episode12
おばあさんは、何して遊ぼうか、と尋ねてきた。
精神年齢的には実の所、子供が遊ぶような御飯事だったり、何かのごっこ遊びをやる年齢ではない。だが、相手は私を子供だと思っているから、仕方がなかった。というか、子供に見えるのだから仕方がない。
私は、少し悩んだ挙句、棚にあった本を見て、本が読みたい、そう言った。暇つぶしになるものを選んだつもりで、本を読みたいといったのだが、おばあさんはどうやら「本の読み聞かせ」の方で解釈したらしい。だから、私は今おばあさんの膝の上にいる。後ろからはおばあさんの優しい声音が、目の前には文字がびっしりと書かれた本にそれを持つおばあさんの腕が後ろから生えていた。
読ませる気は毛頭なかったが、優しいその声に私は懐かしんでいた。幼い頃によく母に本を読んでもらっていた。友達という人がいなかった、という所為もあったが、それでも私にとっては大事な時間であった。病弱な母は体調を崩すと治るのが大変遅かった。だから、遊んでくれる時間というものがほとんどなかった。気づけば、私には妹ができていた。妹と遊ぶ時間が増え、私が十二歳の時、弟が生まれ、それから数日後に母は死んでしまった。
それからは、私が妹と弟の母親代わりとして生涯を過ごす事になった。兄の助力もあったので、大して大変だとは思わなかった。勿論、妹も弟も私にとって可愛い存在だったから、寂しいと思うこともそんなになかった。
本当に、楽しかったのだ。あの頃はとても、幸せだった。
本を読んでもらっていて、数十分が経っていた。内容は大体覚えているが、それでも思い出に浸っていたから聞き流している場面も多かった。
それから、色々と遊んでもらっていた。こうやって、遊んでもらうのは久しぶりすぎて、何をどうしたらいいのかさっぱり分からなかった。
しかし、こうしていても私は結局彼女を殺さなければならないのだ。
日が陰り、空が茜色になった頃、出て行った男性が戻ってきた。隣には大助さんがいた。男性は安心したような表情で、
「お兄さんが見つかったよ」
と言った。
おばあさんとは別れなのだが、彼女は寂しそうな顔をしていた。
大助さんの所へ行く寸前で私は、
「あの……」
おばあさんに言った。
「……また、遊びに来てもいいですか?」
おばあさんは嬉しそうに笑って、
「いいよ、いいよ。もちろん。いつでもおいで」
そう言った。
大助さんに連れられ、その家を後にした。
おばあさんのいた民家から少し離れた、広場で大助さんは言った。
「今日中に見つけるなんて凄いね~」
「あ、いえ……。別に」
見つけた、というよりも偶然迷子になって保護された先があのおばあさんだっただけだ。しかし、それは言わないでおこう。多分、向こうはそれを知っている。墓穴を自ら掘るのは致命傷だ。
「そういえば、どうしてここにいるんですか?」
「ん~? まあ、君が困ってないかな~って思ったから、様子見に来たんだけど……まあ大丈夫そうで何よりだよ。それはさておき………」
次の大助さんの言葉で私は、
「………殺せそうかい?」
この人の本当の怖さが分かった気がしたのだ。
背筋が凍る思いだった。
ニッコリと笑っているが、言葉は嘘を吐かない。
恐怖にか、それとも躊躇いにか……。どちらにせよ、私の手は震えていた。足が竦みそうになるのを堪えて、私は、
「はい……」
小さく頷いた。
大助さんの目を直視できなかった。
これが本当の死神なのだろう、と知った気がした。
***
翌日の昼―――、おばあさんの家を訪れてみた。
男性は仕事に行っているらしく、家にはいなかった。そもそも、男性は彼女の息子らしい。孫は独り立ちし、一人は兵士に志願したんだとか。勿論、両親もそしておばあさんも反対したのだがそれを押し切って、王都まで行ってしまったらしい。
昨日と同じく遊んでもらっていると、
「貴女の髪の毛は綺麗ね」
といきなり微笑んで言ってきた。
突然のことに困惑しながら、
「え、と……、そんなことない、です」
言葉を繋げた。
しかし、おばあさんは朗笑して否定した。
「いいや、綺麗だよ。言われたことない?」
