体が良くなったら会いに行くよ。イニスたちは今、隣のヘルおばさんの所にいると聞いたんだ。合ってるかな?
イニス、ルーヤと共に元気にしててね。
あと、もう一つ。
此の手紙と一緒に、もう一つ封筒があるだろ?
それは、開けたら駄目だ。その手紙は、メイリスに渡してくれないか? 彼女に絶対に渡して、君たちは開けちゃ駄目だよ。もしも、メイリスに会えなかったら、それとも死んでしまったなら、それを破って捨ててしまって構わない。なんなら、燃やしてほしい。彼女には伝えたいことがあるんだ。
頼んだよ。
兄さんからのお願いだ。
もし、いい子にしているなら、お土産でも買って帰ってくるから……。
元気に待っていてほしい。
―――兄さんより
という内容だった。
私への手紙があるらしい。
しかし、それを読んでいる時間はなかった。男性が帰ってくるかもしれない。そうなったら、言い訳の余地がない。それだけは駄目だろう、と思い、天界へ戻っていった。
すると、大助さんがいた。
「やあ、お仕事ご苦労さん」
と笑っている。
「あの」
「なに?」
「大助さんは、知っていたんですか?」
「何が?」
「あの女性が……」
「君の実の妹、ってこと?」
やはり、知っていたのだ。しかし、彼は悪びれもせず、ただ、笑って、
「でも、良かったろう? 妹が生きていて、それで、最後に言いたかったことを言えてさ」
と言う。
良かったじゃないか、と笑っている。
私は、
「はい、良かったです」
と無愛想に言う。
そして、自室へと帰っていった。
私は、どうやら大助さんとは相容れないらしい。
妹を殺した私は、ますます、死神として、彼女の分まで生きなければいけなくなった。
イニスも、ルーヤも、兄さんも、お父さんもお母さんも、誰もいなくなってしまった。私は本当に独りぼっちになったのだ。