303.断裂-Laceration-
1991年7月24日(水)PM:16:07 中央区人工迷宮地下三階
「何か悔しいけどよ。でも、ありがとよ」
何処か悔しそうな表情の刀間 刃。
反面、ほっともしているようだ。
刃の言葉に、現実に引き戻された他の三人。
彼等もトルエシウンに、お礼を述べた。
「何でしょう? 素直に感謝されると、存外悪い気がしないものですね」
何とか歩けるぐらいには動ける四人。
刃が野流間 ルシアに肩を貸している。
鎗座波 傑に肩を貸してるのは丸沢 智樹。
しかし、四人とも直ぐその場に座り込んでしまった。
「奥に何やら禍々しいのがいますね。小さいのもまだまだいるようですね」
≪風裂弾≫
トルエシウンの呟きに呼応している。
どんどん現れる小指の先程の、小さな風の弾。
その数は徐々に増え、とうとう百を越える。
しかし増える先から射出されていく。
その為、本人以外にはその総数は判断出来ない。
数秒の時間が経過した後、微かに聞こえてくる音。
何かが破裂し、砕けていくような感じだ。
しばらくすると訪れた静寂。
≪竜風膜≫
座り込んでいた刃達四人。
ゆっくりと緑色の膜が覆っていく。
四角推状のフィルター。
その中にいる形になるルシア達四人。
彼女からは、トルエシウンに緑のフィルターがかかっている。
そんな風に見えていた。
「戻ってくるまで、そこで待機していて下さいな」
彼の言葉に、判断に迷う四人。
しかし、そんな事はおかまいなしだ。
トルエシウンは即座に移動を開始。
ほんの一瞬で、彼等の前からいなくなっていた。
「行っちゃった?」
渇いた笑いのルシア。
刃は何処か諦めたような表情。
「不様な姿見られたわけだしよ、まかせるしかねぇだろうな」
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1991年7月24日(水)PM:16:13 中央区人工迷宮地下三階
目的の場所の近くに辿り着いたトルエシウン。
彼の両眼に見えいている存在。
目の前に立ちはだかる巨大な生物を視界に収めている。
相手の敵意などおかまいなく、自然体で歩いていく。
「盗み聞きしてたのと見た目が少し変わってますね。なんでしょうか?」
上空に存在していた黒い球体。
既にその存在を消失させる寸前。
注意して見てなければ、存在がわからない程だ。
「あぁ、そうゆう事ですか。思ったより知性があるのかもしれませんね。この子」
彼の視線の先で、唸り声をあげている女王蟷螂。
赤黒い体には、脈動する血管のようなものが浮き出ている。
黒い紫と白い紫が、無節操に絡まりあっているような状態だ。
鮮やかな赤い目も、今は黒と白と紫で、複雑怪奇に輝いている。
「自分の体に、噂のクリスタルを突き刺して、無理やり吸い上げている感じですかね?」
禍々しい魔力を纏っている、細長く巨大な鎌。
静止していた左の鎌が動き出す。
トルエシウン目掛けて、横薙ぎに振るわれた。
それに対して、彼は右手を軽く上げただけだ。
トルエシウンの頭が刈り取られた。
濁流のように血が吹き出る。
思考する脳を失ってしまった体。
何の感慨もなく横たわった。
女王蟷螂に、考える力があるかはわからない。
だがもしあれば、そのような結果を考えていただろう。
だが、現実にはそうはならなかった。
トルエシウンが触れたわけでもない。
なのに、横薙ぎに振られた鎌は衝撃に弾かれる。
打ち返されるように、弾かれた鎌。
衝撃に体勢をぐらつかせる女王蟷螂。
まるで驚いているかのようだ。
奇怪な声を上げ始めた。
トルエシウン目掛けて再び振るわれた鎌手。
はるか頭上から、彼の頭目掛けて振り下ろす。
上から叩き潰すつもりなのだろう。
「無駄なんですけどね」
両手を頭上に掲げたトルエシウン。
女王蟷螂の両の鎌と、彼の掌が衝突。
見た目にはそぐわない、異質な音が鳴り響く。
「そんなに怯えてくれても、慈悲なんてかけませんからご安心下さいませ」
両の鎌手を持ち上げようとしている女王蟷螂。
しかし、まるでびくともしなかった。
彼女には、動かない理由がわからない。
その原因が皆目見当がついていない状態だろう。
トルエシウンと女王蟷螂の鎌手。
実際には触れ合ってはいない。
固定された巨大な手の形状の大気。
女王蟷螂の鎌を握り締めている。
彼女も何かが触れているのは理解している。
だが、それが何なのかわからないのだ。
軋むような音を立て始める鎌。