なんて、聞かれても兄妹以外で、言われたことなんてない。いや、一回だけある。
『君の髪は気味悪くなんてないよ。僕は君の、好きだよ』
そう、彼は言っていた。
黒い髪の、黒い服を着た優しいあの人に言われたことがある。すぐに私は否定したのだが、それも彼は「そんなことない」と言って更に否定した。
それ以外では、気持ち悪いだの、気味が悪いだのと散々言われてきて、しかし、私はそれらに対して抗うことをしなかった。そうなのだと、幼いながらも私は理解したのだ。自分はどこか、ヒトとは違う、と脳の片隅で理解していた。
だから、こうやって面と向かって言われるのはどうも慣れていない。
寧ろ、「気味が悪い」と言われた方が良かったと後々になって気付くのだが、その時の私はまだその事を分かっていない。
黙り込む私におばあさんは、ニッコリと笑って、
「わたしもね、今じゃ分からないけど、貴女みたいに髪の毛の色が薄かったのよ……」
話した。
現在では、確かに色が薄かった、などとは思えないほどに白くなっていた。薄かった、と言うことは色自体はあったのだろう。
そして、おばあさんは身の上話をし始めた。
おばあさんは、父が一人に兄、姉そして五歳下の弟がいたらしい。父はいつも仕事で、家にはいなく、基本弟と遊んでいた。兄も仕事には行くが、些細な時間でさえ構ってくれたり、姉の方では教会に行けば忙しくなければいつでも相手にしてくれていた。歳が多く離れている兄と比べて、物心ついた時から一緒にいた姉は何かと大きな、憧れみたいな存在だった。弟が生まれるまで、姉と二人で遊んでいたらしい(本人は物心つく前で、はっきりとは覚えていないが、聞かされた話ではそうだった)。だから、身近な存在が姉だった。しかし、弟が生まれて、それから間もなくして母が死んでしまったらしい。
おばあさんは、夜な夜な泣いていたらしいのだが、そんな場合でも姉は一切泣く姿を彼女には、いや、家族に対して、また、身近な人に対しても見せなかった。いつも微笑んで慰めてくれていた。いつしか、姉がおばあさんたちでの『母親』代わりとなっていた。母が死んで半年経って、姉は教会へと修道女として入った。一緒にいる時間はぐっと減ったが、弟がいた事もあって、文句を言える立場でなくなった。でも、遊びに行けば、いつものように構ってくれた為、寂しいとは思わなかったらしい。
また、何年かして、父が過労というびょうきで、死んでしまった。それには、弟も、彼女自身も大きく泣いた。兄でさえ、声を押し殺して泣いていた。けれど、姉は泣かずに彼女らを慰めてくれていた。家族が死んでも、何も思わないのか……。そう、おばあさんは思ったが、ある日、密かに、姉を驚かそうと思って教会を訪れた時、確かに、幽かに、姉は泣いていたという。すすり泣く、小さな、今まで見てきた姉の印象とは違って、大変弱く見えた。
どうにか、しなきゃ……。
そう思って、姉へと寄り添おうと思った所で、あの人(名前を知らないので、以降はAとする)が来た。最近、よく教会を出入りする、旅人らしく、昼になるとやってきて、夕方になると決まって帰ってしまうそんな人だった。Aさんは、彼女の姉に寄り添うと、姉はぽろぽろと大きな涙を流して、声を小さく上げて泣いた。おばあさんにとっては、初めてこんなに泣く姉を見た。
そう話す、おばあさんの目は追憶に懐かしんでおり、それでいて悔やんでいるそんな感じがした。
淡々とした口調で、話してはいるが、その顔は対照的に感情的であった。遊んでいた楽しい日々を語る時は、いかにも楽しそうに、悲しいことを話すときは、いかにも悲しそうな泣きそうなそんな顔。そして、姉の泣いている所を初めて見た時の話は、驚いたような、悔やんでいるような顔をそれぞれしていた。百面相……そんな言葉が似合う感じがした。けれども、どれもおばあさんにとっては大事な過去であり、そして最悪な過去でもあった。
