episode11
見慣れた教会の祭壇の前で毎日のように捧げ物をし、礼拝をしていた。見上げる十字架は、この教会の、この宗教の象徴ともいえるものだった。
昼になると、決まってこの教会に来るのはあの人だった。
彼は優しそうな笑みを浮かべて、
「こんにちわ、メイリス」
と挨拶をしてくる。
それに私も、
「はい、こんにちわ。元気そうで、良かったです」
挨拶を返す。
「君も元気そうで何よりだよ」
彼は笑っていた。それにつられて私も笑う。
微笑ましい一日の始まりだった。
優しい彼の、傍にいるだけで安心できる彼の傍にずっといたいと思った。けれど、彼は夕方になると帰ってしまう。ここ最近で、一番寂しいと思う時間だった。
その日の晩、夕食を作っていた時だった。
兄が突然こんなことを言ってきた。
「メイリスはあの人のことが好きなのかい?」
唐突なことに私は、
「え?」
その言葉の意味が理解できなかった。
だんだん、時間が経つにつれて理解し、同時に顔が熱くなるのを感じた。多分、今の私は赤面なのだろう。私の反応を見て、兄はやっぱり、といった顔をしている。
「そっ、んな……ことは―――」
「ないって、言い切れる?」
「………言い切れる、自信がないです」
内心焦りながら、頷く私に兄は嬉しそうに微笑んでいる。
その話を聞いていたのか、妹のイニスが、
「お姉ちゃん、好きな人いるの?」
と元気に聞いてくる。
何て言おうかと悩んでいると、兄は私の言う間も与えずに、
「そうだよ~」
と答えてしまった。
イニスもイニスで何かを納得したような顔をしていた。
夕食を食べ終わり、後片付けをしていると、兄はこんなことを言ってきた。
「彼には、告げないのかい?」
「何を……?」
正直言って、何をあの人に告げることなのか理解していた。反射的にそう言ってしまったのだった。多分、自分でもあの人が好きだってことを受け入れたくなかったのだろう。
「何って、『好きです~』って。言えば良いのに」
「言えたら、苦労しないよ……」
「それも、そうだね~」
「それに……、こんな髪じゃ無理かな、って」
「……そんなことないさ。メイリスの髪は綺麗で、俺は好きだよ」
「兄さんの意見を聞いてもな~」
「ひどいな~」
あははは、と笑う兄。
私たち兄妹は、生まれつき髪の毛の色素が無い。だから、生まれつき髪の毛が白いのだ。母も真っ白で、父は色素の薄い茶髪と言った感じだった。私と兄を思いっきり母の方が強く、妹のイニスと弟のルーヤは父の方が強かったのか色が若干ある。目は兄妹みんな淡い青のため、髪の毛以外で軽蔑されることはない。
しかし、生まれつきと言うものは人から見ると異様な者に見えるらしい。小さい頃は、遊ぶ同年代の子が居らず、ずっと兄と遊んでいた。それほどまでに、私たちは嫌われている。気持ち悪がられている。
そんな私があの人に好かれるわけがなかった。
そして、私が告白をしないのにはもう一つ理由があった。
彼には、好きな人がいるのだ。
ずっと、探している大切な人が。
彼がその人の事を話している時の表情や、夕方になると見せる寂しげな表情を見ていると敵わないなと思わざるを得ない。彼とその人との間に私が割って入る隙間など、最初からなかったのだ。
私が自分を優先して、彼を困らせるなら、私は彼が幸せになってくれればいいと思った。いつの日か、彼が探していると言う彼女を見つけて、幸せになったら、と思うだけで私はそれでもいいかなと思った。
私はただ、彼に幸せになってほしかっただけだった。
***
「………」
目を覚ますと、見えたのは暗い部屋の天井だった。
壁に掛けられたランプの明かりがゆらゆらと揺れていた。
そして、夢だったのかと少しだけ気がめいる思いだ。
身体を起こし、胸に光る十字架を見た。
逆さまの十字架。
それを見て、私はまだあの人のことが好きなんだとそう思った。
諦めたはずだった。それなのに、未練がましくこんな風に十字架を改造して、身に着けている。
あの人はきっともういないのだ。
私が死んでもう五五年が経っている。生きているはずがなかった。
そして、私はファベルさんが用意してくれた服を着た。
前までは黒い服を着ていたのだが、「お前は黒より、白い方が似合う!」と言って服を持ってきたのだった。服を選んだのは、主にフリールさんなのだが、ファベルさんの気が納まるまでやっていたんだとか。
確かに、あの黒い服よりは動きやすい。そう感じた。
廊下に出て、暫く歩くとダリットさんと会ってしまった。
彼は私を見るなり、
「お前、そんな白い服を着ているんだ?」
と大きな声を出した。
やっぱり、と思った。
彼らは、黒い服をよく着ている。でも、そんな規則はないのだが、彼らの中では黒、というのが常識らしい。
どう、弁解しようかと考えていると、上から、
「文句あるか?」
と声がした。
見上げてみると、そこには仁王立ちをしたファベルさんがいた。
ファベルさんを見るなり、ダリットさんは「げっ……」と顔を青くした。
そそくさと、ダリットさんはその場から立ち去った。
それを吊り上った目でファベルさんは見届け、それから私を見下ろして、機嫌よさそうに言った。
「ふむ、似合っておるではないか」