固定された大気の手。
その指が、徐々に減り込んでいるのだ。
鎌の亀裂が徐々に広がっていく。
彼女は泣き叫ぶような異音を奏で始めた。
≪大気断裂≫
耳元で囁くように唱えたトルエシウン。
それだけで、空間が裂ける。
女王蟷螂も巻き込まれた状態だ。
体のあちこちから体液を噴出している。
そして彼女は崩れ落ちた。
前肢は根元から完全に断ち切られている。
中肢も後肢もずたずたで自重を支えられない。
右目も半分が零れ落ちた。
胸部や腹部も深く切り裂かれている。
それでも、彼女は生きていた。
辛うじて生きてはいるが虫の息だ。
「腹部にクリスタルを突き刺して、無理やり力を奪い取っていたようですけど、今回は相手が悪かったと諦めて下さいね」
まるで憎悪という感情があるかのようだ。
残っている左目を動かす。
トルエシウンをぎろりと睨む女王蟷螂。
しかし、彼はそんな事もお構い無しだ。
彼女に止めを指す事もなくその場を後にした。
道を戻りながら、彼は考え事に耽る。
「戻ってきたね」
「終わったってことかよ?」
緑のフィルターの中にいるルシアと刃。
いつの間にか目の前に現れたトルエシウン。
彼をじっと見ている。
しかし彼は、見つめる二人の事など眼中にない。
気にしている素振りは一切なかった。
三人の様子に、顔を見合わせる傑と智樹。
≪竜嵐膜≫
四角推状のフィルター。
その上から、より緑の濃いフィルターがかかった。
「これから派手な事が起きると思うから、そこから動かないで下さいね」
それだけ言うと、四人の反応を無視するトルエシウン。
体を反転させると、両手を前に突き出した。
彼の突き出した掌に、魔力が収束していく。
≪空圧砲≫
彼の突き出した両手。
そこから放たれたのは、圧縮された空気の砲弾。
真っ直ぐ一直線に、突き進んでいく。
目指すは虫の息の女王蟷螂。
腹部に減り込んでいるクリスタルだ。
≪竜嵐膜≫
あわせて三重に展開されたフィルター。
トルエシウンは、その一番外側のフィルター。
その中にいる形だ。
直進していく圧縮された空気の砲弾。
虫の息の女王蝙蝠。
その頭部に減り込んだ。
更に奥へ掘り進んでいく。
彼女の体内を直線に削っていく。
胸部から腹部へ到達した。
腹部に突き刺さり、埋まっているクリスタル。
掘り進めた空気の砲弾が衝突。
腹部諸共木っ端微塵に粉砕した。
「何かが放たれたっ――」
刃の言葉は、直後の轟音に掻き消される。
彼の視界に見えている光景。
三重のフィルター越しに、何かが衝突してくるのが見えていた。
他の三人も、彼と同じものを見ている。
突如、視界に入っているトルエシウンの姿が消えた。
何が起きているのかわからない四人。
頭の中は真っ白で、動く事すら出来ない。
それどころか息をする事すらも忘れていた。
数秒が経過し、フィルター越しの映像が元に戻る。
トルエシウンと周囲の壁が現れた。
四人には、ほんの数秒が非常に長い時間に感じていた。
息をする事すら忘れていた事を思い出す四人。
荒い息を吐き出し始める。
同時に頭の中で目の前の出来事を思い出す。
今目の前で起きた事を理解しようとフル回転させた。
そして、最初に答えに辿り着いたのはルシア。
「あの巨大な蟷螂を倒したのと、存在する可能性が示唆されていたクリスタルも破壊したという事でしょうか?」
他の三人が思考に陥っている。
その中、トルエシウンに問いかけたルシア。
「はい、その通りですよ。中々頭の回転早いようですね」
「それではさっきのは、開放された魔力とかの奔流ですよね?」
ルシアの言葉に、驚愕の表情の刃。
「ちょっと待て? だとしたら、こいつ何で無傷なんだ? 有り得ないだろ? いや、でも目の前にいるから有り得るのか? いやいや、有り得なくないわけがないわけじゃないだろ!?」
かなり狼狽している刃。
言ってる事が、かなり支離滅裂だ。
「いや、刃。ちょっと意味わかんない」
ルシアの突っ込みに、口をへの字に曲げた刃。
いまだに理解に辿り着かない傑と智樹。
二人は、ただただ首を傾げていた。
「人間とは違いますからね。この程度では、竜の身に纏っている防御障壁を越えられない。ただそれだけです」
何でもないかのように微笑むトルエシウン。
四人は口をパクパクさせるだけだ。
「魚の物真似でしょうか? まぁ、そんな事はどうでもいいですけどね。傷の手当てもしなければならないでしょうから、戻りましょう」
 




