第37話 Desire
日曜日、ライブ本番当日がやって来た。平日ライブの日は夕方からリハーサルが始まるが、今日は休日で出演バンド数も平日より多いため入り時間も早く午後二時入りだった。
なので、昼ごはんをしっかり食べてから家を出る。
「あれ? 奈緒、出かけるのかー?」
「……うん、ちょっとね。遅くなるから晩御飯は要らないって母さんに言っといてー」
「あいよー」
競馬新聞を読みながらダルそうに店番をしている父親に声をかけられたが、適当に誤魔化して逃げることにした。ライブだなんだと説明するとまた面倒なことになりそうだったからだ。
空を見上げる、天気は悪くない。暑くなりそうだ、ちょっとだけげんなりする。
自転車を引っ張り出して、前カゴにカバンを積見込んで出発。ギターは背中に背負っている。バンドを始めてからこの移動スタイルにももう慣れた。
駅までの道、自宅を離れて角を二回曲がれば目の前に現れるのは田んぼ。
田園風景、風に揺れる稲穂。田舎だ、紛うことなき田舎。初夏の生ぬるく、湿気を含んだ風が頬を撫でる。駅までの十五分ほどの道程、三分の一はこの田んぼの畦道を走って行く事となる。見慣れた、代わり映えのしない、面白みのない景色だ。だからといって、特に不満はない。
この街は決して都会ではないが、電車でひと駅で市街地までたどり着ける立地にある。スーパーだって近くに数軒あるし、買い物にも不便はない。ど田舎ではなく、でも都会ではなく、私の生まれたこの水ノ登市は中途半端な街だと思う。
生まれてきてから十五年、ずっと過ごしてきたこの街。でも多分、そのうち私はこの街を出て行くことになる。プロのギタリストになるなら、やはり都会に行かなければならない。田舎町では、都会よりも圧倒的にチャンスが少ないからだ。高校まではこの街で過ごして、卒業したら都会に行ってプロを目指して活動するという予定を私は立てている。だから目の前のこの景色が当たり前なのは、あと三年ほど。三年という時間を短いと考えるか長いと考えるか、それは人それぞれだと思うし、またどんな風に時間を使うかでも変わってくると思う。
この先の私の三年は、どんな時間になるんだろうか。入学前に期待した高校生活と、現在を比較してみる。やりたかったバンドは出来ている。しかし、メタルは出来ていない。そう考えると百点満点中の五十点といったところか。
そんなことを考えている内に私の家からの最寄り駅である赤塚駅に到着した。駐輪場に自転車を止めて、比較的新しい駅舎へ向かう。改札を越えて、ホームへ降りると電車を待つ見知った後ろ姿を見つけた。別に待ち合わせをしていた訳ではない。たまたま最寄り駅が同じで、偶然同じ電車を使おうとしていただけだ。
「よっ」
「おお、おはよ……にはちょっと遅い時間か」
誠二はそう言って苦笑いした。
「いいのよ、業界的には何時でもその日初めての挨拶は『おはようございます』なんだから」
「そっか、では改めて……おはよう、奈緒」
「ん、おはよう」
大したことはないただの挨拶。でも何となく、気持ちが楽しくなる。
さっき考えていた現時点での高校生活の点数、もう五点くらいはプラスしてもいいかもしれないと、何となくそう思った。
水ノ登駅で下車して、ライトニングまで市街地を十五分ほど歩く。歩くには少し長く感じるけれど、わざわざバスを使うほどの距離でもない微妙な距離だ。立地的には本当に微妙なライブハウスだと思うが、市内の残りのライブハウスも大体そんな感じなので仕方がない。車があれば特に不便にも思わないのだろうが、私達のバンドは高校一年と二年のバンドなので免許の取得は不可。恨めしい、原付きの免許でも取ればいいのだろうか。まあ、まだ私は十六歳の誕生日を迎えていないので、どっちにしろ無理なのだけれど。
「ねえ誠二、あんたの誕生日っていつ?」
「ん? 十月だけど、何かくれんのか?」
「そういう話じゃなくって。原付免許について考えてて」
「へー、原付かあ……。まあ、免許とっても買う金がねえかも」
「ああ、確かに……」
私の家には配達用の原付があるけれど、確かに仕事で使う以外にあの原付は使いたくない。新しく原付を買うにも金がかかるし、それなら機材でも買う。うん、この案は却下だな。
「ところで、奈緒はいつなんだ、誕生日?」
「九月七日! ちなみに今私が欲しいのはブラックスターの真空管内蔵エフェクターだから!」
「……言っとくけど、聞いただけだからな。聞いただけ」
