054.甘々-Sweet-
1991年6月1日(土)PM:17:42 中央区宮の森
砕けた氷の破片は既に融け始めている。
ソレの表面で滴となっていた。
地面の上で融けた破片も、既に大地に染み込んでいる。
体液だったか水だったかの判別も難しい。
突き刺さっている、四つの巨大な氷の刃も融け始めていた。
その周囲を、面白くもない表情で見ている男。
金髪の強面の男は、胸ポケットから煙草を取りだし火を付けた。
吸い込んだ煙を吐き出す。
「やれやれ、いつまでこそこそしてるつもりなんだか?」
独り言の様に呟いた近藤 勇実。
キッと森の中の一点に視線を向ける。
もう一口、煙草を吸いこんで吐き出した。
「こそこそしてないで出て来いよ? いるのはわかってるんだ」
少し大声で、森に向かってそう言い放った。
しかし、誰かが出て来る気配は一切無い。
煙草を吸い終わるまでは、何するまでもなく森を見ていた。
ジッポを取り出した近藤は、火を付ける。
まるで命を持ったかのように、近藤の右腕にからまる火。
胸の当たりに掲げた手の上で、巨大な炎の塊に膨れ上がった。
「それとも、丸焼きになるのがお好みか?」
しばらくすると、諦めたのか木の上から人が降ってきた。
体躯はかなり小さく、背丈だけなら子供にしか見えない。
黒いローブを纏っているが、フードは被らずにいる。
仮面から、【ヤミビトノカゲロウ】関係者なのは一目瞭然だった。
「随分小さいのが登場したな」
炎はそのまま、近藤は木から降ってきた仮面から視線は逸らさない。
ゆっくりと歩いてくる仮面。
その瞳には、特に敵意等の感情は感じられない。
黒いアレの残骸を挿んで、反対側で仮面は足を止めた。
無防備としか言えないように、隙だらけ。
近藤が見下し、仮面が見上げる形。
「僕は藻岩早苗、でも見つかるなんて思わなかったなぁー」
無邪気な仮面の声は、どう贔屓目に見ても子供。
それもかなり幼いような感覚を受ける。
実際の所は、仮面の為わからない。
仮面の間から、微かに橙色っぽい何かが見えた。
「おいおい、まさか本当に子供なのかよ?」
怪訝そうに仮面を見下す近藤。
しかし仮面は、彼のそんな言葉は、何処吹く風といった感じだ。
橙色の瞳からは、無邪気さしか感じない。
「うん、年齢的に言えば子供だよー。オ・ジ・サ・ン!」
「オ・ジ・サ・ン・じゃなくてオ・ニ・イ・サ・ン・だ」
「えー、僕から見れば充分オ・ジ・サ・ン・だよー。でも何で、僕がいる事わかったのー?」
「教えて欲しいか? いいぜ教えてやる。なーに簡単な事だ。一つ目は視線をずっと感じてた。二つ目は木々の上で、不自然に動く場所があった。三つ目は一瞬だけ姿が見えた。三つ目で姿を見るまでは、野生動物の可能性も考えていたがな」
「わー凄い。何も見てないようで、ちゃんと見てるんだねー」
「褒められてるんだか、貶されてるんだかよくわからんな」
「褒めてるんだよー。オ・ジ・サ・ン!」
「オ・ニ・イ・サ・ン・だっつってるだろ?」
何でこんな、緊張感の無い会話の遣り取りをしてるんだか?
と心の中で思う近藤。
いくつかの事件の裏で、暗躍している組織の一人。
しかし、本当に子供ならば、正直気が引けるな。
甘いと言われれば、その通りの事。
だが近藤は、本気でそう考えている。
「それで僕をどうするのかな? 近藤オ・ジ・サ・ンさん?」
橙色の双眸が、無邪気に見上げながら言った。
オ・ジ・サ・ンの部分を、区切って強調させるのは忘れない。
苗字を知ってるって事は、ある程度は情報は筒抜けという事になる。
「おイタをする子供には、躾をしっかりしなきゃだよな?」
「それじゃ、僕も躾けられないように、残念だけどオ・ジ・サ・ンを殺すしかないね!」
言葉の意味とは裏腹に、瞳はあいかわらず無邪気な感じだ。
善悪の判断もつかない子供、なのかもしれない。
近藤はそんな事を思いながら、相手の出方を待つような事はしなかった。
「子供相手らしいってのは気が引けるけどな」
仮面の子が前面に手を出した。
咄嗟に嫌な予感がし、横に逃げた近藤。
黒いアレに突き刺さっている氷の刃を貫通。
十本の熱線のようなものが、近藤のいた場所を通り過ぎる。
射程はそんなに長いわけではないようだ。
背後の建物の手前で、熱線は消失した。
しかし、当たれば、ただでは済まなさそうだ。
近藤の炎から、幾本も炎の刃が射出されていく。
射出された炎。
仮面の少し背後に飛んでいく。
森の入り口手前、広い範囲に突き刺さった。
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1991年6月1日(土)PM:17:47 中央区謎の建物一階
一階に駆け降りたはいいが、彼等の考えは甘かった。
三井 義彦の風で吹き飛ばされた黒いローブ。
