051.凝視-Stare-
1991年6月1日(土)PM:17:24 中央区謎の建物一階
「別に言い直さなくても意味は通じるぞ。それでどんな実験なんだ?」
相模 健二の方を向き、苦笑で応じる三井 義彦。
「読めるところだけ読むとな、アルドラ・エルフィディキアの魔力応用理論の実験結果、一定の時間をかけて一定の法則により、魔力の中に漬けると、生物学的変化として、巨大化に並行して、最大魔力の向上が認められる。しかしながら、同様の環境化において、魔術の習得をする個体はほとんど現れる事は無い。これは・・・駄目だ、その後はわからん。内容どうのこうのもあるかもしれんが、そもそもの書いた奴の字が達筆すぎる」
「とりあえず、魔力・・魔子を使った何かの実験って事か。状況から考えると、黒い蟻はその実験の成果って事なのかもな」
「まぁ、そう考えるのが妥当だろうな」
「アルドラ・エルなんとかってのが考えた、理論の実験結果がこれって事か。もしかしたら、黒い服の奴がそいつの可能性もあるのか」
「黒い服の奴?」
「知り合いの女の子を、連れて行った奴の事だ」
「なるほど。ところで、上でちょっとどたばたしてるようだが、行くべきかね」
「穴を見張るだけなら、どっちか一人だけでも問題ないような気もするから、どっちかが行くべきじゃないか?」
「それじゃ俺が見張るよ」
「わかった。それじゃ二階に行ってくる」
「あぁ、よろしく頼む」
健二と別れた義彦は、階段を一気に駆け上がった。
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1991年6月1日(土)PM:17:25 豊平区豊平退魔局五階
その場にいるのは五人。
四人はソファーに座り、一人は少し離れて立っている。
グレーの髪の、色白の青年がしゃべりはじめた。
「カゲロウさんの指示で、襲撃は延期になったんだって?」
その顔は明らかに不満げだ。
「そうだな。戦力増強の上で、一気に叩く事にするらしい」
青年は、狐の様な耳をピクピクさせている。
「戦力の増強ってどーするんだろね?」
黄緑色の髪を下ろしている女の子の声は妖艶だ。
「詳細はお答え頂けませんでした」
狐の様な耳を、だらんとさせた女の子。
「麦藁、そう落ち込むな。聞き出せなかったのはしょうがない」
「でも塩辛、どの程度の増強なのかわからないと、いろいろと支障がでます」
「まぁ、ここで言い合っても、どうしようもないんじゃない?」
グレーの髪の、色白の青年は髪を掻き上げる。
その声には抑揚がない。
「鬼の言う通りではあるがな」
塩辛と呼ばれた青年は、目を瞬かせている。
「ところで、ここに来る前に仕入れたんだけど、宮の森の研究所のアレ暴走したらしいね」
鬼と呼ばれた青年は違う話題を切り出した。
「結界を破壊しといて、仕入れたも何もないだろうに?」
嘲笑とも微笑ともつかない笑みを浮かべた塩辛。
「研究所が動いているって事ですか?」
「麦藁のご指摘の通り。ついでにあいつ等が、現地で情報収集してるはずだよ」
「あいつ等?」
「瑠璃星の大好きなお友達さ!」
「大好き・・・早苗三姉妹?」
「そうさ、早苗三姉妹さ」
「大嫌いって知ってるでしょ? 鬼の馬鹿!!」
膨れっ面の瑠璃星は不満げだ。
「好き嫌いはともかくとして、何かしらの情報が手に入るかもしれないですね」
塩辛に視線を傾けた麦藁。
「襲撃の際は、また仮面装着する事になるんだろうな」
麦藁と、一人立っている男、薄羽黄の表情には特に変化はない。
しかし、鬼と瑠璃星は、あきらかに不満げに口を歪めていた。
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1991年6月1日(土)PM:17:25 中央区謎の建物二階
僕達は二階に駆け上がり、最初のドアを開けた。
建物の構造は一階も二階も同じようだ。
ただし二階には一階にあった穴はない。
無駄に広々としているのは、何の為なのだろうか?