「その他にはケトナーのヘッドアンプとかも気になってるのよね。何より見た目が格好良い」
「おい奈緒、聞いてるか? 買ってやるなんて一言も言ってないからな?」
「ああ、誕生日が楽しみね! 私も誠二の誕生日にはスティックを一セット買ってあげるわ」
「それ絶対バランスおかしいだろ……」
こんな馬鹿な話をしながら、私達はライトニングまでの道をテクテク歩いた。
「そういえば奈緒、今回の集客はど」
「聞くな」
誠二の言葉を最後まで言わせずに遮る。
「うなった……って、ああ、そういうことか」
「うるさいなあ、そういうあんたは何人呼べたのよ?」
「三人」
「五分の三、か……。何よあんただってノルマ達成出来てないじゃないの」
今回のノルマもバンド全体でチケット二十枚。よってメンバー四人の私達のバンドは、一人五枚のチケットを裁けばいいという単純計算だ。
「でもゼロとは天地ほどの差がある。ゼロは何倍したってゼロだって知ってるか?」
悔しいが反論できない。
「でもまあ、このノルマって制度って結構キツイよなあ……。何回もライブやってると、流石に誘える人も少なくなってくるし」
「そうねえ……トモ先輩とかは二回ともしっかりノルマ達成してるし、正直信じらんないわね」
「だよなあ……いっつも女の子が何人も来てて羨ましい」
「……そういう話をしてる訳じゃないんだけど」
この前から思っていることだが、全く誠二もトモ先輩も、男と言う生き物は度し難い。そこまで女にモテることが大事なのだろうか。
「何だよその白い目は?」
「何でもないですよー」
「いやいや奈緒さん。女の子が見てるっていうのは男にとっては重要なモチベーションなんですよ、これは本当に」
「ふ~ん……」
全く、私には理解できないことだった。女にチヤホヤされることなんかよりも、音楽のことをしっかり分かっている観客に正当に評価されたいと私は思う。誠二もその辺をもう少し考えて真面目に音楽活動をしてもらいたいものだ。なので、少し意地悪をしてやろう。
「そんなに女の子にモテたいか」
「モテたいっす」
「なるほどなるほど、まあステージを完璧にこなしたら、多少はモテるかもしれないわね。モテたいなんてほざくからには、当然ノーミスくらいの覚悟はできてるんでしょうね?」
「もちろんだぜ!」
「んでは、今日のステージはこの前の練習と同じくワンミスごとに百円徴収ってことで」
「へ?」
「ノーミスでやる覚悟はできてるんでしょ?」
「ず、ずるいぞ奈緒! 誘導尋問だ!」
「はてさて、なんのことやら。そして尋問じゃないし」
もうあと二、三分で目的地に到着というところで、ミニバンが私達の直ぐ側に停車して、中から一人の男が出てきた。その男は背が高く黒髪に黒縁眼鏡、年齢は二十代だろうが何となく暗い雰囲気を身にまとっていた。
「あのーすみません。ちょっと道を聞きたいんですけどいいですか?」
男は申し訳無さそうにこちらに話しかけてきた。なんか怪しいな、おい誠二無視して行こう――
「はい、どちらに行きたいんですか?」
と言う前に、誠二はすたすたと近寄っていってその男と会話を始めてしまった。何というか、誠二は警戒心のない男だと思う。ここが日本だったからいいものの、治安の悪い国だったら車からマシンガンを持った奴が出てきて即拉致されてしまう。まあ、ここは日本だからそうそうそんなことなどないのだけれど。
「え? あっはー、それは偶然ですねえ! いやいや、こんなことってあるんですね~!」
「ははは、そうですね、ビックリです」
少し離れたところから眺めていると、誠二とその男は盛り上がっている様子だった。会話内容はあまり聞こえないので、一体道案内のどこにそこまで盛り上がる要素があるのか私には全く分からなかった。
「いやー、助かりましたよ。それではまた後で」
「はい、お疲れ様ですー」
誠二は頭を下げて、曲がり角の向こうへ走って行く車を見送った。
「ねえ、何をあんなに盛り上がってたのよ?」
「んー、多分もうちょっとしたら分かると思うぞ。さ、行こうぜ」
誠二はそう言って、さっさと歩き出してしまった。
全く、これまた私には意味が分からない。
おはようございます、というお決まりの挨拶を交わしながらライトニングに入った。
中を見回す。どうやらまだ先輩二人は来ていないようだった。
