第4話 Brun
彼との決戦は金曜日、ではなく水曜日の放課後だった。条件を出したのが金曜だったので四日間の猶予は与えたということになる。
「しっかし、ボロい機材よねえ……」
軽音楽部部室の惨状を見て私は思わず呟いてしまった。
まずそもそも、部室棟自体がボロい。ボロい上にプレハブかと言わんばかりの粗末な作りで、壁も薄いので防音も糞もない。そのため窓を全部閉めたとしても音は駄々漏れ、軽音部は『騒音部』と言われて同じ部室棟利用団体からは嫌われている、らしい。
「でもまあ、自由に練習できる設備があるだけいいんじゃないか?」
裏側のヘッドが破れたボロボロのバスドラムを踏み込みながら坂本は言った。
「あんたはお気楽ねえ……」
「お、意外に良い音するぞこれ」
「はあ……」
ギターアンプも、対して良い物ではない。私の部屋の練習用ギターアンプと大差ない。ベースアンプの同じようなクラスのものだ。ボーカルなんてのはもっと酷くって、ラジカセにカラオケ用のマイクを挿しただけ。こんな酷い設備でマトモにバンドなんて出来るのだろうかと思ってしまう。
「俺はもう準備できたけど、近藤は?」
坂本はドラムセットの中央に座ってニコニコしている。緊張とか、しないのだろうか。
「……音作るから、もうちょっと待って」
「了解」
彼に与えた条件は非常にシンプルで、『私の指定する曲を私と演奏すること』、それだけだ。もちろんただ演奏すればそれでいいわけではなく、合わせてみて私の眼鏡に適わなければ彼とはバンドを組まない。具体的な判断基準としては色々あるが、まあとにかく叩ききる事が出来れば取り敢えず合格だ。
叩ききれれば合格、これだけ聞くと甘い条件だと思うかもしれない。でも私はそんなことはないと考える。だって、今回の曲は甘くはないのだ。
「オッケー、準備できた。始めましょ」
ギターの音色を作り終え、私は坂本に向かって言った。彼はそれに頷いて答える。
「ハイハット4カウントでスタート。よろしく」
「おっす! 行くぜ!」
威勢のよい声を出して坂本はハイハットをオープンで4つ鳴らす。頭にクラッシュを叩いて、すかさずミュート。そこからは私のギターリフ、この曲で何度も繰り返される特殊なフレーズだ。CMなどでも使われたことは沢山あるので、このフレーズはハードロックに興味が無い人でも絶対に何処かで聞いたことのあるものではないだろうか。
そう、今回の課題曲はディープ・パープルの『バーン』だ。ディープパープルはイギリスで結成されたハードロックバンドで、ギタリストのリッチー・ブラックモアはクラシカルな音調や正確無比な速弾きで人々を魅了した素晴らしいギタリストだ。その人格はさておき、私の尊敬するギタリストの一人である。
イントロ、私はメインリフをそのまま繰り返してドラムはそのまま4ビートで進んでいく。基本リズムに関しては、まあそこそこ叩けるようだ。曲のスタートから崩壊、なんてことにならなくって一安心といったところか。
さあでもしかし、問題はここから。もちろん私ではなく彼の、坂本誠二のである。私は横目で彼の様子を確認する。
この曲のAメロは、ドラムにとって鬼門である。スネアやタムを絡めた連打、アクセントの移動、シンコペーション、Aメロはこのような技術が絡み合った長いフィルインのようなもので、単なる基本リズムでは済まない。端的に言うと忙しくて、その上難しい。初心者ではとても対応できないこの曲一番の難所だと言ってもいいだろう。
恐らく坂本は、この曲を叩ききれないだろう。私はそう思っている。話だとこいつのドラム歴は1年半くらいらしい。それくらいではとても叩ける曲ではない。それほどディープパープルは甘くない。ハードロックもメタルも甘くないのだ。
そして、問題のAメロが、始まる。最初のスネア・タムの連打を辛くも乗り越えてシンバルのシンコペーション、また連打、タム回しとギリギリの所で進んでいく。見ているこっちがヒヤヒヤするほどの不安定さ。何とかこっちが合わせてやらないと成立しないほどヨレヨレだった。
ふと顔を見ると、あいつは笑っていた。この野郎、この状況糞みたいなで笑うなんてどういう神経してやがる。一回目は何とかギリギリ乗り越えたが、この曲には同じ展開があと何回もあるのだ。どうせどこかでこいつは止まってしまうに違いない。そしたら思いっきりがっかりした顔で、
『ファック、出なおして来な!』
と言ってやる。そう言えばこいつもきっと諦めるだろう。
一息つくまもなく、4小節のメインリフが終わるとまた先ほどのAメロと同じ展開がやってくる。ここで終わってしまうのか、それともサビまでたどり着けるのか。
また彼の連打が始まる。
――乗り越えやがった! ファック!