「誰もいませんね」
「そうだな。ここもドアが五つか。順番に開けるしかないな」
その言葉に頷いた僕。
一つ目のドアの前に、警戒しながら近づく。
「桐原君、三・二・一でドアを開けろ」
健一さんは、右手の指を三本・二本・一本の順番に減らす動作をした。
僕は、健一さんの目をまっすぐ見た上で、素直に頷く。
アニメとかだったら、一番最後のドアを開けた時に探す対象がいる事が多い。
現実で、そんなシチュエーションに出くわす事になるとは、正直思わなかった。
やっぱり現実でも、最後のドアを開けるまで、探す対象は出てこないのかな。
そんな事を考えているって事は、意外と僕はまだ冷静なのかもしれない。
健一さんの指の動作に合わせてドアを開けた。
部屋の中には、円筒形のカプセルに紫色の液体が満たされている。
男性が一人、瞼を閉じて裸で揺蕩っていた。
液体に浮いて揺らめいてる緑色の髪。
隣の円筒形のカプセルは、液体も何もなく空。
その手前に、眼鏡っ娘の伊都亜ちゃんを抱えた黒い服が一人。
僕達に気付くと、伊都亜ちゃんを床に雑に寝かせて、再び立ち上がった。
「桐原君、あの寝かされた娘が捜し人か?」
「はい、そうです」
黒い服の男から視線を逸らさずに、僕は小声でそう伝えた。
服というよりは魔法使いのローブっぽい感じ。
頭まですっぽりかぶっているからなのか、表情はよくわからない。
何か金属的な肌質のような気もする。
ただしその瞳だけは、はっきりと確認出来た。
血走っており、まるで憎悪の対象でも見るかのようだ。
見開いて、僕達を凝視している。
その瞳から感じられるのは、狂気と憎悪と嫌悪などが綯い交ぜになった何か。
こんな、心臓に杭でも刺されたような眼差しは、今まで見た事がなかった。
その瞳に見つめられているだけで、何故か酷い悪寒が走る。
「ニ・ン・ゲ・ン?」
まるで憎悪を吐き出すかのようだ。
一音毎に区切った、囁くような声が聞こえたような気がした。
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1991年6月1日(土)PM:17:28 中央区宮の森
運が良かったのか悪かったのか・・・。
とりあえず建物を発見はしたが。
何やら建物の中が騒々しい。
白い壁と何かの植物の蔓。
騒々しいという事は、誰かいるのかもしれないけど。
あのでか蟻の事もあったしな。
余り良い予感はしない。
どうしようかね?
とりあえずは、何処かに玄関があるだろうから、探すとするか。
悪い予感に心を抱きしめられながら、俺は白い壁沿いに歩き出した。
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1991年6月1日(土)PM:17:28 中央区謎の建物二階
「カプセルの中のは緑鬼族か?」
健一さんの囁きが聞こえた。
視線の先には、紫の液体の中で、緑の髪が揺らめいている青年。
そう言えば、健一さん達は、何が目的でここに来たのか聞いてないな。
「ニ・ン・ゲ・ン・メ!!」
底冷えのするような低い声。
「オ・マ・エ・ラはワガ・ムラをうバったダケ・ジャ・ア・キタらヅにぃ!!」
声が低くなったり、上擦ったり、何ともおかしな話し方だった。
その瞳には、いろいろなものが綯い交ぜになっている。
暗く深い感情が感じられた。
狂気ともいえる声に、徐々に憎悪とは違う感覚を感じる。
「こノセカ・いにウマレたセカ・いからオ・ト・サれた挙句にぃ!!」
奴の言ってる事の意味は、脳が理解してる。
だけども言ってる意味がわからない。
背筋に悪寒が走ってる。
何だろうこの感じ。
「ア・イ・スる妻も娘もうばワ・レ・テ・とが・ビ・ト・にオ・ト・されてぇぇぇぇ!!」
音程のはずれた言葉が、徐々に修正されていく。
修正されていく度に、感じた事のな・・いや感じた事はある。
これは殺意だ、それもそこ知れぬ殺意だ。
「おマえ達・ヒ・ト・と言う種族はシュぞくぅぅぅわぁぁぁぁぁ!!」
狂気じみた瞳。
徐々に戻っていくのは、どんな感情なんだろうか?
本能?
理性?
悔恨?
嫌忌?
「あチらの世界デもこチらの世界デもかズの暴力で我ラを迫害しぃぃぃぃぃぃ!! ワたしの最後のノゾみのコれさえもウばいに来たのかぁぁァ・ァ・ァ!!」
言ってる事のほとんどはわからないけど。
体の震えが止まらない。
よくわからない汗が噴き出てる。
視線を逸らす事が出来ない。
体も凍ったように動かない。
恐怖なのか?
忌避なのか?
拒絶なのか?
≪ツハ オウツン≫
奴が右手をこちらに向けた。
何か意味不明の言葉を、かなりの大声で唱える。
その手の前に集まる石の塊。
≪エコ ヒズコ≫
言葉が続く程大きくなっていく。
≪ツル チミオ≫
「桐原君、何かやばい逃げるぞ」
健一さんが乱暴にドアを閉める。
その音で、僕の体の硬直は解けた。
ドアの前から隣のドアの方に、僕と健一さんは駆け出す。
懸命に、震えている足を叱咤しながら走る走る――。
≪セナカア スラテナ≫
奴の言葉が先だったのか?
走り出した僕達が、隣のドアの前に辿り着いたのが先だったのか?
一つ目の部屋のドアや壁から、いくつもの拳大の尖った石が飛び出してきた。
あんなの、人間の体なんて簡単に穴だらけになる。
そう思ってしまった僕はぞっとした。




