第39話 I Saw Her Standing There
誠二との一悶着はあったものの、時間は流れていき今日のイベントがスタートした。最初のバンドは地元の社会人バンドだった。オールドロックのコピーバンド、とのことだったが、残念ながら私の趣味とは全く違ったのでコピー元についてはよく分からなかった。
印象に残ったのはギタリストのおっさんが、何とギブソンのカスタムショップを使っていたことだ。社会人の財力を見せつけられて何だか悔しかったが、肝心のギターの腕や音作りはそこまででもなかったため、特に落ち込みはしなかった。あとはベースの人がバイオリンベースを使っているのが印象的だった。
最初の二曲だけ聴いて、準備のために私は楽屋に引っ込んだ。いよいよ次は私達 Junk Rockの出番だ。
楽屋にはトモ先輩とマサル先輩がいたが、誠二の姿はなかった。まだ前のバンドの演奏をみているのだろうか。
トモ先輩は鏡の前で髪の毛を弄くり回しながら、厳しい表情をしながらウンウンとうねっていた。
「どうしたんです? そんな難しい顔して」
「ああ、奈緒ちゃん丁度良かった。ちょっと女の子の意見も聞かせてよ。前髪なんだけどさあ、今のこれと……よいしょっ……これ、どっちが格好良いと思う?」
どうやら前髪のセッティングで悩んでいたらしい。二通り見せられたが、正直な所よくわからないし、どちらも変わらないとしか思えないし、そして私にとっては果てしなくどうでもよかった。
「さっきからマサルにも相談してるんだけど、全然参考にならなくってさあー。まあ、あいつはお洒落のセンスなんて皆無だから聞いても仕方ないのかもしれないけど」
「どうもすいませんねー、トモくんみたいな繊細なセンスがなくって」
マサル先輩はギターを軽く鳴らしながら、呆れた顔でそう言った。
「んで、奈緒ちゃんはどう思った? どっちがクールで女の子のハートを鷲掴みにすると思う? どっちの前髪に抱かれたいと思う?」
前髪に抱かれるって何だその表現。どちらの前髪だろうと、髪に抱かれたいと思う女なんてこの世界中にいるのだろうか。
「あー……、最初の前髪の方が良かったと思いますよ」
面倒くさいので、私は適当に答えることにした。
「なるほど……ズバリ、その心は!?」
「最初の前髪のほうが、なんかトゥルージロっぽくて良かったです」
「そうかそうか! そのトールキンとかいうのはよく分かんないけど、やっぱり女の子のセンスは役に立つね、ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
トモ先輩がトゥルージロのことを知ったら後で怒るかも知れないが、まあそれすらどうでも良いことだ。
「さって、それじゃあ次は全体のボリューム調整っと……」
そんなことを呟きながら、トモ先輩はワックスを手にとってまたしても自分の頭を弄くり回し始めた。どんなに細かく髪型を整えたところで、ステージが終わる頃には崩れきってしまうというのに。無駄な努力にしか見えない。
男というのは皆こういうこだわりを見せるものなのだろうか。そう思ってもう一人の先輩、マサル先輩の髪型も眺めてみる。
「ん? 近藤さん、どうかした?」
「マサル先輩は髪の毛、トモ先輩ほどこだわってないみたいですね」
「俺だって最低限はやってるけどね。トモはちょっとやり過ぎかと思うよ」
確かに、マサル先輩も中々にセッティングが決まっていると思う。無造作ヘアーというか、そんなのだろうか。少し長めの黒い髪の毛、それぞれの毛先を適度に遊ばせている。メンズ誌に乗っているモデルの髪型そのままのような、教科書通りのセッティングで女の子受けも良さそうだ。これを最低限というあたり、レベルが高いなあと感じてしまう。
「……流石ですね」
「何が流石なのか、ちょっと良くわかんないんだけど、褒められてるってことでいいのかな?」
「ええ、まあ」
「そう、ありがとう」
さらっと爽やかに、柔らかい笑顔でマサル先輩は言った。
マサル先輩とトモ先輩、タイプは異なるがそれぞれそれなりに容姿は整っている方だと思う。この二人を目当てにした女の子の客はそれなりにいる。やはりモテる人は生まれもった顔面が良いというだけでなく、髪の毛のセットだったり洋服だったりに気を使うなど、それなりの努力をしているのだなあと、しみじみそんなことを考えた。