心のなかで私はそう叫んだ。叫んでしまった。
しかも坂本は前回の危うさが嘘だと思うくらい、ブレを修正してきた。合わせてやる必要はほとんど感じない、安定した演奏を彼はやってのけたのだ。
もう一度顔を見る。やはり彼は笑っていた。心底楽しそうな顔で演奏をしていた。
何だろうか、その顔を見ていると何故だか私まで頬が緩むのが分かった。
別に坂本の演奏は、そこまで上手というわけではない。言うなれば、普通。普通の演奏だ。タム回しで若干モタるとか、右のクラッシュをしっかり鳴らせていないとか、ツッコミどころは沢山ある。でも何故だか、私は楽しかった。いつもギターを弾いているときももちろん楽しいのだけど、何かが違った。
ああ、そっか。何故こんな気分になるのか、理解した。
私は初めてだったのだ、誰かと一緒に演奏するのが。そんなことに私は、今になってやっと気がついた。
こいつは全然上手じゃなくって、メタルなんて全然知らなくって、ツーバスなんて踏めやしない。だけど楽しい。確かに楽しいのだ。一人でギターを弾いている時の『楽しい』とは、別の楽しさがここにはある。
坂本をもう一度見る。目が合う。全然全くこいつと仲良くなんかなかったのに、一緒に演奏をしているというだけで奇妙な連帯感が生まれてしまう。
坂本がニヤッと笑う。ムカツクけど、何だか良い感じだ。
悔しいけれど、私はこの楽しさをもっともっと続けたかった。
悔しいけれど、私はこいつとバンドがやりたいと思ってしまった。
曲は一旦ブレイクして、そしてお馴染みのサビへと雪崩れ込む。
偶然、シンバルをミュートする坂本の右手が目に映る。人差し指の付け根には、テーピングがされていた。先週までは無かった、白いテーピング。それが意味することを私はすぐに理解した。
不覚にも、彼のその努力の跡に嬉しいと思う私がそこには居た。
次の展開、サビは曲で一番テンションが高い部分だ。でも私の本番はここではない。もう一度ここまでの展開を繰り返して、その次のCメロが終わった後にやってくるギターソロ。そこが私の難所であり、腕の見せ所だ。
そしてCメロにたどり着く。ああ糞、こいつあんまりシンコペーション得意じゃないのか。微妙だなあ、もうちょっとタイトに合わせてきて欲しい。それとも難所を切り抜けて気が抜けているのか、詰めが甘いやつだファック。
そんなことを考えているうちにギターソロに突入する。仕方がない、ここらで私の実力を見せつけてやる。手にマメを作るほど練習してきた坂本のためにも、素晴らしいソロを見せてやろう。
――よく見ておけよ、これが私の実力だ。
そして演奏が終わる。たかが一曲合わせただけなのに、妙な充実感があった。
「近藤、お前スゲエな! めちゃくちゃギター上手いんだな!!」
彼の第一声がこれだった。若干興奮気味で彼は言う。
「そ、そんなの当たり前じゃん」
そんなことは言われなくたって自分が一番知っているのだ。だから褒められても全然嬉しくなんか無い。
「……それで。どうだった、近藤?」
ちょっとだけ不安そうな顔で彼は私に尋ねてきた。結局彼は最後まで止まらず、私に付いてきた。
「タム回しがモタってる」
彼の演奏にダメ出しをしながら、私は片付けを始める。
「うぐっ」
何も言い返せず、彼は呻くだけだった。
「シンコペーションもリズム乱れてるところが多い」
「あ、うぅ……」
更に情けない声、もうちょっとシャンとしろよ格好悪いなあ。
「あと最後に行くほどテンポ上がってった、走りすぎ」
「やっぱりダメ、か……」
落胆する彼には応えずギターをケースに仕舞って、シールドをしっかり八の字巻して、片付けは終了。私はケースを担いで最後にこう言った。
「…………だから、次までにもっと練習して来てよ、誠二」
「え? 次って……」
誠二の戸惑う声を無視して、私は後手で部室の薄い引き戸を閉めた。今の顔は、見せたくなかった。
「お、おい近藤! 待てってば! 俺とバンドやってくれんのか!?」
慌てて誠二は部室から出てきて、大きな声で問いかけてきた。あいつの焦った顔は見てみたいけど、やっぱり自分の顔は見せたくないから手だけ後ろに向かって振る。
「他のメンバーは誠二、あんたが集めるのよ? 上手くて、出来ればメタルが好きな奴」
「お、おう!! 分かった!!」
きっと今誠二は、ムカツクくらい明るい笑顔を浮かべているのだろう。何となく、見なくても分かった。
「よろしくな、奈緒!!」
その言葉に私は返事をせずに、部室棟を後にした。
「……ったく、勝手に下の名前で呼ぶなっての」
そう言ってから、実は先に私が下の名前で呼び始めたのだと気が付いて、顔が燃えるように真っ赤になったのは誠二には内緒だ。