078.新人-Newcomer-
1991年6月4日(火)PM:17:22 中央区三井探偵事務所一階
手に持っていたタイヤキを食べ終わった三井 龍人。
次のタイヤキを、紙袋から取り出して食べ始めた。
咀嚼しながら、慣れた手付きでコーヒーを入れる。
口の中のタイヤキを飲み込む。
入れたばかりのコーヒーに角砂糖を一つ入れた。
スプーンで軽く混ぜてからコーヒーを一口飲む。
再び食べかけのタイヤキを口にいれた。
尻尾まで一気に食べ終える。
紙袋からタイヤキを取り出そうとした龍人。
タイミング悪く鳴り響く電話の音。
しょうがないので、彼は受話器を持ち上げ、電話に出た。
「三井探偵事務所でーしょうかー?」
聞いたことのない声。
だが、微妙に話し方が可笑しいな。
何て思いながら、電話口の相手に答える。
「はい、そうです。三井探偵事務所です」
「アラシレマ・シスポルエナゼムと言いまーす」
龍人は考える。
何とも言い難そうな名前だ。
しかし聞いたことないな。
こんな名前なら、忘れないと思う。
「はーじめまーして。実は情報提供しよーと思いまーして」
「情報提供? 何の情報でしょうか?」
「そーれは長谷部についてでーすね。一度会ってもーらえませーんかね?」
相手が何者かもわからない。
なのに、迂闊に接触するのは危険な気もする。
どうするか逡巡した龍人だった。
が、どんな情報か気になるのも事実。
結局、相手の申し出を受ける事にした。
「わかりました。お会いします」
「そーれでーは、明日六月五日の二十二時に地下鉄中島公園駅一番出入口前で待ち合わせでーもいいでーすか?」
「わかりました。明日二十二時に中島公園駅一番出入口前ですね」
受話器を肩と耳に挟んでいる龍人。
スケジュール帳の六月五日を開いた。
待ち合わせ時間と場所を記載してゆく。
受話器を置いた軽薄そうな優男、アラシレマ。
彼は再び受話器を取り、電話をかける。
何度かコールが鳴り、聞こえてきたのは女の声。
相手が何か言う前に、アラシレマは叩きつけるように言葉を紡いだ。
「明日二十二時地下鉄中島公園駅前一番出入口へ。三井 義彦も来るけど、もし君が来ない場合は彼の命の保障はしない」
相手の返答を待つことなく受話器を置く。
「これでよしっと」
再度受話器を持ち上げたアラシレマ。
しつこくまた電話をかけた。
数度のコール音の後に出たのは、今度は男の声。
「イーノム、明日の二十二時に地下鉄中島公園駅一番出入口前に覚醒者三人と待ち合わせ。予定通りにあそこに連れてくからよろしくー」
またしても、相手の返答など一切待たない。
聞こえる声を無視して電話を切る。
その表情は、少し嬉しそうだ。
更に少し楽しそうに、にやけていた。
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1991年6月4日(火)PM:17:29 中央区銀斉邸一階
電話機の前で受話器を持っている少女。
そのまま立ち尽くしている。
余りにも突然の事に、しばし茫然自失としていた。
少女は、電話口で言われた事を何度も反芻する。
指定された場所へ赴く。
それ事態は指して問題は無い。
変質者や不良程度なら、負ける気はしないからだ。
「明日二十二時地下鉄中島公園駅前一番出入口へ。三井 義彦も来るけど、もし君が来ない場合は彼の命の保障はしない」
かすかに、何処かで聞いた事のある声のような気もした。
言われた事の後半部分の衝撃。
その考えも即座に霧散していた。
私が行かない場合、義彦兄様の命の保障はしないという事だ。
義彦兄様を倒せるような相手。
そうそういるわけない。
でももし、行くのが義彦兄様一人だけじゃなかったとしたら。
彼と一緒に行くとは限らない。
私と同じように、誘われている人がいないとも限らないよね。
もし誰かを守りながらであれば、絶対に勝てるとは言い切れないよ。
守らなければならない相手が、複数ならなおさらだ。
最悪人質に取られてたりすれば、三井兄様一人ではどうにもならない可能性だって。
考えられる限りの様々な可能性を探る。
行くべきか行くべきではないか?