ゆっくりと歩いて来ていた。
階段の上には緑髪の男。
「緑髪の奴は吹 颪金って俺の探し人っぽい」
三井 龍人は、苦笑いを浮かべていた。
緑髪も、黒いローブも義彦の風による攻撃を受けている。
にも関わらず、傷一つついていない。
どうするべきか脳をフル回転させる。
「前門の虎、後門の狼ならぬ前門の魔、後門の鬼だな」
珍しく軽口を叩く相模 健一。
その目は決して笑っていなかった。
義彦と龍人は、何かに迷っている表情。
軽口を叩く健一を横目で見た相模 健二。
珍しく彼も、何も言わない。
桐原 悠斗は必死に打開策を考えていた。
健一に抱えられている碧 伊都亜。
息はしているが、意識を失ったままだ。
≪ツハ オウツン≫
黒いローブが、抑揚のなくなった声で静かに囁き始めた。
一気にその場の緊張が最高潮に達する。
「詠唱を終わらせるな!」
そう叫んだ健一は、無駄だとわかっていながら、岩塊を連続射出。
詠唱を止める事には成功するも、弾かれていく。
岩塊を弾きながらも、一歩また一歩と近づいてくる黒いローブ。
悠斗は壁に手を触れ、コンクリートを腕に纏わりつかせ、ナックルを構成。
足にも床のコンクリートで構成した。
その上で、岩塊の斜線上に入らないように、回り込む様に接近。
義彦も、健一の岩塊の斜線上にはいらないように、黒いローブに向かう。
二人が黒いローブの側にたどり着いた時点で、健一は岩塊の射出をやめていた。
「そいつは、お前ら二人にまかせた」
階段の上に視線を向けた健一。
視線の先では、緑髪の男、颪金と龍人が肉弾戦を演じていた。
相手の攻撃を、ぎりぎり紙一重でかわしている龍人。
龍人が、距離を取った。
そのタイミングに合わせて、岩塊を射出した健一。
弾かれる事はわかっている。
一瞬注意をこちらに向かせる事が目的だ。
「健二、上の部屋は扉が壊れている部屋しかまだ見てない。もしかしたら、あの弾き返す力の謎が解るかもしれないから調べろ」
その声が聞こえた龍人。
颪金の繰り出す攻撃を交わしつつ、反撃の機会を伺う。
健一が二連続で射出した岩塊を左拳、右拳の順で弾いた颪金。
無理な体勢で弾いた為、懐ががら空きになった。
その瞬間に、龍人は正面に飛び込み、胸元にドロップキック。
予想外の攻撃だったのだろう、そのまま背後に倒れる。
その隙を見逃さずに、側を走り抜ける健二。
健二の足を掴もうと、伸ばした颪金の手にヒットする岩塊。
刺さることはなかったが、弾いた反動で目的を果たせなかった手。
その手の上を、今度は伊都亜を抱えた健一が飛び越えていった。
階段に着地していた龍人。
踏み潰すように颪金の胸元に足からダイブ。
立ち上がろうとした颪金を、再び階段に叩き付けた。
二階に再び戻った四人。
龍人と健二、健一、彼に抱えられた伊都亜。
健二は、健一の抱えている伊都亜を、無言で受け取る。
部屋の様子を見渡し、一部屋だけドアが倒れてるのを確認。
その部屋に伊都亜を抱えて、走っていく。
直ぐに部屋から出てきた健二は、伊都亜を抱えてはいなかった。
ドアが壊れた部屋に、伊都亜を寝かせてきたのだろう。
即座に、隣の部屋のドアを乱暴に開けて入っていく。
階段を上ってきた緑髪の颪金。
その動作には、先程階段に叩きつけられたダメージも無さそうだった。
部屋の中央辺りで、険しい顔をしている龍人と健一。
「防御力が阿呆なのか? 何か別の理由があるのか? とりあえず困ったな」
健一の独白に、頷くしかない龍人。
颪金の纏う雰囲気。
先程よりも禍々しくなっている感じを受ける。
弱気になっている自分の心に、龍人は活をいれ再び前に進む。
両方の拳を構えた龍人。
真っ直ぐに向かってくる颪金の右拳を、右にステップし回避。
彼の左の拳を、更に左斜め前に踏み込み交わす。
颪金の顎目掛けて、アッパーをするつもりだった龍人。
視界の隅に見えた颪金の右足。
咄嗟に左の拳に風を纏わせ、突き出した。
右側に飛び衝撃を弱めようとする。
しかし龍人は回し蹴りの衝撃に、吹き飛ばされた。
息が止まるほどの衝撃を受けながら、床を転がっていく。
朦朧とする意識を、頭を強く振って覚醒させた。
左手に走る痛みに耐えながら、風の刃を放つ。
颪金が下から上に振り上げた拳。
風の刃そのものの軌道を変えられ、天井を切り裂いていった。
健一は射出する岩塊の形状を、刺又の先端のように変えている。
射出される刺又状の岩塊。
弾かれ壁や床に当たると粉砕され、颪金の後方に散らばっていく。
左手の痛みを我慢している龍人。
颪金を注意深く見ている。
よく見ると、岩塊を弾くときに手首周辺に、数瞬文字が浮かび光っていた。
二つ目の部屋の扉を乱暴に開けた健二。
隣の三つ目の部屋へ入っていく。
しかし、颪金は健二の事を気にしている素振りはなさそうだった。