荷物を下ろしてからフロアの壁に貼られた今日の出演順をチェック、今日の出番は五バンド中二バンド目のようだ。私達の前の出番のバンドは恐らく地元のバンドだろう、ライトニングのスケジュールのチラシに載ってるのを見たことがある気がする。後ろのバンドは、バンド名の後に括弧付きで地名が記載されているのでツアーバンドだろう。隣の隣の県の地名だ。果たしてどんなバンドなのか、期待だな。
リハーサルは大体一時間後か、他のバンドのリハーサルでも見ながら時間を潰そう。他のバンドのリハを見るのはその日の対バンの偵察の意味もあるが、何より勉強になると私は思う。
リハーサルのやり方なんて何が正解なのか、正直言ってバンド初心者の私には分からない。現在は何となくリハーサルをこなしているに過ぎない。だから他のバンドのリハーサル風景を見られる機会というのは、非常に重要なものなのだ。
中音の調整だけでなくメンバーの一人がフロアに降りて外音にも注文をつけるバンドもいるし、特定の曲や部分にだけ特殊効果を要望するバンドもいる。この曲はボーカルにリバーブを深めにかけて欲しいという要望や、展開の変わり目のスネアドラム一発の音だけにエフェクトをかけて欲しいというものだとか、とにかくバンドによっては色々な細かい要望をPAに出している。PAにだけでなく、リハーサル段階で照明にもこういった要望を出すバンドもいる。
しかし、そういった細かい要望を出すのが正解かと思うと、そうでもない。リハーサルの時間はバンドごとに限られているのだから、細かい部分に終始するとすぐに時間はなくなってしまう。中音や外音に関して散々試行錯誤してみても、結局最初のチューニングが一番良くて元に戻す、何て言うやりとりを目にすることもある。
きっと大事なのは要領良くセッティングを済ませることや、要望を分かりやすく伝えてPAや照明とのコミュニケーションを円滑に行うこと、そして丁度いい落とし所を見つけることなんだと思う。まあ、スタッフとのやりとりに関しては同じライブハウスで何度もやることで意思疎通がスムーズに行くこともあるので、結局は経験なのかもしれないが。
スタッフとの意思疎通の側面で考えるとツアーバンドというのは、中々難儀なところがあるのかもしれない。ホームグラウンドとは異なるライブハウスで演奏することになるのだから、スタッフとも面識は薄い。その為、細かい要望を行うには時間が足りなかったりしてしまう。まあ、それなりの実力や人気、経済力を持つバンドならPAや照明などのスタッフも持ち込みするらしいが、私達のようなアマチュアもアマチュアなバンドと対バンするバンドでは中々そういったバンドもいない。持ち込みPAの実力というのもいつか、見てみたいものだ。いや、私がそんなバンドのギタリストになる方が手っ取り早いかもしれないな。
そんなことを考えながらスピーカーのチューニングをするPAさんの様子を眺めていると、
「おはようございまーす」
お決まり挨拶と共に、見覚えのある人物が機材を抱えてフロアに入ってきた。あれは、確か先ほど誠二に道を訪ねていた陰気な男じゃないだろうか。そう思って誠二の方を向くと、
「いやー、偶然だよな。さっき道案内した人、今日の対バンの人だったみたい。ほら、俺達の次の出番のツアバン、えーっとSMKってバンド」
そう教えてくれた。なるほど、先ほどの意味深な言葉はこういうことだったのか。
「あ、先程はどうも」
「どうもどうもお疲れ様です! 今日はよろしくお願いしますねー」
誠二は人懐っこい笑みを浮かべながら、やって来たSMKの人たちと話し始めた。
こんな風に会って間もない人と仲良くなれる誠二に、私は素直に感心した。私には中々そういうことは上手く出来ない。人間としての性質の違いという奴だろうか。
でも、自分がああいうタイプの人間になりたいかと言われると、別にそうとも思わない。
だったら、自分はどういう人間になりたいと思っているのだろうか。描く理想の自分、もっとギターが上手い人間、というぐらいしか思い浮かばなかった。しかしそれは今の話では少し違う気がする。技術的な話ではなくて、内面的な話というか何というか。
私は今の自分を完璧な人間だとは決して思っていない。でも、具体的にどうなりたいかと言われると、その希望は特になかった。いつかなりたい自分というのが見つかるのだろうか、何て考えたが「なりたい自分」なんていう言葉の胡散臭さに、我ながら苦笑いしてしまった。
今は取り敢えず、そんなことは考えなくていいだろう。
集中すべきは、目の前のステージなのだ。




