episode10
只管、目的地を目指して歩いていたのだが、どうやらどこかで道を間違えたらしく迷った。
真っ暗な廊下に一人、私は焦っていた。
そもそも、私は総代の大助さんに呼ばれて、彼の部屋へと目指していたのだ。簡単な道案内しか貰えず四苦八苦しながら歩いていったのだが、この有様だ。戻ろうにも、どこから来たのかさえこの暗闇で分からない。
自然とため息が漏れる。
「………」
誰かに道を聞こうにも、誰もいない。本当にここはどこなのだろう。
天界は建物の構造が複雑すぎるのだ。五十年ちょっとで私は、自分の部屋の場所や、フリールさんがよくいる時計塔の場所、総代議会の場所などは把握したがその他はてんで分からない。変なところに階段があったり、大広間のど真中に花畑があったりとおかしな場所だ。
それは兎も角、大助さんの部屋にどうやって行こうか。
胸元の銀色の十字架を見た。長い方が上向きの、逆さまの十字架の首飾り。
私が死んで、五五年が経っていた。
これはきっと、私が過去のことを、人間だった頃のことを忘れないための十字架。そして、名前も顔も思い出せない、あの人を忘れないための物でもある。
偲んでいると、どこからか声がした。
「おやおや、これはまた可愛らしいお客さんが来たね」
声のするほうを向くと、暗闇の上に座る少女がいた。だいたい、十二、三歳くらいだろう。
突然声を掛けられたので、戸惑っていると彼女は飛び降りてこちらまで歩いてきた。
黒い髪に黒い服を着た、黒い目の彼女が、
「そんなに、焦らなくても大丈夫だよ。ここにはキミとボクしかいないさ」
と言った。
誰もいない?
確かに誰もいなかった。でも、彼女が現れる直前まで一つも気配なんてなかった。
「……えっと、あなたは誰ですか?」
「ん? ああ、そうだね。キミはボクとは初対面だったね。ボクはみんなからは傍観者ってよばれてる」
「傍観者?」
「そう、見ているだけ、そして眼に映る全てのものを記録していく、そういう役柄さ。結構、これが退屈なんだ。だからこうやって、キミみたいに道に迷った子に話しかける。まあ、悪く言ったら趣味みたいなものさ。大抵の人はボクのことをはっきりと覚えていないんだけどね……」
彼女は笑いながら言った。
「そういえば、キミはその呪縛鬼を使いこなせているのかい?」
「え……?」
「キミの持つ呪縛鬼、神呪器・死鬼は誰にでも扱えるってわけじゃないからね。キミ以外にも選ばれた人間は数多くいたよ。でも、呪縛鬼に殺された。対応しきれなかったんだよ」
彼女は、私が知らない私の呪縛鬼について話した。
「あの、そもそも呪縛鬼ってなんであるんですか?」
成り上がりなら兎も角、新神には必要ないはずだ。でも、全ての神は呪縛鬼によって縛られている。
「ああ、それはね……」
と話し始めた。
「呪縛鬼は最初、世界が出来て間もない頃にはなかったんだよ。世界には、六人の神々が全てを統治していたんだ。最初の二百年くらいは平穏そのものだったよ。でも、ある日ある神が規律を破ったんだ。初代死神が力を求めた。
孤独を恐れた彼は、孤独に負けない力を求めたんだ。
そして、無差別に人間や動物を殺していった。殺して、殺して、殺して。それでも足りないのか、まだまだ殺していく。多分、彼は壊れてしまったんだね。完全に狂った。
そんな彼に他の神々は、彼を鎖で縛り付けた。それが最初の呪縛鬼。呪縛鬼って言っても、鬼ではないしそもそも魂を縛り付けてなんていなかったよ。それから、考えに考えて生み出されたのが、保持者を呪い現世に縛り付ける鬼。その中でも、彼の呪いやら狂気やらを封じ込め鬼にしたのが、神呪器。キミのがそうだね。
はい、これで御終い」
長いような短いような話。
たった一人の神によって、呪いが生み出された。保持者を呪う鬼。保持者を縛る鎖。呪縛鬼があることで、私たちは制限される。呪縛鬼を失えば、神格を失うのと同じだ。数日で死ぬだろう。それを恐れて、規律に従わせた。
「ねえ、キミはどこに行くつもりだったんだい?」
唐突な質問に、一瞬慌ててそれから、
「……大助さんの部屋に」
と小さく答えた。
すると、彼女は途方も無く真っ暗な場所へと指を向けて言う。
「ああ、それならこの先の廊下を真っ直ぐ行って、突き当りを左に曲がればいい。あとは直ぐ分かるさ」
「ありがとうございます」