そりゃそうでしょう。ファベルさんの気が済むまで、試着を繰り返したのだから。彼が納得しないわけが無い。
「これから、行くのか?」
と聞かれて、
「はい、行きます」
と答えた。
その答えに不服なのか心成しか、むっとしている。そんな反応に「えっと……」と困惑した。不機嫌にさせてしまったのではないだろうか。そう、心配していると―――
「敬語……」
「えっ……?」
「敬語、直っておらぬではないか!」
と怒鳴られた。
直っていないと言われても、相手の方が目上なのだから、そこは礼儀として敬語を使うしかないだろう。他の人たち、主にダリットさん辺りに勘違いされると本当に困る。
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「そんなもの、敬語を使わなければよいだけだろう」
「そんな……無理です」
「無理なものか!!」
声を荒げ、私の頬を掴んで「いいからさっさと、直せ!」と言ってくる。頬を掴まれている所為か、「そんな……」と言ったはずの声が砕けている。
騒いでいると、空中から、
「ファベルが幼女を襲ってる~。俗に言う、ロリコンってゆうやつじゃな?」
フリールさんが戯笑を浮かべる。
それに、ファベルさんは私の頬から手を離し、怒ったような声音で反論した。
「違うわ! 戯けが!」
「襲ってるのは事実じゃが?」
「そもそも、コイツが幼女なわけがあるか!」
私を指差してファベルさんが言う。
確かに、見た目で言えば私は八歳くらいで、ファベルさんは二十代半ばくらいだろう。傍から見れば、ファベルさんが子供を襲っている、と見えなくもない。
「見た目は幼女なのだが……。まあ……」
フリールさんは、私を見てからファベルさんを見てにやりと笑った。
「ファベルは中身が子供だね~」
その言葉に、ファベルさんの髪が逆立った。
「んだとっ!!」
彼の手中から、黒い大きな剣が現れる。身体よりも大きく、赤い亀裂が脈動している。
フリールさんは笑っている。そして、彼女の周りから二本の刃が生まれた。一つは幅が大きく短い。もう一つは、他方と比べて幅は小さいが長い。それが空中を浮遊している。
これが、彼らの呪縛鬼―――火焔閻鬼王と時刀・刻刀だった。
ファベルさんの呪縛鬼は感情の増幅によってその威力が大きくなる。
また、フリールさんの呪縛鬼は時神に相応しく、相手の少し先の未来が見えるらしい。
呪縛鬼にも性格があるということだ。
それにしても、この状況をどうしようか……。
数分して、水神様が駆けつけて来て、ファベルさんとフリールさんが連れて行かれた。
多分、叱られるんだろうな……。
なんて、心配しながら私はそれを見届けて、天界を降りた。
旧ストラル地区-デルクにいる、おばあさんを見つけなければ始まらない。
私が降り立った場所は、町外れの誰もいない所だった。
誰にも見られていなくて良かった。
急いでデルクを目指して、見つけないと。
暫く歩いて、表通りに出ると人の行き交いが増えた。軒を連ねる店も増えはじめ、一層活気があった。
今回は、私一人の仕事だった。時折、様子を見に来ると言われているので困ったことがあったら、どうにかしてもらえる。だから、今回の仕事は他の仕事と比べて楽な方らしい。
とは言っても、町一つの中から、おばあさん一人を見つけるなんて、できるのだろうか。印をつけたと言っても、見ないことには分からないのが現状だ。
とぼとぼと歩いていると、初老の男性が話しかけてきた。
私の目線まで屈み、
「迷子になったのかな? ご両親はどこにいるか分かるかい?」
微笑んで言った。
勿論、迷子……に見えなくもないが、親なんていないしどうしたものか……。
「えっと……、どこにいるか分からないです」
と答えるしかなかった。
それに男性は、顔を顰めて、
「じゃあ、ご両親が見つかるまで、おじさんの家に行こうか?」
と言ってきた。
どうやら、子供一人でここに居させるわけにはいかないらしい。
言われるがまま、男性の後について行くとレンガの家が見えた。表通りから少し離れた、少し大きな家。男性曰く、おじさんがご両親を探して回るから、君は家にいるばあさんと遊んでいて、とのこと。おばあさんは、病の床に臥したらしく毎日寂しそうな顔をしているらしい。生きる気力がない、そんな感じ。
家に入り、奥に通された。
中にはベッドの上で身を起こして窓の外を見ている老婆がいた。白髪に、深く溝の入った皺に丸まった背。物悲しげなその身のこなしから、弱々しい印象を受ける。
男性が、老婆に向かって「ただいま」と言った。その声に呼応するように、こちらを向いた。私を見て、驚き、そして優しい笑みを浮かべて、
「おやおや、今日は可愛らしいお客さんが来たもんだね~。どうしたんだい?」
「この子は、親と逸れたみたいなんだ。外はなにかと危なっかしいしね。私はこれから、彼女の親御さんを探しにいくから、暫く遊んでほしいんだ。いいかな?」
「ああ、もちろん。いいよ」
快く頷いた。
男性は身支度をし、家を出て行った。
嬉しそうに、微笑む老婆を見て私は目を疑った。
彼女の胸元の魂に、大助さんが付けたと言う印しらしきものが見えた―――。