父が死に、その二ヵ月後あたりで兄が薬物に手を出し、失踪した。そして、弟とおばあさんは危うく、軍に連れて行かれるところであった。その時、近所のおばさんに助けられ、保護されたらしい。数日して、姉が魔女だという噂が耳に入ってきた。何か言おうにも、外に出たら弟の身が危ぶまれる。そう思って、外には出なかった。出れなかった。三日後の朝、静かになった教会へ、近所の保護してくれたおばさんと友に訪れてみると、そこには姉の姿はなく、教会の広場には姉がいつもつけていた首飾りが落ちていたんだとか。そのすぐ後、おばさんから、お姉さんはもう死んだんだよ、と聞かされた。
それで、終わり。
おばあさんは、そこから先の話は要約して大雑把に語っただけだった。おばあさんにとって、その思い出が重要なのだろう。
私としては、そこまで聞くと自分自身の事まで思い出していく。
兄がどこかへ行き、妹も弟もどこかへ連れ去られていき死んでしまった。私は、家族だけでなく、友人も知人も何もかもを失ったのだ。これ以上誰にも迷惑を掛けたくなかった。だから、私は死ぬ事を選んだのだ。私が死ぬ事で、失われる命を少なくするために。それだけではなく、町の人たちも私に死んでほしかったのだ。
妹が生きていたら、目の前のおばあさんくらいにはなるだろう。
でも、私は彼女の元へ赴く覚悟はなかった。
何て言われるだろうか。
なんせ、今の私は小さな子供でしかないのだ。
酷い目に遭わせてしまったのに、私はこんな風に生きているとなれば、合わせる顔がない。大変、申し訳がなくて、言い訳が利かないほどに、赦されることをしていない。
そんなこんなで、辺りは日が沈みかけ、私はやっぱり子供なのでおばあさんの家を出て帰る振りをして、夜、空に星が出るまで待った。
勿論、おばあさんにばれる訳にはいかないので、デルクの町外れまで行って空を見上げる。無数の星が、我先にと輝く中で一層輝きと存在を放つ筈の月がその日には出ていなかった。
その日の、真夜中昨日のように大助さんが、様子を見に来た、と言ってやって来たのだった。
彼は、困ったように笑って、
「いや~、君の様子を見に行こうとしたらさ、ダリットに怒られちゃったよ~」
軽薄そうに言う。
本当に困っているのかどうか、不明だが、本人曰く――様子を見に行こうとしたら、ダリットさんが「お前、なんでアイツの様子をしょっちゅう見に行っているんだ? 他の奴らじゃあ、一回だけだっただろう?」と聞いてきたらしい。それに、大助さんが、「いやいや、別にそんな彼女に俺が恋してる~、とかないから。まあ、正直に言えば、彼女からかい甲斐があるからね。それに、まあ……彼女を見守っていないと、おっかない番犬が牙を立ててくるからね」と笑った。
そんな経緯があって、ここまで来たらしい。
からかい甲斐があるとは、どう言うことだろうか。からかわれた事があただろうか、と考えてみるが、思い当たる節がなかった。知らない間にからかわれていた、と言うこともあるかもしれない。これからは、用心しようと心に決めたのだった。
番犬、というのは多分だが、ファベルさんだろう。
と、いうのは置いといて。
本題に入ると、大助さんは私に伝えたいことがあったらしい。
彼は、いつも通りの笑みを浮かべ、
「君はもう、時間がないことに気づいているかな?」
と問いかけてきた。
勿論、忘れているわけではない。
だから、私は、
「はい、分かっています」
と答えた。
時間制限があるのだ。
「そっか、よかったよかった。時間は刻一刻と迫ってきているよ。覚悟はもう、決まって……」
俯き、黙り込んでいる私を見て、大助さんは顔を顰めた。
「いるわけないよね。まあ、あと一日ある。じっくり考えればいいさ。ああ、それと忠告を一つ―――相手に情を移したら駄目だよ」
私が、あのおばあさんを殺すまでの制限時間はだいたい明日の夜まで。それ以上延長は利かない。もし、私が出来なかったら呪縛鬼を取り上げられるかもしれない。そうなったら、死ぬしかない。
「分かったかな?」という声に、「分かりました」と私は言った。
おばあさんを殺すことに躊躇いを忘れるつもりはも毛頭ない。そんな事をしたら、彼らと同じように人間性の欠片もない化物になってしまう。それだけは、あってはならない、そう思った。
けれど、この時の私はあのおばあさんが自分にとってどれだけ大事な人だったのかを、まだ知らない。