お辞儀をした。
「いいよ、いいよ。たいした事じゃない。長話もしてしまったしね。急ぐといい、遅刻する前にね」
そこではっとして、私は彼女にも一度お辞儀をして、踵を返した。去り際に、私はふと疑問に思った。
「あの……」
「ん? なんだい?」
「あなたの、名前を教えてください」
そう聞くと、予想外だったのか彼女は目を一瞬だけ見開きそれから、
「そうだね~、ボクのことはみんな傍観者としか言わないからね~」
「傍観者は名前じゃないです」
「ん~、まあ、キミがボクと話すときに困るっていうなら、そうだね……」
自分の姿を見て、閃いたらしい。
「じゃあ、ボクのことはクロとでも呼ぶと良いよ」
服も髪の毛も真っ黒だからだろうか。
安直だが、無いよりはいい。
クロさんは微笑んで、
「じゃあ、また会えるといいね。シキ、待ってるよ」
手を振っていた。
それに返事をしようと思ったところで、辺りが一瞬にして明るい、見慣れた廊下へと変わっていた。
本当に不思議な人だった。
どこに行ってしまったんだろうか。
それより、急いで大助さんの部屋へ行かなければ……。
数分、クロさんが言っていた通りに廊下を歩いていくと、曲がってすぐの扉に張り紙がデカデカとされていた。
直ぐに分かるの意味が分かった気がする。
そして、その扉をノックすると、奥から「いいよ~」と間の抜けた声が聞こえてきた。それに呼応するように、扉を開けた。
大助さんは穏やかな表情で、
「随分、遅かったようだね。何かあったのかな?」
「……えっと、道に……迷ってました」
「あはは、それなら仕方が無いね。ここは複雑だから……。ということは、あの人に会ったのかな?」
と聞いてきた。
「あの人……?」
首を傾げる私に、彼は、
「……傍観者さ」
と言った。
それでやっと分かった。
「まあ、あの人は神出鬼没だからね。なんていうか、キミみたいなここに来て間もない子が迷子になると現れるんだ。総代議会でも、滅多に来ないからさ」
彼は少し呆れ気味に言った。
それから、
「ああ、本題に入ろうか」
と微笑みながら言った。
「ん~、まあただの仕事話さ。そう緊張しなくてもいいよ」
「仕事、ですか?」
「嫌かな?」
「いえ、別にそんな事は……」
ない、とは言えなかった。
けれど、ここで断るにはいかなかった。だから、私はやるだろう。仕事なのだから仕方が無い。そう割り切るしかないだろう。
「そっか、良かった」
大助さんは嬉しそうにしていた。
前回、私が躊躇い、そして倒れてしまったことで、今回断るんじゃないかと危惧していたのだろう。
「……今回は気楽に頼むよ。で、キミには旧ストラル地区-デルクに行ってほしい。そこにいる、おばあさんを殺してきてほしいんだ。誰でも良いってわけじゃないよ。君にも見えるだろう?」
魂に巻きついた鎖のことだ。
見える。
死神になってはっきり見えるようになっている。
「まあ、その人には印をつけておいたから見れば分かるさ。明後日出てほしい」
話はそれで終わり、私はフリールさんがいつもいる時計塔へと向かった。その途中で、大助さんが最後に言っていたことを思い出す。
―――相手は病人だ。それも老齢の……。君でも殺せるだろう。情けは要らないよ。さあ、頑張って行ってらっしゃい。
と笑いながら言っていた。
老齢なら殺せるだろう? 病人なら殺せるだろう? ほっといたって死ぬんだ。なら、君にだって殺しやすいだろう?
そう、言っているように聞こえた。
背筋がぞっとしたが、でも今更断ることなんて出来ない。だから、已む無く承諾した。
正直いって、誰かを殺すというのを考えただけで、震えが止まらないのだ。どうして、彼らはあんな事を易々と出来てしまうのだろうか。経験の差というやつだろう。
私もいつか、慣れてしまうのだろうか。
誰かを殺すことに、仕事だからって抵抗がなくなるのだろうか。
そうなった時、それはクロさんが話していた死神と変わらないのではないだろうか。
情の無い、ただ人を、生物を殺すだけの化物に成り果ててしまうのではないだろうか。
時計塔には、フリールさんもファベルさんもいなかった。只管、階段を上りその頂上付近を目指した。時計が刻む時間の裏手側はあまり他人に見られない。私はそこで膝を抱えた。
そして、独りこれから私はどうして行くべきなのかを、考え始めたのだった。