「おっつかれー、なあ奈緒聞いてくれよ。いやーあのバンドのボーカルの人のMC面白いわー。無人の事務所でエロ本読んでるのを同僚の女子社員に見つかった、っていう話からの次の曲への繋ぎがもう最高で! ぶふっ、思い出しただけで笑えてきたわ」
私がモテる男の努力に思いを馳せていると、誠二が陽気に楽屋に入ってきた。短めの髪の毛に整髪料などを使っている様子などは全くなく、着ている洋服も安そうなジーンズに、何の面白みもないシンプルなTシャツ。よく見るとこのTシャツも前回のライブの時と同じものではないだろうか。
「『彼女はただ無言で俺を見つめていた、俺は彼女がそこに立っているのを見た。……聞いて下さい次の曲、I saw her standing there』だって、ぶははは!」
爽やかな笑顔なんかではなく、下ネタに豪快に大爆笑する姿を見て、私は一つの結論に至った。
「ねえ、誠二」
「お、どうした? 今の面白いだろ? 俺達もなんかガツンとインパクトのある馬鹿受けのMCなんかやってみたよなあ」
「あんたはモテないわ。仕方がない。諦めなさい。そういう星の下に生まれてきたのよ、うん」
「へ? な、何いきなりそんなこと?」
「ドンマイ、来世に期待しなさい」
「え、ちょ、何それ、何でそんな哀れみの目を向けるんだよ、おい奈緒、ねえってば」
「今日のステージも頑張りましょうね、あんたが残念な人間であることはどんなに頑張っても覆らないけど、それでも楽器がある程度できればそれだけで勘違いしてくれる女子はいるかもしれないわ」
誠二はその後もぎゃあぎゃあと抗議を続けていたが、私は適当にあしらって自分の準備を進めることにした。どんなに私に文句を言ったところで、誠二が女子にモテるようなるわけではないのだ。
前のバンドの出番が終わって、そうして私達の出番がやってくる。一旦セッティングのためにステージに上って、セッティングが終わったらステージからはけて、SEと共に入場してライブスタート、この流れはこれまでのライブと変わらない。今日で三回目のライブとなるので、この流れに戸惑うこともない。
スクリーンの降りたステージの上で、セッティングをしながら、これまでのライブのことを何となく振り返ってみる。
最初のライブは開始直前まで緊張でガチガチだった。これは正直思い出したくない格好悪い思い出なのだけど、それでも初めて立ったステージの感触は掛け値なしに最高だった。
二回目のライブは、Lily Gardenという明確な対戦相手がいた。絶対に負けたくない相手との戦い、これは初ライブの時とはまた違う高揚感や焼けつくようなヒリヒリした感じがあった。
そして今回、三回目のライブ。初ライブの時の緊張感も、その次の時の湧き上がる闘志もない。さて、それじゃあ今回がつまらないライブなのかというと、果たしてそんなことは一切なかった。
バンドの一体感は練習を重ねるごとに増してきていて、今回がバンドとしては一番いい状態だと思う。そんな今の私達の演奏を多くの人に見てもらいたいという、純粋な気持ちが私の中では大きかった。まあ、とあるドラマーは女の子にモテたいという邪な気持ちが大きいようだが、それは仕方ないこととして置いておこう。
自分の精神状態も、今までよりかなり安定していると思う。緊張が全くないという訳ではないが、それよりも純粋な期待がそれを引き起こしている気がする。うん、今日は何だか行けそうだ。胸はドキドキしているけれど運指はバッチリ、ピッキングする右手だって震えたりしていない。
一旦深呼吸をして、メンバーの様子を確認してみる。マサル先輩は私の右側でエフェクターを踏み変えて切り替えが正常に行われているかの確認を行っていた。準備に余念がないな、この人は。
トモ先輩は早々にセッティングを終わらせてステージと直通している楽屋に引っ込んでいた。多分こちらも髪型の最終調整をしているのだろう。この人も、ある意味で準備に余念がない。