三井兄様に問い質すべきか問い質さないでいるべきか?
ここで彼女は一つだけ見落としている事があった。
それは状況によっては、彼女自身が人質になる可能性があるという事だ。
しかし残念ながら彼女は、そこまで意識を回す事は出来なかった。
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1991年6月4日(火)PM:17:32 中央区中央警察署四階
角刈り気味の大男が椅子に座っている。
ブラックの缶コーヒーをごくごくと飲んでいた。
そこに、二人の人物がが入ってくる。
一人はボーイッシュな灰色がかった黒髪の女性。
もう一人は、白髪の混じり始めた年配の男。
両手に資料を持っており、二人は何かを調べていたようだ。
「大二郎、さぼりに来たのか?」
年配の男、古居 篤は資料を自分のデスクで読み始める。
「いつもの事ですよ」
ボーイッシュな女性も、資料を古居とは違うデスクへ置いた。
「今日はさぼりじゃねーよ。古居さんに用事があるんだ」
「長谷部の事件か?」
「さすが良くわかっていらっしゃる」
デスクの一番下、鍵のかかっている引き出しの鍵を開けた古居。
大きい封筒を一つ取り出した。
「この中にはいっているぞ。コピーのコピーだがな」
「ありがとよ。龍人に渡しても?」
「あいつなら問題ないだろう。俺が持ってる事がばれたら免職されてもおかしくないから絶対無くすなよ」
「わかってるよ。俺だって免職されたくないしな」
「余りここに来ているとあやしまれますよ」
「宮ちゃんの言う事もわかるがよ。だからと言って急に来なくなってもあやしまれるだろうさ」
「そうだな。そこは大二郎の方が正しい。あやしまれないようにするなら、徐々に来ないようにするしかあるまい」
「――考えとくよ。じゃな」
封筒を受け取った笠柿 大二郎。
普段から持ち歩いている鞄に、封筒を押し込んでその場を後にした。
「長谷部の事件は任せるとして。宮ちゃんよ、本当に良いのか? 俺はもういい歳だしばれた所でさほど痛くはないが・・・」
「構いませんよ。もし勘付かれたら免職になるのは覚悟の上です。私は自分の正義感に従っているだけです! だから古居さん気にしないで下さい」
笹木 宮はコーヒーを二ついれる。
古居のデスクに一つ置いた。
もう一つを、自分のデスクに持っていく。
何か言おうとした古居。
結局何も言葉にする事が出来ない。
一つ溜息をついて、再び資料に目を通し始めた。
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1991年6月5日(水)AM:9:06 中央区特殊能力研究所五階
椅子に座ったままの古川 美咲。
所長室には、他に八名がいる。
八名は前列と後列に分かれており、前列は男二人の女三人の計五人。
後列の三人は、二日前に古川に挨拶をしたメンバーだ。
倉橋 元哉は生真面目な表情を崩さない。
心なしか、そわそわしている紫藤 薫。
三笠原 紫は、ほんの僅かに微笑んでいる。
前列の五人は明らかに緊張していた。
研修が終わり、新人として新しく配属されたメンバーなのだ。
一番左は、足首まである長い髪を三つ編みにしている。
主席で卒業した浅田 緑だ。
彼女の隣の金本 厚志。
栗髪で柔和な表情をしている。
赤みがかった栗髪をサイドポニーにしている砂原 佐結。
彼女が真ん中に立っていた。
無表情に古川を見ている田中 竜二。
目にかかるぐらいの髪の長さ。
七原 繭香は一番右だ。
黒髪を姫カットにしている。
それぞれの自己紹介が終わった。
扉に近い者から順番に部屋を出て行く。
最後に古川が部屋を出た。
廊下で待機している八人。
今度は古川が先頭に立つ。
こうして所長直々の、研究所案内が始まった。