さて誠二はというと、前のバンドのドラマーがワンタムセッティングだったためか、少々準備に手間取っているようだったが、取り敢えず大きな問題はなさそうだ。軽快なエイトビートが聞こえてきた。私もアンプをスタンバイ状態に切り替えて、一旦楽屋に戻る。
楽屋の中では、つい先程出番が終わった社会人のバンドの人達が早くも一杯引っ掛け始めていた。ビールの臭いがする。一仕事終えた後の彼らの表情は一様に明るく、楽屋の雰囲気はワイワイと賑わっていた。こういう時、誠二のようなコミュニケーション能力のない私は、少し気まずさを感じるというか、どうしたらいいか分からなくなってしまう。
どうしたものかと周りを見渡すと、楽屋の明るい空気とは対照的に沈んだオーラを身にまとった男と目があった。
「……ああ、お疲れ様。次、出番だよね?」
SMKの風岡さんだ。笑顔を浮かべて話しかけてくれているのだが、その笑みの向こう側には何か暗いものを感じてしまう。
「はい、そうですね」
「楽しみにしてるよ」
「あ、ありがとございます」
「ピロウズいいよねえ、俺の青春だよ……まあ、青春時代には思い出したくないことも沢山あるんだけどね。うん、ていうか思い出したくないことだらけだ」
風岡さんは遠い目をして言った。良くわからないが、あまり触れないほうがいいだろう。
「特に『彼女は今日』なんて、昔の俺とかぶって仕方がないっていうかさあ」
「は、はあ……」
「ははは、思い出したらなんか落ち込んできたよ。うん、頑張ってね」
「どうも……」
風岡さんは話しかけてきた時よりも、更に淀んだ雰囲気を纏って去っていった。一体何がしたかったんだろうか、あの人は。
「自分で自分の傷口を広げに行くとか、なんなの?」
「マゾなんじゃない?」
私のつぶやきに、頭の調整が終わったトモ先輩が反応して答えた。
「……そういう問題なんですか?」
「ちなみに俺も、実はどっちかっていうとマゾかな」
「聞いてないです、興味もないです」
「あと、マサル君は見た目マゾっぽいけど、実は中身は調教大好き鬼畜変態サディストだから気をつけてね。あいつの見てる動画は割りとえげつないのばっかだから。善良そうな見た目に反して、歪んでるんだなあこれが」
「それも聞いてないですから」
そしてその情報は何だか聞きたくなかった。
「坂本はドがつくほどのMかと俺は睨んでるんだけど、奈緒ちゃんはどう思う?」
「知りませんよ、そんなこと」
「絶対そうだって、坂本の奴は。あれは重度のM、普段の様子をみてればハッキリ分かるよ」
「はあ、どうしてそう思うんですか?」
誠二の性癖になんて特に興味はないけれど、一応聞き返しておく。
「そりゃ決まってるじゃん。坂本の奴、いっつも嬉々として奈緒ちゃんと」
「ん、俺がどうかしました?」
トモ先輩とそんな毒にも薬にもならない会話をしていると準備を終えた誠二が楽屋へ戻ってきた。
「いんや、別に何でもないよー。奈緒ちゃん、続きはまた今度ねー」
「あ、はい」
トモ先輩が途中まで言いかけた内容には私の名前も出ていたので少し気にはなるが、まあ結局はどうでも良い話だ。
「何の話してたんだ、奈緒?」
「別に、大したことじゃないわ」
「ふーん、そうなのか」
深追いしてこなくて助かった。性癖がどうこうとか、流石に私の口からは話したくない。
「よーっし、準備完了っと。お待たせしました」
一番最後にマサル先輩が楽屋に戻ってきた。その顔を見て、先ほどのトモ先輩の言葉がふとよみがえる。
「今日もがんばろうな、皆!」
「おう、やったろうぜ!」
「はい、頑張ります!」
「……そうですね」
「ん、近藤さんなんかテンション低くない?」
「……別に、そんなことはないです」
「あ、あれ、何で目をそらすの? そしてなんか距離遠くない?」
「……気のせいじゃないですか」
「うん気のせいじゃないよね!? 今明らかに俺から一歩遠ざかったよね!?」
「ホント、すみません、ちょっと勘弁して下さい」
「うぇっ!? 何、俺なんかした!?」
「ぷぷぷ。ドンマイ、マサル」
「何だよトモ、お前まさか近藤さんに余計なこと吹き込んだのか?」
「ぶははは、いや、俺は本当のことしか言ってないよ、うん」
まあ、何はともあれ、いよいよ本番だ。




